ARCHIVE - 2012年05月

2012
05/31

歌の力と子供達


こないだの日曜の「う~み」のコンサートで、前列に子供たちの軍団がいた、う~みは言う、私のコンサートに来たの?と、子供達いわく「餅拾いに来たの!」と。確かにレジ袋を皆がもっていた。
う~みの歌に合わせて掛け声を、子供たちはリズムも良く元気だ。写真のようにシンガーソングライターには、あまり興味がないようだ。
歌手う~み、彼女の人生は波乱万丈ながら、しっかり母がその陰に見え隠れする。北海道生まれながら四国で現在暮らす、この不思議は彼女じたいと同じ未知のものを感じる。
バスケットが大好きで特待生で大学に、以後に大型選手とぶつかり、頭から床に落下したという。私と同じ160㎝でのバスケット選手志望。落下し頸椎を損傷した。体は不自由となり指の動かなかったという。リハビリにピアノを選び、みるみる内に動かなかった指が動き、鍵盤を見なくてもヒアノが引ける特殊技能が雛割、今はおとを聞くと直ぐにそのメロディーが引ける。
やつぱり人は苦境を乗り越えて大きくなれる。そしてこの元気なパワーは、その状況からの脱出が作り上げあげた物である。どんな壁ても乗り越えられる子供達となる事を願う。
南三陸町の大型施設の解体が始まる。その数は36施設にも及ぶ、秋にはその解体を終えると言う。警察署・宿舎があり、宿舎の屋上の車も今日は消えていた。志津川病院の玄関も解体され始まっていた。74名の死亡者がでている病院も玄関から解体が進んでいた。
県警発表の身元の不明者が現在204体あり、似顔絵が公開されている。早く家族に返したいと話している。県内の不明者は何千人以上だったと思うが、多くが貝や魚になってしまったのだろうか。
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2012
05/30

親友の親友


「捨てる神あれば拾う神あり」、震災後は多くの町民や仲間が、いろんな環境の中で心が病んでいる。私もそうかもしれないが、まだ症状は軽い。
そんな人間模様の中で、知人の知人が電話をくれた。「頑張っている」、しかし不安でいっぱいだという。被災後の私は無我夢中だった。一旦追われる生活が落ち着いた時に、ふと強い不安が心を走る。眠れない・苦しくて何もできないときに、人の心に救われた。こんな時に一番は「人の情」、好き嫌いではない「人間愛」に、自殺願望の一歩前で救われた。私は二人の親を見る義務があり、町「南三陸町の存続」への活動があった。その方向へのまた人のつながりを今日も知る事となった。「人への感謝」を失った人は、もう私にはいらなく離れて当然と思うと、心のいらだちも安らぐ、もっと深い物があるが、この辺でやめておく。
ブログからすでに二日と6時間、更新がさりない「南三陸町から愛と死と希望を見つめて」となってしまった。あえてその訳を話すのはやめておく。現在、本当に南三陸町は大丈夫だろうか。国・県の行程どうりに、町の復興計画は進んでいるが、最終的結果には誰が責任を取るのだろう。
ある自治体の消防団長だった方は、「ピンポイント」で支援を今後はすると言う。「赤十字」を通すと行政に渡り、再建を図っている弱小の事業所には届かないと、学校などに直接支援すると言う。こうした支援の団体にNPO法人に受け皿となりその支援必要な団体の集約を図り、支援する活動が今求められている。私は今こうした活動をしないといけないと思う。自治体任せでは必要な場所への支援は、今後厳しく届かない。強い物勝状態である。
写真はしばらくぶりで被災地の現状が撮れた。復興ガンバレの支援、その感謝への言葉と和、観光支援の「お客さん」、複雑ながらこれが今の現実です。

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2012
05/28

元気


昨日の復興市で登米市の「鈴木あやか」さんのコンサートでは、バックで南三陸町の南方仮設で生活する被災された皆さんが、踊りの伊籐先生の指導を受け、日ごろの練習の成果を披露した。
自治会長の宮川さんは、仮設に閉じこもりがちの皆さんに、踊りの教室をする事で、同じ仮設で生活する皆さんの交流の場として、元気になってもらいたいと、地元の演歌歌手のあやかさんが、歌に合わせ踊りをと伊藤先生にお願いし振付をして、南三陸町の皆さんに披露した。ステージには多くの友達や知人が集まり、会場は大盛況で多くの声援が会場にはあった。
同級生のおかあさんの大森さん、本浜の隣人の本田さんなど、懐かしい顔ぶれの元気な姿に嬉しさが募った。デイサービスで「九死に一生」の命を息子に守ってもらったと、「南三陸からの手紙」に書いてあった事を思い出す。仮設には多くの花々を飾り、働き者で畑仕事や家の周りの草花に囲まれ一人、被災前は生活していた。高台移転を希望し、小さい土地付きの小さい家でいいから、南三陸町での生活を願う。
今日から三日間家を空ける。90歳を迎えようとする、父親が元気な事で出かけられる。母は生活も落ち着き、母親の認知も軽くなり、二人支え合って生きている。私は皆が今は助け合い、寄り添い生きて行く事で、この大災害から町が復活できると思う。「声を聴いて」と多くの被災者が声を出し続けている。

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2012
05/27

う~み


今日の「福幸市」でも彼女のコンサートがある。南三陸町を全国で有名な、被災地の町である事を全国に伝えたいと、自分の本業のコンサート活動で、南三陸町を中心に、被災された皆さんに「元気」になるよう、パワーを届け続けている。
昨日のホテル観洋での「南三陸町からの手紙出版記念パーティー」には、手紙作文を書いてくれた皆さんが集まった。当時の事を一揆に書き上げた作文が、こんな形で全国に発信された事が信じられないと話す方、、「地震がきたら津波が来る」と今回の被災を通し伝えたい。孫に伝えたい、全国の子供たちに伝えたい等、多くの思いがある。被災を受け何もなくなった自分たちに何ができるかを模索して、その裏側の深い苦しみに「なみだした」そんな会でした。西戸地区の方は多くの人が亡くなり、志津川地区では建てたばかりの新居が、五年しか住んでいないのに跡形もなくなったが、この町で暮らしたいのに、町の住民支援に疑問ばかりと涙していた女性に多くが、目頭を押さえた。
橘さんがいた柳津のお寺さんの家族は、隣町の南三陸町の支援に全員が支援活動をして、「頑張って下さい」「何もできない」と涙する。こんなにも知らない皆さんとのつながり「絆」に結ばれていた。
う~みさんは子供達への支援コンサートで、交流を深め作文を書いてもらっている。なかなか開くことのできない当時の思いを作文に書くことができ、「すっきりした」と子供達は言い、学校では子供たちの心を知る事が出来たと言う。彼女の歌のメッセージには、「僕らは諦めない」「今あなたに心からありがとう」と、歌詞に子供達との会話がある。子供たちの声を聴いてあげることが、安心感につながり家族の一つの不安を取る事になる。
皆さんの支援の活動の「輪」と、被災者の再建への「元気」が、「絆」として今、全国とつながっている。今日はこの三倍も話したいくらい、昨日の行動から多くの南三陸町の事を、全国の皆さん・散らばった町民の皆さんに発信したい事があった。
来週から被災地の復興の先進地に調査に3日間出かける。「中総体」の事も心配だし、「小山先生の7段祝賀会の準備」「6月定例会の一般質問」「高台移転の行政の動きの住民説明」など、様々な活動が今目の前にある。時間がもっと欲しい。からだも2つ3つとあったらと思うが、できる事から一歩づつしていきたい。

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2012
05/26

BRT


連休明けに借りている事務所の裏山に、大家さんの竹やぶがあり、「筍掘り」に誘われ出かけた。山に行くには「JR気仙沼線」を横断する。この日は線路の両脇にピンクのテープが巻いてあった。
昨日は議会で「バス高速輸送システム」の事が報告された。JR東日本に陸前戸倉駅の復活を要望している。と一年前と同じ事を繰り返し、活動しているという。今日もテレビで気仙沼市では線路がはずされ、BRTの工事がすすんでいた。もう、柳津から気仙沼までの被災した路線は、バス輸送に決まってしまつたと思える。通学の学生の事を考えると一日も早く通学手段としての復活を願いたい。JRは「ミヤコー」にバス運送を委託したという。
「仮設が足りない」と言う。現在仮説に入りたいという人が176名いる、しかし残っている仮設は22個しかなく。入りたい人が入れないという。この状況は「みなし仮設」から、南三陸町の地元に、被災して町外に出た人が返ってきたい為、こうした状況や、部屋の変更など、多くの必要性が出てきた事と思う。
入谷中学校の「マユ生産」「シルクアミノ酸精製」などの企業進出が議論された。合併浄化槽の7軒への無償貸出なと、多くの議案もあった。今回、高台移転の測量・土地取得・造成などの日程計画が公表され、本格的な姿が見えてきた気がする。
「南三陸町の恵み」が沢山でてきている。山も海もである。通勤途中のホテル前には大型バスがいっぱい止まっていた。

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2012
05/25

プロジェクト


多くのプロジェクトが南三陸町でも行われている。明日は「南三陸町からの手紙」の参加・執筆された方が、ホテル観洋で顔を合わせる。被災のその時の出来事を思い出し「手紙」としてまとめた。貴重な体験を本として全国に発信し、「かたりべ」としての役目も果たしている。将来に大津波を語り継ぎ、その避難の姿・恐怖を風化させないためにも、プロジェクトに参加した仲間が、親睦を深める。
写真は大久保の「カバラ」さんの茅葺の自宅が、移築のプロジェクトで解体が進んでいる。1億以上も経費が掛かり、町としての文化財を保護の資金は無く、町の支援なしでの保存を、多くの全国からの保存の支援金により、解体し四国での保存へと慎重にプロジェクトが進んでいる。
先頃に袖浜の「荒沢神社」で春のお祭りがあった。自宅も神社も被災し、県指定?の文化財の巻物も塩水をかぶり、現在「塩釜の博物館」で塩水を乾かし劣化しないように、復元しているという。歴史・文化の保存は、被災地は大変と言いながら、遺跡の確認には国は二年をかけ調査している。その必要性を遺跡の大切さは、多くの先人の歴史の経緯がここにあるからだ。
登米市の「南方仮設」、ここには何でもあるから生活しやすい。ここに住む方の声に、高台移転というが、働く場所も住宅建設の資金も、土地の取得も思うようにいかない現状、当分は今のままでいいと言う。昨夜の南三陸からのNHKの「被災地の声」で、小さくてもいいから自分の家が欲しいと気丈に話す、89歳のおばあさんの姿があった。私の両親と同じである。個々の考えがあり、町の再建は時間がかかる。
また、こないだ開催された「田束山マウンテンバイク大会」がある、昨年は中止になつたが、今年は多くの子供たちがさんがきてくれ、暖かいメッセージをくれた事に、開催者の加藤さんは声を詰まらせた。こうした子供の姿は大人の「大きな力」となります。私も多くの涙が折々にありました。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:42 】

2012
05/24

総会


こないだ被災時に大津波を見つめた、旭ヶ丘の高台にしばらくぶりで出かけた。見下ろす側の被災地は「さんさん商店街」が見えるだけで、大きく見る風景は変わっていない気がする。ファミリーマートが被災地にでき、高台に通じる道路に「さんカフエ」や、美容院・コインランドリー、そして被災しながらもアパートが清掃され再建されている。
解体査定が出され被災した大型建築物が解体の方向に進む。昨日は横山の避難民に「個別説明会」が開催され、順番まちで多くが訪れたと聞く。戸倉地区民が多い避難場所で、土地の買い取り価格も提示され、高台移転の土地も示されるものの、その価格差に私自身も驚く、折立・在郷など場所によって大きい価格差がある。移転で3倍の高台の地価に、被災地の現実の厳しさばかりを感じる。「等価交換」にすべきと声を大にして言っていた。こうしないと住民の復興への期待が削がれるばかりで、政治の政策・取組に、国への被災地の本当の復興をあり方を、町は伝えるべきと思う。来月に議会でも「政府に陳情」に行く、何とかこの住民の声を伝えたい。
昨日は商工会の総代会総会があった。脱会者が86名があり新会員が27名、総数で年度末会員が493名となった。被災し亡くなられた事業所、再建を断念した会員があり、商工会に入会することで、国・県の支援制度の情報を商工会から得られるという事で、入会された方の声も聞こえてくる。しかし、補助制度・助成支援の事業所に入るのは、大変「狭き門」とも多くの方から聞く、限れた予算で総てへの国の事業所支援は厳しく、こないだは銀行からの融資のむずかしさもあると言う。
今日は木片の瓦礫の受け入れに当たり、70Kのコンクリートと6個の石が混入し、その理由が判るまで住民が自治体の受け入れを拒否している。との報道があった。岩手の大槌・広田からの10トンの瓦礫だった。南三陸町でも大きな瓦礫の山から、重機による分別が今なされ、遠くから見ると綺麗に瓦礫分別がなされているように感じる。トラック・コンテナへの積み込みでも、厳しいチェックが必要で、「少しのミス」も現在の被災地には許されないようだ。

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2012
05/23

多忙中


今日は朝7時に仙台に向かった。出かける前にパトカーのサイレンが鳴った、またどこかで事故だろうかと思いつつ車で出かけた。
西戸のカーブから見通しの良い直線が荒町への途中にある。旧戸倉駅あたりから多くの赤色灯が見え、パトカー・救急車・消防車、大事故の予感がする。中間部分で軽トラとライトバンの正面衝突だった。常々思っているのは朝の車はスピード超過で、見通しが良いと直ぐに追い越しを掛ける。対向車とてスピードを出している事を忘れてはならない。被災地では安全運転で。
昨日帰りの車で驚く報道を聞いた。海岸線にあった「今野鉄工所」の方が、300Kも離れた茨城県の浜に流れつき、このほど「DNA」で今野さんと確認した。との報道だつた。今震災の瓦礫が太平洋を越え、アメリカ本土に流れつく事が、米国の議会で「対策を」と議論されている。すでに発見されても「DNA」の確認が難しく、今後も本人を確認するのに時間を要するという。
写真は神聖な「仏前結婚式」を写真で一枚撮らせてもらった。いとこたちも父親側は大部分が結婚となった。子供にも恵まれているが、南三陸町居住ではない。「少子化」の一端は町外に生活の場を求めいてる事が起因する。
南三陸町が被災地となり、若者がこの地で暮らせる環境がないことは、間違いなく人口の減少でしかない。しかし、一人、また一人と南三陸町に帰ってきている若者がいる。被災地の復興への支援だけでなく、この場所を永遠の住居として、永遠のパートナを見つけ、ここで暮らしてほしい、これが最大の町への支援です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:27 】

2012
05/22

時間が


「東京スカイツリー」が今日の開業となる。関連施設の入場者が20万人にもなる。昨日は「金環日食」に国民そろって空を見上げた。
先週土曜日に被災した志津川公立病院前を通ると、礼服を身をまとった方が大勢いた。玄関には祭壇が設置され、報道カメラも多数いて、花を添える人が沢山集まっていた。「追悼慰霊祭」がこの日開催されたと後で知った。74名の患者や職員の死亡がある。そのかなで「解体の査定」も終わり、22日今日から解体が始まるという。遺族の声で「家族の亡くなった場所、残っているのもいやながら、無くなる事も複雑、でも心にはずっと残っています」と話していた。
今日もこの前を通り通勤した、大型の重機が横にあり、本格的に被災した大型公的施設の解体が始まる。病院裏の二階にはまだ中型の漁船がある。この場所は1mのかさ上げで「記念公園緑地」になる事が決定している。6月には防災センターも解体と行政は話す。多くの来町者が防災センターで手を合わせた。「追悼の場所」を町で設置も考えないといけない。被災した市街地は復旧工事が大々的に始まり、「荒島パーク」などが良いかと思う。他に「黒崎のテニス跡地」は志津川市街地が一望できそうで、こうした眠っている場所も候補地としてあると思う。
今日は午後3時から仙台で「印刷組合総会」がある。多くの組合員や関係団体の全国からの支援もあり、感謝の気持ちを持って総会に参加しようと思う。
宮城県漁協志津川支所の知っている顔が映った。ウニの生育調査で実入りを堪忍していた。生育にばらつきがあり今年も採取をしないという。すべての海の復活はまだまだ時間を必要とするようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2012
05/21

一緒に


昨日は村田町で「仏前結婚式」に参加した。今まで「神前」「教会」と結婚式は体験しているが、おごそかで厳粛なお仏様の前での結婚に、今までにない「二人となる意味」を知った気がする。
写真は黒崎パーキングからホテル観洋に向かう、途中の左側のガード手前に、ひっそりと三つのお地蔵さんがある。私の2つ年下の志中生が、今から40年前にここでトラックの交通事故となり尊い命を失った。戸倉中学校に「中体連」の応援に行く途中だった。この時期だった記憶がある。
二週間前の日曜日、ご家族がちょうどあたり日なのか、焼香に訪れていた。弟の同級生でお姉さんが私の同級生で、その当時の悲しみを今でも思いだす。通学の子供たちの交通事故が頻発する今、くれぐれも事故には注意してほしく、通学バスの運転手さんにもお願いしたい。
七時45分黒崎パーキングに「金管日食」を見に行ってきた。太陽の光はリングになっても眩く、なかなか金管は見えない、結局下側が欠けてこの地区は「金管日食」とはならなかった。
土曜は志津川・入谷小の運動会だった、応援には行けなかったが、好天になり元気な子供たちの姿がテレビを通し全国に伝えられた。

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2012
05/19

自助


早く両親に安住の地を建ててやりたい。との願いが被災地の家族にはある、しかしながら志津川市街地の高台でも規制がかかっている。何とか取得した場所がギリギリ制限区域で、県からの建設許可が出ないと言う。その反面制限地区の地価は土地鑑定士が調査し、その価格の低さに住宅・土地確保に、今後の現実の厳しさに直面している。町の市街地の形成での強制での立ち退きにも、この反発が開発の妨げにならないよう、町には住民感情を抑える事も視野に入れて復興を進めないと、住民の混乱は増加し、復旧復興の妨げでしかない。
昨日は「荒沢神社」のお祭りがあった。例年この時期ながら、昨年は自宅が被災し2年ぶりの大祭となった。多くの袖浜地区の氏子が集まり、こうしてまた祭りができる事を祝い喜んだ。こうした地域の神社の地区民の集まりは、コニュニティーの形成の一助ともなり、地域の再建を話し合える場でもある。
昨夜は5時前から志中の剣道指導に行き、6時半からの戸倉剣道の指導に臨んだ。8時半まで子供たちと汗を流したが、その後はその汗が冷え、また風邪がぶり返した。主治医は糖尿病が悪化して風邪が治りにくいと言う。
明日は結婚式、本家として列席するが「咳」が気がかりでもある。東京から叔父叔母を仙台駅に迎え、村田町での結婚式で、披露は仙台国際ホテルと、大忙しの一日になりそうだ。その晩はホテルで一泊十分睡眠をとり、早々の帰宅でまた仕事がまっている。
写真は先月頃から山を切り開き、もうここまで自宅の建設が進んだ。自分の山の聖地を建設業者に頼み、大工さんも用意しての建設の速さに驚く。土地と資金と人脈がなせる「技」なのだろう。
町もこの三つの内、2つはもっている。後は資金ながら、国からの「復興交付金」頼みでしかないのか。

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2012
05/18

温情


被災し事業を再開したいとの方の支援と言う事で、一昨日は浸水していない土地を見に行き、昨日は銀行・建設会社に相談へ同行した。
現実は被災した土地の担保価値は「0」に近く、今後進む土地の町の活用される部分についても、資金融通の根拠とはならないという。住民の再建は予想以上に大変な状況となっている。
四分の三グループなど支援補助事業も、決定する確率は一桁で「夢と希望」は微塵なものでしかなく、奥尻の被災時の町長の英断のように、一世帯に1450万円地元に高台住宅建設をする人への支援と、打ち上げた方がよいとも思える。
多くの同僚の温情に感謝しかない。被災し会社は「0」となっても仕事のミスの理由とはならない。そんな中で迷惑をかけた方の立場による個々の対応に、申し訳ない気持ちばかりでいっぱいの一日となった。
朝、事務所の大家さんから「筍堀にいかない」と誘いを受け、新緑の裏山の竹やぶに入った。新緑の若葉が匂い、朝露が心を落ち着かせてくれた。放射能の「セシューム問題」も、自然の恵みは50歳を超えた私の家族には問題はない。大家さんは言う「子供たちのいる家庭へは」と。私の毎年に恒例行事でもある。
また、昨日は十日町の「佐藤毛糸店」の方と被災地戻っていて会った。「土地の境界線の事で今日は仙台から来た」という。この場所は通信回線の工事で長く片側通行があった所で、工事の終了で業者立ち合いの境界確認だったようだ。
また、米谷の七番に行き融資の相談、志津川建設さんに行き設計・見積なども、快く相談に乗ってくれた。しかしながら再建には多くのハードルを理解し、被災避難場所の「広島」に帰った。
朝には荒砥の方が「ガケ地危険区域」で行政が来たんだけど、移転しないといけないのてすか?」と電話が来た。「大丈夫だから」と説明した、制限がかかっていない区域は、移転義務はないからと話した。個別の相談も千差万別である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:26 】

2012
05/17

土地


「福祉の里」に昨日は行ってみた。旧志中には大型バスが5台駐車していた。下の被災地には写真のように、200名以上のボランティアさんが、小さな瓦礫を一心不乱に拾い集める姿があった。この日は22℃まで気温が上がり、大変な作業に頭が下がる。
帰りに登校坂の途中の「さんさカフェ」に寄った。見た事のある方が二人、高校の避難所で避難者の支援代表として活躍していた人だった。現在はこの場所で支援者の方と共に、来町する支援者や被災者への軽食の販売をしていた。このお二人も被災者ながら、こうした活動も被災地には必要とされている。
今後は志津川市街地は6mのかさ上げと、線路が中央に見えるが、前は結構高いイメージだったものの、海面からのその低さに驚かされる。八幡川の手前は1mの記念公園の緑地帯として、再建が進められる。
三億上限の四分の三補助事業や二千万の二分の一、そして上限三百万などの補助事業も今月末で、24年度の一回目の、申請が締め切られる。100事業所以上が南三陸町商工会からの出願される。4000万円の計画でも、1000万・2000万と自分の資金ぐりもしないといけない。けっこうハードルは高く、申請者の多くは3000万円の施設・設備費と思うが、資金がないと申請も厳しい。
「我が社」も二年ぐらいには3000万円を目標に、商工団地の土地に工場を建設する目標で進めたい。今から二年後は住宅建設のラッシュと南三陸町はなる。商工団地も20年前で「5.5万」ながら、現在の土地購入価格は2倍とも言われる。担保設定も8割と考え、1200万円の担保価値、多くの皮残業が続く。

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2012
05/16

依願退職


震災発生後に私の仲間の職員も、「依願退職」をした。年齢的にも重要な町の人材でありながら、多くの仕事内容の遂行にトップ上司・課長職の余裕のなさが、職員の「心のケア」ができていない事が原因と私は思う。
昨日知人が来社した、話によるとまた職員が「依願退職」したという。新年度になる前に私も少し彼と話をした経緯があり、優秀な職員だった。今、必要な町の存在であり、この時期の退職は理解に苦しむ。色々な事情があるものの、精神的なものの蓄積があったのだろうか。
彼の奥さんも総務課で町長の秘書的立場で五年間も総務で働いていた。しかし、今回の津波で防災センター屋上で「殉職」し、帰らぬ職員となった。こうした精神的な諸々の事が、退職の原因だと思うのだが。
14日から「高台移転個人相談会」が20日まで行われる。私の知人も説明を聞きに行ったが、質問する事で核心部になると、「まだ判りません」との答えに、「行ってきたが何も解決しなかった」という。対応は支援自治体からの応援の職員だった。地元の事を理解している職員対応なら、また、別な対応ができたのではないかと感じる。
写真はわが社の前で、現在荒町の小中生徒の通学バスの停留所となっている。午前7時30分になると、子供たちの元気な声が聞こえる。カーブミラーがあり、多くの花を「我が社」の従業員が植えてくれた、心が少しでも和めばと思う。今、全国で通学の列に車が突っ込み多くの児童が「尊い命」を落としている。被災地の児童・生徒の通学には9割がバス通学だが、道路の整備がまだままならない、南三陸町多くの気づかいが運転に必要と思う。先月石巻では横断歩道に一般の指導隊の人が、横断の援助にあたっていた。
志中の剣道部指導は、本当の打ち込みを教えるために、7月8日に開催される「一級審査」の9本の形の指導をした。案の定、打ち込みの形の基本が伴っていなかった。今からならまだ修正はできる。来月の10日の「中総体」には、後悔の無い大会になるように、時々の指導ながら学校に通い続けたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:55 】

2012
05/15

支援の輪


昨日はアリーナまで出かけた折、旧志津川仮設診療所裏の空き地に、幼稚園が建設されていた。遠くから見ると鉄骨建設と見誤るような太い柱と梁に、建設資材の高騰がある中での建設と思った。
しかし、近くで見るとそれは木造建築だった。それはなぜかと言うと、経営は宗教法人の「大雄寺」さんだと思う。今回の大震災の津波で、寺の山道の町の遺跡の杉の木も、津波被害を受けた。倒木・塩害により伐採を余儀なくされ、その杉の数百年にもなる大木を、製版し使用すると前に話で聞いた。
赤十字が支援しているが、サッカーの長谷部選手との建設のプロジュクトでもあった。子供たちの教育施設の早期復活が、最大の願いでもある。現在は廃校となった「大船分校」での保育教育を余儀なくされている。この地区も大船地区と言われ、昔は津波で船が入ってきたとの言い伝えもある。
今日は「沖縄返還40年」と言う。私が15歳の時はまだアメリカの領土だった事に驚く。戦争での沖縄県民は4人に1人が亡くなっている。この現実に県民の米国の基地の存在は、戦争が未だに終わっていないとも言う。
「東日本大震災」が起こり、復興へと言うが、まだまだ始まったばかりである。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:24 】

2012
05/14

仲間は


多くの電話と来客に追われる私個人の時間です。週末の政治報道テレビは、唯一私の中央の政治家の考えや行動を見て、自分の公人としての活動の、肥しとしている。
また貴重な日曜の時間ながら、7月8日の一級審査の「剣道形」の9本の再確認をした。初めての級審査の二年女子の形指導があり、剣道の打ち込みの基本がここにある。二年生徒の打ち込みはまだ本当の形を知らずに、昨日の剣道の試合に臨んだ生徒ながら、勝つための剣道をするためには、この知識は欠かせない。
町外いる町民からの高台移転には多くの疑問も多く、個々の場合によりその対応も違い、その説明は私も曖昧な所が多々ある。水戸辺川のバック堤防に係る土地も微妙であり、在郷は第二瓦礫仮置き場の関係もあり難しい。また、寺院もあり道路の在り方も地区民にとっては大課題ともいえる。今年は「三回忌」となる、100名にも及ぶ死者の供養は遺族の祈りへの願いでもある。
今月末は印刷組合の総会が仙台である。その他にも組合の「通常総会」が今後めじろうしでもあり、総てへの参加は、今後への状況の把握には欠かせない。事業者の廃業や再開の混迷をここで知る事ができる。
昨日はガソリンを入れに、休日でも営業している宮城商店さんへ、給油中に残った防災センターを見る。見上げるように青空にそびえ立っている。6月に解体と言われるが、検証という形でぜひ津波が到達してきた方向を、屋上から見てみたい。また、職員殉職の被災遺族にも、最後の生存の場となった所、ぜひ登ってみたいという要望があるような気がする。
きょうも南三陸町は良い天気です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:36 】

2012
05/13

離れれても仲間


最近は志中の剣道部に行くときに、水尻橋から志津川高校の下を通り、「福祉の里」の入り口から398号に抜け、高台の志津川中学校へと向かっている。信号を2つ回避する為で、さほど変わりはないが信号を通らなく、ノンストップで行ける事を早く感じている。
水尻川にはこないだの低気圧による大水で、川の中央にコンテナが流され、回収に建設会社の方が作業をするも、この日回収には至らなかった。自然の力と人間の知能のせめぎ合いが、災害復旧の至る所で起こっている気がする。
昨日は剣道部の竹刀・防具の気仙沼の納品業者が被災し廃業、現在業者が決定していない。今日の大会に3人の一年生が参加しないとチームが作れなく、志中の垂ネームの作成が余儀なくされ、私が注文している石巻の防具屋さんを紹介し、一か月は係る作成を一週間で納品してもらう事をお願いして、昨日午前の練習日に納品に来てくれた。
生徒への業者店主自身の自己紹介に「石巻剣道連盟七段教師鈴木です」と、その声と姿勢に対しての指導の姿に圧倒された。剣道の精神・真髄を理論だて、「感謝の気持ちを持ち、気合を持ち一本を打ち込む」と指導する。こうした知識・指導力も七段の取得に必要と再認識した。
写真は高校下の住宅地の瓦礫撤去に、ボランティアさんが50名近くが作業をしていた。土に埋まった建物の残骸を掘り出し一輪車で運ぶ光景があった。登校坂の入り口は駅前の「東食堂」さんの家だったと思う。この今の姿に「東さんは」「あのチャーシュウみそラーメンをまた食べたい」と、ふと思った。
なかなか商店の再開、住民の高台移転の今後が見えない事に、イライラしているのは私だけではないと思う。

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2012
05/12

春の仲間たち


今私は被災し町内から山中にある牛舎の一部を改造して、ここに工場として稼働させてもらっている。
春の訪れを告げるタンポポが咲き乱れ、ホトトギスが鳴き、「キーキー」とかん高い知らない野鳥の声が、朝の始まりと共に始まる。田植えも始まり夕方には「ゲロゲロ」とカエルが鳴く自然いっぱいの場所で、仕事ができる事、今まで体験しない環境での仕事場に満足をしている。
仕事場はサッシで密封されているものの、虫たちの来客がある。昨年のように今年も「カメムシ」が大発生している。この場所はなら当たり前の事であるかもしれない。昨日は20匹以上もペットボトルで捕獲した。またハチもたまに入ってくるが、昨日は「オオスズメバチ」が印刷工場へ、丁重に外に送り返した。四季折々の来客に自然観あふれる場所で仕事をしている。
昨夜は志中道場で、柔道と剣道が同じ日の練習日となった。スポーツの愛好家が一同に会して汗を流した。「戸倉剣道」は一名ながら、昨日は志中剣道部から10名が参加しての練習となった。指導者二人で、フル回転の稽古に良い汗をかく事ができた。中学生は明日「利府」で錬成大会がある。練習不測の危機感を感じ、練習に参加したのだろう。
今から志中の剣道を見に行く。

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2012
05/11

将来の仲間に

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志津川中学校の武道場に10年ぐらい前の、剣道部の部員の名前が未だに掲げられている。名前を見ると一人ひとりの顔が思いだされる。現在は大学を卒業し医師になった子、子供ができ母親になった子、地元で働いていたものの、現在は仕事の場を都会に求めた子、逆に志津川を離れながら、親を助けに戻ってきた子など、色々の人生を送っている。
この中に遠藤未希の名前がある。御存じのとおり最後まで町民に避難を呼びかけ、まだ若い職員殉職の一人で、私の記憶には今も彼女の笑顔が残っている。トップに名前のある二段三浦泉は、生徒会長として、英語弁論大会の学校代表として、当時の千葉久顧問がみんなの前で、弁論を聞かせた事を思い出す。その後は仙台の「泉松陵高校」に進み弓道部へ、妹の弘前大での突然の急逝がある。「文字音」の大学の作品には、文字には色々な音があるという。私の現在の仕事にも関係する興味深い「論文」と受け止めている。東北大の医学部から医師となり「母の病気を治したい」との信念を実らせた子など、大人の道をまっしぐらに進む、志中剣道部の先輩がいる事を、伝統ある「志中剣道部」を意識して部活に励んでもらいたい。歌津中出身の「三浦ありさ」さんも、私は忘れない。多くの夢を持ち町の職員として東日本大震災で殉職したからで、宮城の中学剣道の準優勝者でもあるからだ。
目先の自分の事より「将来を見据え礼儀正しい強い精神を持ち、この厳しい現実を踏まえ社会で活躍して欲しい」が希望で、それが中学校生活であり、大人への礎となる。
昨日本吉町小泉の「及川デニム」の被災後をテレビで伝えていた。わが社の従業員も地震後に、家に向かう途中津波に会い、蔵内の高台の「及川デニム」に避難して難を逃れた。及川デニムの息子さんに45号が開通し、消息を聞きに行った事を思い出す。
及川さんは会社を再開し、この技術を将来につなげる事と、地域の漁民の方の漁業の再建にと、支援活動を続けている。会社再開に従業員と共に社長は抱き合って泣いていた。
何事も頑張る事で「嬉しい涙」に繋がる。どうせならこれからは「辛い涙」より「嬉しい涙」を流したいと、生徒たちには事あるごとに話している。その意味はまだ判らないと思うが、将来に繋がる「仲間」ができればそれでイイ!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:24 】

2012
05/10

真の剣道の仲間


高段の取得は4段は仙台・5・6段は東京・7段は京都だった気がする。私が中学校の頃から志中に指導に来ていた先生が、今回七段を取得した小山光夫先生だった。今でも剣道の大先生で相談や話やすい先生として、お付き合いさせてもらったいる。来月にも「戸倉剣道」主催で、本吉郡剣道連盟の後援を頂き、祝賀会を現在準備している。そして中学・スポ少を通した先生は、遠藤清喜先生である。剣道精神の到達者として右にでるものはいない、現在は津波被害を受け、漁業の再生と娘さんの急逝に無心で生活をしていると聞く。早く再び子供たちの剣道の指導に当たれる事を願っている。
志津川地区の剣道指導者は、昔はたくさんいたが被災もあるものの、個人的理由により指導者が現在少ない。佐々木朗先生と私の父がスポ少の前身の「剣道会」をはじめ、私も20歳ごろ少しかかわった。「志津川剣道スポ少」には工藤さん・佐々木さん・行場さんなど、毎週のように練習会に参加して、少年剣道の指導に貢献した。現在は私が「戸倉剣道」にあたるものの、そろそろ終盤なのかも知れない。ホームにいる朗先生に現報告を入れたい。
写真はサンオーレの「でべそ島」で、元旦以来この場所にいった。ワカメの初入札があり、被災前の二倍で買い取られた事は、総ての報道で海の再建、被災漁民への「希望の光」のように、今後への明るい未来を予想させた。しかし、現在は元の価格から半額となっていると言う。南三陸産ワカメは被災地支援の観点から、漁民の生活再建の支援として、市場は良い環境にあると思っていた。「議員さん良く勉強しなさい」と叱責された。まれに価格がつかないとも言っていた。仲買を通さず業者に直接販売を漁民は模索していると言っていた。水産業の再建に政府は多額の資金を投じてはいるが、光の陰の部分が浮き彫りとなっている。
商工会の「労災保険」の手続きが昨日あったが、名簿を見ると黄色いマーカーが多く見られた。事業所再開・廃業がこの意味と私は感じた。南三陸町は普通に復旧・復興向かっているようだが、現実はいったいどうなのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:07 】

2012
05/09

生まれる新たな仲間

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昨日は気仙沼に出かけた。小泉地区の風景です。そして歌津地区の同級生とあった。「歌津地区どうなの」と聞くと、「さっぱり進んでない」と言う。「小泉は計画が進んでいるよなー」と返ってきた。
小泉の国道45号の海側は、水田だったところが現在も地盤沈下で、雨水が引かず海水が陸地を覆う(写真)。気仙沼線の高架橋も脱落し復旧は難しい。遠くには小泉の小中学校が見うる。前は保育所が低地にあったが、教育施設は総て一つの高台に移し津波被害を免れ残った。
気仙沼線は、気仙沼市では鉄道の早期の復活は無理と、とりあえず線路にバスを走らせる事を進め、本吉まで路線の開通を目指すと言う。市民の足として働く場への手段、少しづづだが進んでいる。
いろんな方から高台移転、水産業の現状、建設の関連状況、復興への大手の企業の進出・現状など、情報の交換は新たな係りの中で、繋がりとなり仲間を作れる。
「がんばる漁業」の光の陰が見え隠れし、今後の課題も見えてくる。

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2012
05/08

少年剣士への支援仲間


被災後に全国の剣道団体からの支援が、被災地の少年剣道団体にあった。年度初めには町のスポーツ少年団に、支援金があり「戸倉剣道」にも6万5千円が支給された。その他にもスポーツ会社からの竹刀などの備品も支援があった。被災後は県剣道連盟からの一人4万の再会の商品券があり、流失した防具の購入により、級審査・昇段審査も団員は受け取得できた。その他には千葉県船橋市・佐賀県の道場などから、手ぬぐいや使用した備品ながら、大切に使わせてもらっている。感謝しかない。
また、昨日は突然の電話で、「剣道スポ少で防具使う」との連絡が入った。携帯の文字は私の老眼・乱視により、相手が裸眼では把握ができなかった。とりあえずはずは他人行儀となった事を後で詫びた。電話は同級生の友達からで、ライオンズクラブ経由で「今治市?」から使用済みの防具の支援だという。戸倉・志津川のスポ少、そして志津川中学校での剣道指導の立場にあり、やはり支援はあるもの、防具・備品不足はある。感謝して支援を受け入れた。被災したとて、子供たちの大好きなスポーツをさせてあげたいが、私の願いでもあります。指導・場所など子供たちのスポーツ環境は、まだまだ多くの問題が沢山あります。ひとつづつ改善していきたい。
写真は本格的に「戸倉剣道スポ少」の再開となった風景です。真剣な剣道に向かう子供たちの眼差しがあり、町も関係団体も、団員がもっている可能性を埋もれさせないためにも、今後も環境づくりをお願いしたい。
竜巻の自然の猛威は、原発被災地の浪江・双葉の二次避難場所も及んだ。7世帯20人の被災者は「もう沢山です」「ふんだりけったりです」と、天災は更なる苦悩を与えた。
それでも人間は頑張るしかなく、一歩一歩進んでいくしかない。そして原発被害の福島の皆さんにも、笑顔が早く戻る事を祈ります。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:39 】

2012
05/07

情報の収集仲間


連休最後となりできなかった事務処理をしようと、一日を空けていたものの、来客による午後4時間は、町全体の情報と、地域の高台移転の知らない情報を知る事となった。
本浜地区には漁民の皆さんは、地域の古くからのつながりがあり、戦後の土地の開拓整備により、土地の分配で大森地区に10名近い地区民の土地が分配されたという。ぜひ高台移転の土地に使えないかと、建設会社の会長と役場に職員に話すも難しいとの結果だったという。
入谷地区に被災し生活している知人は、1時間以上も掛け現在の職場で働いていると言う。高台移転の説明・アンケートを繰り替えしているものの、働く場がなくて移転しても生活がならないという。多くの町民がこの事をいうが、行政に企業誘致や働く場の確保は無いと、皆が口々に話す。商店主の小さい事業所の再建の姿がないとも言う。高台に土地を換地してもらっても、資金がなく自宅は建てられないという。政府からの一軒当たりの再建資金が2500万から3500円で、高台への造成・整地が行われる。その資金の何割かを直接、被災者再建資金に回せばいいのにと語る。戸倉地区の学校統合問題も、行政は地区民との話もなく、「統合合併」ありきでの学校説明会があり、地区民の大反発となったと話していた。知らない部分で行政の不手際は、地区が分断・被災しての生活、そして詳しい説明の欠く行政からは伝わるはずもない。
その他にも「老人ホーム問題」「行政の業務発注」「事業再会の行政支援」「被災地の土地問題」など、多くの問題山積での対策の手薄さに不満爆発だった。職員の再任用はトップの手助けになっても、将来の町づくりには何の意味もないと多くの町民は話す。「李下に冠を正さず」が聞いてあきれる。
昨日の竜巻・雷の異常は、地球のオゾン層破壊による磁場の変化が影響しているのではないかと思う。連休の発達した低気圧による被災地の住民生活への直撃、対策への指摘に何の対策も講じない行政、本当に再建への歩を進めているのか、この辺は多くの疑問を感じる部分もある。
昨日の「雷警報」があった。その雷音の凄さに驚いた。まだまだ天は自然の猛威を人間に与える。茨城県の「竜巻」の映像と惨状は、津波被害の悪夢を思い起こさせた。写真は今日の朝五時の市街地の今です。

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2012
05/06

助け合う仲間


またまた「事件発生」、気仙沼での食事会で、翌朝カギの無い事に気付いた。
紛失でカギが見つからない事を想定し、その準備をする。車の詳しい友達に、新しく作る手段を聞く、現在は簡単にカギの複製はできなく、車の鍵穴を分解しカギのナンバーを確認し、メーカーや特約店に依頼し、1週間ぐらいかかる事を聞く。とりあえず気仙沼から家に帰る事、そして一晩お世話になった知人への迷惑の回避をする。
叔父の家に電話して車を借りる事を試みるも、今日は留守と言う。後輩も今日は結婚式で無理、従業員に連休の無理を言い助けてもらった。多くの事件の回避に奔走した一日だった。
現実なんて事はなく、飲食した「魚民」は深夜4時までの営業で、連絡の取りようもなく、その中で色々考えた事が、前の話になる。限らりた経路・場所でしかない昨日の行動、店への連絡が取れない事への時間の経過での行動だった。3時過ぎに店への連絡が取れ、「どうなカキですか」との問いに答え、「あります」。なんか当然の事ながら、これまでの不安が「スー」と消え、心配をかけた皆へ「申し訳ない」、自分の行動への反省しかない。また、「酒の飲みすぎに反省する」。こんな連休の一日は、ポジティブに考える自分がいる。「仕事を忘れる日」が必要だよ! なんて神様が与えてくれたと。
写真は気仙沼市の高台移転の取り組みで、移転を望む市民への、都市計画で建てられた団地の見学会の、家並み見学だという。我が町での被災者への再建の取り組みにはこうした事はない。やはり遅いと実感する。
今日は住まいの冬物をかたずけ、父親を一か月ぶりの入浴をさせる。又、昨日は震災の二次災害の話に絶句した。私のスポ少の生徒も家族との分断があった。今回は両親が津波で死亡し、片親が子供を残して急逝し、子供たちが親戚に引き取られるという。こんした悲劇を今回の大震災はまた生んだ。この天の下した自然の猛威は、人々に何を知らせようといたのか、もう一度数々の社会の問題、起こっている社会現象の検証・対策が必要と思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:53 】

2012
05/05

笑える仲間と


写真は4日の午前10時頃の「松原公園」瓦礫置き場を、水尻川の大久保側から望んだ。昨日の大雨の影響で、この日は病院前の冠水域を避けて山間の安全な道路を通った。気仙沼線の高架下は冠水して無理で、やはり旧志中から出る。安全面を考えれは時間のロスはしょうがない。
廻り道の途中にある「県宿舎」の二階建ての住宅に、一昨日の雨の日から昨日も、大型バスで沢山のボランティアさんが、住宅の中の瓦礫の撤去に取り組んでいた。
昨日は気仙沼の友達と、食事会をした。被災後に進出してきた「魚民」が会場で、一昨日の気仙沼地区の大雨の避難警告があったのに、多くのお客さんが集まっていた。それも若い人たちの大勢で、店員の男性や女性のスタッフも、若者の店員により運営していた。若者の店員と来客がある、私の町に欠けている部分である。この店は震災後に開店し、厳しいと言われる復興の中で、市街地はは歩み始めていた。
「高齢化社会を想定し町づくりを今から」と、津波からの再建となって今に至る、奥尻島の復興にあたった職員は言う。「特需は夢」と考えるべきと、厳しいアドバンスを語る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:58 】

2012
05/04

通行止め


昨日の発達した低気圧は被災した町民に又の苦悩を与えた。被災後の志津川病院前の雨水の冠水対策は講じられないままに今を迎えていた。昨日は午後9時ごろに「通行止め」が、防災無線で町民に伝えられ、今朝も旧仙台銀行前から規制がかけられていた。駅から向かう道路は通行止めがないが、冠水の深さは30㎝はあり、軽自動車での通行は危険で通行止めにしたほうが良いと思う。水尻川からの45号はここも通行止めにして、中瀬町から旧志中を回る45号への「う回路」を通る事を進めたい。冠水で車が止まった場合は、対処できない事を考えると、時間がかかっても無理をしない事だろう。
昨夜の戸倉からの帰りの、西戸の切曾木の仮設に向かう折立川、写真のように臨時の道路は冠水し、また「陸の孤島」となった。山からの回り道はあるものの、この大雨の中での夜の山道の走行は大変危険が伴う。防災無線では折立前の国道、波伝谷などの海岸線の398号線も通行止めとなった。
高台移転のゴルフ場跡地のこのへんの対策を講じていかないといけない。切曾木仮設の建設の当時の事が今現実の問題としてある。戸倉荒町地区の仮設建設計画の行政の検討が、県の許可を得て、町の実施にいたらなかった事が、未だに悔まれてならない。今後も海岸線への「異常気象」を考えると、戸倉の荒町は海へも戸倉の波伝谷までも「10分」あれば行ける、最高の戸倉地区の仮設建設の場所と、何回も考えても思う。もう判断のミスは行政には許されない。200世帯も予定された建設計画、登米市から志津川の学校への通学など、多くの人が少しは生活が楽になれた気もする。600世帯に及ぶ地区民の何世帯が、被災前の生活に戻れるだろうか、地区の存続も今後の大問題でもある中で、戸倉地区の「第二瓦礫置き場・処理場」は、着々と建設が進んでいる。
「ムンクの叫び」が4枚ある事を初めて知った。そして今回その「幻の一枚」が、オークションで「96億」で落札となった。現在南三陸町の復興交付金が総額「4900億」と言われ、消費税の1%アップで2.5兆となる事や、国の借金が1000兆に近づいている事など、お金の0の数や単位が今までない、知らない額までなり、この96億もあまり驚かなくなった。それよりも「ムンクの叫び」が4枚ある事、これに関しては驚く。
これ以上「人災」に繋がる想定外がない事を願うばかりです。

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2012
05/03

桜最終だより


「さくらの下で集まって」との気持ちがありましたが、まだまだそんな気分にはなれない南三陸町の住民現実がある。志津川を中心の「さくらポイント」を紹介してきた。人影は見られなかったが、58の仮設の集会所では2回目の桜に、少しは気持ちが暖かくなった事と思う。
歌津地区に配布された「桜通信」や、東山の津波襲来での山の修復・瓦礫撤去、そして「苗木」の植樹があました。被災現場となった場所への「桜苗木の植林」など、この津波悲劇を忘れないよう、津波の到達地点の記憶を残すための、活動プロジュクトが開催された。
写真の旧入谷中学校の桜は内陸にあり、被災前廃校になり今年の3月に校舎は解体されたが、入谷地区民の皆さんの心には多くの思い出が、きっと残っている。正面の特別教室は「オクトパス」の工房として活用され、取り壊された校舎跡地には、企業の進出が予定されている。
荒沢神社は袖浜にあり、この浜地区の守り神として、地区の人たちに崇められている。春の大祭が5月の18日に開催される。津波は神社自宅の一階までにも達したが、本堂にある文化財は無事だった。また、有形文化財の「太郎坊杉」も健在で今も変わらないが、下の沢には道路を乗り越え漁船が横たわっている。神社から民宿の道路も、津波以後は不通となっていたが、今年になって開通していた。荒沢神社の社殿は津波被害で、今年は神楽奉納は中止となった。浜も多くの被害ながら、地元に留まる氏子が多く、信仰の深さがここにある気がする。
今日「南三陸町は雨になりました」、100%です。後半のゴールデンウィークとなり、運転には十分に気を払い、無事が最大の土産です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:20 】

2012
05/02

さくら8


「よみがえれ」との大きな看板、本浜地区にあった「さかなのみうら」さん、自分の店は今も鉄骨だけが被災地に解体されず残っている。
ここは「花のバイキング」として芳賀さんが菊の加工場として営業していた。そして3月の津波で一階が冠水し、その場所を三浦さんが借りて、南三陸町の海産販売店として蘇った。「がんばれ南三陸町」を被災後から全国に発信続けている。魚価の高騰はあるものの、いくらでも格安にと「意気」と「感謝」を前面に出し、来町した支援者や観光客に答えている。
何回か紹介しているが、「今回なぜか」と言うと、右の桜の木は津波をかぶったものの、こんなにも綺麗に開花した。まるで町内の商店の再開が今後も! 自然の復活は漁業の再建とも重なる。未来への希望と映ったからだ。
気仙沼市大島の「義捐金と支援物資の横流し疑惑」が昨日全国放送された。どこの被災地でもあった! 小さいものから大きな事まで、確実に起こったのは事実である。それは混乱の中で「人の欲」の悪い面が、この地獄の状況が、人間の思考をマヒさせ狂わせた結果だ。
各地区の自治会の長が集まり中心となり、結成した団体の中でのことで、「そんな事はなかった」と言う。なかったのだろう。孤島での過酷な1か月の生活の中で起こった。しかし誰も責められない気がする。ここまで何とか助け合い生きてこれた事に、天に感謝しかない。義捐金は私も行政や親戚など、しっかりとした団体からの「カネ・物」でしかない。支援金の事になると被災者は敏感に過剰に反応する、生活の苦しさがある。
今はやれる事を一歩づつ、自分の思うようにならない事が多いが、考えが合う合わないは関係なく、共働し町の再建に努めたい。
昨日しばらくぶりで、志津川漁協支所にいった。「漁港のかさ上げを早く進めてくれ」と言われた。その他にも漁業は新し姿に向かっている事を聞いた。歌津も志津川の支所長は私の同級生なのが力強い。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:25 】

2012
05/01

さくら7


このさくらは一週間前の午後4時ごろで、陽が山影に隠れてはいるものの、蕾の紅色がきれいだったので、車を止め写真に収めました。
南三陸町志津川黒崎に位置し、志津川湾の入り江の絶壁に建ち、全国でも上位にある有名ホテルで、「南三陸ホテル観洋」と言えば知らない人はいないだろう。
ホテルの入り口に一本広く枝ぶりの桜で、今来客を迎えている。今日もホテル前の国道45号線を通り会社へ来たが、まだ花弁は散っていなく紅色からピンクと満開となっていた。津山のインターから仙台の下りだと、ホテル手前にに見えるが、仙台への登りだと見過ごしがちだが、気をつけ見て欲しい。ホテルの白壁に桜のピンクがよく似合う。
昨日は荒町の方の葬儀に参列した。孫の送る言葉では、出稼ぎのおじいちゃんと表現され、その優しさに包まれ成長した子供があった。優しさをおじいさんから学び、働き者で出稼ぎをやめても働く姿を常にみていたという。核家族化になり祖父母と話をしない子供たちの家庭が多くなってきている。今「子供と老人と共に会話」が叫ばれ、古い歴史・伝統を学ぶ、昔は当たり前の事であったが、今は環境を周囲が創らなといけない。
連休の合間の二日間、学校もカレンダーどおと言う。中総体が来月の9・10日と決まった。生徒の気持ちも大会モードなるよう、今週は大目に練習を見に行きたい。
昨夜私の剣道の恩師が京都から電話をくれた。「七段合格したから」と言う。志津川地区にも七段の剣豪が生まれた事になる。小山先生今後も宜しくご指導ください。凄い! 70歳まじかの震災にも負けない、やる気に脱帽です。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 09:16 】


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