FC2ブログ

ARCHIVE - 2012年02月

2012
02/05

絆ロール

120205_082244[1]
旧南三陸町庁舎・防災センターの跡地に大きな看板が目についていたが、今日車を止めて見たら「絆ロール」とあり、以前テレビで報道していた、歌津「泊崎荘」さんの娘さんが、作っているメールケーキだった。南三陸町の復興にちなみ命名し、現在多くの引き合いがあるという。この写真は市街地の白銀の大地と青空に「ボ防災センター」とピンクの大きな看板は、来町する方には印象に残る。志津川仮設商店街にも、ぜひ並べ販売してほしい。歌津の商店街にはあったかなー。
今日は予定どうり「東日本大震災 復興・再生支援特別講演会」の現地報告として招かれ、当時の被災状況と復興の今について話をする機会となった。前置きに被災当時の多くの悲しみの状況を伝える事は、亡くなった方や不明の方の「尊い命」を無駄にしたくないからと前置きし始めた。東松島市の元校長先生は、当時の悲惨さは話したくない、なぜなら涙が溢れてやまないからと言う。その中で「てんでんこ」と自分の命は自分で守り、てんでんに逃げて自分だけ助かる事は、けつして罪ではないともいう。また、津波は入り江に入ると倍の津波、それ以上になると強く言う。それなのに、南三陸町の行政や危機管理室では「浸水深」などという。当時6mの津波を気象庁は出した。結果的には12mで防災センターは水没し、それ以上と誰しもが想定できる中で、防災センターでの本部立ち上げは、やはり多くの人がその行動に疑問を持っている。「フォレスト仙台」には150名が東京からも駆けつけてきた。
主催は「海花東日本復興の会」で、「海からの視点に立って」と題され、いろんな角度から「真の復興」など、多くの海に関係する方々が、今後の復興の方向性を語った。
7分の持ち時間での説明は無理だった。志津川中学校の「小松先生」のアフリカの飢餓に苦しむ子供たち支援の会のつながりで、参加させてもらえた。ひとりでも南三陸町を訪れてくれる方が、増えて町の交流となる事を祈り願う。
スポンサーサイト



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:51 】


TOP