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ARCHIVE - 2012年02月

2012
02/11

保険

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私の再建できた理由に友達の保険加入依頼がある。5年前「地震保険」も掛け金を少し上げるだけで、保障が付きますだった。そんな大災害は無いとの過信の中に私はあったが、彼らの会社ノルマ・成績プラスになるのならと快諾した。結果的に再建の資金が半分の保障ながら、ここまで来れた事実としてある。
先月臨時の「戸倉営業所」に社会保険機構が、社会保険加入指導に来た。まだ従業員の雇用も始まり半月、ハローワークに求人を出して半月なのに? と疑問だった。理由は「休業手当終了」「求人票掲示」がハローワークが管理、その上に「厚労省」があり管轄している。この連携での情報の共有だったのだろうが、600軒の商工の事業所の内で400軒が今回被災し、再建した事業所は100軒にも満たないのに、零細弱小事業所にこんなにも早く、「社会保険を!」と国から切り離された「社会保険機構」がこれるか。だ! 被災地の現実を知っての行動か、30分もいた。復興に10年以上も要する「南三陸町」、2・3年の猶予は欲しいものだ。
昨日のブログに書いた、国・県に対する地元への事業所対応には以前から反論を持つ。「広く地域に参入の機会を与えため」の説明に、「中高連携」を進める我が母校、卒業以来40年近くもなる取引、何とかここまで卒業生の「Iターン」の生徒の受け入れなど、支援協力をしてきたつもりだが、もう「わが社」への依頼はなくなるだろう。被災し最低限の設備での競争力の激減がその理由だ。弱小の業者の「オープンカウンター方式」の壁は、小さい印刷屋には大きな壁として「パソコン」と「ネット」の活用が立ちふさがる。この心の繋がりの大切さを削除し、事務の簡素化と業者のネット管理があり、これからの社会は僻地の地方は、中央から遠くなる高齢化と、高度技術者の流失が今後も加速する現実がある。これで行政・政治がとる被災地救済に疑問ばかりを感じる。これも「なぎごと」でしかないのか。あと10年何とかこの仕事をしていくためにも、多くの事に挑戦する。現在は東京の支援してくれる団体がある。会長は「少しで申し訳ありません」と話す、この支援の声と心に支えられ金額でない、「負けない」と気持ちを高ぶらしている。
これは昨日の松原公園の瓦礫置き場で、前の建物は3階だった「志津川公民館」で、道路向かいに同級生の「松原食堂」があった。懐かしい思い出は私の脳裏・心からは消える事はない。瓦礫の前でボランティアさんか、建設会社で雇用する「被災者」の方か、この寒さの中で作業をしている。この日は「-7℃」の真冬日だった。
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