ARCHIVE - 2011年11月

2011
11/30

先生よろしく

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支援・派遣・・・、平沼先生の対応・優しさに感謝です。訪問診療での診察により入院、米山病院の志津川診療所は緊急性や治療としての入院は、家族と患者の安心の場所と言える。今日も着替えと診察状況を聞きに行くが、多少遠いが病院入院・検査に関しては被災地の現状を考えると、十分満足できる。
「なんでこんなものばかり戸倉に」との意見がある。遠く前にはし尿処理場も波伝屋地区にあった事を思い出す。しかし、ゴルフ場問題は別に考えてほしい。ここには黒い利権のにおいがする。噂・予感を行政の二転三転の説明から感じる。瓦礫の置き場・分別・焼却として戸倉中芝・新中芝・上沢前にの、住民説明会が日曜にあった。
昨日は家が被災し、自分で高台移転を計画している同級生が来た。土地には水道管が来てなく、引くと200万円がかかるという。造成・建設は自分でするがライフラインは行政にという。戸倉の造成費111億の資産額、220戸造成で一軒当たり5000万円がかかる工事を町が提案した。やはり南三陸町全員の民意を考えれば「ノー」と言う気がする。12月2日の臨時議会があるが、「復興計画」も県に通告し、町長の復興ビジョンが示せる環境ができた。
志津川の住民の一部が「歌津を別視」する状況を作っている気がする。商業・漁業などが分かれている感じがする。建設業の復興に向け現在の主要産業として提携協力して動いている。トップの共働の言葉を実践への活動をしているかと言うと、そこにも利益主導の有利者の考えが先行している。
今年も明日から「師走」となる。3・11から長いようで短い、23年度だった。あと一か月新しい年への準備としたい。
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2011
11/29

ガレキの学校

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昨日は登米市の米山病院へ母の検査入院で、10時受付という事で8時30分に商工団地倉庫を出発した。45分前後で到着やはり遠い、しかし公立志津川病院の入院施設の併設は感謝しかない。
訪問診療で平沼先生の検査診断で貧血の数字が急に下がり、「検査入院」で精密検査を行う。病院の職員は南三陸町の顔なじみが多く安心できる。その他のスタッフは地元からの職員を採用しているようだ。看護師の親切丁寧な対応に今までの環境と違う緊張感を、この仮設の診療所から伺えた。
写真は「瓦礫の学校」と言い、NPO法人が被災地の慰霊の気持ちと、別な形での支援と早い復興の願いがある。東京からのバスでの来町ながら、今回で4回目で東京ならず近隣の県、沖縄からの参加者もあるという。被災地の案内はボランティアで、行列のできた店の「しお彩」の後藤さんがあたっていた。観光なんですかと聞くと、「違います」とはっきりした答えが。この写真の場面では被災者への「供養のお経」が唱えられ、参加者の合掌があり、団体のいつもの来町とは違つていた。
天皇陛下が入院後の初の公務に、「東日本大震災」の消防署署員の全国慰霊祭へのご出席をする。私の親戚の芳賀さんも参加すると聞いた。気仙沼の被災地・浸水域のかさ上げは1.8mと聞く、なんで南三陸町の「復興計画」では、6mと16mのかさ上げ計画がある。本当にできるのかの当初の質問では、山の高台移転地の土を埋め立て地へ言っていた事を今でも思い出す。石巻では防寒対策にNPO法人が、6400戸にストーブ・電気カーペットを無償支給するという。町では国の補助金で暖房機器を備品として貸し出すという。なんでこんなに南三陸町は違うのか。
今日朝用事で「旭が丘」へ、町長宅のトレーラーハウスはくなっていた。個性あふれる町づくりをしたい。

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2011
11/28

戸倉地区


被災後の戸倉地区の戸辺川下流から上沢方面を望む光景です。昨夜7時に帰り今日は朝5後30分に戸倉荒町の会社へ、まだ真っ暗ながら多くの車両が行き交う、折立から戸中・水戸辺・波伝谷の方向は、折立川向と戸中の2つの光しか見えない中で、一筋のヘッドライトが戸倉の半島に向かう、漁民の方だろうか暗いが漁業は始まっている。
 25日の金曜から私の携帯に「戸倉地区の上沢の説明会って何ですか」と2件電話が入った。なんの事か行政に繋がってはいる議員であるが、情報は何一つ入っていない。日曜になり配られた地区民への通知書を送ってもらった。写真の場所に2次仮瓦礫置き場の計画説明だった。一人の知人は東京で第二の生活に入り、もう一方は両親を亡くし残された田畑の関係で通知が来て、地元に暮らす叔母がどうなのかと連絡をくれた。
 現在「第二仮置き場」を本吉小泉にがままならず、気仙沼階上・小泉と南三陸町に分散し、瓦礫の処理の方向性が各首長から示されている。私自身今回の計画でまた「戸倉地区」かと思った。平坦な土地と広い土地を探すと確かに現在はここしかないのかと思う。調査と検証も必要だが、決まったらお願いするしかない。
 こなんだ被災者の方が「がんばれ東北」と言うばかりでなく、瓦礫の受け入れなど行動でと言っていた。もう自分たちでしないといけないとも思う。被災の町民に首長が自立を自活をと言っている。町ももっている力で道を切り開いていくしかない。東京都が女川の瓦礫を、大阪が石巻の瓦礫の受け入れをと聞く。我が町はどうだろう。
昨日の「福興市」は大盛況だった。最後と言う閉会宣言が最後にプログラムに載っていたが。来春に「仮設商店街」ができるからなのだろう。橋下大阪市長42才が誕生した。60%の高い投票率で75万票を獲得した、自民・民主・共産推薦の対抗馬に23万票の差をつけた。国がしないなら大阪から国を変えていきたいとの、考えを彼が描いている。30人以上もの記者の質問に答える。行政意識の改革があり、府民・市民の支持が根底にあるが、52万人の不支持も真摯に受けとめたい。とも話す。42歳の若さと、行政改変の公務員改革がある。多くの壁に一歩づつ取り組み、方向性は一つながら調整しながら府民のため、国の為に大阪からの国づくりが始まる、府知事も47才と「大阪維新の会」が全国に広がり、若い世代が日本を考える時代の始まりです。南三陸町も若い世代が町政への参加を願いたい。

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2011
11/27

福興市

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汐見橋には「福興市」の登り旗が朝何本もたなびいていた。八幡川に架かる橋だが、八幡川は今回の津波のとうり道となり、家・船などもろもろの物を巻き込み、町を破壊した光景を思い出す。
今年の開催は最後と言われる「福興市」、青空の晴天となった。昨日は「震災町殉職者合同慰霊祭」がアリーナで行われ、その傍らで「福興市」の準備進む。それは多目的広場からアリーナの周辺への場所移動となったためだ。現在多目的広場は来年早々には新仮庁舎と仮公立病院ができる。そのためにアリーナ周辺での開催を余儀なくされた。この悲劇と復興の二つが融合する。これが大震災の町の現実であり、非常識が起こっている。
計画を立ち上げるには先を読む力が必要だ。自分の弱点を知り、自分が何ができるかを知る事だ。良い政治家を見とおすこと。懸命に働く政治家を選ぶこと。ビジョンを描けることが大切だ。国民・町民に求めるトップの資質がここであると、成功した香港の実業家が言っていた。
日本はこんな一つの災害から立ち上がれない訳がない。戦後の荒廃した都市はこんなにも近代的な街に生まれ変わった。と話す。この投資会社は、中国の天安門事件の時に1000億円を投資し高速道路を個人で造った。この時に誰がこんな投資をするだろうか。これが先を見とおす力だという。この時から中国の大発展の予兆があったと言う。こんどは北海道の小さな町の観光に15億も投資した。単なる土地不動産ではなく、成功可能性を確信していた。

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2011
11/26

被災支援矛盾

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観光の宮城県の来客数が年間6000万人あり、今回の被災の影響などで半分の3000万人になると言う。今後の復興の年数が10年20年も要する。これを見ても観光への復旧や施設等のライフラインの整備を考えても、町の観光の復活は厳しい。
やはり水産業への投資支援が町の復興の近道でもある。漁業の施設・船舶の流失があるが、国の支援や漁民の意欲・努力により間違いなく漁業の再建は進んでいる。海を見てもその現実をうかがえる。
ワカメが年明けには収穫となり、ホタテ養殖も夏には出荷でき、銀ザケの養殖出荷も6・7月にはなる。カキは2年後で、今の早期漁業の復活で、町の水産復興で町経済が動く事となる。現在漁民が直接販売の活動もあり、この地域水産販路が変わろうとしている。何故なら「中間の手間・経費削減」で、格安に消費者に南三陸の産品を届けようという動きが今ある。復興に向け今までの形態からの脱却で、新しい水産業を若者が目指している。
仮設の寒さ対策が今行われている。二重窓・断熱材の増設・玄関の風よけなどが、業者が入り工事が進んでいる。9月末に対策が決定し、岩手県は100%が完成し、宮城県はまだ31%で、年末までかかるという。県によってのこの差はなんなのだろう。今日南三陸町の仮設入居者がテレビで現状を話していた。「結露」がひどく、それは部屋が寒い事が原因で、カビなどの発生により健康被害も懸念する。写真は平磯仮設で山間にあり、寒さを懸念する。
母が月曜から検査入院で米山病院に行く。昨夜は同級生の家族が登米で頑張っている映像がテレビで流れた。母の涙と娘の頑張りに、感慨深いものが込上げてきた。

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2011
11/25

爪痕


3月13日朝7時ごろだろうか(写真)、田尻畑の津波後そのままの光景がここにはあった。メインの大船沢に続く道路は瓦礫に覆われ、ぬかるんだ道路を確認しながら歩く、この時の人たちとは同志的なものが今でも感じる。
田尻畑にはそれ以後2・3回通ったが、全て瓦礫はかたずけられてはいるが、多くの爪痕とビニールハウスの復旧はなっていない。ついついこの現実を忘れそうになる。多くの知人の死亡不明の人がいる、この人たちの為にも南三陸町の復興と、少しでも当時の人の繋がりを戻すため、町の早期再建をしないといけない。
昨日は退院はがきの来客、医療機関の不備が現在この町にはある。無理をして我慢して、限界に達し病院へ、そして直ぐの手術、2・3日遅れたら命に関わると言われたという。次の来客、明日から入院ですと言う、寒くなり古傷が悪化とてと話す。次は、仕事での電話相手、今病院入院中なんですという。重い荷物を運び「腰骨圧迫骨折」と話す。
被災者が2200戸の仮設での生活する、多くの事故や病気を心配する。現在寒さ対策として、仮設への防寒整備がすすめられている。そんな中で生活の為に入所後自分で仮設の改築した人が困っている。仮設の防寒工事で入った会社が、増設した建物を取り除かないと工事をしないという。ボランティアの下で工事をした物の撤去は、何処が責任を取るのだろう。さまざまな問題が山積する町の被災者救済事業、住民・行政の密接な意思疎通が求められる。
26日に「町職員合同慰霊祭」があるという。「千葉さん議員なのに知らないの」と町民の方に言われた。行政に問い合わせると、副町長が案内者で家族・職員のみの会だという。この町の異常さがここにもある。
被災の「心の傷跡」もまだまだ完治には時間がかかるようだ。

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2011
11/24

今日の一枚2

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今日もいつものように松原の瓦礫を見ながらの通勤、瓦礫の上の光る物体を見つけた。光輝く物を瓦礫が飛ばされないよう、ネツトでも掛けたのかと、錯覚させるように私の目には映った。道路を走るにつれ何かが解った。光輝いていたのは松原住宅の屋上の手すりが、旭に輝きキラキラに、朝日の角度が瓦礫に帽子のように見せてくれた。荒町に入るとお母さんが外で手を振り我が子を送り出す、互いの手を振り合う風景が今もあるんだなーと、いつにない自然の風景に心が癒された。
昨日は三一会ゴルフ倶楽部メンバー・町議会同僚の「小野篤実」の葬儀、彼にはまだまだやる事がいっぱいあった。両親の事・子供たちの事・町の事・友達の事など、全てが家族の中にあった。奥様への愛を貫き、自分の周りがすべて家族のように付き合ってくれる。心優しく時には厳しい人間だった。
それは葬儀参列者の多さに比例する。仕事関係もさる事ながら、多くの世話役として、感謝と御礼に知人が集まった。それは彼の中の多忙の上の交流と活動の広さがある。その中でも決して家族との触れ合いを一番にしていた。一緒に野球・サッカー観戦など、嬉しそうに話す彼の顔を今でも覚えている。自分の時間を全て使い尽くしていた。もっと生きたかっただろうに。
お父さんの言葉に驚く、病院から役場に移る際に「あの庁舎は危険だから」と、言えなかった事が今でも心残りですと「ポツリ」、あとは何も言いませんと、多くの言葉を心に納めた。
多くの震災により納得のいかない死と破壊で、多くの町民が亡くなり、皆が悲しみの中にいる事への配慮が伺える。それを伝えたい人も参列していた。彼の言葉に「何で豊は豊さんで俺は小野くんなの?」と、同級生なのにと、常々私にいっていた。小野篤美さん安らかに。天国でまた海に釣りでもゆっりく楽しんでお休みください。

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2011
11/23

今日の一枚

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毎日のように私は南三陸町志津川の瓦礫の町を走る。車でと生活に活き突っ走る。写真のここは旧南三陸警察署前で、7時の通過時の朝日で「松原住宅」と「松原公園第一瓦礫置き場」の間から眩しい陽光が印象的で、携帯で残した。この一瞬のチャンス、見過ごすことに後で後悔する。とっさの行動が今日も後悔しない一日にしてくれる。
今日は南三陸町の議会事務局職員の葬儀がある。7つ後輩で共にゴルフが趣味で、私たちの「三一会ゴルフ倶楽部」に入会し会員として、ゴルフ・遠征大会で楽しい思い出も沢山ある。今日は参列できるメンバーが10名を超え、「仕事で行けないがよろしく」との仲間も多数いた。後輩ながら共に趣味を通し20年余りの付合い、これからも多くの思い出を作るはずだった。議会でも現場の先輩として、アドバイス・指導をもらった。
震災後「小野さんの消息を知らせてください」と、夜中ラジオから流れた。「優しくお世話になった方です」と話していた。まさにその通りの人間でした。彼の分まで「南三陸町の早期復興」に頑張ります。合掌。
「義捐金まだあるんですか」と聞かれ、また「義捐金・・・」と町民が行政に問いかけている。生活の自立は本当に当事者にとっては厳しい。昨日は「おっかあ、急にぐえ悪ぐなり、気仙沼に行ってきた」と知人が話していた。主治医が気仙沼で、仮設は登米イオンで1時間50分係ったという。これが被災者の現実です。
私も含めてだが、自治体トップに早く公営住宅建設を願う。昨夕方に剣道の教え子の女高生が来た、言わないが小さな心に多くの不安悩みを抱えている。

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2011
11/22

確実に前進


先週南三陸町の避難場所の「上山緑地」に行った時に、突き出た部分から志津川地区の八幡川に沿う市街地を望んだ(写真)。街中の残った鉄骨や瓦礫は取り払われ、広く綺麗に変わった姿を見る事ができた。局部的に見るとまだ瓦礫・基礎がと見受けられるが、広く見渡す限り間違いなく被災地は片付き再建に向かっている。
昨日は驚く話を聞いた。議会で「気仙沼線再建」の問題を質問した中で、JR東日本社長は再建はすると言っていた。また、町長も5回も早期再建を働きかけていると、気仙沼線が時間がかかるが生まれ変わると言われていた中で、「被災路線をバス専用道に」と宮城・岩手3路線について、JR東が自治体と協議へとの記事が、読売新聞に掲載されていた。早期整備が可能と費用が半分以下になる事が、今回の方向性にはある。長い願いがかない「気仙沼線」が志津川に開通し、こんな形で終わったら悲しいが、現実として受け止めないといけないのかとも思う。
バス高速輸送システム(BRT)と言い、中国・韓国・ブラジルなどの交通渋滞の緩和で運行されている。ダイヤ通りの運行と連結ができるという。三陸道の工事の進む中で、はたして現実味のある構想なのだろうか。今、生きている線路を活用し「陸前戸倉駅」を荒町に建設する事を、私は今後もJR東日本に要望を続けたい。
昨日は先輩友人と佐沼で食事をした。佐沼の店の盛況は、被災地と被災者が登米地区に生活しているからに他ならない。防災面の整備と職住分離ばかりを唱えると、住民流失と町形成がならなく、南三陸町の消滅を毎日のように心配する。高台移転するには、土地の確保と測量が第一に始まるが、志津川地区を見ても、アリーナ周辺・小学校裏山、志高の裏山と場所は決定しているのに、移転への階段は一つも登っていない。
12月の議会が月中にあり、「復興計画」が知事に通告され、町長の町づくりの考えが示されるはずだが。

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2011
11/21

涙々

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戸倉地区荒町の仮事務所の前にピンクの菊が今乱れ咲いている。昨日は2つの葬儀に参列した。夏にこの地区の高校生のアルバイトに私は元気をもらった。そして彼女たちの絶えることなく流れ出る涙を見る事となった。彼女たちの戸倉小中から高校と続く4人の仲良しの友の一人が、今回の犠牲となり志高の仲間も80名余りが参列し焼香をした。多くの男女問わず涙の中にあり、二人の姉が祖父母と弟に弔辞の「送る言葉」を話す。優しい楽しい家族の姿が、その内容に伺い知る事ができた。震災により生徒は多くの悲しみと、「友の死」という辛い現実を乗り越えないといけない。私も高校の頃に3人の同級生を亡くした「海難事故」を思い出す。友の分もと早くの笑顔にと願う。
朝に父親が「美談」として、先ごろ新聞掲載された記事の事を話してくれた。御前下の消防署から署員が戸倉中学校下まで流され、奇跡の生還を被災直後に聞いた。その裏側が今回報道で伝えられた。流れ着いた署員を当時の雪の寒い状況下で、戸倉中学生数人が自分の服を脱ぎ温めた。という、その処置がなかったら死に至ったかもしれないと書いてあったという。このとっさの生徒の行動に驚かされた。
戸倉地区の小学生の津波からの決死の避難と、中学生の津波の襲来の中での活動、そして、私が出席した葬儀の戸倉出身の高校生の二名の死に係った。私が「戸倉剣道スポーツ少年団」の指導者として10数年になり、戸倉の子供たちと知り合い。今、戸倉荒町地区の人々にお世話になっている。偶然にしても戸倉地区で生かされている事、私の被災復興の町づくりの使命感を感じる。
昨日は歌津に「山本リンダ」さんの来町、平野復興大臣の南三陸町の被災地視察があった。多くの復興に向けた動き、被災地に元気をと動きがある。その中で犠牲者の葬儀がひっそりと行われる。私は二つの現実をしっかりと今後も見つめ、役目をはたしていきたい。

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2011
11/20

自然の笑顔を

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昨日は剣道スポ少を中止にした。南三陸町小学校「ビニールバレー」があり、その親子の慰労会があったからで、大会終了が4時で、その後の会で6時、その後の避難場所となった仮説に帰り、また、志津川中の武道場に子供を連れてくるは、大変が中止理由です。
昼には甥っ子が奥さんと両親と来た。結婚式の時が初対面だった花嫁は、笑顔の可愛いお嫁さんとの印象だった。昨日は自分で手作りの結婚式のアルバムを、祖父母に持ってきてくれた。やはり笑顔いっぱいの女の子と言った、甥っ子にはピッタリで、しかし二人とも優しすぎるかな・・・、二人で笑顔の絶えない家庭となる事は間違いない。こんな大震災が起こった年が「結婚記念の年」です。苦しみも悲しみも乗り越えられるだろうと思う。
1時からは三陸道の「志津川トンネル」の起工式があった。三陸沿岸道路「復興道路着工式」と銘打ち、国土交通津島大臣政務次官・国土交通省菊川道路局長や、衆参国会議員、近隣の首長・議員・地権者代表、報道機関と随行者・国土交通関係者など、入谷の山間に集まった。「命の道」として国道や鉄道が、被災者を救った。今後の復興に向けた道路の整備は、海岸線が被災を受け「陸の孤島」となった事への対策だが、この近代社会の中での現実を、国の政策の事業加速が解決への道と、5年後の完成から一日でも早い完成を、多くの祝辞の方々のあいさつで伺えた。後は予算の捻出に力を政府に発揮して欲しい。
入谷の子供たちから「記念バッチ」が全員に送られた。釜石の子供たちのメッセージビデオでの被災の避難行動は、教師と生徒の迫りくる津波からの回避の現場行動、危機迫るものが国民に伝わる事と思う。自然を侮ってはいけない。写真は「鍬入れ」の風景です。

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2011
11/19

貧困の連鎖

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アリーナに行ったら玄関にドンと「オクトパスくん」、東北復興「ゆめ多幸鎮」と別のキャッチフレーズ、昨夜はこの企画立案した、現入谷公民館の阿部館長が「オクトパスくん」の復活への思いを語っていた。大震災後に購入した方から「オクトパスくん」が送られて来たという。ここで「あきらめない」との気持ちを持ち、被災者へのならず色々な支援者に向けても「あきらめないで」とのメッセージを送り続けている。阿部さんにはぜひ町の産業振興課に戻り活躍して欲しいと私は懇願するのだが。
町内の瓦礫の撤去は続いているが、見えない部分にまだ片付けが進んでいない。上山の高台地域もその場所として残っている。津波の避難場所としてあった「上山緑地」その入り口に城洋さんの自宅がある。被災後1か月ぐらいに後片付けを頼まれ。社協・建設課に話したが未だに手付かずで、その奥の方からも車が2台被災し片付けられないままと、行政に話してくださいと昨日言われた。もう8か月も経ちそろそろと思うが、建設課の職務多忙は解るが、手配の仕方で解決する問題でもあると思う。
生活保護世帯が全国で205万人3.4兆円が使われている。南三陸町でも震災後の生活保護者が急増する事を懸念する。昨日同級生が緊急雇用により町の「福祉士」として、現状をテレビで話していた。家に閉じこもりが多く、気力低下と、人との交流を避けるようになったと、現場の生活環境の精神状況を説明していた。
今日は入谷地区内でトンネルの起工式がある。住民の生活困窮と見えない町の方向性の姿への不安が苦悩がある。行政・国・県と被災現場の住民生活のギャップを感ぜずにはいられない。

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2011
11/18

不便

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両親との3人暮らし、お昼の食事に戸倉営業所の不便を感じる。町内には戸倉地区を除き「コンビニ」が出店しているが、この地域には被災前にあった「セブン」の復活がない。他のコンビニは位置を変えながら開店をしているが、生活者の薄い戸倉の出店は「費用対効果」の面では難しいのだろう。
写真は清水浜の「ファミマ」です。何もなくなった地域にポツリと建てられていますが、買い物ができる安心感があり、大混雑する限られたコンビニには、入りにくい人もあり私には大いに助かります。ただ車の無い足の不自由な高齢者は、未だに不便の中にあり、寒さに向かう今後が心配で、行政の支援策を模索していかないといけない。
昨日は知人に酪農家の苦悩は改善されていないだけでなく、益々厳しくなるばかりだ。町・行政の救済策や調査をどこまでしているんだ。と調査を依頼された。早速農林参事に午後に聞きに行った。救済制度は「5万」があるが、肉が売れたら返金してもらうという。これは救済策ではない。後は、農協などの組織で被害額をまとめ国は救済をもとめる、という。しかし、その矛先は「東電」であり、政府の補てんがないと無理みたいだ。一向に進まない救済は、生活の経営の破たんとなる。肉牛生産者は霜降りの状況を出荷前に作り上げる。24か月目がそれにあたり、人間でいうと「高肥満状態」で、これを過ぎると牛の価値はなくなり、牛は死んでしまうのだという。こうした追い込まれた状況にある事を、議員・国民は知っていない。二次災害から三次災害とならない事を祈るしかない。
全ては政府と・自治体トップの、早期対策と英断により、少しの救済となる。そんな中で救済制度の恩恵を受ける会社の話を聞く。みんなに平等・公平に制度が活用される事を強く行政・組合組織に言いたい。

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2011
11/17

開店華やかに

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また商工団地に店がオープンしました。汐見橋のたもとににあった「ミニストップ」さんが、商工団地の信号の右入り口に開店した。本社の社員が店前で来客を迎え、この華やかさから場所にいると、被災地の現状を「ふと」忘れてしまいそうだ。加速する高台のこの団地に新規の会社が、オープンを続けている。町の真実の再建復興とは程遠い気がするが、先ずは一歩なのだろう。
南三陸町には町の監査委員がまだ一人しかいない。オリンパスの「飛ばし」との負債隠しが今社会問題としてある。数百億の負債を隠すため、いったん負債を会社と別にし、吸収合併の資金を上積みし、一部を負債の穴埋めにと図っていた。この会社の負債隠しは、社長と監査役が自分の立場を使い、3人でこの不正を行った。こうした会社トップと会社の経理の監視役が一つで繋がっている事は、お金の不正がしやすい状況を作りだしている。
町の監査も民間からは元役場職員、議員からのもと一人も元役場職員と、行政から人事で提案してきた。この人事には「オリンパス不正経理」と同じ狙いがあると思っても不思議はない、町の予算が災害支援資金として、現在町の通常予算の三倍近くになっている中で、色々な悪い思惑を絶つ意味合いでも、経理会計の専門家を部外から入れる事も必要かと思う。この被災の復興の今後を考えると近々に行うべきと考える。
今日の南三陸町は太陽がいっぱいです。その反面「早く復興住宅を」と望む声が増幅している。「妖怪人間ベロ」がテレビで始まった。悪を憎み、人間愛の、人の優しさが芽生えてくる。ベロ役の「ふくチャン」の変身しても、昔見た怖さが今はない。子供たちの優しい気持ちの育成に、昔のマンガながら、実写でどう感じるかなーと思う。

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2011
11/16

出発3


旧志津川地区の八幡町の駅から裏道で病院に向かう入り口に「理容アート」さんがあった。私の同級生の阿部さん、自宅と併設した店で建設まだ間もなく、今回の津波で流失し何もかも無くなった。息子さんにも前の店を任せ、順風満帆の生活の様子、陰ながら喜んでいたやさきの、今回の大震災だった。
たまたま被災地の駅前を通るとプレハブがあった。再建した被災地の店を紹介するため、情報誌に掲載を始めていた。「あれ」と登り旗を見ると写真の店名に驚き、入店し彼女の笑顔をまた見る事ができた。互いに無事を喜び、取り急ぎ写真と又来ますと告げ帰った。
昨日はお客さんから情報をもらった。歌津地区の「伊里前」の高台移転があり、この地区が「全国のモデル地区」として国が進めているという。この方向性に異論を唱える大きな動きもあるという。こないだのゴルフ場の土地取得の行政の不透明さがある中で、河北新報の解説の「歌津合併のしこり」と関係が、ここでも大きく影響している気がする。戸倉地区でも河北の新聞・記者に違和感を訴えている人・事を、知っているのだろうか。報道の公正・公明な報道としての地元県紙の責任は重い。歌津地区の高台移転も当初は、推進派だけがとの話も聞いたが、三陸道も予定地の回避を決定し、国のモデル地区の指定ともなれば、行政としても高台の土地の確保が出来ているなら、早期にこの取り組みに着手すべきと思う。
今日は同級生の再出発を祝福する発信のはずが、また、硬い話になりました。また、東京の剣道の教え子から、メールで、「猪股先生新聞に出てたよ」と着信、戸倉中で生徒と住民救助で殉職された猪股先生の事だった。二代続く教師の職に付き、息子は最後まで頑張ったと言い、父は南三陸町の子供たちの教育に支障をきさないようにと、教育機関に紙面でお願いしていた。

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2011
11/15

こんな所まで


歌津地区の管の浜から伊里前に入る高台の住宅から、伊里前の港と海を見た。こんな場所まで高台まで津波は来た。「歌津大橋」まで津波が達した映像も見たが、写真の基礎はその場所から又10mはある気がする。管の浜の歌津漁港から入った津波と、伊里前の市街地の津波がこの高台で合流したのだろう。
予想を遥かに超える津波は、家も破壊し平穏な生活までも奪い去った。しかし、そこにはコスモスが花びらを大きく広げ咲きほこる。自然の驚異と優しさが混在する。この場所から歌津の海の島々を初めて見た。だがこの場所は水面より遥かに高い山の上であることがこの写真から伺える。
戸倉を地区の崩壊では最大の場所と私は言い続け、再生の困難さを強く思っていた。しかし、地域の再生と復興の向けた動きの渦中にある事を聞いた。長清水の高台への高台移転計画は何処よりを早いという。また、避難場所となった「海洋自然の家」、県の機関として被災地住民支援はあったものの、多くの活用の制約規約で、現実の救済活動とはならなかったとも聞く。以前自然の家仮設での生活者が、お盆に帰る身内の入居をお願いしたら、「ダメです」と断られたと言う。これが県の施設の「縛り」で、県民の「国難」に対する意識の低下を感じた。子供や青年の教育現場としての、社会教育の体をなしていない。県の教育者部署の危機管理体制・対応に疑問を感じた。
楽天の田中が「沢村賞」を獲得した。被災地東北の為に今シーズンは頑張るとシーズンに入り、自分の目標を達成した。しかし、被災地には元気と力をくれたものの、被災地再生の国の遅れが目立つばかりだ。
南三陸町の人口流失は強い町再建の危機を有する。町の再建早期化は急務で将来像を描く上でも、一番行政が取り組むべき課題である。瓦礫の撤去よりも流失阻止が私は一番にやるべき政策と、町長に阻止政策を示して欲しい。

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2011
11/14

当選

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昨日の夕方入谷からの帰りに、防災センター前に大型バスが止まっていた。観光なのだろうかと対岸で見ていた。センター前では大型バスからの40名を超える人々が、センター前で手を合わせる姿が伺えた。やはりここは鎮魂の場であり、「モニュメント」と言う名の場所とはならない。
仮設で10日ぶりに入浴しに行った。エアコンを付けてテレビをつけるとゴルフ中継、丁度石川遼17番の池越えショートホール、何気なくティーショットを見ていて、グリーンには乗るだろうと、ボールの行方をみつめていたら、ピンに寄ってきた「ナイスショット」、よく見るとラインに乗っていた。タッチもぴったりで「コトリ」と、ホールインワンを偶然の偶然に見れた。プロに入りトーナメント2回目のホールインワンだという。こんな幸運が自分にたまに起こる。こんなラッキーは後にとっておきたいのだが。
昨日投票の宮城県議会選挙、南三陸町からは今野ゆうき氏が4000票余りを撮ったが、3番目の境氏に3000票の差だった。ギリギリの出馬ながら多くの票を初挑戦で獲得した。前議員の突然の出馬断念を受けての参戦だった。36.71%の投票率は高いか低いかは、久々の県議選挙で判らないが、震災がなかったら総てに於いて違っていただろう。
地元の票は今野氏2673・畠山990・境562・内海421だった。今野氏は気仙沼で1281票を獲得した。南三陸町の4646人が投票をした。もっと早くに準備していたら結果は違ったかもしれない。
今回の町民の投票行動で、被災後の政治への方向性が解ると父親は言うが。選挙は空けて見ないと判らない、金権選挙でないのは間違いがないと思う。葬儀が重なったしまった11月末のカレンダーとなっている。

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2011
11/13

伊里前

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歌津伊里前の市街地の中央の信号があったのがこの場所だ。高台の伊里前小学校の方向から、被災地を訪れた中学生だと思うが周りを見ながら歩いて来た。何もなくなった町の光景をどのように感じるだろう。町のボランタィアの「語りべ」さんは何をこの子供たちに話し伝えるのだろう。
私は「チリ津波」を観光に結びつける、現在の町の観光の一部に違和感と、反対の立場をとる。当時は41名の死亡で、チリ津波の犠牲者は国内最高だったと記憶する。今回も788名の死亡不明があり、多くのボランティア、自治体からの支援職員の活動で再建に向かう中にある。子供たちの「防災教育」や各自治体での「防災対策視察」など、将来の自治防災の為の来町は大いに協力したい。被災の町をアピールし来町者の拡大は、亡くなった人と家族への冒涜としか、私は理解できない。
ここ二・三日に「DNA鑑定」で、3人の知人が本人と断定された。4月に発見され7か月もかかった、衣類の確認ができれば早く判ったのにと、身内の方は話していた。ゴルフ仲間の友人は8月のお盆に見つかり、鑑定に2週間と聞いたが3か月を要した。多くの不明者の身元確認は、専門機関での検査があり、多くの不明者が「東日本大震災」であり、順番的なものもあると聞く。また、間違いなく当人なのに「DNA」では違っていたという話もあった。
今回の大災害は数々の問題を人間に提示しているようだ。私は「人生のリセット」として、ここから新しい人生を歩もうとしている。「変えよう南三陸町」「新たな町民主導の町づくり」など、意識改革でもある。

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2011
11/12

選挙最終日

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今日の志津川市街地の風景と、遠くには「保呂羽山」が見える。今日の朝日はいつになく眩し過ぎるぐらいに、被災地を照らしていた。そんな中で朝の7時には「ガー」と音をたて、仕事が始まっていた。写真では「明と暗」の差が判らなく、現地の長く厳しい過酷な現実は伝わらないだろう。
昨日は茨城県伊那市から戸倉荒町出身の方が、伊那市のイベントでぜひ南三陸町の産品を、被災者支援の一環で販売したいと、来町し「カネ久海産」さんを紹介した。また、伊那市の教員委員会での「本寄贈」の話仲介を承諾した。南三陸町出身の多くの支援に感謝・感謝です。
選挙が今日が最終日で、地元で最後の舌戦となるが、住民が仮設での生活へと散らばり、南三陸町内での選挙の立会演説は皆無で、報道・新聞での情報も被災者には、見聞きする時間もない。県内の期日前投票は前回の2倍で、選挙への関心は高いというが、県議選に関しては低いのが通例です。議員が県民のため・地元のためにどれくらい、議員活動する人かを見極め投票したい。
現在も町の防災センター前で「記念撮影?」の光景を見る。ここで沢山の職員が無く亡くなっている事を忘れてはいけない。昨日は町内に中学生の被災地への「視察研修旅行?」の一行を歌津で見つけた。地元の「語りべ」の方が同行し、自然の驚異の現場をこの子供たちはどう思っただろう。人生での自然の猛威教訓を決して忘れないようにと、思う。未だに被災地での「立ち小便」、私には信じがたい光景と映る。
伊里前小の運動会が今日、野球場で開催される、晴天となつた事が嬉しく、名足小も被災し伊里前小に同居し、今日は一緒に有働会だと聞いた。こども達、この今を大切に。

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2011
11/11

被災地選挙

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南三陸町仮設庁舎前の宮城県議会議員選挙のポスター掲示版です。志津川の被災現場には歩く人影もなく、もちろん掲示版も数えるくらいしかない。また点在する掲示ポスターに見入る人も見かけなく、選挙どころではない被災地の現実がある。
今回は気仙沼から3人そして南三陸町から1人が出馬した。のびのびになり11月の13日の投票だが、現在まで期日前投票は5倍とも聞く、出かけたついでに投票と、仮設生活の住民の投票対策なのだろうか。
私も昨日に「期日前投票」を済ませた。私以外にも3人の方がいた。南三陸町での選挙カーもスピードを上げ被災地を通る様子が大部分と見受ける。
どんな結果となるか開票しないと判らない状況で、無競争の選挙が続いた当地方の県議戦、結果を私は大いに気になる。国の予算が県に落ち各自治体にと、多くのお金を引っ張ることは議員の、その政策・提案にも大きく影響する。大切な県議員の選択選挙です。
後は結果を楽しみにしたい、地元議員の告示ギリギリの出馬、結果がとうなるかを楽しみに見つめている。

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2011
11/10

あっぺとっぺ沖の須賀

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「沖の須賀」とテレビを見ていたら、この言葉が聞こえてきた。私の地区は本浜町で昔は「おぎのすか」と呼ばれていた事を思い出す。
先ごろ地区の漁業の先頭で頑張っている方から、名刺の依頼で来た。その時に「あっぺとっぺ沖の須賀」と名刺のトップに記され、どんな団体かはその時聞いた。「あっぺとっぺ」は当地方の方言で、「適当」「訳の判らない事」的な意味で使われる。
本浜地区の人の8割近くが漁業に従事している。ワカメ・カキ・定置網など漁業の生業も様々で、この取り組みは漁業権の異業種同志が共に助け合い漁業を再開すると言う。秋サケの定置漁業が始まり、団体は手馴れない網あげをテレビで放送していた。カクイの佐々木さんが定置の漁業権を持つ、この水揚げの収入でワカメのロープやブイ・種を購入し、養殖の準備にあたり、春先のワカメ漁の準備をする。その他にもフォークリフトなども自分たちが共同で購入した。
メンバーは現在15名で、助け合い漁業を続けるという。この後は「ホタテ漁」の準備にあたる、六十代から二十代の幅広い世代が漁業の地区の再建再生にスタートを切った。
自分も印刷業ながら同じ地区で暮らしていた、何が自分に手伝えるのかを今試案する。異業種交流・グループ化に国は後押しをしていくといい、必要経費の一部を負担するという。水産漁業の早期復興はあたると、震災直後に前首相は話ていた。発信の継続をお願いしたい。反面で北海道ではサンマ・イカの大豊漁といい、保管の冷凍庫が満杯と悲鳴を上げている。何故ならその受け入れ先が気仙沼の冷凍庫だったからという。こうした水産業の空洞化が日本経済に大きな打撃となっている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:45 】

2011
11/09

見えてきた

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この風景は毎朝通勤に見る。なにもなかった海面にブイや漁船が見えはじめ、南三陸町の水産業が少しづつ動き始めてきた。だが以前の海いっぱいの養殖施設はまだまだで何十年もかかるだろう。以前には「密植」が問題になったが、計画・整備も陸地の「都市計画再生」のように、漁場の環境整海と共に進める事が必要に思う。この見える海水が津波襲来前に海底が見えるまで引いた。信じがたい事実が河北新報の紙面に写真掲載されたのが発生1か月後ごろだった。大津波の予兆は間違いなくあった。
昨日は歌津地区で、京都大学の海中捜査活動が漁民と一体に行われ、海中瓦礫の確認により定置網の設置場所の参考となった。また、陸地近くの瓦礫の多さも発覚し、今後の水産業の厳しさも知る事となった。ロボット探査の捜索をもっと早く進める必要と、範囲を広く設定し、それに伴う海の活動地の把握は、水産業の早期復興に繋がり、漁民の生計へと繋がる。
仕事で気仙沼に出かけたが、県議会の選挙カーとの交差・声もきけなかったが、三陸道の工事は大谷の裏街道には所どころにみられ、南三陸町より進んでいるのかなーとも思える。歌津地区の旧歌津ドライブインの跡地の、大規模な杭打ちや基礎の姿に驚かされた。こんな海から近い場所に、そして町の「復興計画」の詳細もも住民に発表されない中で、個人事業者の積極再建の行動に、「行政にも爪のアカを・・・」と思った。こんど写真で紹介したい。
こないだ、志津川高校の仮設の通路に凸凹がと、入居者からの整地の要望があった。昨日お陰様で砂利を引いてもらつたという電話がきた。建設課の各種に及ぶ仕事があり、順次要望を解消している。少しの我慢も行政・町民にも求められるのかなとも思う。
福島の原発事故での避難者は、除染の厳しさから四分の一の帰らないという。また、2年以内に戻りたいとの声も多い。この気持ちは仮設入居の、我が町の被災者も同じで、しかしながら現在の状況からは、2年で戻れる可能性は非常に低く、自己での帰れるための行動も必要と思う。行政任せではいつ帰れるか判らない。早期帰省に頑張ります。

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2011
11/08

さおり、サンキュー

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アドレスを登録していなかった、ごめん。剣道の教え子からの「シャメ」添付のメール、彼女しかしないと直感した。写真は「東京新聞」の記事だった「心の支える夫婦愛」と大きく写真が掲載され、私としては複雑で恥ずかしい。「高齢の両親を仮説に入れないで倉庫に」と、しかしながら、両親はここがいいと言う。
今、我が家には多くの新聞記者やテレビ局が取材に入っている。高齢者が二人寄り添う生活する状況が、メディア受けしている。私はこう思うが両親は張り切り取材に答え、これが生きる力に間違いなくなっている。誰かと話せる、人が出入りする、3人の家族の話題ともなる。我が家は親の努力もあるが、被災しながらも幸せな家庭です。
今日は五時前に戸倉事務所にきたが、空には満天の星が輝いて綺麗だった。昨日のニュースで「銀サケ発祥の地」として、南三陸町志津川と放送されていた。現在は女川町に全国一位の座は奪われたが、二つの銀ザケの町は今回の津波で壊滅的な被害となったものの、銀サケの稚魚の海水への放流が始まった。来年の4月から6月には出荷となるという。女川は港の嵩上げを終えているが、南三陸町はまだだが、近々に工事が行える予算が通っている。岩手から2万尾の稚魚が水産業のもう一つのスタートとなり、漁民は「早く美味しい銀サケを食卓にと」話す。
日本の全国に誇る基幹産業の自動車会社の6社社長が、今の円高・タイの洪水での自動車産業の崩壊を訴え、自動車取得税・重量税の軽減減税を求めている。300万円クラスで14万の取得税・7万の重量税がかかり、エコ減税でも合わせて10万円の税金が係り、総額で9100億円にもなり、車92万台分に相当する。エコ減税も来年3月4月で終わる。
こんな中で「会計検査庁」で国の無駄使いを「4283億」と指摘する。ギリシャのように日本はならないかを懸念するが、国民が本気で政治に向かわないと大変な時代がくる。

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2011
11/07

道徳感

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今日は朝から我が家はバタバタでした。土曜日に両親の生活を「朝ズバ」が取材に来て、月曜日に映りますとの事で、朝5時から今か今かと大騒ぎだった。テレビに自分と母親の倉庫での被災生活の、一部始終をカメラに収めていったと、どんな形で映るのかとまっていた。しかし、8時までと今日の放映はないと、諦めてしまった。
しかし、私の携帯に富山から「お父さん元気だね」と、連絡が入った。太田さんからで、被災前に「いなか暮らし」で南三陸町に移住したが、環境になれず現在富山に住み店を再開させたという。65歳は過ぎている。ここにも400名の3県から被災者が移り住んでいるらしい。太田さんの元気には脱帽である。連絡ありがとうございます。
昨日はホテル観洋で「消防団殉職慰霊祭」が開催され、10名の遺影が祭壇に飾られ、550名の消防関係者が集まった。地震発生後の津波襲来に備え、各地区や防潮堤からの津波監視の任務中に被災された。その中に消防婦人部の三浦部長の顔もうかがえた。残された中学生が、お父さんのように「人の為になる仕事をしたい」と、しっかりとインタビューに答えていた。
現在の日本人には「道徳感」が欠如しているという。子供を乗せた自転車で携帯をしたり、乳母車を押しながら携帯をする母親がいたり、他人に対する心遣いが欠けているという。自分本位の人間が増えているともいう。貧しさの家庭生活の中では、互いに助け合い寄り添い、知らず知らずに家庭において「道徳感」を学んでいたのに、今は人との交流も減り、学ぶところがないのが原因といっていた。自分も気をつけたい。
写真は歌津館浜の仮設で、南三陸町建設職組合が建設にあたった。木造でここだけがこの形で、生活もしやすく問題もないと、大好評だ。なんでもつと地元の業者で建てればいいのにと思う。

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2011
11/06

商店事情

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現在南三陸町では「コンビニ」に買い物の場を依存している。商工団地内には「スワット」「高光」さんが商店として、消費者にこたえている。
消費者支援の場としての。「コンビニ」は現在4軒再開している。年内にはそれに加え入谷にローソン、清水にファミマ、商工団地にミニストップが今年中に3店開店する。入谷にも車のセブンが前からあった。この町内のコンビニの点在に対し、戸倉地区には「コンビニ」が一軒も無いことに、今後のこの地区の復旧に先行きの心配をする。コンビニ会社がこの場に店のオープンをしない事に、将来性の分析を会社が考えているのか。と心配する。
仮設商店街は来年になる。住民は商店の復活を強く望むが、震災後に早々話はあるものの、遅々として建設とならない。志津川の消防署裏と、歌津公民会跡地と、仮設からの買い物は遠く厳しい。被災者の望む仮設建設場所の中には、仮説が58か所に点在し、登米仮設は近くに多くの商店があるものの、被災地の街中の買い物はいまだに不便、高齢者には大変で、冬に向け雪道となると多くの不安を思う。
写真は仙台空港の被災直後の風景で、空から見た仙台湾の海岸線は茶褐色に覆われ、緑の海岸線は消えてしまっていた。宮城県の「緑と青」のイメージは、今はなく海岸線の自然の回復には20年以上も係るだろうと思う。人口での復活は先ず住民の居住区の安定以後となる。
「我が町」の地盤沈下の復旧整備には多くの予算と時間がかかるが、一日も早く取り組む事で、再生と人口流失などの問題解決につながる。政治が行政がどう動くかで少し早めの解決になる。

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2011
11/05

町の教育


2日の臨時議会で新教育長、佐藤達朗氏が紹介された。前田生教育長の不明死亡認定の後を受け就任となった。一関室根町出身ながら、志津川小学校の校長を長年務め、今回の人事となった。
教育委員会からの報告で、南三陸町の中学校の校長が「不正文書作成」事件の発覚により、県からの「停職3か月」の処分となり、そのあとで「依願退職」されたと、新教育長から報告があった。
子供たちの被災後の厳しい環境があり、そのな中での町の教育委員会の不安定さが気になる。写真は、松原の瓦礫の脇の志津川公民館であり、教育関係機関の中枢だった。未だにこの津波の現実がそのままに残っている。学校の先生などの管理と、子供たちの「生涯学習」の指導・補助をしていた。
新庁舎の建築は今年度に完成し、戸倉の小中も24年度から登米善王寺の仮の学舎から、志津川小中へと戻り勉強がスタートする。そんな中での教育体制の充実により、学校教育の安定が図られ、子供たちの不安の解消に町は全力であたる義務がある。「子供たちは町の宝」とトップは言う、この子らが将来の町づくりには欠かせない。
昨日「都市計画審査委員会」があり、志津川地区の制限区域が、町から示され審議会で承認された。伊里前地区の都市計画の地区への格上げ・既存の地区民のコミュニティー集団移転、早期の高台移転への定住を、若者の住居・雇用の場確保、など議論されたが、今後の課題となった。先ずは制限区域の決定で知事にそれを通知する。
第3次予算が今参院で審議され、通ってもまだまだ予算の分配などは今後であり、我が町の復興も「復興計画」が示されても時間がかかるようだ。西岡参議院議長が肺炎で急逝した。75歳で政府に毅然と物を言う姿を、今でも思いだされる。
政治は金・利権・野心・裏で手を回す、こんな姿ばかりが、今、私には見え聞こえてくる。そんなに肩書き・金品がそんなにほしいのか。しかし、我が町の政治はそうらしい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:50 】

2011
11/04

さとみさん

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志津川地区から入谷に向かっていた時、桜沢の道沿いで「赤提灯」の明かりを見つけた。大船沢に向かう道の入り口にその店「さとみさん」があった。
五日町の八幡側沿いの名物ご主人「孝志」さんが、震災の前に亡くなり、奥さん「さとみ」さんが息子さん夫婦と孫と一緒に経営を続けていた。ご主人は「三一会ゴルフ倶楽部」の私たちのメンバーでもあり、コンペ反省会ではその会場としてお世話になっていた。
入谷の息子さんの奥さんの家で、震災後は店を始めたとの話は聞いていたが、昨日「赤提灯」に誘われ入店し晩御飯を食べた。プレハブを二つ並べた店ながら、以前の居酒屋のイメージそのままで、「ギョーザ」など以前を忍ばせる品々が、この状況下での少ないメニューの中ではあるが、町と若い世代の復活を予感させる。
「お母さん元気?」と聞くと、足が痛くて仮設にいますとの事、安心した。こんなすさまじい大震災を市街地の中心からの脱出は、危機迫るものがあったのだろうと、当時の話も聞きたいが、孫と一緒にこの町の復興を、天国の孝志さんと共に見守ってほしい。
きょうから「県議会議員選挙」が始まる。地元からも新人が出馬する。出馬政策の中身が今うわさされているが、選挙活動の中で直に考えを聞きたい。地元からの候補の出現は大歓迎したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:12 】

2011
11/03

合掌

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朝、新井田・十日町・五日町といつもの瓦礫の中を通過したとき、一輪の献花に目が止まった。この場所にはマル十お茶屋さんがあり、ご主人夫婦が津波でと、風の噂に聞き震災後にお顔も見ていない。基礎は確かにこじんまりとした店を思い起させる。
現在、仮設市場が営業を再開し、事務所に備品が必要で、南三陸町の事務機器店の組合さんに、商品の入札がなされ地元商店に町が落札し、機材の発注をする。震災後の災害復旧にも地元建設業者が、入札落札先として名前を連ねる。今後の仮設の庁舎・病院も地元、阿部伊・山庄・南三陸町建設組合のJV、ジョイントベンチャーの企業体で落札し、来年3月中旬の完成を目指し今月にも動く。事務機器はセントラル自動車が宮城県に移築した事により、名古屋にあった会社の事務機器が町に贈与され、現在の仮設庁舎の機材に使われている。3月の仮設新設の庁舎にも活用されるが、足りない物に関しても地元の事務機器組合から購入するという。町の仕事は全てできる事は地元業者への発注が、今は当たり前の行政の対応だろう。
今、町には仕事も消費者も少なく、事業の生業は難しい。事業所の用地も「復興都市計画」の規制の中で、今後への「光」が何処にも見えないのが、事業者であり町民である。2・3年という高台移転の都市計画まで、南三陸町住民は我慢できるだろうか。議会で被災者の冬季の暖房の貸与で、2200仮設に4万円の予算が通り、8800万円が示された。畳・こたつ・ストーブ・ファンヒーターの中の予算内の設備の希望貸与となる。
そして又、志高時代の同級生が死んだ、病気を抱えていたが、被災が大きな要因となった。55歳のまだ若い死である。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 09:42 】

2011
11/02

八百屋はがさん

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駅前の風景が一変した。被災前ここからは、クボ・たまや・薬王堂・ウジエがあり、ホームセンター「クボ」の前で、新鮮くだもの・野菜の店として、芳賀さんが営業していた。
震災の3か月後頃にはテントを張り、営業を再開し「お盆」には多くのお馴染みさんが、来店していた。現在の芳賀さんはカラフルなペイントの建物でお客さんを待っていた。仮説からは市街地は遠く買い物は大変で、元のようにはなかなかならない。今度向かいに「桑原」さんの、コインランドリーとコイン洗車が営業を始めた。水道・電気の普及がままならず、事業所への再三の設置要望で、現在の開設になった。
「路線価」が公開された。南三陸町は75%の下落で、最大は女川の80%となった。千葉県でも40%の減少で、今回の「東日本大震災」の影響の広さ大きさがある。阪神淡路の大震災でも20%の減少と比べても、今回の現地での生活経済の厳しさがある。路線価は「相続税」「贈与税」などの各種税の参考対象価格となり、被害者の税の軽減となる。南三陸町は最大で75%の減で、地域により35%と全域に、評価が下がった。
サザンの桑田の被災者支援「仙台コンサート」が、2か月余りで「DVD」になったという。被災地を見て夫婦で現地に花束を供え、仙台でのコンサートを全国のコンサートの始めに収録と聞く。トップに「青葉城恋歌」をカバーし、「あの人はもういない・・・」と、被災者への悲しみを歌った。被災者に何とか元気をと、コンサートの風景からは伺える。はたして自分は「今の活動でいいの・・」と思う瞬間がある。まずはひとつ一つ、一歩から。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:08 】

2011
11/01

歌津の瓦礫

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こないだ本浜地区の方から、松原の瓦礫何とかならないの、と聞かれた。その方は漁業者ですでに「秋サケ」の刺し網漁を始めていて、松原の瓦礫が高潮や低気圧の影響で流れだし、刺し網に引っ掛かり網が壊れる、何とかしてほしいしと要望だった。
漁業の早期再開はあるものの、町内の瓦礫の置き場・処理はまだまだ続く大きな問題で、一向に解決していない。歌津地区の瓦礫も写真のままと状況があり、海底に沈んだ瓦礫はいったん陸地に上げてから、分別処理での運搬があるが、見る限り進んでいる気を感じさせない。
今日「カフェG」さんの前に選挙カーらしきものがあった。いよいよ今野氏も4日からの選挙の準備のようだ。そのほかには現職の気仙沼市の畠山氏・内海氏、そして市長選に出だ境氏の4人の選挙選が決まった。地元「南三陸町」の前県会議員が出馬断念し、不在を覚悟したが、選挙・地元からと、町にとっては活気となる事を願いたい。
朝晩の寒暖で体調の異変に注意してほしい。我が家も高齢の両親も「コンコン」と咳をし始めた。早期予防は高齢者の重篤な症状の回避にも欠かせない。小さな体調の変化に、仮設での独居老人の巡回に行政は気を配ってほしい。自分の家庭でできることは家族がするしかない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:24 】


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