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ARCHIVE - 2012年07月

2012
07/13

海と雨水


熊本県大分県の豪雨は記録的な雨量となった。その陸地に降った雨はまるで津波のような威力を見せ、アスファルトはめくられ田畑は泥で覆われ見る影もなく、「今年はもう終わった」と、秋に向けた収穫の断念と、復旧作業への何に手を付ければいいのかと路頭に迷っていた。
写真は荒町から折立に向かう国道45号線です。こんなにも海が近く、平坦なこの地区の状態が見てとれる。この場所は早期に再生した、銀ザケの稚魚の中間育成の場所からで、ここから300mの場所の西戸地区の国道沿いに、現在建物の建設が進んでいる。自力での再建への取り組みと思うが、依然営業していた「西城魚店」さんである。国道にあり南三陸町の行き帰りの「三陸の海産のお土産」の購入場所として、多くの来町者に好評だった事を、当時の賑わいから感じる。また近隣の戸倉地区の鮮魚の買い物場である。元町議会議長の須藤さんの奥さんとも、よくここで顔を合わせ「頑張っているの」と激励の言葉貰ったた。そのお二人も今回の津波で逝去されたと聞く。何も無くなったこの地からのスタート、ここには多くの思い出があり、建設場所として再開できる事は、私にとっては羨ましい。現在志津川地区本浜町の私の「千葉印刷の原点」での再生は、新しい町づくりの方向性の中で、叶わない願いでもある。今後予想する「宮城県沖地震」からの津波発生の大きなリスクを背負つてのスタートでもある。南三陸の沿岸の津波対策の工事は5年後10年後の完成か、先は今見えてこない。
11日の議会で議員全員にアメリカの学校から、「防災センター」を残して欲しいの手紙が配られた。手紙には今年8月の解体とまで書かれていた。6月の解体と行政では言っていたと思う。解って欲しいのは、この屋上で町の職員が30名亡くなり、その他にも避難した町民がここで被災している。この場所の残すべきと言う意義も理解できる。ここで何もなく、職員・住民が総て避難し犠牲がなかったら、皆がこの「防災センター」を残す事に何の異論もないだろう。この辺を理解した上での「要望」なのだろうか。何の裏も「企み」も無い事を願いたい。
南三陸町は「海と川の綺麗な街」、この自然で町民は生かされてきたのだが、この自然を人間が、自然の姿と営み以上に介入してきたことも、多くの犠牲となった原因ではないかとも思うようになった。
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