ARCHIVE - 2012年01月

2012
01/31

舞台

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日曜日の女子マラソンの重友選手24才は2回目のマラソンながら歴代9位の好タイムで優勝した。スキージャンプでもまだ高校生の女子や、男子も2試合連続で優勝、テニスと言い若者たちの頑張りに、被災地の人たちは少しの元気と力ももらっている。
日本の人口は2010年に「1億2806万人」ながら、2060年の50年後は「8674万人」となると人口問題研究所が発表した。50年後に65才以上が人口の4割を占め、その半分が75才以上という。現在が23%ながらここまで高齢化が進行する。そんな中で十三浜地区の漁村の子供が多く住み、若者の結婚率の高い所が紹介されていた事を、テレビで報道していた。漁業者の結婚問題とか地方はとかはなく、若者のやる気と地域の取り組みがあった。出生率と高齢化のバランスながら、日本においては長生きによる高齢化であり、晩婚化を抑制し、行政が「婚活支援」があってもいいが、町の今は仮設を隣町に建て、人口流失を助長していると、巷のささやきが多く聞かれる。
昨日は町の企画課へ町のホームページに、結婚広告を乗せたいと、町の企業が「別事業」を立ち上げ、掲載はどうしたらいいの?と相談を受け、聞きにいった。話だと10数万円で「審査」があり、掲載は町が会社に委託しているという。町が積極的に動くべきと思うが、結婚問題の取り組みに対しどうだろう。
写真は「絆アルバム」である。40年前の志津川中学校の剣道部黄金期のメンバー?です。写真の一人は海難事故で昔亡くなり、一人は今回の津波で殉職し、もう一人はこないだの火災で死亡した。その他にもメンバーの家族が津波で多く亡くなるという悲劇があった。まだ若い55才の学友たちです。
今日はその一人の葬儀がある。できる事は線香を手向け、町の復興再建に残った仲間と頑張るだけです。


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2012
01/30

高齢化

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戸倉折立から青島方向の夜明けを望む。小舟が養殖か漁の作業をしていた。町の高齢化はこの震災で、若者・子供の流失は間違くなく起こっていて、町の高齢化率は40%近くになる気がする。
こんな状況でも高齢者の漁師さんは「まだまだ」と言う。80才を過ぎても海に出たいという。現在多くの船が流失し、残った小さな船で海の作業を余儀なくされている。中堅の漁師さんも冬の荒海は大型船ならなんの問題もないが、小舟では怖いという。こないだ80才の高齢者の漁師さんには出漁を遠慮してもらったと話したという。事故が起こる事を心配したからだ。水産業の復興の陰には多くの問題が、今もありながら、漁師さんは間違いなく前に進んでいる。
高齢者へは68兆の予算が使われ、子供・児童には3.8兆と、少子化と高齢化の進行の歯止めを議論していた。桝添は「治療よりも予防」という。あるケースで自分の出費は8万円ながら、保険で1500万円かかる事例を紹介した。高額の出費は必要で、病気になる前の予防や、ちょっとした事は自分で対処する、こうした最低限の自己努力を言う。しかしながら、少子化対策の予算がこんなにも少ない事に驚く。
ホテルの駐車が今日は少なく、昨日は多かった理由がわかった。昨日は「福興市」が開催された、仮設志津川名店街が2月25日にオープンする。そうすると「福興市」はどうなるのだろうか。店は27店だったと思う、商店街は被災者の買い出しの場と私は捉え、町民もそうだったと思う。あと20軒ぐらいの出店で充実した買い物ができるはずだが。観光客が主体となる、目当ての「仮設商店が」となるのかなー。26日は志津川復興名店街オープニング記念福興市だという。歌津の人が「俺だぢはいらいねんだもん」との言葉を思い出した。
今週も予定がいっぱいだ。「東日本大震災復興・再生支援特別講演会」に出てくれませんか。と声を掛けられている。南三陸町の現実を伝え、この町の高台移転が加速し、町民のプラスになるなら、ぜひ参加しようと思う。

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2012
01/29

福幸

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昨夜は9時半には就寝し、今朝3時目覚め3時半に「日テレニュース」で、起き一日が始まった。5時には車のフロントガラスの氷をエンジンをかけ温め、昨夜の自分手作りの「味噌汁」を温め食べ、5時半には家を出た。
水尻川前の旧警察署前の道路温度計は「-5℃」「橋上凍結注意」の表示となっていた。ドライの道路の御陰で10分で戸倉荒町についたが、工場のあるところまでは並石線の山影を通る、10日前から雪は解けなく朝はアイスバーンとなっている。さすがに山中の工場「ファンヒーター」は「Lo」を示し寒さを物語る。
今日は南三陸の「寒鱈まつり福興市」が開催される、最高気温は「0℃」と真冬日ながら天気は大丈夫だ。昨日は我が家も「寒鱈」が食卓に出た。さすがに獲れたてで新鮮、味は間違いがなく、大久保の「さかなのみうら」さんには大ぶりの寒鱈が山のように並んでいた。
今日のイベントには多くのステージがあり、その中に「サンプラザ中野くん」が出演、元気と力をもらえそうだ。「福興大なべ大会」が開催され「寒鱈アラ汁」など、各種のなべが大集合する。「福まき大会」では当たり券に「案鱈一本プレゼント」がある。多くの商店も出店、9時半から「ベイサイドアリーナ」で開かれる。
多くの義援金で色々な物と事に活用されている。私の会社にも神奈川の団体の仕事や、冊子の作成支援の仕事があるが、被災地の会社事情は「労働者がいない」、「仕事があってもこなせる環境がない」が、経営に復旧復興の大きな障害となっている。
とにかく今は私は「やるしかない」、多くの支援者からは「無理をしないでください」との、暖かい言葉をもらっている。昨日は気仙沼市の唐桑で、この地区に入っている支援自治体の「鎮魂の花火大会」があり、100発ぐらいの花火に、子供たちが大喜びしていた。このぐらいが丁度イイ!

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2012
01/28

異変

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こないだ福島で震度5弱の地震があり、今も関東甲信越の震源の内陸の地震、震度5弱の地震が発生した。関東地方に「M7」の地震が4年以内に70%で発生する可能性があるという。「日本沈没」の小説・映画があった。仮想の物と私は思っているが、作家はいろんな調査から、可能性があると40年前頃の作品でした。東京の「直下型地震」は、この東日本大震災の発生で、日本国民も東海・西南、そして関東の直下の地震の予想が、現実に発生する事を想定し始める。政府の地震・津波の「ガイドライン」も、再作成へと動きを加速する。
原発の問題は凄く身近な問題ながら、「東北電力」も2500億円の赤字が示された。電気の使用が被災により減少、施設の被害・原発問題・燃料を液化ガスへと、多くの赤字の要因があり、今後「東電」だけでなく、東北地方の国民にも「電気料金値上げ」の方向に向かう。
北海道の札幌で悲惨な事件が起こったが、今後の日本が抱える問題の「警鐘」と私は取った。私自身家族がなく後継者もない、将来への「一人ぽっち」という状態が来る。いま家族・兄弟・親戚のつながりの希薄さが、今の日本国民全体に広がっている。事件は障碍者の妹を持つ姉の二人の孤独死でした。42才と40才とまだ若い二人は滝川市に住んでいた。姉の働く会社が無くなり、札幌に働く場を求めた。両親は姉が中学生の時に相次いで亡くなり、アパートでの二人暮らしだった。妹を施設に入れるが一緒にいたいと、二人の生活が始まった。障碍者年金の6万5千円ながら、5万円の家賃があり生活は姉にかかっていた。行政への相談もしたが「生活保護」を受ける事はしなかった。行政はその時に災害時の缶パンを数缶預けたという。そして、今回姉が病気になり部屋で急死し、残された障害を持つ妹が「凍死」し二人は発見された。妹の携帯には「111」と数字が撃ち込まれたままで、110・119に電話しようとした痕跡があった。災害地もながらこうした家庭の、行政の国の福祉支援の不備がある。決して他人事とは思えない、被災地・日本全体の大きな問題で、日本の抱える問題の多岐にわたる事を、心配せずにはいられない。
写真は南三陸町の高野会館、多くの町民がこの建物で命が救われた、多くの高齢者がいて助かったが、今後の生活に不安ばかりである。知人が「心筋梗塞」となり、私の手伝いができないと電話をくれた。同級生の火葬が今日行われる。「密葬」で家族により静かに執り行われる。これが被災地の現状です。

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2012
01/27

ぼた雪

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今週は厳寒となりそうだ。例年より4℃も低く「真冬日」とあり、路面の凍結が明日朝心配だ。昨夜の登米市からの帰り、大雪の中を11時頃帰宅した。明日は積雪だなーと思ったが、朝起きると帰った時がピークだったと判った。
道路沿いの温度計は「-2℃」と表示、明日朝の道路凍結が心配で、車での雪の日の運転は控えている。だが、現在の仕事の用事や会社への通勤に車運転は被災地では不可欠で、被災前のように自宅と会社が一緒というのは、今となっては昔の話である。
昨日はっきりしたことは、米谷経由の登米市へは、「水境峠」付近の雪は平地とはまるで違う事を知った。圧雪や道路の黒く光るのは「凍結!」と、のろのろ運転が続く。帰りの代行は「横山経由」を指定した。高速の最終点が米谷という事が、南三陸町の冬道の事故を懸念せずにはいられない。
今朝は8時20分に出勤となり、アリーナ入り口からの渋滞は天王前セブン以上続く光景を初めてみた。光ケーブルの埋設と、元の仙台銀行の信号の渋滞もあり、今現地は最低限の信号が役割を果たし、被災地では贅沢は言えない。
ホテル観洋からの志津川市街地の最近の雪風景は、海と地形と街と雪の自然美は素晴らしく綺麗だ。また、夜の市街地は「真っ暗闇」で、現在写真のような太陽エネルギーの、街路灯が被災地を点々と照らし出す。青空に突き立つその姿は市街地の復旧の象徴にも目に映る。明日気仙沼の最低気温は「-9℃」の真冬日という。

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2012
01/26

助成

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昨日は父親の不安をとり除くため、気仙沼の斉藤外科医院に診察に行った。病院は新城地区にあり志津川から、雪のために1時間20分かかった。大谷地区に入るとナビが10Kの渋滞を伝える。う回路を活用してのこの時間の到着である。まさに南三陸町は今「陸の離島」といった感じだ。何もない父親の症状だと自分は思うが、当人は89才不安は精神的イライラとなり、「ストレス」になる事を心配した行動です。母親はこの日は町のデイサービスへと、被災地にあり「我が家」は高齢者を抱えているがまだ恵まれている、今からが大変な高齢者家庭の状況となる。
町内には交互通行があり何の工事と良く聞かれる。「光ケーブル」の埋設工事で、三か所で大工事となつている。写真は被災した町の電話局のサーバーの集積局であり、歌津地区も被災、ほかの街中のサーバーも破壊された。光電話への移行もあり、戸倉の仮の事務所にも「新回線」「光電話」の開設は、当分の期間は開通とはならないという。被災地の復旧は復興は、水産・行政以外は後回しのような気がする。
国の「中小企業施設設備復旧支援補助金」は、被災地の自営業者や小さい事業所の現状を理解していない制度の不備を感じ、会社の経営設備状況にも理解が薄い現実を思う。私も会社の施設と設備の復活に1700万円をかけて、何とか仕事ができる状態とした。そして今回の制度を活用しようとしている。工場建設にあたり南三陸町には、施設建設の会社が被災地復旧で手が回らず、新工場の建設はむずかしく、空いてる倉庫を探し改築した。しかし、これにはこの制度は活用できないという。復旧を目指す会社への支援の不備を思う。また、対象の「印刷業」については、データ管理や組版システムはパソコンを使うしかないのに、このPCの部分への補助は対象外と言う。これで被災者への国の公平な支援政策と言えるだろうか。法の下に正直に書類の提出するものは、補助助成を受ける事か難しく、被災地国民の早期の復活も無い。書類も数多く必要と、福島の原発の被害者が、補助金受給の書類作成のむずかしさがあり、お役所仕事が、こんな国難の中でも求められる、政治に不信感が募る。

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2012
01/25

絆アルバム

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今日の朝は今年最高の積雪となった。6㎝と場所によって違う。安全運転の車、時間に追われ雪にも関わらず普通走行する車、総てに事故の無い事を願いたい。
昨日の都心の積雪がシャーベットとなり、朝の気温低下により凍結する。これが一番怖い! ここ一週間はマイナス2℃前後と朝の凍結が心配で、早期の出社のできない状況となる。気が弱い凍結の運転の自分です。
暖かい「絆アレバム」が届き、昨日に電話をもらった。「こんな事ぐらいしかできなくてごめんね」と言う。故郷志津川で幼いころに共に過ごし、卒業記念のアルバムの記録、被災地の同級生は総ての財産と思い出をこの津波が奪い去った。毎日生活に追われる今の被災しての生活に「暖かい心遣い」、本当に心が温められる。同級生にはこんな事があったよ、アルバム会社にあるから、見て少しでも元気になろうよ! 必ず明るい日、また笑顔の日、明日が来るから。
自己でのアルバムの複製は、経費的にも安くはなく、このアイデアは同級生の仲間ならではの被災地支援活動と思う。我らの仲間は意外と多くが復旧復活しているが、反面大震災で多くの仲間が死亡している。この仲間への追悼は「南三陸町再建」でしかない。この震災の悲惨さと苦しみの中、共に生きている気持ちを「風化」させない事、全国の国民の皆さんには被災地との「絆」を風化せさないよう、「オールジャパン」で立ち向かう事が、今大切です。これは昨日の政治ジャーナリスト「伊藤敦夫」さんからの受け売りの言葉です。
九時にはこの雪道を気仙沼に、父親の通院の運転手です。できる限り家族が助け合い生きる事が、今の「絆」の原点です。

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2012
01/24

倫理

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公僕としての倫理観を全ての公務員は再確認・再認識しないといけない「今」がある。・・パーセントの国家公務員と国会議員を含めた皆さんは、省庁・党派の域を超え、この「国難」が重なっている現在に、日本人の全能力を傾注し当たらないといけないのに・・・。
日曜に突然同級生からの「郵パック」、何だろうと空けて見ると、中学時代の卒業アルバムの複製、扉には「絆」と印刷されていた。福島からの贈り物ながら、福島の原発の影響が続く中、昔暮らした被災地志津川の同級生への心遣い「ありがとう」しかない。当時の同級生の八割以上が「卒業アルバム」を流失している。時々仲間が国道45号沿いの「わが社」を訪れる。みんなに必ずこの誠意とアルバムで、南三陸町志津川の当時に思いを馳せたい。
今日は「-6℃」と思ったが、暖かい明日の事と勘違いか。写真は志津川湾の入り江の、戸倉折立の入り口、国道の地盤沈下と荒れた海の波が、道路に打ちあがる。道路に上がった海水は氷易い、ここを通る車は気配りをしてほしい。また、山間の日陰は減速で、時間の余裕を持ち通行して、無事と言うお土産が家族の最大の喜びです。
フランスのメディア取材のスタッフは4月に来た、彼らの目には7か月が経っても被災地は変わっていない!と言う。国営の医療番組の取材と、福島原発の番組の制作取材があり、福島のある村の一人の男性は、村に留まり「放射能の人体実験」と語る、その方の取材もおこなうと言う。今日「公立志津川病院」の西沢先生の取材をおこなう段取りをしている。被災地「南三陸町」の医療環境を回る。昨日は「佐藤徹内科」さんへの取材が遅れ、アリーナ入り口の医療団地を撮影し、取材できなかった事をお詫びします。

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2012
01/23

医療

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笹原先生のフランスメディアへの取材の言葉に、「医は仁術」を再確認した。被災前から笹原先生は患者との多くの長い会話が、順番を待つ私には気にかかっていた。患者の話を聞いてあげる事の必要性を説いた。
南方仮設での「南三陸町」の住民の医療支援と登米市で開業をした。南三陸町の医療は3月末での病院建設完成は、医療機器の設備導入により、町民の医療環境は間違いなく充実、現状の町の医療をカバーできると、取材人の問いに答えていた。
しかしながら、仮設生活での「引きこもり」「生活不安からの精神異常」がある。それとは別に「パチンコ」「酒」への依存もみられ、その家庭状況により症状も様々だ。
今日は「歌津寄木」に行った。ここでもワカメの間引きがあり、ワカメ収穫販売へと漁業の再開の姿を垣間見た。メカブも生産しフランスメディアにおすそ分け、沸騰したお湯に大切りの生メカブを投入、海水のしょばさが絶妙の味を醸し出している。「南三陸産ワカメ最高」、畠山水産のご夫妻は紹介する。そして「津波は嫌いだけどこの海は大好き」だという。
被災した場所に生活と生産体制を作り、以前の生活に戻っていた。「65才?」これからの為に復興の先人となり行動する。奥さんは「子供たちの為にも医療体制の早期充実を」と、涙ながらの訴える。子供を守る母と、復興への願いを語る祖母に、町へのせつなる思いが伝わってくる。
しばらくぶりで、我が家と我が社に行った。海水が覆う中で瓦礫には、ボランティアの活動の痕跡が伺えた。

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2012
01/22

歳費

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今日の南三陸町は昨夜からの雪により山々は「雪景色」となり、自然の景観美が町全体に見られる。写真は私の暮らす倉庫で、玄関のサッシを開けた時の姿がこれです。今年初めての多くの雪景色に、車の運転が大変と思った。しかし、今日は雨と暖かい気温により、この雪景色はあと2時間ぐらいで、消えて無くなる、そして明日のマイナス2度の朝の通勤が気になる。
月曜日はフランスメディアの案内に一日を費やす。今日来町し明日朝から活動となる。歌津の泊崎荘での2泊を予定している。なんで歌津の端かというと「宿泊費用」で、ホテルは高いとのことだが、報道会社事情を思う。朝は歌津駅前で待ち合わせ、吉野沢の畠山さんと阿部さんに寄り、次に公立病院の事務長さんと取材時間の打ち合わせで会い、午後1時に阿部歯科医院長に会い、小坂調剤さんに会う。その後で佐沼の「笹原診療科」さんに取材する。帰ってから佐藤徹内科医院長の5時からのアポを取っている。これが週明けの予定です。二日間の予定でしたが、火曜日は仙台の議員講座が急に入り、2日目の随行は知人の息子さんにお願いした。
被災後4月にフランスから南三陸町で被災地の医療を取材で来町、志津川小学校の緊急仮診療所で、アムダの大類先生の執刀で背中のケガのばい菌の除去手術がキッカケの、フランスのメディアです。志小での診療所の代表が笹原先生だった。今は登米市で開業し南三陸町の南方仮設の、町民の方々の病院として、陰ながら支援をしている。
新たなまちづくりの医療体制も着々と進み、個人医療機関が復旧し、61億を掛けてて公立病院も25年着工で、26年から27年の開設を目指している。その前に人口が大量減少とはならないといいし、高齢化社会になりお年寄りしかいない、住まない町にならない事を願いたい。

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2012
01/21

叱責


大型旅客船が座礁し沈没した。タイタニックの事故から100年目と言う。偶然の事故の発生なのだろうか。今回の「東日本大震災」はチリ地震津波から、50年を昨年迎え今回の大災害が起こった。
今船長の事故後の行動が問題視されている。乗船客の避難指示もせずに、沈没しかけている船からの救命ボートでの脱出、海上警備艇の艇長からの「すぐに戻りなさい」の激怒の指示に、「ボートから指示している」と、船長としての責任のない行動に「このクスやろう?」との発言に、言葉入りのTシャツが作られるまでの人気に、艇長は当然の責任とクールに話す。この船長はその時に母親への電話に「僕は大丈夫だよ」と、母親離れしない「52才」の船長に、乗客4000人以上の命をあずけ、40名近くが死亡不明なった。
昔の船長は船に最後まで残る責任を法で決められ、多くの船長が船と共に海に沈んだ。この事の廃止から、今はそこまで厳しくない制度となっている。船長も首長も同じで、多くの行動には責任を伴う。こうした立場の責任感の希薄さが現在の「人間」に多く見られる。責任感の無い親が子供を育て、子供は親からそのすべての行動を学び、順応し、また子へと伝わる。今こうした悪しき慣習を断ち切らないと人類は滅亡に近づく。
「どんな大切なものでも捨ててください 自分もですよ」、この言葉は深くて、この時期にストレートには受け取れないが、多くの意味と生き方を示す。「貧しくても志を貫け」「勝つことを頭に入れない」など、「相田みつを」の言葉です。道元の言葉から学んだという。「畢竟帰処」と言う考えが今の自分の生き方にはあり、難しい言葉とその意味を彼が説明したが、聞き把握をできなかった。簡単な言葉で人の生き方を説いている。多くの「誌」「言葉」に私は救われてここまできた。これが志で「曲がりながらも本道 迷いながらもこの道」という。初めの志は何処に、初めから我欲のままに、「だって人間だもの」と、相田みつをは考えの違う多くの人間を説いている。
昨日は同級生の父親の逝去に線香をたむけた。被災後に亡くなった同級生は、総てが独身で私も同等で、ひとりでは生きられない事を表しているようだ。

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2012
01/20

孤独死

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気仙沼市の仮設で「孤独死があったの・・」と話を聞く。予想していたことが現実に身近な所で起こった。17戸の仮設の地区で、65歳の男性がこたつで亡くなっていた。男性は仮設内の交流は女性のようにはいかないと言う。部屋に閉じこもり体調異変にも、我慢し近所にも相談しないと言う。仮設を回る「福祉士」も毎日ではないようだ。これは朝の話で、夕方のテレビでは「孤独死相次ぐ」と石巻での事を伝えていた。年末年始に2人の高齢者が孤独死で亡くなっていた。行政も支援団体がこんなにも「孤独死対策」を講じていても、多くの色々の家庭環境・生活スタイルの被災者があり、事故は一瞬にして起こる。一人では何もできない。「我が家」も私と88歳の両親が、互いに体調を一緒に暮らす事で、多くの問題を解決できる。一人暮らしの高齢者対策は、「災害公営住宅」の早期建設が行政の急務ながら、一向に前へ進まない。現在の被災者が被災者に目を配るがあるが、自分の事で精いっぱいの時期にきている。
「間引き」? 今盛んに行われている。ワカメが順調な成長を続けている。ワカメの収穫もあるが、根っこの「メカブ」が高値で取引されている。葉の部分を刈る事が「間引き」で、漁師さんはこの仕事に今追われているという。気仙沼地区の漁師さんは収穫したワカメを、被災時の災害支援で来た仙台の「自衛隊駐屯地」に、新ワカメを御礼にと届けていた。できる事の感謝しかない。
石巻市の臨時職員が「贈収賄」で逮捕された。住民情報を業者に流し、お金20万円を受け取った。被災地では現在このような事が現実見えない所で。沢山起こっていて摘発されるのは「氷山の一角」でしかないと思う。被災地復興の現実と言葉を悪用する「輩」も少なくはない。この悲惨な現状の中で一部の人間は何をしているのだろう。人間という動物の持つ悪の一面があるからだ。この町にこんな事が無い事を願いたい。

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2012
01/19

コンパクト都市

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課長が「コンパクトシティー」になるだろう! 言う。人口の減少が進む中での発言だろう。仮設生活者が住んでいる所に戻りたいが「17.7%」とアンケート調査が出て、まだ決めていない人が28%ある。大震災はこの南三陸町からまだまだ町民を奪っていく。
コンパクな住みやすい町づくりが、今後考えられる。現在の商工団地とアリーナ・仮庁舎は、間違いなく高台にあり、周辺は大きな土地がある。ここへの中心都市の集約も一つの案かと思う。合併時の新庁舎建設は約束ではここにだったのに、選ばれた建設審議委員は「建設ノー」をだした。最初それを決めたのは互いの自治体の長だったはずなのに、その約束を無効にした責任はと問いたい。そしてその結果の現実を問いただしたが・・・。
商工団地の町での土地販売価格は「一坪5万5千円」だった。今はその倍でも多くの人たちは土地の取得を希望する。そんな状況下で入り口の4つある大きな土地に、医療個人病院が建設され、多くの町民はこの開発を大歓迎している。町の医療機関の充実は、高台移転の欠かすことのできない環境の一つです。
4つの土地に被災前は、電気部品会社だけだったが、今はコンビニができ塾が建ち、歯科・薬局・内科医が建設され、今後は整骨院と設計会社が建つとも聞く。この地内には、コンビニがもう一つとスーパーが3軒あり、今マンションとアパートが建設中です。土地提供計画する共同住宅が現実となると、この「沼田地区」が南三陸町の中心になる事は間違いがないと思う。
朝仲間が「おめもゴルフ場跡地の高台移転賛成なんだなー」と言ってきた。昨日のメディアのインタビーが執行部側を擁護する発言になっていたという。行政の土地取得問題はまだあり、行政の不透明なつながりが見え隠れするこの問題は、まだまだ続いている。一方的なメディアの発信に、対策をしないといけないと思った。「正直は馬鹿をみる」とはこの事がと感じた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:05 】

2012
01/18

医療

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私がお世話になっている内科医の先生が個人開業しました。仮設を回っも仮庁舎にいっても「徹先生いつ開業するの」と聞かれる事が多かった中で、昨日被災後10か月目で開業された。
被災地となった南三陸町志津川の医療状況は、公立志津川病院が仮設での診療を続け、受信者も仮設の環境や、待ち時間の長さなど、患者さんの受信診察の時間が苦情としてあった。しかし、この被災状況の中での1か所の志津川の病院、町民の理解も聞く。こんな状況での開業は患者にとって、吉報でしかない。場所は商工団地入り口で、アリーナの町の仮庁舎に行く途中でもある。被災地の地域医療の新たな体制は、公立病院と個人開業医の連携が求められる。来週、フランスメディアが、4月の被災地医療の取材があり、追跡取材で来町する。フランスの医療関係の番組と聞く、全国からの医療団が支援で南三陸町に来た。私も被災後薬もなく糖尿病の悪化で、ちょっとした傷ができ、ばい菌が体内で化膿し、海外医療支援団「アムダ」の大類医師の執刀と糖尿指導で、今の健康を維持している。国境なき医師団に感謝しかない。
「自分の命は自分で守りなさい」と両親から言われ続け、今回の浸水域からの避難をした。小学4年生の震災の検証という事がテレビで紹介された。釜石のある地域の話です。多くの小学生が当時下校していて、家庭にいて一人の小学生の被害が無かった。普段の学校での「防災教育」があった。ビデオでの津波の怖さと、学校での防災無線での本番さながらの訓練が、今回の小学生の行動にある。自分だけでなく目の見えない祖母や足の悪い友を背負って逃げる判断など、小学生の一人の判断は大人顔負けの行動を、この初めての体験の大震災の中で発揮された。
政府は「消費税のアップ」を国民に求め、議員削減に衆議院比例区80名減、歳費の300万カット、公務員の報酬を人事院に「7.8%削減?」をあげた。被災地の対策や、原発の福島の除染と、平行してやろうとしている。今回の「国難」の大震災はかつてない災害で、総て同時には誰が考えても難しい。政府は広い視野で将来を見据え、各種対策を講じる、国民みんなが力を合わせ再建復活するしか無い「時期」と来ている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:45 】

2012
01/17

合掌


阪神淡路大震災から17年目を迎える1月17日。あの震災の多くの死者と被災地の状況に、唖然とするばかりだったが。昨年の視察での近代的な都市への復興と、新しい町づくりへの再建の姿に驚きました。総ての最後の換地の作業の終了が16年の昨年まで係った事、時間の経過と月日が必要なことを事実として知った。それと比べられない今回の「東日本大震災3・11」は、多くの時間を要する事は理解できる。
大都市と地方の復旧・復興の形は問題はまるで違う。大一番は町民の流失で、若者の住む場所・生活の場・教育環境の整備の遅れは、総てが整う近隣の都市へと向かう。若者の一番は「これからの生活が一番で」、次に故郷「南三陸町」に暮らしたいである。あまりにも大きすぎる問題が山積する。

写真は24年を迎えた10か月目の11日、被災された死亡・不明となった方々の法要会が、町内のお寺数か所で開催された。その取材にボランティアの支援の方の理解を頂き、原稿を書いていただいた。

1月11日 復興支援活動を続けてきた宮城県曹洞宗青年会は震災月命日にあたるこの日、志津川細浦の徳性寺を訪れ新春法要を行った。震災で全壊した本堂の瓦礫はすっかり撤去され、朝に降り積もった雪を薄らと残した境内には回復に向かう着実な足跡が見受けられる。高台に設営された仮設の本堂にご本尊を移し、その祭壇には大きな東日本大災溺死者諸霊位牌が置かれた。県内各地から9名の方丈さんが集まり、白い息の読経に亡くなられた方の供養と、被災したご本尊の供養と、被災地の早期復興の祈願がこめられた。一刻も早い春の到来を願わずにいられない。合掌。

宮地さんありがとうございました。ボランティアセンターでの2日間の作業と、「FMみなさん出演」と、多数の現地での支援活動に感謝です。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:04 】

2012
01/16

一歩


本吉郡剣道連盟の寒稽古には下は小学低学年から、上は一般と日中も1℃の気温の中で、広い歌津中体育館に、子供たちの「メン・メン」の掛け声が響きわたった。
今、寒さの中で仮設での生活があり、高齢者は仮設に引きこもる姿と、働き盛りも「生活不活発病」との、被災地特有の名称の病気と、この現状に大災害の復興への難しさを思う。仮設廻りで「玄関のサッシが開かない」があった。ひとり暮らしの高齢者はその対応に苦しみ、「閉所恐怖症」の仮設の環境が、怖さを増幅する。
こないだ廻った知人は、「おじゃこ飲みさございん」と、近所の高齢者の誘う、そこに同席させてもらった。「私はひとりで子供たちは仕事できる所へ」と、「みな知っている人の志津川がいい」ともいう。この話に早く南三陸町に生活の場を建設しないといけない、との使命感が募る。
犠牲者家族の心の精神的な「二次被害」がある。相談できる専門的な相談員がたりなく、「三次被害者」があり、そのこれからを懸念する。まだまだ耐えていきる生活が南三陸町にはある。私では少しの支援・アドバイスしかなく、ここに身内の「絆」が、被災により切り離されている現実もある。
子供たちの存在は家族の元気になる。子供たちがこうした精神状態を緩和させてくれると思う。一人でこの被災地で被害者が生きて行く事の苦悩があり、その周りの人も自分の事で精一杯の現状、政府と行政の生活・精神ケアが必要で、10か月が過ぎその準備がない事に疑問を持つ。瓦礫よりも「人間の環境づくり」が必要で、「同時進行」が今、町民は求めている。
町が家族となり共に復興し、年齢の隔たりは互いに助け補いあい、これからの5年・10年と復興に向かう体制を、町民が再確認・構成する時にきている。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 08:34 】

2012
01/15

御神火


今日15日は「どんと祭」とテレビの大崎八幡宮を放映していた。昨夜の裸参りで「どんと」の御神火にあたると「無病息災」だという。毎年のこの日は「上山八幡宮」に朝6時に「お松収め」に私が出かけている。今年も行かないと7時に出かけたが、神社はひっそりとしていた。足跡は一つで、あとは自分のものだった。毎年多くの古い神具が持ち込まれ、工藤宮司さんの元で消防団が火の管理をし「どんと祭」をする。御新酒を少しなめて、二礼二拍手一礼で賽銭と金を鳴らし、この一年の家族の平安を祈っていた。
しかし、その参拝の姿はなく見下ろす市街地は瓦礫で、人の営みも総て消え失せ、氏子はちりじりバラバラで、参拝どころでは無いが現実と、町の復興再建の厳しさを噛み締めた。神社前の「絵馬」には再びの幸せへの願いが綴られ、上山八幡宮は高台から、市街地を凛と見下ろしていた。
今日は「本吉郡剣道連盟寒稽古」が歌津中学校で開催され、小中高・一般・指導者の70名が、前日の雪の中を集まった。今年はいつもと違い、剣士もこの被災の町再建に、精神的に強い人間になって欲しいと、開催に当たり会長と指導者の願いがある。気持ちを新たに震災に向かう精神修養の場となった。
横山の仮設を回り、柳津の仮設に行き今帰った。昨日も仮設の状況確認では、大変さの中に「自分のスペース」に落ち着き、安堵の気持ちを伺えた。被災前の近所の方のところでは知りえぬ、当時の現状に驚き、散りじりバラバラの家庭の状況と、新たに逝去された人たちの名にショックだった。チョットした当時の行動で、生死狭間があった。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 18:11 】

2012
01/14

変化

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昨日は歌津地区に行ってきた。津波被害のない地区に多くの事業所再建の姿を見て、個人事業主の生活・仕事をしないと、生きていけないという切迫感が、早期の再開へと導いていると感じた。
商工団地内にもアハートらしき建設物が進行し、しばらくぶりで行った「東浜団地」内にも、アパートが建設されていた。個人と行政はこんなに違うものかと、そのスピードに驚く。行政も民意・意向が整えば直ぐに取り掛かると言うが、総ての合意の元での「災害公営住宅」の早期建設は厳しいと思う。
今、商工団地内に名古屋の建設会社が、私のところに新たな被災者救済案を提示している。それは地主の土地にアパートを建てて、家賃は入居者からもらい、地主も入居費を払い、建物の管理と入居費は建設会社が「20年」の権利所有をし、以後は残った債権を支払い自分の所有となる。こんな事が出来るのかと疑問で、再度問い合わせると社長は大丈夫ですと言い、他の地区の実績を話す。
どんな形でもいいから「早く仮設から普通の生活へ」と思う。商工団地内には病院・コンビニもある。また、町の庁舎にもあり近く多くの町民も暮らしている。農協・警察・郵便局・銀行もある。最高の居住地と言える。私の土地は小さいが「我が家」の他に5世帯、三階建てのエレベーター付きで、高齢者対応で交流スペースも作り、共に家族的な環境を想像する。理想から現実へと私は歩を今進めている。というよりは父と母と共にである。実現性は大である。
昨夜「防災無線が聞こえない」とNHKで検証をしていた。地震に耐える構造でも、あらゆる原因で震災時にその機能が発揮されなかったという。「防災無線さえ聞ければ息子は助かったのに」と母親はその無念を話す。我が町でも「防災無線」は今後近々に整備される予定だが、今回のような言い訳はもう許せない。
写真は西戸地区の銀ザケ稚魚育成移設で稼働している。遠くには折立漁港が見え、この間すべての家々が津波による流失被害を受けた(写真)。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:48 】

2012
01/13

激動

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被災者の生活がなかなか前に進まない状況下に現在ある。「無気力」という症状といわれ、改善策は町の早期復興しかない。昨夜も私の携帯に消息を心配していた、会社の奥さんから電話が入った。国の被災者事業者支援の不備に嘆いていた。水産業も大切ながら、地域の自営業者の経済が復旧しないと、町の再建はならない。
現在、建設業・水産関連には多くの救済制度と潤沢に助成金が回され、反面「自営業者」の再建に新しい制度が示されているが、申請期間の短さと周知不足を思う。被災し「なけなしの資金」と借り入れで、制度の恩恵がないままでの再建者への支援制度を知った。2000万円まで再建資金の2分の1が支援される。私も1000万の融資と1000万円の共済金により、総てを使い生活資金・会社再建資金に使い、今後の生活や住宅建設資金がないのが現実です。今回の助成が通れば、今後に光が見えてきそうだ。
昨日は極寒の被災地のボランティアに、バス2台で企業から派遣されたという。全国的な冬季のボランティア不足への支援が今こうしてある。私の受け入れの神奈川の方も、ボランティア活動で、センターの方との交流と対応に満足の声を聴く。見えない部分での被災地支援がある、パソコンでのチラシ作製の支援など、現地に来ないで家庭でできる支援の姿も聞き、「支援の輪」がまだまだ広く行われている。
写真は現在建設が進む、仮設の庁舎と病院で青空にそそり立つクレーンです。病院状況は毎日200名の患者が仮の病院に来ている。今月中旬個人病院が商工団地内にオープンする。経営はどうなるか心配だ。仮設や町外での避難生活、通院に商工団地まで来るのにも、患者は大変と聞く、諸々から「病院本設」の考えも、復興途中や人口確保の意味でも、今ならできたのではないかと思う。
こないだも上下水道・松原住宅の建設場所決定に、今となっては失敗の政策と前議員が嘆いていた。大型事業はトップと議会の決議があり、決定の責任は大きく、今回の被災地復興におていは、人口帰郷が遅れ町の再生は厳しくなるように思われる。一極集中の町づくりを望む声があり、「職住分離」の政策と組み合わせる事が、早期復興のカギがここにある気がする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:38 】

2012
01/12

朝月

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今日は今年最低の「-5℃」という。昨日のボランティア活動は朝の雪で大変だった思う、そして、今日の寒さは又厳しい活動となる。日中も「1℃」と活動に感謝と頭がさがる。この寒さか、朝の西の空には月が綺麗に輝く6時40分、7時には旭が東から登る。人は自然の綺麗さに癒されているのも間違いはない。
昨日は「宮城県曹洞宗青年会」の震災慰霊の法要が南三陸町で、会場を4か所に亘りの供養のお経を捧げた。町内のお寺の他に県合同庁舎も廻った。庁舎の駐車場には瓦礫がまだ山積みされ、庁舎の内部もまだ瓦礫は片付けられていない。隣には「志津川仮設商店街」が建設中で、2月の中旬オープンと聞く。
昨日は2件の町民の方より携帯に連絡が入った。一つは印刷の支援の願いと、もう一つは被災前にお世話になった、高齢の方からの「叱咤激励」だった。仮設暮らしながら「愚痴」は言わない。体調の確保と通院、そして二人の家族を亡くした。奥さんとの握られた手は津波の勢いで、引き裂かれたと言い、早々に見つかった事が救いだという。やはり早期の「町民の住家の確保」を南三陸町にと強く思った。二次避難アリーナでの発言の「町民は南三陸町で・・・」と話した言葉どうりに、今も心に思っている事が実証された。
昨夜も「町でやっている事が見えない」といい、今の情報が私たちには届いていない事が「不安」と訴える。私の知らない所で震災により亡くなられた方の、新しい3名の方を知る事のなった事となった。まだまだ知らない場所で知人が亡くなっている事を思う。とにかく生かされた私は家族を守り、町民の為に尽くしたい。
二谷さんの長渕の弔辞には、12色のクレパスの歌が最後に捧げた「どうすればあなたの笑顔を書けるのでしをうか」と、1993年の歌で、私の好きな歌です。「どうすれば・・・」今を救えるのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:57 】

2012
01/11

人生

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今回の震災で多くの人たちの人生が変わったと言う。志津川中の仮設に出かけた。ある一室に17才と言う若者がボランティアで南三陸町で活動をしていた。ある団体と共に町内の仮設を回り支援をしている。
二十歳の誓いがテレビで放送されている。被災した東北の地ならず、「人生の岐路」がこの震災であっという。まだ17歳の彼は学校を辞め南三陸町で支援活動を続けると話す。昨日からボランティア支援している彼女も、オランダで自分に何ができるか仲間と考え、「缶バッチ」を製作を考案し、賛同した地元の企業の支援を受け、缶バッチを「3ユーロ」で販売し日本に義捐金として送ったという。
地元の20歳の男性は、志津川で就職が決まっていたが、今回の震災で会社が流失し廃業、止む無く隣の岩手に就職した。成人式の発起人代表の大森さん、家業の漁業に新たな気持ちで取り組む、総ての施設・船・漁具を流失し、「銀サケ養殖」を再開し、南三陸町の漁業再構築に頑張るという。(今地震、最近多い)
「夢は見るものではなく、叶えるこのだ。」が、澤穂希の言葉です。フィファの年間最優秀女性選手を受賞、世界のメツシと肩を並べた。最優秀監督には「なでしこジャパン」の佐々木監督が受賞した。世界一になっても奢ることなく、次の目標のオリンピックに臨む。
今日の南三陸町戸倉折立の雪風景、天気に関係なく被災地の復旧活動は続く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:46 】

2012
01/10

抱負


新成人の力強い「誓いの言葉」や「抱負」に、これからの南三陸町の復旧・復興に、光と希望が見えた気持ちを感じ、町民に勇気と元気を与えてくれた。
平成23年度の新成人が240名で、志津川130人・戸倉28人・入谷20人・歌津62人が、1月8日に新成人の仲間入りの、「南三陸町」の式典に臨んだ。
二十歳の言葉・豊富に支援の感謝と、犠牲になった友の分まで、南三陸町の復興に努力したいとの、言葉が綴られた。来賓・メディアが100名ぐらいはいた。外では家族がその式典をまっている。式典は例年のように新成人が作りあげ、この祝いの会の記念と披露をおこなった。
「誓いの言葉」で、3・11があり13日の朝刊に1万人が不明の見出しに愕然とし、そして今「町民のため世界の支援に対し、強い意志を持ち一歩づつ前に進んで行きたい」と話した。
「抱負」では、歌津の阿部さんが、今度は私自身が周囲のみんなを支える番だ、共に頑張りましょう!。そして仲間・家族に感謝したい、と述べ。戸倉の高橋さんは、私たちの町が生まれ変わるため、毎日・毎分・毎秒「今を一生懸命生きる」と誓った。最後にマイクは離れ、声の限りの「みなさんありがとうございます!」と叫んだ。
近年こんな素晴らしい成人式はない。両親・家族をはじめ町民の皆さんにも、見て欲しいと思う衝動に駆られた。そして共に喜び合い・若者から町民が勇気と元気をもらえた。志津川小学校の避難者と共に祝った、卒業式を思い出した。町を挙げての「成人を祝う会」を、全町民とすることで「一つ」になれ、復興に向かう「強い絆」が生まれた良い機会だったとも思う。でも今はやっぱり無理なのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:39 】

2012
01/09

志津川湾

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商工会からの郵便に新たな支援策を見つけた。被災し早期の会社再建のために、各種の金策に走り日本政策国民金融公庫よりの融資により会社復活を果たした。
しかし、3ヶ月を過ぎた頃に多くの国の補助支援制度が始まり、大きな助成金が交付となった。早期の融資には2年の金利補助となったが、後期支援策に比べると負担額が大きく、支払計画に苦慮していた。そんな折りに早期融資への助成金制度がある事を知った。まだ詳しく見てないが朗報だろう。
昨日の成人式に、新成人の被災地復興の意気込みに、これからの南三陸町に『大きな光明』を感じた。240名の新成人ながら一名が今回の大震災で亡くなったと言う。仲間の二十歳の抱負は、町の再建や家族のために頑張りたい。そして皆さんに感謝だった。
また仮設回りを一件一件した。個人情報保護の観点こら、自治会会長の情報が行政から提供されなく、仮設毎に聴い回る事にした。一軒づつ表札を見て確認し、多くの知人を見つけた。情報収集はやはり現場を歩くしかない。
成人式に多くの同級生の子供たちがいる事を知った!私も同じながら独身、やっぱり二人だと、喜びは倍以上に、悲しみ半分になる。写真は月一回は行く志津川湾を見渡せる場所からの光景です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:12 】

2012
01/08

自営業

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昨夜のNHK東北ドキュメントの、震災失業者12万人の報道を見た。自営業者はそういえば「失業保険」はない、自分で融資を受け再建しないといけない。私は当たり前のように被災後やってきた。共済保険など仲間に恵まれ今がある。石巻の「開成仮設」の1100世帯の苦悩を伝えていた。
アンケートは497世帯からで235世の34%は1か月の収入が10万円。自営業者は5万円以下で、65%が収入が0円である。と言う。石巻市で被災し失業した人の39%が「死にたい」と答えたと言う。各種の業種の苦悩が話された。
保険会社勤務の40歳代は、石巻の経済が動かない事には仕事はない。タクシー運転手の60才代は今後の生活設計が崩れ老後に悩み。寿司店経営者の50才代は、再建は資金がなく断念し、仕事を探すが雇用の場がなく、50万の積み立てを崩し暮らしている。美容院経営の子供と2人の40才の女性は、店舗兼住居の1500万円の「二重ローン」に悩み。又の融資を受け「店舗再開」を決め、二重ローンの制度の救済案を行政に求める。
二重ローンに対し「機構設置」を政府で議論される中、二重ローンの「一元化」が救済の一歩と彼女は話す。行政に涙ながらに訴える市民に、自治体レペルの問題ではなく、対応・対策は難しい。本当に「自治体」での難しいのだろうか。自分の身を削る事で少しの支援はできると思う。
昨日、上保呂毛に震災後初めて行ってきた。こんなところまで津波は来ていた。入り口から500mはあるだろうか。山間の谷の小川沿いに襲来した傷跡が写真です。ガートは曲り船がこんな所まで、焼け焦げた車があり、あちこちに住宅の修復の姿を見る。
そのまた奥地の火事現場の骨組みは解体され、この奥地に「ブロイラー施設」があった。私は花とコーヒー缶を現場に供えるしかできなかった。彼と共に剣道をした中学時代に思いを馳せた。
南三陸町の「復興再建」に私は、今後もできる限りの力を尽くす事を、この場で彼に誓った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:14 】

2012
01/07

長須賀海岸

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歌津の海岸線の海水浴場「長須賀海岸」「民宿街」が総て流失の大被害となった光景がこれです。何十年かけて作り上げた物が民宿・海水浴場の「観光財産」が、3.11で一瞬にして失った。
今日は晴天で目映いばかりの海が広がる。しかし、近くに海岸を見ると言い表せない程の、津波の爪痕がある。海水浴場は砂の流失があり、民宿の元の場所での再建は難しいと感じる。建物の基礎部分はえぐりとられ、元の土地での建設に踏切るには多くのリスクを抱える。波消しブロックは地盤沈下し、その体を成してはいないようにみえる。
枡沢からの長須賀海岸道路が開通している事を、今回初めて通ったが、海岸道の復旧が大被害のなかで、最大限の力で急ピッチで見えない、知らない部分で進んでいた。細浦から西田に続く海岸道路も壊滅状況からの応急復旧には、人間の計り知れない力に驚かせられる。
明日は南三陸町の成人式が行われる。通年は夏ながら一生に一度の二十歳の祝い、これからの町づくりの玉子たち、町民みなで祝福したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:11 】

2012
01/06

火事

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朝4時前この時間にいつもトイレに起きる。数分前だった「ウーン」、サイレン「火事」と防災無線で放送、消防団の出動を呼びかける放送で、場所は上保呂毛「遠藤さん」という。
上保呂毛地区は写真の保呂羽山の麓にあり、道路が山裾まで一本走っている。同級生が二人いて、一人が遠藤ながら多くの遠藤家がある。消防の混乱を予想しとりあえず6時半に、もう一人の及川くんに電話を入れた。
なかなか出てくれなかったが、お母さんが出てくれた。聞くと「同級生の家だよ」という。きょうの朝にテレビで放送となり、同級生と母親の二人が亡くなったという。地震津波被災しない地域ながら更なる不幸に、驚きとショックでいっぱいだ。2年ぐらい会わなかったが「ブロイラー」をしていた。
深夜の火災で3時ころには大分火が回っていたという。「火は怖い」を実感する。震災後に町内の消防団が被災し消防体制が問題になつたが、厳寒の深夜火災は大きな被害となった。
震災後の有感地震の数が「9723回」で、震度5以上が「68回」にもなるという。津波の伴う地震の数も1318回とも言われる。3・11の余震は7000回で、指定しないものが3259回だという。
こんな事実を聞いても地球の異変と、日本沿岸の海溝とマントルに何か起こっている。生されている命に、なるがままでと、今後も精いっぱい生きたい。

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2012
01/05

南三陸産材

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今日から仕事初めの「南三陸森林組合」にあいさつに行ってきた。南三陸の沿岸は「三陸産材ブランド」を被災前に推進していた時期の、今回の大震災だった。
被災地で南三陸町が一番の津波の「塩害」を杉材は受け、茶褐色に杉は枯れその姿を見せ、倒木などを起こしている。しかし、山はそれ以上に杉の伐採が進んでいる。
この津波による復興に向け、住居の建設が今年から本格的になる。しかし、木材は伐採・乾燥し製材して初めて、建設資材となる。だから山の杉も町内のあちこちで、伐採され山肌を表す。しかし、塩害の杉は材料として使えないと聞く、塩分を吸い込むと木材は弱く、腐れ易く建材に適さない。今後の復興に向かう我が町、まだまだ多くの時間を要する。復旧は住民が思うように、早期とはならない気がしてならなく、自分で建設の段取りや提案を町に提示したい。
山野の樹木伐採の理由は「三陸道の進捗」もある。志津川・歌津そして本吉までの通過用地が決定、南から用地の山の伐採が進む。森林組合もながら木材会社も大忙しと聞く、志津川地区の製材会社も津波で流失し、現在高台へ工場の建設が進んでいる。
今日、築地の「初競り」があった。大間のまぐろが一匹「5649万円」の過去最高の値が付き、昨年の倍のご祝儀相場となった。気仙沼の水揚げが昨年の4分の1だったと聞く。わが社も被災後の3月から12月は、昨年の5分の1ながら、この被災からのゼロから復活を考えると、上出来と言える。行政の仕事は40%と、今の我が町の仕事は行政にしかないのが現実だろう。

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2012
01/04

仕事始め

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今日から官公庁の「仕事始め」となるが、建設会社はまだ休みで、建設重機も志津川駅の線路上で、お正月休みで並んでいた(写真)。組合関係は今日からの気がする。我が社は今日から動いてはいるものの、仕事の動きは見えてこない、これが被災地の現実です。今日は「ハローワーク」に求人をだしたい。休職の従業員も今日から正規雇用をする。まさに会社の復興元年と位置づけた。
昨日までの初売りも町内は無かった気がするが、歌津の「伊里前福幸商店街」は初売りをしたという。志津川の町は正月静かだった。商工団地には電話会社の「初売り」の看板が一つあった。昨年中に「志津川名店街」としての仮設商店も予定どうり建設が進めば、一つの町の活気と賑わいになったはずだった。
昨年の29日の「三陸新報」に南三陸町の人事異動が発表になり、今日から新しい体制で行政も「復興元年」としてスタートする。60から70名の職員不足が、いつ改善されるかで「復興都市計画」も早まるが、多くの難題を「我が町」は抱え、予定どうり進んでいないのが現実です。
今月は東京からのボランティアさんが来る。芸術家で町での有効活動を考え昨夜は眠れなかった。また、昨夕は京都からロジャーが電話をくれた。フランスの放送クルーで、5月に引き続き追跡取材で、被災地の医療の状況を取材したいという。この今の「南三陸町」の実態をどう伝えたら良いものかと考え、また眠れなかった。多くの構想は一旦「夢うつつに」に消えてしまった。
今週は「勉強会」と「成人式」がある。とりあえず「やれる事」から一歩づつ進んで行こう。

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2012
01/03

快晴

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何も無いかのような林地区からの大森地区を望む、快晴の空に冬の山々と、市場と加工工場の白、そして青い海原が町を取り囲む、こんな南三陸町志津川で、55年間生かされてきた。これからもこの町で「ズーと」住みたいと思っている。
昨日は仮設のお隣さんと「新年会」をした。3時まで大学箱根駅伝を見て、剣道の教え子が夫婦で新年のあいさつにして、今年も互いの場で生活を頑張ろうと約束をかわした。「しんいちろうさん」今後ともわがままな教え子をよろしく。4時ごろに帰って来たお隣さんを迎え、準備していたオードブルで交流会、私の勝手な予定だったのでどうなるかと思っていた。買ったオードブルも無駄にならずに済んだ。
多くの話で戸倉に流れつき生還した消防署員が、本吉に嫁にいった同級生の旦那さんと言う事を知った。また、歌津の方で本吉地区にも精通し多くの話も聞く事ができ、まだ30代前後のよく営業し出会った、人たち名前の数々に過去の出来事を思い懐かしさを感じる。今年の初出会いである。
昨日は議会の原稿の「一般質問」をまとめた。そのやり取りに志津川市街地の防災は8.7mの防波堤と、河川は防潮水門の整備でと言う。災害住宅は町民の意向により、入谷地区など津波被害の無い場所を先行させたいとも話す。復興への2年目であり、この被災地の進捗は国と自治体の初動に大きく左右する。

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2012
01/02

山門

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年末に私の菩提寺「大雄寺」に行った。今回の津波は1Kも離れた奥のここも、8m近くの大波となり押し寄せた。本堂の石段の最上段に達し、門前の杉並木は深く水没した。
樹齢は400年になるという。歴史と伝統があり、町の有形文化財だった気がする。その山門が津波の「塩害」で写真のような風景になった。山門の杉並みに留まらず寺を守る囲む杉までもが、塩害で枯れ危険と言う事で伐採となった。様相が一変した姿に寂しさが募る。
私が知らない場所で南三陸町の大切な文化財もが被害を受けている。町の復旧も瓦礫からこうした文化財にも調査が始まっていると聞いた。
ボランティアさんの現地での活動の支援もしている。瓦礫の撤去だけでなく、自分のもっている技術・資格を、子供たちへの教育支援・心のケア支援をしたいという。しかし、現地の子供たちは津波の環境崩壊により、通年より教育・授業がおくれている。そのため今学校は受け入れの余裕がないと聞いた。
3月11日の発生から5月ごろに学期がはじまり、その遅れは中学生の高校受験に影響され、24年になり私立高校などの受験が直ぐに始まり、3月初めに地元の志津川高校が受験日となる。
今日は原稿を仮説で書く、戸倉の会社へは設立以来初めて行かない事になるかもしれない。今年はやはりいつもとは違う正月となった。仲間との寄合も勿論「飲み会」はない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:31 】


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