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ARCHIVE - 2012年06月

2012
06/14

名足


歌津名足地区の象徴がこの場所と私はとらえる。左が石浜から田の浦に抜け、右は中山・馬場そして泊浜に通じる。名足農協・名足駐在そして民家がこのT字路に密集していたが、今も津波被災当時のままで何も変わっていない。「低い所には住みたくない」が、海に従事している方を除けば大半がこの考えがある。
一年と3か月が経った。市街地を離れた海辺の集落は、戸倉・歌津など復旧は進んでいない。しかし、漁業の拠点となる漁港は必要と認めた場所が、国県が整備の決定したところだけ、嵩上げや漁船の接岸の港の整備は進んでいる。漁業は南三陸町の基幹産業として最大の産業、町の復旧復興二は欠かせない。
歌津には馬場・中山地区がある。この地区の被災からの復興は、多くの地域民の活動と、支援団体の繋がりにより、漁業の復活・道路整備など、浜地区の復興の中心でもある。名足地区にも50戸の「災害公営住宅」の建設が決定し、もう50戸も建設予定を決めているようだ。
志津川市街地の被災民の高台移転は、平成26年度中頃以降の住宅建設可能と、まだまだ遠い高台移転のスケジュール案となっている。時間が経てば間違いなく住宅建設がされるが、その時まで町民は自分の町への愛着が続くだろうか。昨夜も本浜の地区民の方が「防災集団移転に参加したいのですが」と連絡があった。その時期を伝えると驚くばかりの声が発せられた。
今、復興計画により市街地の「嵩上げによる再建」が決定し計画が進んでいる。そのな中で「果してその復興計画は南三陸町の住民が求めているものなのですか」と、質問が私に投げかけられた、「このままででいいんですか」と涙を流し訴える彼女の目は、真剣で訴える姿があった。まだこれからで、若いこれからの人たちの考えを、復興再建に取り入れるべきと思った。「バック堤防」「9m近い防潮堤」で南三陸町の、町民の自然景観の中での生活を再生できるのかと言う。「津波の来た所では暮したくない」が、多くの被災民から聞こえる中で、私はこの訴えにどう対処するべきかと考え、もっとこれからの若い担い手の考えを、復興計画に入れるべきと、「まちづくり協議会」への参加を、若者たちに促していこうと思う。
第二瓦礫置き場焼却場の聖地のスピードの速さに驚く、何日も流失した橋の再建に時間がかかったが、戸倉在郷は新しい橋が2本架かっていた。
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