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ARCHIVE - 2012年03月

2012
03/05

音楽


「志高定期演奏会」に出かけました。志津川高校の第二体育館が会場で、被災後体育館ならず校舎全体が、被災者の避難場所になっていた。老人ホーム・ディサービスセンターの皆さんが、当時の津波来襲により「命からから」逃げて救助したのが、志津川高校で生徒だったと聞きました。被災後「ユーチューブ」で近隣の住民が、津波に追われながら登ったのが、志高の登校坂であり土手でした。
この「第二体育館」は昨年8月過ぎまで住民の避難所として、生活の場所となっていました。当時何回か訪れた時の現場の、状況と昨日の会場はまさに「天と地」ほどの差を感じたが、避難者の頑張り生きる姿がありました。私が行くと「今後どうなるんだ」と生活者から問われ、私も含め行政の混乱を伝えるしかなかった。
演奏会には高校敷地の仮設から、高校生の活動に多くのかたが訪れ、生徒の演奏に「一時の安らぎ」を感じているようだった。被災後はじめて同級生のお母さんもと会えた。80才半ばながら震災後も頑張って生活していた。「がんばらいヨ」と声を掛けられた。同じ地区のお母さん、「あちこち点々として今高校にいます」と言う、本浜地区の住民の被災後の調査中で、コミニティーの地区高台移転の活動を、若い人たちが頑張っているから、と伝えると「また元地域の人たちとの生活に戻りたい」と話していた。
音楽部の家族は元より、菅井元顧問が来ていた。40年になる楽器が心配ですと話す。志津川高校の音楽部が好きで、生徒たちが心配で、見守り応援したいのだろう。遠く2時間も掛けて来てくれた事に感謝しかない。
また、同じ時間に「龍谷大学」の音楽部が、志津川中で合同演奏会があり、行政からのそこには出席していた。志高音楽部の今回の演奏会は、住民の皆さんに被災後の支援に感謝と、一年間の部の成果を見てもらいたいが、一番の目的で、もう一つに3年生を1・2年が「お世話になりました」の気持ちで、互いに演奏して送り出す。があったと聞きました。こんな優しい子供たちが住む、南三陸町、早期の復興を大人は頑張らないと、「さあ仮設から一歩前に進みましょう」、第二体育館に入っていた皆さんは複雑な心境だろう。
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