FC2ブログ

ARCHIVE - 2011年12月

2011
12/31

感謝

111231_073110[1]
2011年に生かされ、3・11を体験し「生かされている」。多くの偶然が重なり生かされ12月31日に、全国へ「ブログ」で大好きな我が町「志津川」、南三陸町の今を発信している。今後も復旧から復興の姿を伝えていきたい。
最後の写真は「港橋」から八幡川の上流を望んだ、防災センターの残骸と多くの同志が殉職した場所、そして多くの町民が避難した志津川中学校、今も仮説が建ち、中学生が不自由な中で勉強をする。瓦礫の町の中央に八幡川が流れる。この川が津波の通路となり、家や車・船を巻き込み、想像を絶する高さで押し寄せた。きっと多くの人々も巻き込んでいただろう。避難し眼下に望んだ悪夢の光景は決して忘れる事はない。
タイトルの「感謝」は全国・国内・親戚・知人・仲間・同級生・子供たち、総ての人たちへの「ありがとう」の感謝でしかない。生きられる力、生きてこれた気力、生かされている神仏への感謝を、再確認した。家族と生きる事での議論・口論は生きている証であり、共に生活できる喜びでもある。何気ない事が「幸せだったといま思う」。
多くの悲しみを分け合い共に今、この自然溢れる「南三陸町」で、皆さんと又笑い合える生活を夢見る。この大災害でこの町の「膿」を全て出し、生まれ変わる新しい町づくりに、一度死んだ命と思い、総てを捧げたい。
昨夜は「命の記録」に涙した。釜石での生死の境の現実にメディアが踏み込んだ。「声なきメッセージ」、家族の最後の姿をカメラがとらえていた。一度逃げながらの祖母・母・子の死の検証は、今後の自主防災への参考なる。
職員殉職遺族の会でも、家族の最後の生き様を知りたいという。防災庁舎の屋上にいた40名の職員の内30名が津波に呑みこまれた。9か月になっても未だ現場の状況が、残った職員から伝えられないという。ここに家族が前に進めない現実があるとも聞く。
明年が希望にあふれる一年となり、皆が一歩、二歩と前に進める事を願います。
スポンサーサイト



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:34 】


TOP