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ARCHIVE - 2012年03月

2012
03/01

母校

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先頃「三陸産ブランドワカメ」の初入札があった。ワカメ不足と初入札とご祝儀相場もあり、塩造ワカメは平年の二倍となり、干しワカメも高値で取引された。
今日の写真はそれを実証するかのように、戸倉折立前の養殖漁場には、大小5隻の船があり、船上には多くの漁民が肉眼でも判るくらい乗っていた。数少ない漁船にみんなで乗合漁をしている。この漁民の方々もなのだろうか、志津川地区には、国・県から設備・種などの支援を受け、三年間は「給料制」で仕事をするのだと聞いた。海で生きる事への執念を感じる。
今日の「志津川高校」の卒業式は、暖かい春の陽気になった。10度近い気温も卒業生を祝福するかのようだ。私の母校でもあり、地元に残り仕事をした私には、在学時にお世話になった先生方に、卒業後も仕事面で協力をもらった。事務の先生も地域密着と言った感じで、志津川地区民との仕事面での、交流支援の精神を持っていた。
加藤・阿部両校長が在学当時で、生生では三浦・工藤先生がいた、一年は伊東・二年は工藤・三年は阿部の正担任、みなが生徒の自由を認めてくれた。三年の阿部先生は、卒業の点数の達していない私に、教科の先生方に色々協力をお願いしてくれた。年間60回の遅刻早退・欠席が、家庭の事情であったが、高校だけは卒業したかった。
卒業後は三年の阿部先生は同級生のお姉さんと結婚し、身近な先生的な感じだった。最後は仙台近辺の養護学校校長で退職したが、その前には「本吉響高校」の校長で、初めて「入学の手引」を作成、低予算ながら仕事してくれるかと連絡が来た。その10年前にもなるが、当時の担当先生が今も在校している。人と人とのつながりの大切さを知らされた。選挙の時も「おめでとう」と手紙もくれた。地元の恩師にも多くのアドバイスを受けた。20年前にいた鈴木先生は、「我が道」を行く先生で、私と同じくらいの年齢ながら、新しい提案で多くの仕事を手掛け、業者・先生を超えた気持ちの付き合いで、「創立70年記念誌」「卒業生の写真集」など、新たな感覚の作品を作った。志津川高校の盛り上がりの時期だった。数学・倫理・地理・物理・英語、嫌いながら楽しい授業だった。物理の白幡先生は、気仙沼の高校校長そして教育長もなさった。良い先生方の記憶がだくさんある志高時代だった。
今7時32分、茨城県で震度5弱の地震、「津波の心配はない」のテロップ、これになれる事が怖い。

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