ARCHIVE - 2012年04月

2012
04/30

さくら6


ここは何処か判るだろうか。こんなに桜満開の中にまた桜の施設が見える。昨日の志津川高校の登校坂から「福祉の里」を見下ろした。旧志中も桜の名所として町では有名でした。
今回の津波はこの「福祉の里」にも一階天井まで押し寄せ、70名にも及ぶ老人ホーム・デイサービスの利用者、そして施設の職員が多くが亡くなった。避難場所ともなっていたが、施設の被害も形は残っているものの、再利用はできないという。それは激甚災害で施設再建の復興交付金が、国・県からあてられると言う。
「福祉の里」にも施設を包むように桜の木があったが、津波被害を受け危険でもある事から伐採された。旧志津川中学校であり、取り巻くような桜の並木は、40年前も大木として花を咲かせていた。遠くの左に見えるのが新築となった志中体育館である。時代の流れはあるものの、桜の木と花びらの美しさは変わらず続いている。
昨日の高台移転・土地の買い取り・志津川市街地の形成など、今後の志津川市街地の在り方が説明された。しかし、「災害公営住宅」「都市計画」など、まだまだ疑問と課題が私にはあると思う。早期の高台移転になったとしても、病院・商店・雇用などの、生活に必要な施設・場がない中で、高台移転の早期実施は住民も無理と、「声を大」にして話す。行政のこの部分の説明や状況は何一つ前に進んでいない。
一番の町民の興味は土地の買い取り価格と、いつに買い取ってくれるのかだった。6月下旬から7月にかけて地区の細部にかんしての価格が提示できるという。しかしながら昨日集まった町民の皆さんは、実に行政に優しいと感じた。私が町民の声として聴くと、厳しい意見が多かった。その人たちは志津川アリーナまで来れなかったのだろうか。
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2012
04/29

さくら4


南三陸への南からの玄関が戸倉荒町です。荒町は震災の津波の被害も手前でとどまったが、珍味のカネタさんの所は瓦礫の山となり、その向かいが写真の「ひとやすみ」さんのドライブインがある。ここも建物が被災したものの自力で再建し、現在営業を再開し昼休みの昼食など、休憩場所としてドライバーの姿を見る。今年になり「戸倉交番」ができ、事件の少ない治安のよい場所でもある。
私はあの震災時は5月には再建場所を探し、知人の多くいるライフラインの確保されている「荒町」での、事業再建で幾度となくこの場所を通ったが、瓦礫ばかりが目につき、桜の花の記憶がひとつもない。自然の強さはこうした芽吹きや、漁業の早期復活にもうかがえる。ゴールデンウィークは、三陸道の終点までもいいが、桃生津山で下り「もくもくランド」の草花と、この開花したばかりの桜の木ながら、みごとな枝ぶりの桜を見ながら、「ひとやすみ」さんのアイスクリームでもいかがですか。
今日は2時から志津川地区の高台移転の説明会が「アリーナ」であります。昨日は南方の仮設の地区民を5軒回りました。説明会で聞いてもなかなか理解できないという。今日知人が「説明会で混乱した」と言いに来た。これが現実で、被災者の移転の中身の複雑さへの不安と、行政の日々移り変わる制度に、双方が混乱の中にあ。これが南三陸町の今です。

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2012
04/28

さくら4 高校


今、志中からの帰り道に寄り道し、「母校」志津川高校の桜の回廊を携帯で撮影したので紹介します。
入り口の校門からの学校まで200mに両脇に桜が咲いています(写真)。今がまさに満開で、お二人の方も写真撮影をしていました。今日は晴天ながら桜の花びらが日よけとなり、薄暗いながらピンクの桜に目を奪われます。ここ3日が見頃で、桜の花びらが風邪で、「ヒラヒラ」これも又綺麗です。
被災地支援のバスではここまでは厳しく、散歩コースとしても歩く価値を感じる。花の命は儚いが毎年の楽しみであり、津波から難を逃れた場所で、被災地も海からの景色を望む事ができる。

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2012
04/28

さくら3


仮設商店街で懐かしいポスターを見つけた。上山八幡宮の工藤宮司さんの手書きの祭りの告知で、この時期は「西宮神社」「保呂羽神社」「八幡神社」「戸倉神社」「秋葉神社」「荒沢神社」など、当地方はでは春の大祭が真っ盛りとなる。神社には多くの春の花が咲き始まり、必ずと言って良い程、桜が咲き乱れている。
清水浜に「久須志神社」がある。この場所は清水浜漁村の奥まった国道沿いの、小高い山の途中に建立されてあり、「東日本大震災」の大津波でも多くの地区民がこの神社で助かっている。こないだ残った神社で氏子の役員数名で、宮司により祈祷を行った。神社・寺院は地域の守り神であり、より所として地域民を守り、地域・町の繁栄の基礎ともなっている気がする。
神社役員・氏子も小さい部落での運営で成り立っている。歌津伊里前の「三嶋神社」の大祭の復活が、神輿の寄贈により震災からの復興の願いを込め行われた。
今から志津川の中学校の剣道部を見に行く。陰から「そっと」でも、元気をもらって来たい。

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2012
04/27

さくら2


今日は戸倉地区の海岸線を「津の宮」まで出かけた。かれこれ4か月ぶりながら、浜地区は大きな変化を遂げていた。水産施設の大型テントや仮設の集会所など、被災地に小さな光を見た。
また、津の宮地区に支援のつながりがあった。戸倉神社の斉藤宮司が「天女塚」と「狗塚」の祈祷を行い、海上安全の祈願祭が地区民により開催された。津波被災地の水産業の復興が、南三陸町のカギとなり、漁民の養殖復活や漁業・民宿などの復興も、観光の基盤として欠かすことができない。
現在、南三陸町には「140人」のボランティアさんが平均で入っている。ゴールデンうイークにも多少の増加を期待している。その中で宿泊場所が最大の問題となつている。対策として仮設の空いたところに入居をさせたり、テントの設営など、社協が受け皿として係っている。
写真は「県海洋青年の家」の入り口の「さくら」です。見事な枝ぶりとビンクの花につい引かれシャッターを切った。南三陸の山々にも「山桜」がちらほらと、ふきのとうから新緑の芽へと、「春爛漫」となっている。ゴールデンウィークは、町の再建の動きを見て欲しい。「負けるもんか!」の気力が春と共に芽生えてきている。
昨日・今日と時間に追われる一日だった。剣道指導者仲間の奥様の「急逝」に、子供たちに掛ける言葉を探した。また、仮営業所のある地区の方の家の前にも「花環」があがっていた。昨日の先輩からの誘いは、ストレス解消と情報の交換そして教育指導がある。チョット長かったが多く得るものがあった。
今日は昨夜の先輩の「高台移転の疑問」と「みなし仮設の土地の疑問」や「市街地の商工用地の在り方」など、わざわざ課長と担当が30分も疑問に答えをくれた。しかし、国の「復興交付金」の増額や制度の改正で、被災地の状況は日々かわってくる。
町の高台移転の説明会があるが、「個別相談会」も来月から計画され、個々の町民の疑問を聞く。町民と行政の意見・情報の突合せが必要で、今後立ち上げられる「町づくり協議会」が、大きな役割の場所となる。

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2012
04/26

さくら

120426_125016[1]
東山は3分咲き、週末が見頃です。保呂羽神社は26・27日がお祭りで、保呂羽山の山頂では、本吉法印神楽が奉納されます。

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2012
04/25

築山


今月初めのボランティアさんたちの作業、「ありがとうございます」としか言えない。場所は左端に松原住宅がある。水尻川の下流域で民家があった場所も津波で流出し、土地は海底へと沈んでいる。高台移転の土地問題があるが、番地として土地台帳に存続しているので、買い取りとなる。当初は制限指定区域のみの買い取りだったが、高台移転を希望すれは土地の買い取りになった。しかし、場所により大きな土地価格の違いがある。詳しくは明日から市街地の説明会が開催される。
「築山」が今津波災害からの土地活用と避難場所として注目を浴びているという。仙台の内陸にも津波が工場敷地にまで達した。この自動車工場は「騒音対策」として「築山」をを造り、近所の住民や従業員がここに逃げ難を逃れたという。「築山」は日本庭園の造園の一つの工法だと言う。古来からの人間の知恵が、災害対策の一つになった。先人の知恵であり、過去の歴史に学ぶという事の実証がここにあった。
昨夜は商工会の「工業部会」の総会があり参加した。被災した事業者支援と、町の再建復興に部会でもあたり、早期の町づくりへの取り組みを誓った。また、剣道の取り組みへの恩師からの「指導助言」に、自分自身だけの指導の難しさと、共働での指導活動の必要性を教わった。
「南三陸町からの手紙」が町外ならず、町民の皆さんからも購入され読まれている。その「九死に一生」の姿に、「私たちも頑張り生きないと」との、「町づくりのために」と、その元気を与えているようだ。「わが社」もプロジェクトの一員ながら、「売って欲しい」との声は、事務局に伝えているが、現在すぐには無理のようだ。
連休前で仕事は焦らず、余裕をもって稼働している。昨日も仕事ないですかと聞かれた。9月からの医療費・税制の免除解除による、生活資金の増加への不安がここにある。

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2012
04/24

銀ザケ


南三陸町の志津川は「銀鮭発祥の地」である。その事務所が田尻畑にあり、友人と事務所に泊り叱られた。遠藤さんが志津川で始めた事は海の関係者なら誰でもわかる。
志津川の銀ザケは漁民の多くが参入し、海の汚染や価格の下落など、多くの問題があり借金を抱え漁民が撤退した。県の銀サケの復活への取り組みで、「伊達銀」としてブランド化に取り組み、苦しみながら今も人数は減少したものの、続けている漁民が、なんとか養殖をしている。
昨日は細浦の大森さんの水揚げを放送していた。昨年6月には復活し海中育成で昨日初出荷と言う。大きさは「50㎝」とまだ小ぶりながら、3月の被災からの再建に驚く、若い二代目の銀サケ養殖、やはり若者の未知の力を感じる。1億の津波での借金ができての海での復活、大人も見習い元気につなげないといけない。二代目はこの姿を見てもらい、皆さんに元気を与えたいと話していた。
写真は夜明けを撮ろうと志津川湾にレンズを向けたとき、偶然太陽が銀ザケの養殖施設の真上でで輝いていた。椿島の脇にこの施設があり、毎日銀ザケにえさをやる。荒れている時も寒い雪の日も、銀ザケの出荷を目指し、良い物を作り消費者に届けようと、銀サケ養殖業を続ける。被災前までは女川が日本一だったが、南三陸町志津川地区がまた若者の頑張りで「日本一」になる事を祈りたい。

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2012
04/23

万羽鶴


昨日は歌津での用事を何件かできた。毎日追われ各種すべき事で、のびのびとなっていた大切な「焼香」をし、生前のかかわりとその大きさ、大きな町の力の喪失を伝える事ができた。
歌津「大衆食堂」さんは被災しながらも、前にも増した再建を遂げ、多くの人たちの食事の場を提供していた。出前でも何回か食したが、その盛のサービスの良さを皆が口々に話す。
本吉郡剣道連盟は歌津の剣道会で成り立っていた事を再確認した。大震災後の多くの困難と多忙の中で、できる事業を淡々とこなし、本吉地区の剣道の歴史の継続と、剣道の更なる向上、児童・生徒の剣道の環境の再建構築に、被災しながらも取り組んでいた。
南からの国道の歌津入り口に、帰りには写真の場所へ寄った、全国からの心の支援の「鶴の虹」に、義援金・物資にも劣らない、被災地への思いやりを感じた。歌津地区で展開している「NPO法人」のプロジュクトとテレビで紹介していた。全国から送られる数千羽の鶴に地元で手伝いをする、お母さんの涙があった。その輪は数をまし数万羽となった。七色の帯は一つひとつが「一羽」の鶴からなっている事は、近づいて良く見ないと判らない。「全国のみなさんありがとう!」の歌津地区からのメッセージが、益々引き立って見えるのは私だけではない。ぜひ「買い物支援」のバスも歌津地区まで足を伸ばして欲しい。
帰りは志津川仮設商店街に寄り、晩御飯の惣菜と親戚に手土産を買った。また、出店している社長から問題点も聞く事となった。仙台からも被災地の土地の取り扱いに、多くの疑問があり地元の被災住民とて、「震災復興の計画」は制度の日々の変化があり、なかなか理解ができない部分も多い。27日の「震災復興特別委員会」は多くの疑問点が議論される。市街地の住民にも今月26・27・29日と説明会がある。住民の納得できる行政の説明を求め「荒れない説明会」となる事を願う。多くの不安からの住民の感情は、期待されているものの、落胆の中にある人も多い。
昨日も南三陸町からの脱出が知人にいた事を知った。しょうがないでは私は済まされなく、行政の阻止の姿が私には薄いと強く感じる。出るものは拒まない、抑止できないでイイのだろうか。、

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2012
04/22

歴史


町の変遷・歩みが歴史にあり、その大切さを再確認させられる会が、昨日の「復興フォーラム」だったと私は感じた。他の被災地の復興とのかかわり、そしてあの3月11日の支援の活動など、当時の事が蘇ってきた。
私もだよ! と叫びたかったが「あなたは当たり前の事をしただけだよ」と言われる。次の日の夜明けとともに行動した。同僚と職員を歌津の入谷入り口まで送り、後はある方の奥さんの消息を探した。アリーナから上山から小学校と歩き、志津川小学校で奥様を見つけた。被災地した瓦礫の中を、東山から上山、小学校から新井田そしてアリーナまで歩いた。翌日なから町民の方の疲労の中で、皆さんに頑張ってとの声、その後も南三陸町内を歩いた。ガソリンがなく自転車と足で、瓦礫の町を歩いた事を思いだした。
今日は本吉郡剣道連盟の「総会」に行く。また、歌津中学校で志津川中学校の剣道部の練習試合があり、少しのぞいてみようと思う。総会は「大衆食堂」で開催されるが、おばあさんは元気だろうかと気になっていた。
その後で、気になっていた方の「焼香」に行きたい。被災地の逝去の方への焼香は混乱の中にまだあり、出かけるタイメングが難しい。
昨日は本浜契約講の講長のいる戸倉中仮説にでかけた。地区の高台移転の経過報告で、「早くやってくれ」と激励してくれた。昨日の河北新聞にカラーのビールの広告に、南三陸町の水産品のアピールで、講長は仲間と共に頑張っている姿が掲載されていた。
皆頑張っている! 大人も子供もである。共に春の桜の蕾と一緒に、まだ眠りの中の皆さん

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2012
04/21

笑顔のために


田中好子の「一周忌」を迎え、キャンディーズの一人「田中好子」さんが、亡くなりベットから最後のメッセージを送った。「天国でも復興を見守る」と、誰かの笑顔を作るために、歌手引退後、女優の道に本気で全勢力で取り組み、不動の人気を獲得した。何にでも本気で取り組む精神は、その努力が必ず成果を生む。
昨日のテレビで「駆け足の復興の光と影」と奥尻の復興の現実を伝えていた。「東日本大震災」の復旧への参考に大いになった。被災前の総務委員会で「奥尻の津波からの復活」の所管調査で偶然だが、奥尻島を訪れテレビのその姿を振り返った。「海望塔」「海望住宅」と再建の場所に「海を望む」との名称がつけられていた。海と共に生きる人々が多い事がここからも伺える。
1年で10年間の仕事をしたと言う「復興特需」があり、北海道の自治体から復興の担当者を迎え、地元の影響に関係を持たない人を主体となる部署につかせた当時の越森町長、被災した島民の「総ての声」に耳を傾け、被災者との会話には常にその輪の中心にいた町長。町の存続を図るた4か月目に「復興の基本方針決定」を早期に図り、6mのかさ上げ、130億の復興基金からなど、家を建てたい一世帯に1425万円の住宅建設資金を配った。土地の建設の制限や土地造成を早期に進め、2年で家が建ち始めた。仮設・住宅入居も、高齢者・子供のある家庭など、優先順位を明確にして住民の意見も一つにまとめた。町長の決断とスピードを持った計画の実施が、町民の気持ちをつかんだ。5期も町長を務め島民には人気だったという。
しかし、2001年1月に越森町長は「入札妨害」で逮捕された。特定の業者に仕事を発注し続けた。町外から迎えた復興担当は、住民感情よりも「淡々と復興」の事業を進めた。「一日も早い復活、元の生活を」と駆け足の復興が、諸々の弊害を生んだ。出向してきたこの職員は、一年で10年分の仕事はあったが、復興しても災害前の3割は落ち込んだ。結果人口は4700人から3100となり、若者は島を去り、過疎化は進み高齢化となった。「特需は夢」今から対策をと声を大にして話す。私も震災からそう思う、一年が経つが、その方向性に大きく間違いなく向かっている。「コンパクトな町づくり」、こうした町形成で復旧復興を進めてもと思う。だが多くの町に住んでいた人たちに戻ってきてもらいたい。現実と理想の狭間にいる。
現在、5000億の「復興交付金」が動こうとしている。奥尻の多くの事例を参考に、「町民の監視の目」を強化する必要性を思う。「南三陸町復興を考える会」の立ち上げを、町民が行動しないといけない。行政への指摘や交付金の活用など、チェックを町民もするべきと。今日は午後3時からホテル観洋で「復興まちづくりフォーラム」がある。みんなで南三陸町の再建を考えたい。奥尻の悪い面を出さない為にも。
写真は上の山緑地でグランドゴルフをする皆さんと、市街地の今とその向こうには、大海原がある。

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2012
04/20

およもごり


昨日は東山の西宮神社の「およもごり」だった。東山には灯が燈され公園での祭りとなったいる、明かりは西宮神社を照らしていた。午後7時を過ぎたころに行ったが、東山までの階段は暗く「空踏み」で転びそうになった。一昨日は昼間ながら登り口のところで、地面から細い鉄の棒にも引っ掛かり、つまずいた。決して年のせいではない。昨日は懐中電灯を持つ熱心な氏子の方が二人、暗い階段を「およもごり」に来た。
今週は火曜日と木曜日に志津川中学校の剣道部に指導に行った。新入生はまだ見学期間で五時まで、先輩たちの練習を見る。当初12名の男子がいたが2名減ったと一年生は話す。現部員は男女・人数などバランスが悪く、チームの編成もままならない。今年も女子の姿はなく、女子部が心配だ。新しく歌津中より転校してきた長野先生が顧問ながら、剣道はできないという。女子の2年は「つぶ揃い」で何とか県大会に行かせたい。そのためにも一に練習二に練習しかない。
おふくろの腰痛は「MRI」での撮影結果は、背骨の圧迫骨折と言う。しかし、母は元気で食欲も今まで以上であり、昨夜も二回も父は起され、ベットは大洪水だったと話す。夜の大騒ぎはまだまだ続く。今週は「イタイ・イタイ」の夜の大騒ぎで寝不足であるが、父の頑張りと母の頑固の認知症が、我が家の元気と活気の証です。

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2012
04/19

結団


しばらくぶりで「上山緑地」に行った。ここは町の避難場所でもあり「チノ地震津波」の志津川地区の避難訓練の中心場所でもある。
車で上がれる、緑地ではグランドゴルフの愛好家の皆さんが10名ほど、プレーを楽しんでいた。「津波から少しは元気になりました」と、顔見知りの方々が声を掛けてくれた。被災後初めて会う方が多く、近況を報告しあった。
奥にある「志津川保育所」に向かう。昨日午後の火事の状況を聞きに行った。三陸新報には田中さんの山と書いてあったという。防災無線では「志津川保育所の浦山」の放送だった。聞くところによると、山を散歩していた方の早期の発見により、大事には至らなかった。保育所の保育士さんも、避難の体制を整え、「お昼寝」のこども達を、火災の状況を聞きながら対応していた。と言う。的確な対応は「こども達を夢の中で」済んだ。
写真の結団式は多くの団員と家族が集まり、今年もケガなく安全面を重視し、活動をする事を誓いあった。17団体があり、1人の団は「戸倉剣道」を含め2団体あった。5人前後の団も多い中で、サッカー・野球はやはり多くの団員があった。今年から武道は必修教科ながら、人気に陰りがあり活動も「継続の力」を期待したい。
また戸倉の学生に問題があった。高校通いにはJRの被害で、「ミヤコー」による気仙沼線の代替バスが運行している。横山から志津川駅までの「定期券」を石巻駅で勝った。荒町から志津川駅の区間の定期はなく、横山駅からと余計な距離の分まで買う事となる。しかし、「ミヤコー」は荒町から戸倉駅」までの140円は別と、料金を取っている。「二重払い」というこの料金制度はおなしく、浜からの生徒は町の「無料バス」を活用し、通学費はかからないが、戸倉駅までは家族が送らないといけない。荒町の生徒はこの計算だと3か月で一人6万5千円以上かかる。被災していない地区ながら、子供たちの環境、家庭の経済状況はまだまだ厳しい。
いろんな事が起こっている南三陸町です。

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2012
04/18

仲間

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昨日はやっと志津川中学校の剣道部の指導をできた。春休み・新学期となり、剣道部が心配で4度出かけるも、剣道場には誰ひとりいない、行くのは勝手な事で、剣道が大好きの何物でもない。
今年度から戸倉中学校との併設となり、部活動も限られた場所での練習しかなく心配だった。道場から見える「ソフトテニス部」、コートではジヤージの違う生徒が練習を始めていた。戸中・志中とも意外と強い学校、切磋琢磨してこの現実の環境を良い方向に向けて欲しい。
さて志中剣道部、2・3年は男子各1人づつで、女子は2年が7人と、学年ごとを考えると、苦しいチーム形成を余儀なくされている。一年生の見学をみると男子が10人来ていた。「戸倉剣道スボ少」から3人が来ていたが、新入生が少なく各部への配分を学校は考える。スポーツを通しての仲間づくりもまた学校生活では欠かせない。未だに中学時代との仲間とは、会うと当時に帰れる。
今日の夜7時にはスポ少結団式がある。我が団は現在1人だが活動は続ける。将来の県でのトップクラスの剣士を育成できる。マンツーマンでの指導で団員がついてきてくれれば、可能性はある。
写真は志津川地区の「花見の名所」の東山公園、津波の避難場所でもあり今回も多くの住民が助かった。しかし、この場所の前の農協跡地には多くの被災車が未だに山積みされている。東山はボランティアにより片付けられ、桜の苗木が上り坂に列となり植えられていた。今日が「西宮神社」の春の大祭とも聞いたが? まだ桜は開花とはなっていない。兵庫県西宮市からも多くの自治体支援者が来町し、買い物支援にも大型バスで沢山来ている。
人の縁は日本国民は「なかま」なのかも知れない。中学生の剣道の本気での練習、それは相手が頑張り強いと認識した時に「本気」で向かう。今は一人だがまだまだだった。55歳の体に鞭打ち生徒の成長を願う。

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2012
04/17

高齢化と被災地

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南三陸町はどうなるのだろう。身近な「高齢化の実態」を伝えたい。我が家がその典型の中にある。55歳と89歳の両親で暮らし、世に言う「老々介護」となるが、ちょっと違うのは、89歳の父が89歳の認知度3の母を見る。昨夜はその現実の中にあった。
夜7時に帰りコンビニの惣菜でビール、9時前には就寝、何か騒がしいので目が覚めた。時計を見るとまだ10前で、少しも眠れてなく、トイレ介護で父が心臓がおかしいという。母はトイレに立てないでいた、父は「大人用おむつだからそのまましなさい」と言う。うとうとと眠る、夜中また騒がしく目が覚めた。「トイレに立つ」「そのまま寝ろ」と両親のやりとり、まだやっていると無視して、眠るが眠れない。時計に目をやると、夜中の3時だった。
自分は昨日も朝3時4時出社で、その疲れは体はウソはつけなかった。父も毎日毎夜の介護、疲れがピークなのだろう。「勝手にしろ」「トイレしたい」「何回言わせんのや」「しょんべつまって眠れね」と、言葉のやりとりが強く激しくなって、私もさすがに起きて布団を移し、ポータブルトイレをベットの脇に、母を起しトイレに座らせ、二人はやっと静かに就寝した。父は腰が痛いと言い、心臓がと言う。これが「我が家」の生活、震災から1年が過ぎ、自立を模索してのこの生活も、長くは続かない気がする。
近隣の家庭でも知らないうちに事件が起こっていた。父親が救急車で、祖母が脳梗塞で半身が、認知で2Kも歩き転んで怪我した、子供が病気、大腿骨を骨折、同級生男性が仕事あとコンビニで、互いの現状を話した。仕事がない、町の今後が見えない、また前の国道を救急車が走る。ある仮設100世帯で、3人が病気などで亡くなった。高齢者ばかりで、商店主も被災直後の開店の意気込みも無くし、知人の母は手を骨折していた。南三陸町内の老人福祉施設は満員と言う。被災地の高齢者は激増し、若者はこの町から脱出を計画する。何処にこの町の未来があるのだろうか。我が家の今後はちょっと先を見ると「空前のともしび」である。
南三陸町は「東日本大震災」でどん底まで落ち込み、今の状況は復興復旧と大いに町の復活を言うが、町民の気持ちは多くが、前途に悲観ばかりの気持ちを持つ。町長さん・町会議員さん「町民の声を聴いて」と、議会への町民の意見が寄せられた。

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2012
04/16

春祭り


昨日は多くの南三陸町の人たちとあった。戸倉神社の祭りも「獅子舞」が出るという事だったのに、2回も行ったけど会えなく写真と取材は断念した。その後は「荒沢神社」へ、途中商工団地へ地区の高台移転の経過を伝えに二か所によった。「ハイムメアーズ」へは得意先の社長の相談に立ち寄った。メアーズには同級生の父親が二人も入所していた。隣の「グループホーム」へは、剣道の指導の先人がいて、現在の志津川地区の剣道状況を報告、良案と元気をもらってきた。85歳? まだまだ元気だ。南三陸町の行政の活動に歯がゆさを話していた。もう一軒「水産会社」の社長に会ってきた。町の協力の不平等に、不信をにおわしていた。平磯地区の変化があった、一階浸水の同級生の家が解体されていた。会社への帰り魚屋さんで同級生に会った。「南三陸町からの手紙」に書いた一人で、ご主人の体を気づかい、この日は遊びに行かせたという。こうした余暇の休息は今絶対必要と思う。
この時間の「ブログ」は、花粉症と眠気でパソコンのキーボードが、早く打てない。今日は議会で被災地の地価が県の「不動産鑑定士」により、査定報告がされた。私の地区は「汐見」が参考地価格で一坪「92400円」と報告された。平均で76%と内示されてはいたが、この価格には一安心したが、他の地区の価格にはその低さに驚いた。

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2012
04/15

伝統


4月に入りスポーツ少年団も活動を始めた。戸倉の古い体育館に初めて「戸倉剣道愛好会」としてスタートした頃、古い体育館の隅に「白鵬会」と書かれた防具を見つけた。古くから剣道の盛んな町の証拠が「ここ」にあった。戸中の生徒会は確か「白鵬会」だったように聞いた。戸倉の古き伝統がここにある事を感じた。
今年は「戸倉剣道」は写真の一年生「ひかり」ちゃん一人のスタートとなった。初めての剣道はお兄ちゃんお姉ちゃんがやっているものの、一人でやるのは寂しいように見える。「私と一緒に剣道しませんか」が、団員募集のキャッチフレーズにしようと思う。もしかして「いやだ」と、小学生がいなくなるかも知れない。この子も志津川で、原点だった「戸倉小学校」ではない。来年につなげるためにも常に口にしている「継続は力なり」の記念写真を思い出す。戸倉の団員と親との撮影した写真には、当初30名を超える顔が並んだ。この写真も今回の津波で流失となり、伝統の記録は無くなったものの、私の心には「戸倉剣道」のみんなを忘れる事はなく、ここがスポ少の原点である事は永遠に変わらない、「一緒に剣道しましょう」。
今日は「戸倉神社」のお祭りです。神社のある波伝谷は家が総て流され、高台の「御宮」だけが残った。先頃は京都福知山・大原神社氏子一同より、支援のノボリが旗めいていた。その脇をボランティアさんを乗せた大型バスが、海岸線の瓦礫の撤去に走りすぎて行った。
18日には南三陸町スポーツ少年団の「結団式」がある。多くの支援に対して感謝する意味でも、こども達の元気な姿を全国に見せてあげたいと思う。こどもたちの教育環境は志津川中でさえ、生徒不足でクラブの人員が足らないと頭を痛めているという。子供たちのしたい事をさせるが基本だが、多くの課題に学校もあり、被災地の現状を打開するためにも、早期の住民の帰還がある。しかし、昨夜も仙台に避難している方から電話で、「もう帰れません」と言う。これからが町の存続問題となるのだろうか。

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2012
04/14

礼儀


写真は4月9日に開催された志津川小学校の「入学式」で、46名の新入生は礼儀正しく、小さな椅子に直立不動で、担任の先生の名前の呼び出しに、元気に「はい」と返事をする。談震災の忌わしい悪夢の光景を一日でも早く、この子供たちは忘れても良いと私は思う。
南三陸町教育委員会から学校に幼児を児童としての「引き継ぎ式」のようなものがあった。こうした事も入学式の式次にあるのを知った。今まで見ていたけど判らなかったのかも知れないが、町と学校の関係はこういう事と知った。
今日は「戸倉剣道スポーツ少年団」、現在は今度入学した志津川小学校の一年生の女の子一人です。小学生の減少はこんな形で現れるとは思いもよらなかった。

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2012
04/13

真・和・敬


4月10日今年は予定どうりの入業式が、志津川高校体育館で開催された。私も40年前に母校である志津川高校に入学した。当時と変わらない体育館に遠くあの当時を思い起される。
南三陸町や近隣の海岸線が津波で壊滅状態となり、志高への入学を断念する中学生が多かった。仮設やみなし住宅の家庭生活、被災地で暮らしたくないとの子供達や家族の声、学校運営が厳しい状況も伝わってくる。
「入学許可」が一人一人の名前を呼び、日下校長を前に行われ、晴れて志津川高校生としての階段を登る。校長の言葉には必ず入学時に、校訓の「真・和・敬」が出てくる。すべての漢字が素晴らしい「文字」だと判る。真実の真と、平和の和、そして敬うの敬である。被災地南三陸町の志津川の志津川高校、これから君たちが校訓を継承して、ひとりの人間として三つの文字を心に体に吸収し、新しい「南三陸町再生」の先頭となり、この町に大きくなり帰ってくる事を願う。
今日は議会広報の原稿作成に、4時に戸倉の事務所にきた。もう夜が明けている事、皆さんはご存じですか。

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2012
04/12

歴史


この写真は左が被災した学校なのでどこか判ると思う。ここで一人のおばあちゃんの体験が綴られていた。地震が発生し孫を戸倉保育所に迎えに行ったという。もうすでに誰もいなく向かいの高台に避難していた。それが右の白い建物がある場所です。ここまで津波が来る事を誰が想像できたでしょう。直ぐに津波は押し寄せ想像を絶する光景を目の当たりにし、今までにない恐怖以上の感情となつたと綴っていた。津波は左端の山の前と後ろから押し寄せ見る見る内に波が高くなり、見える避難した高台を襲った。置いていた車は流され、追われるように山の上の神社に逃げたという。雪が降り児童と幼児と共に厳しい寒さの一夜を過ごした。次の日に息子さんが瓦礫の中を迎えにきたと言う。そこから気仙沼線の線路を通り、荒町へそして横山へその後登米市の登米公民会に避難したと聞く。一夜の山での心情は、最大の恐怖以上の、今まで感じた事のない気持ちで体の震えが止まらなかったと話す。そのかなの子供たちの恐怖感が今後早く消える事を願うばかりです。
昨日は「海花復興の会」の集まりに参加しに仙台へ出かけました。仙台は中心部の45号線は15年ぶりで、震災後なのに大きな発展の姿が垣間見れた。「五輪」は宮城野区役所ができ、原の町駅は新装となり現在工事中だった。
集まりでは震災後の東日本の海の復興の形が話題となった。韓国で今年5月に「海洋博覧会」があるという。韓国の発展は世界の脅威となっている。今度は国の南の地域を大々的な海のリゾート地とするいう、経済・観光・漁業の発信拠点とすると言う構想を、国レベルで打ち上げていて、その海洋博覧会で発信していくという。
また、アメリカの漁業は根こそぎ獲る「底引き網」を制限し、一本釣りの「大型レジャーボート」が主流となっているという。国民の三分の一がボートを持っていて、家族での週末は海に出かけて釣りを楽しむという。200海里まで出かけ釣りをする。船のスピードは時速100キロで走る時代となった。海岸線の環境維持も厳しく海洋汚染の対策は他国よりも進み、土壌には海辺は200メートルまで海水が浸透しているため、工場などの土壌の検査と土壌汚染の改良は会社に義務づけられている。
人間と海との「共存共栄」が現在あり、経済成長・資本主義の自然環境の破壊は今、海の環境整備・改善に方向にあり、アメリカは進んでいる。この私たちの町も国の既存の再生や開発にとらわれない、町独自の海辺の環境整備や、建設発展の姿を模索し、このピンチを「チャンス」に変えて、将来のこどもたちがこの町で住みたい、帰りたいと思える、海の共生する町づくりが今必要と、世界を飛び回る、出身が福島海どうりの社長の、夢のある話に心を奪われた一日となった。現在は東海岸で会社を経営している。岩手の「大槌町」にはFRPの型を、寄付するという。多くの支援活動もおこなっているのが「海花復興の会」です。

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2012
04/11

直希


最近の生活は7時に戸倉の事務所から帰り、9時までに食事をすませ就寝、勿論入浴はなしで爆睡である。3時半には目覚め「日テレニュース」を見ながら、朝の「スープ」を自分で作り朝食、飲むヨーグルトで糖尿と甲状腺のクスリを飲み、「ランタス」をお腹に打つ。そして、5時には戸倉の営業所で仕事・ブログを打つという生活が、一週間は続いている。
昨日は好評の「南三陸町からの手紙」の増刷の印刷をしていた。10時からの志津川高校の入学式、9時半に着くよう9時には戸倉の事務所をでる。今年の新入学生はやはり減少して、116名の数で、私たちの時代の200名からは半分にもなった。私のクラスは進学クラス55名であった事懐かしい。帰り少しの仕事をして、志津川中の用事があり、戸倉中学校の1時半の入学式にも参加させてもらった。戸倉中は志中の校舎の一階を間借しての、スタートとなり多目的ホールでの入学式となった。19名の戸倉小学校からの入学は、3名の他の学校への転校があったと聞いた。戸倉地区のコミュニティーの結束が感じられた。保護者の挨拶でも戸倉中学校の復帰を早くの懇願があった。
写真は生徒会長の「歓迎の言葉」で、檀上に立つのは「戸倉剣道スポ少」の教え子「直希」だった。小2年からの入団で小さいながら頑張りやの彼、ひょうきんで少し落ち着きがなく、この子どうなるのだろう。と思っていたが、生徒の代表として立派に大役を務めていた。母は「直希変わったから」と言われたが、この日の姿に「成長した事を実感した」。子供たちは自分の力を進化させ成長する事を実証してくれた。できないから・自分には無理、と言う前に「挑戦」する事で自分を変えられる。しかし彼は自然体であり、これでいいのだと思った。戸倉の中学校生徒会長は自分の剣道少年団から10年で4人も出ている。戸倉剣道スポ少・凄い! 団員募集中です。
最近「ブログ回数」を気にしてのブログ打ち込みになっていた。南三陸町の現状を伝える事もブログを始めるキッカケだったが、自分の生活の記録であり、行動の反省の意味での、自分の見つめる場所だった。
初心・原点に戻る事を年度初めの、これからの取り組みにしていきたい。

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2012
04/10

失敗を恐れず

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「普通にある事が綺麗と見え、幸せを感じられる事のできる町の自然に感謝」を、今日の風景に感じた。中学生は「普通で暮れせていた今までが大切だった事」に、今回の震災を通して感じた。私もだが、「我が町」の自然の美しさを最近日々痛感するようになった。
4時半にこんなにも朝が明るくなった事を今日の目覚めで知った。五時にはすでに水平線から太陽が出ている。みなさん「早寝・早起き・朝ごはん」です。これが、志津川小学校の標語・目標として父母教師会会長が紹介した。スポーツ新聞にいわき市で暮らす避難者を「働かない避難者 パチンコ店満員」と見出しがあった。昨日読んだ津波体験者の想像を絶する体験を読み、何かを忘れたい・思い出したくないと言う行動が、こうした娯楽に走らせる現状もあるように思う。「早く自立を」「普通に早く戻ろう」は、多くの人の希望・願いであるが、今回の大震災の復興・再建・復興には、10年・数十年かかると言う。震源の生活とて普通に戻るまでには同じ日々を要する。将来の子供達の生活の現実がある家庭と、年金生活者の多くなりつつある被災地の「普通の生活」は、いつになるか見えてこない。
東京での花見での急性アルコール中毒者10日間で111人となった。気仙沼小と南小の統合、生徒数は371人で、それに新入生が45名加わるという。志津川小の入学生と変わらない。入谷小・戸倉小は一桁の入学だとも聞く。福井県の大飯原発も政府は原発の稼働に進む、電力不足は夏の猛暑となると、20%の不足を叫ぶ。マスターズゴルフでも最終日、ホールインワンが二人と、アルバトロスが18年ぶりにでた。有村の一人で一日に二つの達成は、まさにミラクルだと言う事が判る。ソニーの4期連続の赤字は5000人のリストラに、プラス5000人を削減の増加する。減少のシラスうなぎがアメリカのメイン州で沢山とれている。現在は100倍の値段となり、1時間で30万を稼ぎ、シーズンで年収を稼ぐと言う。世界の異常はまだ続いている。アメリカ人はシラスうなぎが何かしらない。アメリカから中国へそして日本に来る。グローバルに社会は動いている、地方自治体も広い視野での「将来の町づくり」が必要な時代のようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:24 】

2012
04/09

入学


南三陸町の小中高の入学式が今日明日と開催される。午前は志津川小学校の入学式、ピカピカの一年生が46人だった。志津川中学校は午後で78人の入学生の数、私たちの時代は5クラス240名だったから、今の全校生の数に等しい。明日の志津川高校の一年生も減少している。南三陸町は教育環境はどうなるのだろう。
南三陸町の「財産」であるこども達、「宝」である子供達。早く手を打たないと。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:29 】

2012
04/08

海花

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今月、被災した東日本の海の再生に取り組む団体「膿花復興の会」の創立に参加した人たちの再度の顔合わせ会が仙台である。県会議員さん・元校長・大学教授など、これからのこの地区の復興に何が必要かを話し合う。こうした会での政治的なつながりを私は遠ざけたい。いろんな仙台圏への出席依頼に答えられないからだ。会議・集まりで新たな試みを知る事や考えの拡大の為には、出て聞く事には積極的に参加したい。
今日は素晴らしい天気となった「南三陸町」、ホテル観洋には多くの大型バスが居た。春の交通安全に通勤道路には町民が安全を願うプラカードを持って立つ。海には「ワカメ刈」の小型の漁船が多くの漁民を乗せ仕事をしていた。「平時」に近い生活が成り立っているものの、高台移転の生活は26年3月を予定し。26年度から市街地のかさ上げがスタートする予定にある。まだまだ復興復旧の道は長い。
昨日は「ベトナム仏教協会」の追悼式が伊里前福幸商店街の仮の祭壇で行われた。オーストラリア・ベトナムから40名もの協会員が、自然の猛威により亡くなった「霊」の気持ちを鎮めるために、お祈りを皆で捧げた。ハスのろうそくとベトナムの線香、数珠を、ベトナム仏教協会の方が集まった町民の一人一人に配られた。
はじめて国外の団体の「追悼式」に参加させてもらったが、今回の大災害は世界の人々の悲しみの中にある事を知った。共に涙を流し亡くなられた皆さんの、苦しみ悲しみ怒りを「鎮魂」する前世界の願いと感じた。
そんな中で人間の「復興と言う名をかりた」、「欲が渦巻く」、心一つにはなれないのか。

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2012
04/07

不良

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体調がすぐれない日々が続いている。「花粉」「咳」がでている。二度目の「扁桃腺」の為の咳が4日間も続き、それに「花粉商」のクシャミと目のかゆみ、この総てがからだの異常と、気持ちのスッキリ感や頭の晴れない状況の日々が続いている。これが多忙時と議会活動時でないのが救われる。
今日はベトナム仏教会の僧侶が、町内の何か所かで追悼式を実施するという。昨日は「戸倉中下のさわやか公園」で犠牲者の冥福を祈った。
ゴルフの東北高校出身の「有村智恵」がいる。3.11の震災で1か月間ゴルフ大会が中止になり、今の職業は被災地に何もしてやれない事に悩んだという。そんな状況で大会がスタートし、最初?の大会で「アルバトロス」「ホールインワン」を同時に達成した。確率は「3万年に1回」の達成率だという。アルバトロスは距離をだせないと出ないし、多くの偶然もあるが基本として、普段の練習の成果で実力ともいえる。彼女は被災後に何かをつかみ見つけた気がする。常に「100%の力で毎日を生きている」と話す。私もそうありたい。
昨日は学校からの卒業生の姿と気持ちを町民の皆さんに伝えた。卒業生の目標や今後への誓いの言葉を、被災した皆さんへの「元気」に繋がればと思って、情報誌「第6弾」を作り上げた。
みなさん一緒に前に進みましょう。南三陸町のこども達のように。写真は国道45号の道の脇の、山の造成です。

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2012
04/06

交通安全

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朝から子供達の元気をもらった。戸倉荒町の会社前の道路に、おじいちゃんと孫二人が、行交う車に交通安全のプラカードを掲げ「交通安全」を呼びかけていた。
今日6日から始まった「春の交通安全運動」、来週初めには小中高の学校の「入学式」を迎え、新学期がスタートする。朝7時から40分間、まだ寒い初春に地域が交代で、立ちプラカードでの呼びかけ、一週間続くと思う。
パトロールの警察官の方が車から子供たちに「ありがとう」と声を掛ける。こうした家庭の交通安全意識の取り組みは、見ているほうも「安全運転」を大いに意識する。被災地「南三陸町」のほのぼのした、朝の一コマを見て、この子供達のためにも「大人は頑張らないと!」と気持ちを新たにした。
今日は気仙沼に行く、道すがら町の動きを望める。3日前の歌津地区を通ったおり、平成の森下にできた「ラーメン店」、仮設での看板表示は、この被災地の環境での建設は、頑丈には無理でこん回の「爆弾低気圧」により、看板は無残にも破壊されその修復の作業をしていた。この店は町外のかたの出店で、被災地に多くの可能性を感じた方が、歌津地区に需要があると感じ「ラーメン店」を出したのだろうか。「ピンチをチャンスに」と思う。この被災地の町の再建には、こうした「やる気!」の必要性を大いに思う。
寒さ対策の仮設への畳の設置が終わったと連絡が来た。畳店も町の全店が被災し、その中での町の業務を期間内に無事に終えた。資金は「回転操業」、なけなしの積み立てを崩し材料代にあてた。昨年度の補助事業の助成も5月の支給になるという。国・県・町の支払いは多くの書類の元に、補助助成が行使される。できるだけ被災者支援との観点から、早期の支出をお願いしたい。

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2012
04/05

昨夜

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58か所の仮設にはまだまた多くの問題が山積している。環境の整備もあるが、入居者の「人間関係」もある。色々な地域からの仮設避難があり、考えの違いや家庭関係もある。被災し家も財産も無くし、将来の不安から「精神不安」があり、言葉の不足から問題や不信感が、仮設生活の共同生活にはある。
行政からの仮設廻りの職員にも、「ただ顔をだすだけで問題解決になっていない」と言う。多くの予算で「社会福祉協議会」に業務委託しているものの、被災地の現実は行政が考えるとうり進んではいない。
こうした仮設での被災住民の事を考えると、行政の新庁舎建設には町民サービスの向上とは言うものの、仮設生活者は「私たちの生活を判って下さい」と言う。
町外への「借り上げ住宅」が仮設の他に、被災住民に県から支援がある。2年間で支援が終わるが、後一年余りで高台移転ができるかと言えば、絶対に無理でこの問題は今後大きな問題となりそうだ。
最近町民の方から言われるのは「町会議員は今試されている」と言う。この被災地で個人的な活動として、「何をしているか」です。個々に考え・行動は違うものの、町民の苦しさの共有を求め、救済・生活改善を口にする。一番は「話を聞いてくれる事」だと言う。
大きい区切りの旧町・行政区と活動には限界があるが、町の議員としての活動は「境界」があってはいけない。しかし、一つの体には限界もある。常にアンテナを張り、「町民の声」に敏感に行動するしかない。やはり「試されている」が当てはまる。
写真は荒町の道路舗装工事の風景です。住民サーピスの必要性の高い順番に、粛々と事業を進めるしかない。

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2012
04/04

想定

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写真は新築された仮庁舎前の消防署の、消防車収納倉庫のテントです。しかしお昼ぐらいからの強風で、テントが破壊され、その処理に署員が追われていた。
町内を走行中は車が風であおられ、ハンドルを取られる。知人と所に行くと外で「バタバタ」と音がする。大きなトタンが仮設・車にぶつかっての音だった。
材料置き場のトタン屋根がはがれ、一部が飛び一部が残り屋根を舞っていた。今夜は大変だと覚悟した。しかし、私の想定は良い方向へと向かった。
夜中の風は一旦おさまり雨に、朝は「霙」に変わり又強風へと変わった。通勤時の町中は被害は無かったようで安心した。
今週に一か月ぶりの「情報紙」を出せそうだ。先月の高校・中学・小学校の卒業式の臨場感を伝えたい。来週にはまた入学式となるが、「町の宝」子供たちの姿をそのままに記事とした。被災から一年が経ち、この大震災大津波から、多くの事を児童・生徒は学び、一回り大きくなった事を伝えられればと思う。
被災した「町民の声」は行政には伝わっていない。「見なし仮設」は後二年、今後の動向が見えてこない。仮設の環境はいまだに厳しく、「車弱者」の100%の対策は無理ながら、そのケアが半分ぐらいであり、今後不安は募るばかりだという。
全国の被害はあった。3名の死者と100名以上のけが人も出ている。被災があり、今後も国内に「国難」と言われる天災の発生を懸念するのは私だけではないと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:33 】

2012
04/03

年度末


戸倉荒町の道路舗装の現場を写真で添付したはずが、この写真が添付されてしまった。被災直後の南三陸町魚市場市場の、瓦礫と化した建物です。現在は綺麗に片付けられているものの、当時の猛威を表す写真です。
荒町の年度末の道路舗装工事が、3月26日から始まり30日ごろには終わっていた。この工事は22年度の3月の工事舗装完了の予定であったが、昨年の大震災で工事はストップした。こないだまでの「厳冬」はラニーニャ現象の為といわれている。この45号と並ぶ川沿いの道が今回の工事場所、暖冬でも道路凍結で「融雪剤」を町からもらってきたのが、ついこの間のようである。10年ごろ前に地区の「陳情」の後8年かけて工事が決定した経緯がある。荒町の並石橋までの300mぐらいの道がアスファルトで舗装された。並石橋からの「並石線」の整備の必要性を訴えたのは、今から2年半前だった事を思いだした。今この「並石線」を通り山にある工場に、印刷のときに通るが、今年の冬の雪道や解けた後の「ゴチャゴチャ」の道に、タイヤを撮られた事を思い、この道も舗装したら田植えも稲刈りも少しは楽になると思う。しかし、この震災復旧工事でこの辺の整備は叶う事はないだろう。
昨日は行政の業務に憤慨した一日となった。「広報みなみさんりく」の見積合わせだが、新年度から近隣の市の大企業に見積の依頼の幅を広げた。現在南三陸町は町の7割が被災し町には印刷の仕事がない。行政の仕事に頼る部分が半分以上となっている、こんな状況下で、年間で500万円にもなる行政の仕事が町外に渡るとしたら、事業所の死活問題であり人員削減の方向ともなる。被災地の事業所救済の面からも、競争意識や財政の無駄の削減との、行政の取り組みが今必要なのか、誰が考えても理解できる。一部の職員はこの正当性を言っていた。何とか理解は頂いたが「サイは投げられた」、庁舎は大変りっぱになったが、町民の意識と行政には、まだまだ温度差を町民は口にする。50万円以上が「入札」であるのに、「見積徴収です」と繰り返し言う。年間500万円以上の業務、何でここを強調するのか判らない。また、最低価格も建設工事と同じように示すべきと思うが。今年は新人職員を4人増やし9人採用し、他の自治体からも40名の職員が南三陸町に就任した。
入都式には新人職員が1658人という。大阪市の入庁式で橋下市長は「今のこの新入式の気持ちを一日も長く持ち続けるように」と、新人職員に挨拶をした。「初心忘れるべからず」である。

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2012
04/02

新年度


企業は昨日が「入社式」だった。高校・大学から社会人となり、社会経済の一線で人としての一歩を進む。公務員も国・県そして自治体と今日の新任採用と新部所での仕事が始まる。職員倫理規程や服務規律の元で、国民・町民の為に働く事を基本とする。今後の時代のリーダーになれるよう期待したい。
企業と自治体で働くことの立場は違えど、人間道徳や社会のルールにより、法律に則り仕事をする事が求められる。東電・JIA・オリンパスなど、社長・トップの「おごり」が破たんや企業信用失墜を生んだ。自治体とて政策の失敗により、破たん自治体と「夕張」などもなつた。また財政難から市の名前を売り出すなど、自治体の今後は厳しく、その原因には「人口減少」「高齢化」など、国の問題と同一ながら、自治体の自己努力でこれを解決しないといけない。しかし被災地は10年間は「復興計画」の元で、国の復興交付金を受け復興に向かう。資金は心配ないのかもしれないが、計画の進め方・資金の適正活用が無いと、復興が遅れ町の存続にも影響がでる。
仙台常盤木高校出身の「なでしこジャパン」の、鮫島・熊谷・明日菜の三人娘がいる事を知った。昨日の世界一のアメリカと五分以上の戦いで引き分けとなった。会場も利府で被災地宮城が頑張っている。「ベガルタ仙台」も5連勝と、議会職員として殉職した、サッカー「ベガルタ」大好きの「小野篤実」が乗り移ったような、今年の快進撃を見せている。ミスユニバースの日本代表に、仙台出身の「原綾子」さんが代表に決まった。サッカー鮫島の同級生と言う。宮城仙台には「美人はいない」と言われているというが、鈴木京香など、昔はいなかったかも知れないが、性格美人・容姿美人が沢山いる。質素から活発な女性が、南三陸町にも「卵」として生まれている。
写真は伊里前で瓦礫の市街地に「商店街」が見える。この現状の中で出店者は頑張っている。志津川に回ったら、車で20分の歌津にも、ぜひ回って声援・支援を行ってほしい。

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