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ARCHIVE - 2012年06月

2012
06/23

被災地観光


昨日撮影した志津川市街地制限区域の風景です。しばらくぶりの志津川中学校の高台からの眺めは、いつにない光景だった。志津川湾には太平洋からの「霧?」で覆われ、これが南三陸町の地形が作り出す自然美で、これを見ながら55年間生きてきたが、今は「生かされている」という気持ちが強い。
この場所には3人の若者がいて、やはり写真を撮っていた。大阪弁なので地元の人ではなく、やはり「観光目的」と感じた。観光支援が今叫ばれ、この支援は全町民に配分となるのだろうか。今日も大型バスが町内を朝から、何台も連なって走っていた。南三陸町は観光でしかしばらくは成り立たないのか。被災住民の再建は平成26・27年の高台への移転であり、生活の目途は大半がたっていない。「復興特需」は誰が受けているのだろう。
昨日の志津川中学校へいった。前ライオンズクラブ会長からの、今治くるしまライオンズクラブ様、今治地区剣道連盟様より、心のこもった「剣道具」の支援の、受け皿を戸倉剣道の代表である私に依頼されたからだ。
戸倉剣道は津波の最大被害地で、多くの団員の家族が死亡し、団員の減少の中で、今年は会員登録に志津川地区の女子一名とする事にし、今日書類作成をする。しかし、我がスポ少の「最終目標は初段取得」にあり、多くの問題があり団員入会は望めなく、何とか目標達成に子供たちを導いてあげたい。
支援の防具はそんなわけで、10個頂いたが、併設する二つの中学校に3個づつ昨日届けてきた。志津川中は部員が20名を超え、防具の不足があり、戸倉中は「武道の必修」があり、防具がないと言う事で寄贈した。戸倉スポ少も志津川中1年の初心者を団員ではないが指導していて、純団員は一人ながら多くの生徒の指導をしていた、志津川中剣道部の手助けにあたっている。練習もハードになり、私の節々は悲鳴を上げている。南三陸町を担う子供たちと、共に汗をながし頑張っている。
9月26・27・28日と、南三陸町では「敬老会」の予算が計上された。会場をホテル観洋として、仮設生活者・みなし仮設・そして被災されない町民が、しばらくぶりで顔を合わせる事が実現する。仮設回りでも「地区の人たちと会いたい話したい」と言う。高台移転にあたり各々の方向性の確認ができる良い機会と私は捉えている。
この週末の二日間は少し時間の余裕がある。何をしようか?
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