ARCHIVE - 2012年02月

2012
02/29

消滅

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昨夜は「松原食堂」で晩御飯、予定どうり行く事が出来た。同級生の「みつチャン」、笑顔いっぱいにお客様を迎えていた。「仕事が始まり生き生き旦那しています」と言う。仕事ができる事の喜びと、多くのお客さんとの会話、そして「頑張って下さい」のエールに、南三陸町への多くの支援への感謝を込め、自慢の限られたメニューながら、精いっぱいの気道を感じた。
各テーブルには小さな花の鉢が、被災地での皆さんの活動や来店に、なごみ癒された。テーブルに座ると15名前後のお客さん、20代前半の男女が入ってきた。一人の女性のジャンバーの背に「西宮」と書かれてあり、南三陸町に支援で来た自治体の方、そして「ボランティア」の団体に思った。一揆に店は賑やかに、被災地に必要なのは、こうした若者の集まりと笑顔だと再確認した。今日は残った「京極」さんかな、昨夜もおかあさんの顔を見に行ったら、「材料が無くなって終わりました」と嬉しい声を聴けた。
今日5時半の志津川市街地の工事、夜も働いていた。汐見橋河川下アクセス系施設の復旧工事です。24年の7月17日までかかる。昼間の渋滞はこの日まで続く、ある意味「ライフライン」、インフラ整備しょうない。当初は市街地の行政の復旧工事だと思った。まだまだ被災地の大変さは続く。
昨日は一般質問の通告をした。「被災自治体に見合った財源支出を」で、行政の物品・各種業務の経費を削減し、被災者の生活支援や環境整備に回すべき、と町長に聞く。行政の復旧復興への活動を加速するためにも、被災者の隣市への人口流失を抑えるためにも、行政の復興体制への検証を常に行う必要を思っての質問である。
電気料の値上げは仮設生活する被災地の生活には痛い。ガスに関しては「サウジアラビア」の支援がある。仮設でのお風呂と洗濯機の確保はあるものの、親たちの介護の問題もあり、倉庫での生活を余儀なくされている。ここのガスはもちろん自腹でり、当たり前で自分たち家族の選んだ、「二重生活」でもある。
今日は89才の社長は午後2時からの、支援事業の説明会に気仙沼へ、従業員の運転で変わっていってもらう。午後から私は「復興特別委員会」が開催され、町民の皆さんが疑問・不安に思っている声を伝える。
明日は志津川高校の卒業式、前加藤校長時代から、高校の行事を取り上げた、「志津川広報センター」として案内が来た。昨年に続き今年も参加させてもらう。志津川の「情報誌」である、一町民の目線で地元高校の卒業生の、卒業に当たりその情景を伝えたい。また、4日には音楽部の「定期演奏会」があり、この二つを来月号に掲載します。すべての皆さんとはいきませんが、2000部を各種手段で配布しています。
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2012
02/28

携行

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またショック。日曜の葬儀で歌津の剣道親の会の以前の会長、中学生の剣道全国大会への大きな夢に、子供たちと共に熱血指導協力したいた。しかし、今回の大震災で弟とその子供を亡くした。志津川のまさかここまでという、内陸地に家はあったのに、確かに人の想定を上回る津波来襲だった。南三陸町歌津の剣道の発展途上の中で、この大震災は少なからず子供たちの「夢への道」を、普通の活動から、環境・精神とも厳しいものとした。しかし、この子供たちの剣道への情熱は消える事はなく、町・地域で環境の整備維持に取り組んで欲しい。最近は知りえなかった町民の更なる死の情報に、南三陸町への将来への不安は募るばかりだ。
今日も寒い朝で、昨日の郵便配達のバイクには「チェーン」がまかれていた。平地の国道は除雪により、雪はないが一歩道に入ると、「バリバリ」と氷に化した雪道がある。現在「郵便局」は我が家の倉庫の下にある。しかし、昔のような活気はこの場所にはない。何故なら町民が町から減った事に他ならない。
昨日は「豊楽食堂」で晩御飯を食べた。おばあさん店主と東京の「孫」との、二人三脚で元気あふれる店となっていた。娘さんの同級生・仲間らしき集まりが、土・日のオープンイベントの落ち着いた、昨夜集まっていたのだろうか。「昔なつかしき焼きそば」、大災害後も健在だった。同級生の母親同様に。今夜は何処にいこうか。
私の忘れがちな頭の現在、携行必需品が四点ある。腕時計・携帯・財布・車につく多くのカギである。何が欠けても生活・行動に不安と問題の支障をきたす。朝自宅を出かける前にポケットを確認する。
今日のニュースでは、東京マラソで藤原が歴代7位のタイムで優勝、フリーターで3位が200万、2位だと400万という気持ちで、ゴール直前に外国人を抜いた。公務員ランナー「川内」は、応援の期待を裏切ったとして「誠意の丸刈り」となっていた。「エルピーダメモリー」、半導体の世界シェア3位の日本の会社である。企業破たんだという、低価格競争に敗れ、円高が最大の原因という。4480億円の負債で、すでに国300億、銀行1100億の支援を受けていての破たんと言う。枝野大臣は「国民の180億の負担が必要」という。大企業の破たんは自己責任だと思うが、雇用される従業員の人道支援でもある。関西電力が2530億円の赤字と言う。50%を原発に依存していた結果、原発の再稼働できず創業初の結果となった。東電が26円・東北電力が17円、家庭電力値上げとなる。
大学就職率の上位をしめていた、電力・半導体・電気会社の、経営不振は「円高」が最大の要因ながら、世界の異変の想定を見通した柔軟な経営体系が今求められる。人の財産で自分に仕事を発注できたら、なんて楽だと思う。

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2012
02/27

鎮魂

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「鎮魂」、4時20分からのNHKの視点・焦点の番組で、何回も解説者から語られた言葉が、ぼんやり眠る耳にこびりつく。「魂を鎮める」ことが大切で、みんなで集い語り合う事が大切だとも言っていた。被災の現状や津波の襲来や、被災者の心のケアなど、町民が集まり話をする事が必要だという。被災地で今、発生後にすることが「鎮魂」、これからに繋がると言う。
「フラッシュバック」が被災者の心から消える事がない。中学生も今回の「東日本大震災」の大津波に触れないようにし、周りも話さない気づかいをしていた。また、津波の映像を未だに見れないなど、子供から大人まで、この被災の記憶に戻る・見る事に、恐怖を持っていた。記憶を風化させないとの動きがある中で、この問題もある。
昨日の町職員の「殉職」に、家族の一つの区切りの葬儀があった。3月11日で一年を迎えようとしている今、まだ見つからない家族を家に戻してあげたい、一緒にいたい、などの家族の気持ちから「死亡認定」をしての葬儀だった。同級生の「弔辞」に多くの故人の思い出に、自然と涙が頬を伝って止まらない。こんな事は初めてで、ご両親の気丈なまでの捜索と、行政と町長責任追及との戦いの姿が、この裏にはある。最後には生前の皆様からのご厚情に、感謝しかないと話す喪主の父は話す。町長は不参列で、副町長が弔辞を読んだ。
今日の「OHバンです」に、同級生の店仮設名店街「松原食堂」が紹介される。被災後は高台の残った自宅に「7家族」で、当分の間暮らしていたと、被災後2か月目に会い話していた。いよいよ店のスタートに「頑張って」しかない。なにを食べようか今から迷っている。
5時半の林の道路高台から、今日の志津川湾を望む。毎日一つとして同じ光景のない、自然美を見て今日も頑張るぞ!と、一週間の始まりに気が引き締められ。

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2012
02/26

頑張

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昨日紹介した方も同級生の母で、今日も伝えたいのは志津川で又、店を再開したいと頑張るお母さん、もう80才は確かに超えているが、再建への意欲は消える事がない。
志津川病院裏の「豊楽」のおばちゃん、月に何回か訪れお気に入りの「特性やきそば」を食べる。特性ではない「むかし懐かしい」である。遅れたが昨日オープンの志津川仮設商店街の中の一店で、ここまでたどり着くのには、おばちゃんも多くの苦悩があった。ここ5年に旦那さんと息子を亡くし、今回の津波でその総ての思い出を失くした。こんな中で被災後から「店再建」の気持ちを持ち続けた。私のところに「仮設商店街」「仮設建設」「入居」など、店を始める事に対し、仮設は商店街の近くへと、東京からボランティアで来ていた娘さんが、私に情報支援を母の為にと依頼してきた。そして今回の開店、近々必ず行きたい。
私の同級生の母たちは高齢者ながら元気である。それは家族で暮らして来たこの南三陸町志津川で、また家族の思い出と一緒に暮らしたい。この事だけが「おばちゃん」達を支えている。
昨日の大雪は週末の3・11から一年を前にした南三陸町の復興の出鼻を挫く結果となった。名店街への来客にあたり、コンビニの仕入れは大きな誤算となった。学生も家族もこの雪でも、部活への送迎は欠かせない、戸倉「善王寺」まで、この雪だと1時間半はかかるかも知れない。戸倉剣道の横山・米谷からの親の送迎はこの雪は危険と中止にした。従業員も気仙沼まで早めの退社とした。
今日の南三陸の風景・自然美の写真はいっぱいあったが、この新たな出発を選んだ。大雪ながら風景はその美しさを増す。小川のせせらぎの雪、雪で垂れ下がる木々と山の雪景色、深々と積り降る「綿雪」。午前は一揆に15㎝以上ものドカ雪、総ての復旧工事がストップした被災の町「南三陸町」の悲喜こもごもの一日となった。
水尻川の鉄の橋の路面は「ゴトゴト」と危険感を増幅、「わだち」はもっと危ない。今朝、国道の雪は除雪されていた。水道が凍結しないという事は、いつもより少しは暖かいかな、今日は「晴れ時々曇り」、福興名店街にも足を運んでほしい。私は津波で殉職した職員の葬儀に参列したい。まだ不明での「死亡認定」かと。悲しすぎます。

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2012
02/25

試練

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3・11から後2週間、今日志津川福興名店街のオープン、南三陸町は昨夜から雪となり、日中は雪の天気となる予想だ。新たな商店の門出、震災からの復興の商店のスタート、大地震大津波と今日の雪は、新たな南三陸町の再建への試練となる。商店主の「やっとここまできました」と話す言葉の矛先を折る、自然からの試練ともなった。
昨日は「南三陸町からの手紙」の一編の手紙の名前に、一揆にこの文面に引き込まれた。同級生のお母さんで常々いろんな角度から激励アドバイスをもらっていた。「九死に一生」「頑張る」「感謝」などの言葉が、被災当時の体験談から、何回も出てくる言葉だ。旧中学校下の家は一瞬にして、生活の総てそして思い出が消えたという。チリ地震津波がこない地区とあり、地震後は部屋を片付けていた。防災無線では「大きな津波です逃げてください」との放送を聞いたという。家の前で海の方を見ると20~30mもある黒い津波が来た。急いで隣に声を掛けようとしたら、家の中に入ってい行くのを見て、中学校跡地の「のぞみ作業所」の部屋に入ったという。入ると直ぐに第一波の津波、机に腕が挟まれ抜けないでいた、第二波は天井まで達し天井の空間に口を持っていった、と話す。この場所には私の同級生もいた事になり、同じような話を前に聞いた。2度3度と津波の泥水を飲んだという。「もうダメ」と思った時、旦那さんと亡くなった同級生の息子さんに「助けて」と心で叫んだという。後は高校に被災後に避難した。ある教室に避難していた人々の姿を見て、地獄だと思い。高校生の避難者への救済の姿に「感謝」の気持ちを強く感じた。今は仮設の生活ながらいくらかは慣れてきた。そして今「頑張る」という気持ちを胸に生きていきます。と最後に綴る。
AIJ投資顧問会社が預かった共済年金の運用をうたい、その預かった資金の2100億円の資金がないという。年金の運用をして退職後の生活資金を充てると考えていた、会社・組合・企業は、その埋め合わせをしないといけないと言う。こうした理不尽な会社・経営者のモラルの低下がある。こうした事件が多く、人任せの会社への預ける側の普段のチェックが求められる。
こないだ志津川中学校に行った時の、志津川の被災地の雪の風景の写真、綺麗ながら復興への障害にもなっている。、

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2012
02/24

報道

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写真は中瀬町の工藤コーポ跡地から志津川高校第二仮設を望んだ。平地の隅々までの津波の襲来は、無形の海水が津波となり、行き着くところまで、黒い壁となり押し寄せた結果、南三陸町の志津川の市街地の100%を飲み込んだ。正面に見える仮設の店は「タケヤ」さん、被災前は海から10メートルの場所にあり、美味しい「みそラーメン」のお店として、漁民や釣り客、町民に親しまれたオシドリ夫婦の店だった。今はこの場所で「復興ラーメン」「豚肉ジンギスカン」と、新しいメニューで復興に向け頑張っている。26商店の「福興名店街」が25日にオープンする。出店できなかった商店は自力の営業に向け、今活動している。入谷地区の商店街の今後開店の活動もあり、町民の復興への動きと見る。
昨夜、自宅に7時過ぎ帰ると普段就寝の父が起きていた。理由を聞くと今取材が来るという。就寝と夜の老々介護の姿をカメラに納めたいという。現在介護者の被災後の疲労による事案が発生して、この現場の状況をテレビで放送したいと言う。父親の頑張る姿が全国に報道される事は嬉しく、この被災地の厳しい現状を知ってもらいたい。ただ、自分の不甲斐無さも示される。父親の自然の生き方へのこだわりであり、夫婦愛と胸を張る。こうした90才の高齢者である父の、生きている「証」を示す活動は、生きる意欲となり被災後の今を生きている。
現時代、家族三人の餓死による死亡、今日は障碍者を抱える母の「くも膜下出血」での死での、残った4才の子供の餓死など、社会の歪みによる事件がある中で、被災地の被災者の今後の多くの問題での事件を懸念する。
国家公務員の「臨時特別法案」が可決し、7.8%の報酬カットとなり、5880億円が捻出され、復興財源に充てられる。7月から実施し2年間と言う。地方公務員は別で自治体で決定されると言う。「もう町民はだまっていられない」と思う。町の財源不足は「庁舎建設」を断念させ、多くの不幸へと繋がった。私は今も思っている。
今、私の活動はピークにあり、6時間の爆睡と、倉庫での4時間の親子の時間と食事で、毎日を暮らす「充実感」を感じているが、いつ前のめりで倒れても後悔はない。早朝4時半頃に「震度3」の地震、夜中の地震はやはり怖い。

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2012
02/23

瓦礫

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今日の6時前は大雪の中で通勤、大雪の為に前方が見にくく、平均速度40Kでの走行となった。今日の最高気温は「7℃」まで上がるという、この雪も今日中には解けるだろうと予想する。
昨日は気仙沼へ、大谷の基幹農道への入り口大谷農協前は道路の改修工事で、通行止めとなっていた。用事は本吉はひびき高校へ、信金から三陸新報へ、気仙沼振興センターでの収支報告、ジャスコでは、「復興支援」の宝くじの販売という事で、初めて買い求め「夢」の時間を少し貰った。歌津で一件の用事と志津川で一件、戸倉では「南三陸町からの手紙」の作成支援の打ち合わせをした。3・11まで後20日を切った。「長いようで短い一年間」と言う。しかし、長く厳しく大変な一年を忘れる事は誰もできない。
今日のニュースでは昨年の大震災前の2月に、ニュージーランドでの地震があり28名の留学生が死亡した。3・11のせいで薄れてはいるが、ビルの「M6.3」での崩壊の姿は今も覚えている。また、大阪梅田での火災・渋谷駅での60才の女性が70才の女性に刺された。「じろじろ見張られている気がした」と強硬に走った。仙台の高校の講話でも、いつ何が起こるかわからない「自己防衛意識」の必要性を話した。現代社会は、自然もだが社会・人間からの、事故に巻き込まれる可能性は、決して小さくはない。
「小中学生の留年」が大阪から橋下市長により、必要性が教育委員会に投げかけられた。大阪の学力低下問題の対策の一つだと思う。目標の学力まで達しない生徒に、しっかりとした学年におおじた学力をつけて欲しいとの政策だという。教育評論家の「おぎなおき氏」の政府への提案に、大阪市長が早速提案した。
大阪市長は職員報酬の10%ガットを打ち上げ、「158億円削減」を提案した。実施されそうだ、南三陸町町民も今の行政の復興の遅延に「もう町民はだまつていられない」と思う。
歌津「田束山」のつつじももうそこまで来ている。しかし、入り口の「上沢」には瓦礫と廃タイヤが積まれていた。田束山の山頂に雪は見える、震災から一年、春はもうそこまで来ている。

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2012
02/22

無理

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今日は5時30分に志津川水尻橋を渡った。さすがに海は真っ暗ながら、水平線には赤暗い朝日の木漏れ日が、輝き間違いなく夜明けが早くなってきている。林からはかすかに見える荒島、海上の養殖のブイが放射線のように島方向に向かう。こんな毎日の通勤の道すがら、志津川湾の毎日違った「姿」に、新たな南三陸町の自然美に酔っている。明日はどうだろうか。心の余裕に最近陰りを感じている。
いよいよ今週末に「南三陸志津川復興名店街」がオープンスタートする。昨日訪れると開店に向け、仮設の商店では、時間を惜しむように準備に追われていた。迷路に感じる商店街は、興味を募らせる雰囲気を醸し出していた。南三陸町の人情・水産品の良さをここから発信する。ぜひ多くの町民と来町の皆さんに来てもらいたい。また、ボランティアの支援の場ともなり、町民との交流の場ともなってもらいたい。
写真は゜戸倉交番」で昨日メディアが映像を撮っていた。夕方、歌津の仮設にも「駐在所」ができた。と報道をしていた。今全国から警察官が町の来て支援活動をしている。犯罪抑止にパトカーの警邏は欠かせなく、夜の警邏での休憩場所としても活用されるという。治安の体制づくりの必要性は、高齢者や被災で精神的に弱い町民の大きな力と支えになる。
昨日は中学生の作文を7点データを打ち込んだ。この被災の中からも何かを得ていた。未知なる可能性を秘めている事がここからも分かった。未来の南三陸町はこの生徒たちが創り、生活する。今わたし達は南三陸町が今後どうなるかの岐路にいる。この子供たちのためにも、今やらないといけない事をしていかないといけない。人口確保!

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2012
02/21

厳粛

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今日は志津川湾の旭の見える最高の場所を見つけた。6時15分に家を出て林の高台からの国道、30分丁度の光景がこれでした。水尻の橋では「真っ赤」な旭に感動し、海と太陽と雲のバランスが最高にマッチした瞬間でした。
「母子殺人事件」は未成年「少年」という18才の男に死刑を言い渡した。重い罪には未成年「少年」であっても、死刑は止むを得ない結果と私は受け止めてる。配管工をしていて性的目的で親子を、なんのためらいもなく殺害し、その後の謝罪や態度も無いという。本村さんは自分の妻と子を守れなかった事に悩み続けた。彼の裁判での言葉の一つ一つが社会を、裁判官そして国民のこころを動かした。裁判所に遺影の持ち込み、被害者の意見鎮実など司法の形を変えた。しかし、この裁判の結果に「皆が敗者」だという。13年が経ち加害者は30才になったが、その性格・考えに成長がないのが不思議だ。1999年から「4695日」での結果に、「私の罪ほろぼし」と言う。本村さんは2009年に再婚していたとも公表した。一人ではこの苦しさから生きられないと思う。
今この被災後、高齢者や一人暮らしの人たちの、一人生活の辛さが悲劇にならない事を願い、行政の福祉支援の充実を図らないといけない。それが今です。
理不尽な事件が世界にはある。アメリカで夫が妻の殺人容疑があり、その事実は舅と妻の不倫があった。今度は二人の子供が絵で父親が車に母親の遺体を積む姿を描いた。父親は子供たちに面会をした。直後二人の子供を殺害し、家もろとも自分も焼死という悲劇となった。こんな人間の「悪」の部分が出る、ドラマのような事件に、人間の行動の怖さを感じた。最大の被害者はやはり子供たちである。
大人が子供たちを守らないで誰が「我が子」を守ってくれるだろう。町も大人も子供たちは「町の宝」と言うが、今の現実ははたしてどうなのだろう。これからでも遅くなく最大の支援・気配りをしないといけない。

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2012
02/20

偲ぶ

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昨日は本吉・気仙沼広域消防レスキューの芳賀さんの「一周忌」があった。11時大雄寺で法要を行ったが、この日は7名の法要と一つの葬儀があった。
1時からの予定だったのは、役場職員の被災当時企画課の高橋さんの葬儀があった。聞くと「死亡認定」しての葬儀と言う。3月11日の「犠牲者追悼式」が予定され、家族の苦渋の判断だと思う。
高橋さんとは総務課の予算書作成の時にお世話になり、その後は企画課係長だったと思う。町長選挙がありなぜか「支援事業担当」に変わった。この時、私は「婚活事業」を町に提案し、彼の町職員としての厳しい審査を受けた事を今でも思い出す。公金の運用の審査の責任者として、厳しい目と活動への理解を感じた。そんな職務に公務員としての精神を持ち、公務員としての責任を強く優しく全うした彼はもういない。合掌。
昨日は最近の極寒から仮設での洗濯・入浴は、山陰の為の凍結から3週間ぐらい入室を諦めていた。昨日行くと郵便受けは一杯で、二重の玄関には町からの告知資料が沢山届いていた。流しでは水道から大目に水が流れ、凍結時の半開きと思い、きつく締めても止まらない。法事に行かねばならず元栓をしめ、後日対処する事にした。
今年は「厳寒」と言える。昨日8時に疲れから就寝、3時30分に起床したものの、余りの寒さにまた布団に入った。朝7時の旧警察署前の温度計は「-7℃」を表示していた。南三陸町の街中は白い煙があちこちから立ち込めている。こんな寒さは近年なく、被災者の仮設生活の大変さを思う。
昨日は戸倉の小学校近辺の方の話を聞いた。初めはじょじょに津波が来た、そして「椿島」まで海が引いたという。そして第二波は折立の川の方から大きな津波が来たという。そして、戸倉中への襲来は反対の裏山から大きな津波が来たとも言っていた。この状況は初めて聞く。津波の多くの地区からの検証は絶対必要と確信した。
写真は戸倉荒町入り口の「カネタ」さん、増築が急ピッチで進む。

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2012
02/19

文化

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わが社に「私と あなた ここに生まれて」の和田亮一氏のチラシが届けられた。写真は佐藤秀昭さんとあった、旧町役場隣の「佐藤輪業」さんの店主さん、ブログの写真は他にない映像美と感覚を感じる。まさに「魂を震わせる言葉と、美しい写真のであい。いま、すべての日本人の心を揺さぶる写真詩集」である。チラシのトップの綴りです。近日書店販売と言う。さっそく予約をいれた。
私の会社では「南三陸町からの手紙」という本を作成中である。被災した方の声を文章に綴った。被災された方々の言葉を手紙形式にしての、80ページの作品です。他県のNPO法人からの支援を受け、地元の方が、一軒づづお願いし書いてもらったものを、東京のボランティアの方たちで、編集し作り上げ、わが社が印刷をする。地元への仕事の発注が被災地支援と言う。
また、南三陸町の被災前の写真集を作成し、毎戸に配るという記事が、地元新聞に掲載されていた。多少の支援金は復興支援に使うという。
昨日は戸倉小中の伝統芸能「とりばやし」「獅子おどり」が、登米市善王寺小の移転への、感謝が込められ、子供たちか普段の練習の成果を披露した。
昨夜から「戸倉剣道スポ少」が始まった。戸倉小では「授業参観」「芸能披露」「剣道練習」と、団員は疲れたと連発、「子供は疲れなんか感じない」、これは大変な環境での、子供たちへの叱咤激励と受け止めて欲しい。8時30分に練習は終わったが、現在は仮設の場所まで、30分掛けて帰る。被災者の家庭生活の子供教育とはいえ、親子共々大変と思うが今がある、「一歩一歩」。、

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2012
02/18

光影

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昨日オープンとなった「戸倉セブンイレブン」さん、戸倉地区の大部分の被災により、来客の見込みを懸念しての11か月目の開店ながら、現実は7時の写真の状況の通り、建設会社のトラック、一般車両と駐車上は一杯に近い盛況ぶりだった。私も待ちに待っていた。アリーナから戸倉の48号線の通り道、アリーナ入り口に2軒のコンビニはあるものの、天王前のセブンしかない。「チン」した暖かい弁当は会社に着くときは冷たくなっている。戸倉以南の仙台までも、高速を利用するとコンビニは回り道しない限り一軒もなく、この入谷の経営者の方に、今までの開店までの努力に感謝したい。
昨日、神奈川の叔父が「ホテル観洋」の女将の週刊誌の記事を送ってくれた。被災後のホテルの来客の避難指示や、被災者の受け入れなどがあったと言う。津波翌朝の旭は「非情なまでに綺麗だった」と記事にはあった。この南三陸町の自然美を私もホテル女将のように受け止めている。南三陸町の復興に今後も尽くしたいという。
南三陸町の志津川市街地の13%が町外に生活の場を求めていると、移転のアンケートが出た。歌津地区の町外移転は5%と漁民の地元に根ずく姿勢が表れた。移転の要望は「若者」が多い。町ではこの現実に今から対策を講じていくという。町の仮設の登米市への建設、瓦礫の処理に雇用の場確保のためと、復旧の遅れがあり、町に対する希望の薄れと長い被災生活により、町に残る事の「意欲」の低下に、町からの若者移転がある。自衛隊や町外の建設会社の活用で、町の復旧・復興は大きく進んだはず、今後この被災後の町の対応は検証されないといけない。
南三陸町で「かたりべ」の講習会があり、県下15市町の語り部の確保を目指す。被災前の「観光立県」の知事の考えがあり、今後も観光での復興しかないと「かたりへの育成」を目指す。この陰には「大震災の記憶」の「風化」をさせない事がある。津波の被害・悲劇を語り継ぐことで、今後の津波からの「命を守る」が、最大の意味が込められている。
ボランティアが現在まで「92万人」被災地で活躍した。宮城県は7月の71800人をピークに、1月は11800人にまで減少した。被災住民が自分が動かないと前に進めない、現状が今にある気がする。

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2012
02/17

積雪

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今年は平年の1.5倍と言う積雪が、豪雪地帯ではあり、今日まで100名が雪の為死亡したと伝えていた。昨夜は雪は無かったのに、朝6時起きたら一面の銀世界だった。戸倉までの営業所通い、まずは車の雪払いで次いでフロントガラスの凍結を溶かす、雪の降った日の恒例の作業です。しかし、豪雪地の2mから3mに比べれば、当地方は降雪は多くても平地で20㎝前後で、豪雪地帯の現状には「大変だ」しか言えない。
会社に着いたら営業所前を雪掻き、営業所前が戸倉小中の送迎バスの荒町の停留所、多くの児童生徒が地区から集まる。家の前の雪払いは子供たちの通学路の確保でもある。地域の助け合いが当たり前のように、地域民が早朝から軒下から皆さんが動き出す。
昨日は「第5回東日本大震災南三陸町震災復興計画策定会議」の報告があった。「災害公営住宅」の早期建設の必要性を町民が求め、町も建設に向かい建設計画を提示した。25年度末には最初の入居となると言う。意向調査は、19%の町民が「災害公営住宅」への入居を要望し、その数652世帯に対し、1000戸を平成28年までに建設する。
建設の発注先は「都市再生機構」で、主務省は「国交省」です。ゴルフ場跡地の寄付があり、「町づくり協議会」が1月に設立され、高台移転用地に既に決定しているという。
24.3月に覚書締結し24年度に造成工事、25年度建設工事、25年度末入居開始予定という。これで250世帯に近い移転に「111億」円の復興交付金が当てられ実現へと動く。心配なのが在郷・西戸・折立・水戸辺の4地区の人が対象で、大部分の地区民が登米市での仮設生活、予想する地区民が高台移転に参加するかにある。土地取得の問題は解決した? し、建設の要件を満たせば議会の反対はないだろう。ただ「移転人数」は厳しいとも昨日も地元で話もきいた。しかし、ここに綺麗な移転の姿が現れれば、指定の地区ならず他の地区からも入居したいとの声も起こる気がする。

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2012
02/16

八策

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大阪維新の会の橋下市長、坂本竜馬の「船中八策」の政府への対策案と同じく、国政への維新の会の政策を公表した。参院の廃止や社会保障の新たな形などを提案し、「維新の会」から、国政に議員を輩出して行くという。
今の議論から法整備や憲法などまで踏み込んだ、政治改革に意欲を見せる。未曾有の3.11の大震災、早期の復興への普通の思考を超えた対策案が求められる。国・県の案を鵜吞みにするのではなく、「南三陸町」という地域・生活・町民など、地形にあった堅実大胆な政策を、行政が行う事で何かが見えてくる。周囲と同じ対策のままでは、私たちの町のように弱小自治体は、大きな体力を持つ自治体に吸収されるのは、自ずと見えてくる。予算がきまらないと何もできないは、公務員的な危機感の薄い対策でしかない気がする。
昨日は気仙沼市本吉町まで出かけた。小泉の被災地は何も変わっていない、気仙沼の小泉の第二瓦礫仮置き場は住民との話し合いは進んでいて、戸倉地区と同じように新年度から始まるようだ。海側は地盤沈下が激しく、陸側に建設される。農地1平方メートルあたり130円で南三陸町より高い、農地の基盤整備も約束され、地権者は撤去された後は稲作を再開したいと言う。
今日の写真は歌津地区の「升沢団地」、道路沿いの病院・歯科の薬局として、新しく「なでしこ薬局」が建設されていた。この信号の場所は、田の浦からと管の浜からの津波が、ここで合流したと言われる場所です。大きな被害を免れ今ここに新しく住宅の建設が、急増している感じがする。歌津は自己での商店・住宅の個人建設が、志津川地区より大きく動きを示していた。
なにがここまで地域によって違うのだろう、志津川・戸倉の状況とは少し違っている。こないだ「滝浜地区」の漁民と行政の話し合いをテレビが放送していた。「スピード感がない」と、行政職員への漁民の激怒を伝えていた。

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2012
02/15

5億

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「東日本大震災復興支援グリーンジャンボ宝くじ」の前後賞合わせて5億円という。今までの最高額で、こうした理由には宝くじ離れがあるという。それにも若者の宝くじへの夢よりも、今の生きる現実の今直ぐの楽しさ喜びを、求める若者の思考にあるという。宝くじの売り上げの増を図るための、販売銀行のもくろみがある。
今回は売り上げの288億円の内の「88億円」を復興支援に充てるという。その他にも防災などの支援にも資金は使われていた。宝くじ購入の人たちは「復興支援」と口々に言う。私も今回はぜひ購入したいと思う。「夢を買う」「この現実に今後への望み」のためなど、目的はいろいろある。5億は当たっても自分の将来には必要もない。当たってもいないのに、これが宝くじ購入者の「一時の夢」なのだろう。昨日登米市に行き「なんの行列?」それが宝くじ売り場だった。以前一等がでた「気仙沼ジャスコ」で購入しようかと、思案する。
昨日は歌津管の浜で「瓦礫火災」が起こった。午前11時45分ごろに、戸倉荒町の「防災無線」が鳴る。また火事なのかと不安が走った。「瓦礫火災」に被災地の危険な現実がある。管の浜には海底から漁具や被災瓦礫が山となり積まれている。石巻・気仙沼でも被災後に瓦礫火災が発生し、総ての自治体は発生への気配りで今まで発生しなかったが、起こってしまった。写真は午後1時15分に鎮火直後で、危機管理室に聞きに行くと、消防署の大型ポンプ車2台と、歌津消防団が出動したという。瓦礫からの煙・発火で大事には至らなかった。
昨日は「バレンタイン」で、ある被災地に1万個のチョコが配られた。我が家にも90才になる父親に、姪っ子が持ってきた。幾つになっても嬉しいのだろう。「チョコレート貰ったゃー」と、笑顔がそこにはあった。

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2012
02/14

存続

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昨夕町内を車で走行中、旭ヶ丘の登り口の3軒のアパートに小さな明かりが灯っていた。近づくと赤い登りに「入居者募集」の文字、経営者の行動は行政の復興策を待ってられないだろう。そんな中で行政の職員の町外への、土地の取得と言うショックな「噂」を聞いた。行政職員の中からも「南三陸町存続」を諦めているかのような考えに、この町の復興はどうなるのかと不安に駆られる。
昨日はこれからの町づくりを考える人達が数多く来社した。戸倉地区の方は私の地域住民は半分になると予想していた。しかし、仮設のプライバシーの無い生活をして、今を踏ん張っていた。多くの復興への問題点を上げ、町づくりには大きな大胆政策しかないという。古き伝統と歴史を守り地域を守る、こうした「心」を無くさない事が復興に繋がり、地域コミュニティーも再建できると話す。寺院・神社の復興は地域の絆構築に欠かせないという。
また、戸倉地区に「セブンイレブン」が復活する。昨日「オープンします」とチラシが戸倉荒町地区に、関係の方が配布していた。17日朝7時から開店する。私の荒町の戸倉営業所からも近く、大いに助かる。しかしながら、コンビニばかりの復活にはたして、町の復興の一歩と言えるのかと、将来への不安は払拭できず、小さな既存の商店・事業所の小さな形でもいいから、その芽生えが欲しい。一つある、入谷地区に商店街が形成されるとの話が進行中という。どういう形でもあれ、それを支援できればと思う。
グラミー賞6回のホイットニーさんが48才で亡くなり、「日大の久島」と言われた久島親方が46才で急逝した。また、最近「火災の発生での焼死」が多いことにも、人の命のはかなさを感じる。突然天災での死亡は防ぎようがないが、出来る事の予防や防衛を怠る事の「人災」は、絶対に許す事は出来ない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:14 】

2012
02/13

意欲

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昨夜眠れず被災後の4月から再度スタートした、ブログをスマートフォンで布団の中で読み返した。当時は5月にすでに「生活不活発病」が問題視されていた。まだ、二次避難ごろだろうが、多くの頑張ってくださいのコメントもブログにあった。
「東日本大震災」で3300社が被災し200社が補助事業決定し、津波の資金繰りに公的資金が150億支出された。再建への「意欲」を失っていない、意欲を持っている事業所・企業に、銀行も支援を続けたいという。しかし、もう一年が来月に来る。多くの事業所は早期の再建をあきらめようといている。意欲のあるうちにだが、補助事業3分の2支援は町の再建・雇用・水産関係など、一律に事業所支援とはなっていない。町の経済社会はすべての業種の再建にかかり、水産業重視を今後も続けると、他の業種の再建意欲の低下は、一年が過ぎると加速する気がする。
石巻の「山西造船」は100億の被害だという。企業再生機構からの支援により来年3月には、大型船の被災後初めての進水式をする。気仙沼の造船所は「6000万円」の支援制度による支給が決定したが、総ての申請事業の設備が終わってから、資金が会社に入る。現在は信金からの運転資金の融資に頼っている。従業員の賃金の支払いが最重点で、下請けへの支払いも欠かせないという。下請けの支えと家族の生活を守る事で会社は成り立つと社長夫人は言う。しかし、津波での他の大型船が工場に入り撤去にも、船の会社から撤去資金は出ると言うが、撤去しないと仕事がならず、撤去資金も立て替えないといけない。多くの運転資金の必要性がここにある。
志津川「本浜地区」の若者が動き始めた。被災しちりちりバラバラなった、地区民の追跡をしていた。現在8割近くの住所を把握し、私の情報と照らし合わせる。個々の今後の生活設計もあり、総てが高台とはいかないが、本浜地区の再構築に若い力が動き初めていた。
写真は来月に完成の町庁舎と病院で、これは仮設で今後3年・5年後には壊す。無駄ではないだろうか。誰のための建設で誰が喜ぶのか。病院の必要性は理解するが「本設」でも良かった思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:37 】

2012
02/12

銀行

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被災後の気仙沼信金の200日、とNHK土曜スペシャルでやっていた。12店舗あった銀行は10店舗が津波で被災したと言う。南三陸町も気仙沼信金は被災し仮設の銀行で、地元の商店・事業所の融資相談に応じている。
気仙沼市は今回の災害で「2100億円」を失った。多くの企業は数百万円から数10億円まで、被害を受け再建を図り、その支援に地元直結の信金の役割は大きい。
ある問題に直面した気仙沼信金の融資担当の苦悩と、再建しようとするフカヒレ会社の、社長と息子の専務の会社再建の取り組みを伝えていた。
私も「生活金融公庫」からの融資は、会社の決算書から「数百万」しか貸せないだったが、意外とすんなり融資がきまった。このフカヒレ会社は4億4千万が再建に必要で、負債が3億あり合わせて7億を超える融資総額への信金のかかわる事になる。半分以上は同じく公庫から支援を受ける形で、融資は決定したが、ここまでの道筋は多くの難関があった。信金理事長は担当に「気仙沼ブランドを無くすなよ」と言い、融資の担当理事は「一緒に苦労して乗り越えましょう」との言葉に、専務は涙していた。
防災センターには昨日の11日の11か月目、連休とあり多くの人々がセンターに手を合わせていていた。防災センターは取り壊す事が決まっている。そんな中で職員殉職の家族の「二次被災」の話も聞く。行政のこの部分への対策と支援をしていく義務を私は思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:02 】

2012
02/11

保険

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私の再建できた理由に友達の保険加入依頼がある。5年前「地震保険」も掛け金を少し上げるだけで、保障が付きますだった。そんな大災害は無いとの過信の中に私はあったが、彼らの会社ノルマ・成績プラスになるのならと快諾した。結果的に再建の資金が半分の保障ながら、ここまで来れた事実としてある。
先月臨時の「戸倉営業所」に社会保険機構が、社会保険加入指導に来た。まだ従業員の雇用も始まり半月、ハローワークに求人を出して半月なのに? と疑問だった。理由は「休業手当終了」「求人票掲示」がハローワークが管理、その上に「厚労省」があり管轄している。この連携での情報の共有だったのだろうが、600軒の商工の事業所の内で400軒が今回被災し、再建した事業所は100軒にも満たないのに、零細弱小事業所にこんなにも早く、「社会保険を!」と国から切り離された「社会保険機構」がこれるか。だ! 被災地の現実を知っての行動か、30分もいた。復興に10年以上も要する「南三陸町」、2・3年の猶予は欲しいものだ。
昨日のブログに書いた、国・県に対する地元への事業所対応には以前から反論を持つ。「広く地域に参入の機会を与えため」の説明に、「中高連携」を進める我が母校、卒業以来40年近くもなる取引、何とかここまで卒業生の「Iターン」の生徒の受け入れなど、支援協力をしてきたつもりだが、もう「わが社」への依頼はなくなるだろう。被災し最低限の設備での競争力の激減がその理由だ。弱小の業者の「オープンカウンター方式」の壁は、小さい印刷屋には大きな壁として「パソコン」と「ネット」の活用が立ちふさがる。この心の繋がりの大切さを削除し、事務の簡素化と業者のネット管理があり、これからの社会は僻地の地方は、中央から遠くなる高齢化と、高度技術者の流失が今後も加速する現実がある。これで行政・政治がとる被災地救済に疑問ばかりを感じる。これも「なぎごと」でしかないのか。あと10年何とかこの仕事をしていくためにも、多くの事に挑戦する。現在は東京の支援してくれる団体がある。会長は「少しで申し訳ありません」と話す、この支援の声と心に支えられ金額でない、「負けない」と気持ちを高ぶらしている。
これは昨日の松原公園の瓦礫置き場で、前の建物は3階だった「志津川公民館」で、道路向かいに同級生の「松原食堂」があった。懐かしい思い出は私の脳裏・心からは消える事はない。瓦礫の前でボランティアさんか、建設会社で雇用する「被災者」の方か、この寒さの中で作業をしている。この日は「-7℃」の真冬日だった。

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2012
02/10

町経済

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被災後初めて一人の会社会長とあった。「町の存続は難しい」と言い、しかし、今できる事を進める事でいくらかは、この事実を回避できる可能性を秘めているとも言う。
私も別な意味でこの町の置かれている現実をしる。「絆」が今多くの人々が口にする。そんな中で私の一人の先生は「軽々しく絆・復興などと私は言えない」と言っていた。その意味の真意を見通す事が私はできなかった。それは現実の厳しさを直に目で見て、その悲惨さを肌で共有できた人は、こんなふうに「言葉」を発するのだろう。
被災地の復興は、被災地の総ての団体が共に支援し助け合う制度で、この国難を乗り切るはずなのが、総て公務員に言えるのは、仕事に向かう体質はマイペースであり、そのトップの決定に係っている。しかし、安定している給料に守られ、被災地の事業所の苦悩への配慮や支援などは薄く考えない、この時期に新制度で業者を苦しめる。なにが「一丸」となってだ。とその上の指導を期待したい。
復興庁ができ宮城県と岩手・福島の三県には「局」が設置され、気仙沼・石巻には支所が置かれ、復興交付金が円滑に迅速に流れるという。全250人の内30人が宮城に配置される。
降雪が例年の1.5倍となり除雪費が自治体で不足している。今回国が除雪費を100億を20余りの県に配分と言う。一番はやはり北海道で24億で、次いで新潟となる。
デフレ・タイの洪水・欧州不安など、世界的な「災難・問題」であり、復興元年を迎えている。

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2012
02/09

被害妄想

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昨日は雨の中を本吉まで用事に出かけた。午前10時頃に十日町で、交互通行に引っかかった時に、向かいの浜の戸倉地区を望んだ風景がこんな写真となった。気温が上がり最近の零下の気温からの雪が、雨に変わった。戸倉の海岸線の山々に低く霧が立ち込めた光景、私は見た事がなかった。降り積もった雪が一揆に温められ、水蒸気と変わりこんな中国の幻想的な景色が生まれた。
異常気象や天変地異を今後も私は懸念せずいは居られない。昨夜は新潟佐渡島で「5強」の地震が発生、今日のお昼には宮崎県に地震があり、津波に注意との警報もテレビで報じていた。
昨日、行政から「業務委託」の通知がきた。ご希望があれば提案してくださいとの案内だった。「東日本大震災」で総てを流失し最低限度の設備で仕事は始まった、しかし、この行政からの提案業務は上限額が、2205000円と金額も大きい、ぜひ挑戦したいが、時間と設備・人員に問題がある。「南三陸町震災復興計画概要版」を作成し、全世帯に配布「6000部」という。12Pオールカラーで、事業の委託が220万円である。上限ながらこんなに予算をかけて、町の被災者がこれを見て何を行政に申し述べ、高台移転が順調に進むのかと疑問だ。以前作成した「東日本大震災復興支援ガイドブック」がある。国・県で作成・再編集した物が発行され「第4号」までになった。地元の情報をとの方向性は解るが「70万円」かける必要を疑問視する。町広報誌があるではないか。財政の無駄や削減を今図り、総てを被災者援助金・震災復興・早期に高台移転に回す事が今、町民は求めている。
仮設の病院は3億と設備1億が今度掛けられる。4月から仮設病院が総て赤十字の寄付で開業する。そして、61億を掛けて本節が、25年着工で26年が27年に開設を考えている。そんな直ぐなら3次補正が予算が確保されているなら、町有地に病院本設でよいと思う。
町の一般予算を使わず「建設会社雇用の確保」優先は、南三陸町民にはどちらが町再建の「一歩」なのだろうか疑問 ? ? ? である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:42 】

2012
02/08

決断

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最近「南三陸町」の輝きが、市街地から薄れて行っている気がする。大船戸の瓦礫そして基礎はすべての市街地から撤去が終わったと聞くが、月曜に志津川中学校に行き、しばらくぶりで高台からの写真を撮った。しかし、天気のせいか午後4時なのに昔の煌めきが無くなっていく感じがする。
南三陸町の第2瓦礫置き場の企業が決定したと聞く、町の復興の土地取得や仮置き場に関わる大手の企業は「石巻市」を落札したとも聞こえてきた。そして昨日は「岡山県」のトンネル事故にその名前があった。海底トンネルの2本目で重大事故が発生した。今回の掘削では2回目とあり、地質の調査を怠ったとも説明があった。
総務の常任委員会で、高台移転の町有地の活用の調査が、休会中の活動に決まった。今回寄付された「蛇王」の土地と、黒崎のテニス場、ひころの里である。一向に姿の見えない高台移転の状況は、土地の確保が難しい事に他ならない。私が仮設での生活している方の話は、「家を建てる資金がないから災害公営住宅でいい」と言う。これは高齢者家庭が多くなっている事にある。
家庭は子供たち中心で、人口流出は間違くなく現実味を示していた。昨日は「推薦公立高校合格者発表」があった。たまたま「南方イオン仮設」のとある家庭に行っていた。戸倉地区の方で孫さんが高校を「佐沼高校」と決め、今発表を見に行っているという。現在志津川高校にも通っているが、上沼高校に被災後入学し、イオン跡地の仮設生活とあり、このままで良かったともいうが、志津川に戻った事は通学を考えると大変だったという。子供たちの教育環境を考えると生活はこのままでと言う。しかし、おばあさんは生まれた戸倉に帰りたいという。場所はゴルフ場跡地とは言わなかった。戸倉地区民の多い登米市への仮設の建設は、決定したトップは町の衰退加速をさせたと、「大きな罪」を感じる。私の同級生も「豊里」に土地を購入したという。
こうした町民の動向や意識を、行政は総ての課の情報として、「共有・分析」をしているのだろうか。私が仮設を回る先々では「災害公営住宅希望」が7割前後と多い。
まだ漁民の「瓦礫撤去」の活動が続く中で、湾内のサルベージの大型船が、写真の入り江の瓦礫撤去で今も稼働している、現在の「南三陸町」の状況です。

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2012
02/07

荒島

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昨日の「荒島」の風景です。水平線に雲が張出しその上がオレンジ色に輝き、旭が志津川湾を照らす。携帯写真ではその自然美の1%も伝えられていません。ぜひ「南三陸町」に来て欲しいです。人口の流失が加速し、若者が減少していると、多くの町民の情報として聞きます。この町が消滅しないような外部支援は、この自然と海の幸のおすそ分けしかありません。
今日は「雨」、毎日の道路凍結への対応の「ノロノロ」運転から、凍結の無い今日の国道は、車は猛スピードと走行の車が私の目には映った。
2才の女の子が、不明・誘拐から一転、母による「死体遺棄」と、子育ての問題?なのか起こった。「私は殺していません」と今供述している。その中で「山田花子」さんが、懐妊との嬉しい笑顔が朝のテレビで流れる。自分の夢に結婚そして妊娠、花子さんのような希望・夢に万進できる、子供の無事な誕生を私は祈ります。
全国12地区から270人の警察官が、宮城の海岸線の9地区被災地に「警察署」に配属された。誇りと使命感のもと被災地で活動しますと、婦人警官が答えていた。警察官の精神そのままに、頼れる方々の活躍をお願いしたい。

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2012
02/06

漁業

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昨日の講演会は色々な形で海との共存、自然の摂理の神秘を知らされ、復興のヒントをもらった。
今日は厳寒ながら穏やかな日和となり、会社までの湾岸の道のりで、木々の合間から漁船を見かけ、通り過ぎようと思ったが、その姿に復興の一歩を感じ写真で紹介したい衝動に駆られた。
この林地区の漁業海区が、本浜地区の「あっぺとっぺ沖の須賀」の方々が、漁をしている場所と聞いた。漁船が4艘出船していた。互いに寄り添うように助け合い「ワカメ漁」の、間引き作業と思うが作業をしていた。三隻の船には、多くの人が協力しあい、この7時寒さの中で活動をする。5時前には海の仕事は準備そして夜明けと共に水揚げ作業だったと思う。
「海花東日本復興の会」での発表者の方の話に、津波は長年人間が続けてきた、「家庭排水」「釣りの廃材」「養殖の資材」などの海へのゴミを、ヘドロとして陸地に打ち上げ、その変わり長年の海からの恩恵による「家財」の総てを海に引きずり込んでいった。と話した事が、私もうつろに感じていた津波の姿と同化していた。
津波により、海底は浄化され、密植された「私欲」の過分な養殖施設を総て流し去った。これにより湾内の養分が豊富となり、数年かかり成長する水産物が1年で、出荷できるまで成長する環境が作られた。「海に人間は生かされている」と言う観点に立ち、海の恵みを受け、昔から漁師としての商いがある。過剰な利益主義に走る事への、人間への警鐘とも、今回の特別講演会で知らされた。
バレエの世界大会で日本の高校生が優勝した。自分の夢に向かい走り続け「次の階段」に進む。15歳の高梨さんは、ジャンプ大会で優勝し、女子最長不倒の127mを飛んだ。「日本が元気がないので私が元気にしたい」と話した。若い人たちのこうした挑戦が、漁業・農業にも若者が発揮できる、夢や希望の持てる日本であるため、大人が見本を示し、環境を作る事がいま求められている。

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2012
02/05

絆ロール

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旧南三陸町庁舎・防災センターの跡地に大きな看板が目についていたが、今日車を止めて見たら「絆ロール」とあり、以前テレビで報道していた、歌津「泊崎荘」さんの娘さんが、作っているメールケーキだった。南三陸町の復興にちなみ命名し、現在多くの引き合いがあるという。この写真は市街地の白銀の大地と青空に「ボ防災センター」とピンクの大きな看板は、来町する方には印象に残る。志津川仮設商店街にも、ぜひ並べ販売してほしい。歌津の商店街にはあったかなー。
今日は予定どうり「東日本大震災 復興・再生支援特別講演会」の現地報告として招かれ、当時の被災状況と復興の今について話をする機会となった。前置きに被災当時の多くの悲しみの状況を伝える事は、亡くなった方や不明の方の「尊い命」を無駄にしたくないからと前置きし始めた。東松島市の元校長先生は、当時の悲惨さは話したくない、なぜなら涙が溢れてやまないからと言う。その中で「てんでんこ」と自分の命は自分で守り、てんでんに逃げて自分だけ助かる事は、けつして罪ではないともいう。また、津波は入り江に入ると倍の津波、それ以上になると強く言う。それなのに、南三陸町の行政や危機管理室では「浸水深」などという。当時6mの津波を気象庁は出した。結果的には12mで防災センターは水没し、それ以上と誰しもが想定できる中で、防災センターでの本部立ち上げは、やはり多くの人がその行動に疑問を持っている。「フォレスト仙台」には150名が東京からも駆けつけてきた。
主催は「海花東日本復興の会」で、「海からの視点に立って」と題され、いろんな角度から「真の復興」など、多くの海に関係する方々が、今後の復興の方向性を語った。
7分の持ち時間での説明は無理だった。志津川中学校の「小松先生」のアフリカの飢餓に苦しむ子供たち支援の会のつながりで、参加させてもらえた。ひとりでも南三陸町を訪れてくれる方が、増えて町の交流となる事を祈り願う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:51 】

2012
02/04

山間

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一回目の大雪の時に写した工場までの道です。今日も工場のストーブとエアコンの2台を稼働させ、16℃以上に部屋を暖めないと印刷機は回せない。温度計は朝「-4℃」で、窓も1枚で2時間はかかるだろう。
新聞に「南三陸町の仮設400戸が凍結」と報じていた。先週仮設のお風呂に父親を入れようと、1Kの仮設に行った。近所の方がこの頃水道凍って大変ですと言う。言うとおり自分の仮設も水道総てが凍結だった。山の合間の17戸の仮設、陽もあたらなく朝晩の寒さは大変で、今年は近年にない極寒となっている。貯水タンクに「黄色ランプ」が付いている時は、凍結し水が出ないという。一番大変なのはトイレと、一般民家から水をもらっていた。
「フェイスブック」の最高責任経営者は27才のハーバード大学生、株式が上場となり、時価総額が7兆6千億にもなる。会社設立7年目ながら世界の8億人が登録している。アメリカで1550万人、日本でも676万人がフェースブックに加入している。27才のCGO?は持ち株の総額は2兆円にもなるという。
私も勧められているが今は「FC2」でいい。私の知人も「フェースブック」を町に支援者で来た方に作ってもらったという。実名が基本で、趣味・職業・年齢など、個人の情報を示し、紹介者も必要と聞きたが。何かで繋がっている世界が近くなった感じの、フェイスブックは魅力的である。
インフルエンザが日本で大流行している。調剤薬局に行った折に、先生に子供がクスリの使い方を指導されていた。この薬の効果は直ぐ現れるが、インフルエンザは体内に残り、熱が下がり完治したと思い、人との接触すると感染し広まる。学校を休ませる事も拡大感染を防ぐ大切な対策となる。
今日は突然の法要出席依頼と、町の状態改善への意見交流会が今日あり、明日はまた仙台に出張です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:54 】

2012
02/03

-12℃

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今日の朝、もの凄い光景が志津川湾上にあった。「けあらし」? うみから湯気が沸き立つような自然が目の前にあった。「何?」と寒い車外に出て、水尻橋から荒島を望んだ写真です。今まで経験したことのない姿があり、大震災の後で作られた「自然美」なのかな、多くの犠牲者が海の奥底に沈んだ、悲しみが湯気となり、南三陸町早く再建をと言っているようだ。大気の気温より海水温度が高い時こうした現象が起こる。
今日は9時まで仙台へと言う事で、6時には家をでた、昨日の降雪に多くの時間を取った。荒町の峠前は「-7℃」で峠を下り横山への入り口は「-12℃」を表示していた。私がこの町に生まれ初めて体感する気温に驚いた。
石巻から仙台の近辺の大渋滞は、通勤者と被災地への大型車があり、10Kで上り下り両方の渋滞だった。時間での仙台への到着時間は余裕をもって、冬道の安全を確保しながらハンドルをとアドバイスしたい。
震災時の国道45号の北上川沿いのガケ崩れは、今日の朝9時の開通となった。飯野川への買い物がしやすくなる。しかしながら、南三陸町の町民の買い物事情はまだまだ改善されてはいない

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:47 】

2012
02/02

豪雪

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昨夜から新たに10㎝の積雪があった。昨日午前にも8㎝の雪があり、荒町地区でも雪かきをする地区民の方々を見る。今年初めて昨日雪かきをした、今朝の雪で荒町の皆さんも6時半には、家前の歩道の雪を片付ける。これは地区の子供たちの「送迎バス」までの通学の道路の確保がある。
隣のお父さんが「今年は雪かき大変だ」と言う。しかし、「長野や新潟・北海道から比べればましだが」とも話す。こんなに毎日の雪かきだったら、生活ができないと「歳」を嘆く。今日は「雪掻き」を買いに行く。
「やしきたかじん」さん、食道がんで休養と報道が伝えた。彼の番組の「かたじんのそこまで言って委員会」のファンの私は、ガンもショックだが、最悪引退との新聞報道に、こんな「国難」の時に現実をはっきり言う人の、メディアからの一時の出演停止は、多くの悪行に毒舌を振るう人の損失は痛い。「立川談志」さんとの番組の大喧嘩は自分の「志」を通す人間の美学としては賛同する。はっきり物を言う人間が少ない社会、「悪いことは悪い」と言える事で社会は、良い方向に向かう事に間違いはない。
沖縄防衛局長がまた更迭されそうだ。前任者の「不適切発言」での更迭があり、またの官僚の横柄な横暴な態度に「何様」との憤慨観が募る。「公職選挙法」「国家公務員」など多くの違法性を沖縄県議会は言い、防衛局長の職員への「講話」には、色々な威圧や影響力がある。「我が町」の行政にも見えない威圧力を思うのは私だけだろうか。政治的な中立性を重んじないといけない。町の選挙管理委員会からの指導は私には強くあったものの、現体制の監視役は総て身内に見え感じるのも、もう私だけではない状況が、被災地の南三陸町にはある。
ガンによる昨年の死亡者が、35万人余りで、たばこの「受動喫煙」が問題になり、喫煙の場所がないと、私の仲間も多くが禁煙した。現在19%の国民が喫煙し、今後「12.2%」までにしよう?なる?との話もある。飲酒・喫煙はガンになる可能性が高くなる。
「今のままでいい」が32才の薬学部の学生と結婚した、ラサール石井さんの結婚観である。おいしいものを食べたとき、楽しい時に、美味しい・楽しいと共に思いを共有できる人が良いという。32才年下の「24才の学生」は年寄好きと、56才のバツ一男性は語り、もっと独身男性の積極アピールを思う。
結婚には多くの「ワナ」もあり、それを見抜く「術」も男女共に身に着ける事も必要です。普通で贅沢は望まない事が、夫婦生活の基本で、無いものをねだる結婚は破たんしかない。写真はホテルから南三陸町の志津川市街地の風景、なんて美しい自然美、多くの皆さんに南三陸町の美しい姿も見ていただきたい。

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2012
02/01

公平

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被災地の児童・生徒は厳しい教育環境がある。地域によりその程度も大きく異なる。我が戸倉の営業所前には毎朝7時半ごろに「登米市善王寺」に通学する荒町の生徒が、通学バスを待つ光景がある。
山間の集落ながら写真のように多くの学生がいる。平地と違い山で囲まれた地区で、温度も2・3℃差があり、ここ1週間の寒さは更地で待つ子供たちには辛いものがある。今年は「厳冬」となり、まだまだこの寒さは続く。
昨日から?高校受験という、中高一貫の教育体制で南三陸町の受験はあり、戸倉・志津川・歌津の三校が、その対象ながら戸倉地区民には、生活と教育の狭間で苦悩する。中学校が善王寺から次年度は「志津川中学校」に通学する。登米市に大半の戸倉地区民が仮設生活をし、町の仮設の建設に従った。戸倉地区民は登米市と南三陸町を行き来する。家までの帰る時間があり、勉学に関し同じ町の生徒とは、大きく環境が違う。
家族は被災後にこのような生活状況の解決策として、転校した生徒が60名いるとも聞いた。もうすでに人口の流失は始まっていて、守るべき「若いご夫婦」の苦渋の決断がある。高校の決定は個人の将来を左右し、「気仙沼線」がない今選択肢は限られる。戸倉・志津川・歌津の生徒も、進学率の高い「気仙沼高校」を選んでいた中で、現在「志津川高校」では地元の中学生の確保にやっきと、昨日のテレビで話していた。被災地の置かれている現実であるが、将来の「町づくり」は、この子たちに係っている。家庭と行政がこども達の事を主体として、「教育の環境改善」を早期に構築しないと、南三陸町の将来は無いと言っても過言ではない。
多くの復旧の問題があり、ここに「我欲」があって、一番の被害者は力の無い家庭であり、子供ちたである。もう一度どこに視点を置くか、首長と行政職員の倫理感の改善の元、町民との会話の場を多く持ち、今何が町の復興に必要かを考える事が、再建の早期実現となる。この町には「パワハラ」が見え隠れする。
町民を仮設建設場所がないと、登米市への建設は「町の失敗」と、その責任が問われるべきだが、多くの区長・自治会長はそんな事を言っている場合じゃないと言う。

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