ARCHIVE - 2011年10月

2011
10/31

休日

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2週間の多忙が無理を重ね、遂に体が悲鳴を上げた。先週日曜日の「阪神淡路」の3日間の視察調査があり、そのまま長野県の町議会調査との交流会、次の日の被災地の案内、また、仮設を対象として情報誌の作成・配布の段取り、土曜日には震災後に初めてゴルフの仲間グループが7か月半ぶりに一同に再開した。
「黙禱」から会は始まった。会の大部分のメンバーが何とか被災を免れたものの、一人がこの津波に呑まれ、現在DNA鑑定中である。震災後はじめて再会するメンバーもあり、10人の予定が19名の顔ぶれに、生きている喜びと全てを流失した悲しみ苦しみがあった。
近隣町で静かに再会「一献」のはずが、これから頑張るぞとその英気を高める気持ちが、お酒の量を増すに至った。ある人に「いつまでも下を向いてはいられないヨ」との話をきいた。幸運にも我々の仲間は、今後へのスタートの準備や再開をしている。55歳・65歳の前後の仲間は、南三陸町で生きる事を大体が決めた。
そして昨日の1日の寝込みとなった。風邪と酒の飲み合わせが悪かった。休養としたいが日曜ながら「来客」と電話があり、床に就くことがままならない状況だった。夜は眠れず朝方に就寝となった。
また問題が発覚しようとしている。写真は泊漁港ながら、タイの冠水でわかるように現在は大潮、志津川町の町の中そして漁港は、岸壁を海水が超え船が陸地に上がる光景が、この夕日の中に見える。
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2011
10/29

美しい町だった

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しばらく前にベイサイドアリーナに行った時に、ホール内で写真展示をしていた。懐かしい綺麗な街並み風景が写真の中にあった。もうこの風景は見る事が出来ない。しかし、私が「ブログ7つ」「ホームページ」で、2年から8年続けた中に多くの南三陸町の風景がある。その一つの「南三陸の贈り物」には、水産品・名所・イベント・人物など写真があり、まだ震災後は再発信はしていないが残っている。パスワード・ブログIDがわからず再開できない、時間が出来たら始めたい。
「仮設商店街」も出店者の数が減少している聞く、厳しい出店の中身に多くのリスクがある。被災者のための商店とは言えず仮設生活者の買い物事情は改善されない。また、被災地の事業の再開も「復興計画」が決まらず、建設場所・経営が成り立つか・人口減少など、消費者動向も経営者にとっては気になる。今の南三陸町は町内に社会経済の成り立ちが見えてこない。早く今後の姿が見える事で、商店主・住民は前に進めるのだが、現在のこの面では何一つ前に進んでいない。観光・被災地支援に来た方の消費の場があるものの、事業者にはまだまだ「復興の光」は見えてこない。
そんな中でも地元に仕事があり、従業員の維持できている会社がある事に疑問だ。復興に関係のある会社ならまだしも、どこを探しても仕事がない。行政の発注にも仕事にも限りがあり、地元の事業所を活用になど、みんなで復興に向かう、行政の姿勢・体制が求められる。従業員の維持は企業努力と、被災地以外にお得意様を持つことが求められている。
手持ちの資金もつきる時期がそこまで来ている。もう限界と住民の声も聞こえている。今後の生活を見据え方向性を見極める時期がきている。人口減少は想定を遥かに超える事がないことを願うしかない。
八戸のトイレに4千万円が置いてあった。「青森・岩手・宮城・福島の被災地に使ってください」とあり、「東北人」と名前が書かれてあった。

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2011
10/28

嵩上げ

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何気ない写真ですが、南三陸町の住民にとっては「重要道」として存在し、被災後は地盤沈下により、側溝の機能低下ため「雨水」が道路を埋めた。深い所では最高60㎝にもなり、交通網の寸断となり住民の足を奪った。
今回の40㎝にもなる道路の嵩上げは、学校への送迎バスの通学路の確保ともなった。また、復興に向けた事業所の再開へも繋がった。電気がない・水も出ない・そして道路冠水と、再建への障害が一歩づつ改善されている。
砂利の確保と瓦礫の処理がある。建物の基礎も瓦礫として現在処理されていて、それを「破砕機」で小さく砕き砂利として活用される。捨てれば「廃棄物」ながら、使えるものは全て再生活用が、復興の「カギ」となる。
被災後は予想だにしない事が起こる。大災害は「人間を狂わせるのか?」かと思う。地元紙に「校長を停職3か月」が報じられた。「管内中学校職員の勤務実態偽装」だという。この先生は復興への向かう仲間的存在と考えていた。生徒に愛され共に学校生活の改善や、縛りの教育環境の脱却に取り組んだ。県・町教員委員会には「目の上のタンコブ」という人もいた。前任校の教え子が「・・先生の事本当なの?」が、今回の事件を知ったキッカケでした。「イイ先生だったよ」「私たちの希望を叶えてくれた先生だよ」と、会社まで訪れた。助けてと声をくれた。残念ながら「依願退職」の道を先生は選んだ。
ぜひ、何故か?を調査したい。多くの問題山積の「悲劇の町」の南三陸町です。明日はこの大災害の難を乗り越えた、三一会ゴルフ倶楽部の面々が、仙台の仲間の提案で一同に集う。総勢20名余りで「議会事務局殉職」の7つ下の会員仲間の「黙禱」から会は始めたい。

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2011
10/27

復興ダコ


昨日は南三陸町の被災地案内で、上山緑地・旧魚市場・戸倉中・福祉の里・志津川中・防災センターと、歌津以外の被災地を歩いた。上山緑地が避難所でここまで津波が来たことに驚き、瓦礫の町と浸水の町にまたの驚きで、全てに信じられない現実を感じておられた。
旧入谷中学校に出かけた、登校坂の入り口に「理科室・木工部」らしき教室があり、現在は「入谷YES工房」として、復興ダコ「オクトパス君」を製造していた。以前に東北福祉大のマラソンの選手たちが、ボランティア活動でこの工房で活動していたことがテレビで報道された。選手の挫折に入谷の阿部公民館長が「あきらめない事」と、エールを送っていた。それは南三陸町の早期復興への願いでもあった。
グリーンウェーブ入谷構想促進委員会が「入谷復興ダコの会」の母体にあるようで、工房に並ぶ多くの「オクトパス君」は、復興の早期クリアへの住民の期待と夢もあるようだ。
昨日は仮設に足を運んだ。多くの冬への物資が仮設に届く、ストーブ・灯油・毛布などがあった。しかし、自宅が残り被災した人への支援物資がないと、ある地域の方が激怒していた。被災地の地域・種類による現実の厳しさを行政が把握していないという事も多々ある。今年の寒さの厳しさを予想懸念する。
入谷中の仮設には町の調査員の方が、生活の聞き取り調査に歩いていた。こまめに被災者の状況把握が「二次被害」を防ぐ最大の活動です。町の社協の福祉政策を高める事も忘れてはいけない。

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2011
10/26

この町で

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昨日は長野県の飯島町の議員の方々と議会のあり方につてい親交を深めた。まだまだ行政・議会の何たるかも深くは・・・が、時間の中で常に新しい知識を吸収している。
行政の「?」を多く感じ議会の中に今にいるが、他の自治体の議員の方から、今の「?」を聞くとそれは違うと、多くの答えに自分のやってきた事、言ってきた事が間違いないと確信した。全てではないがまだまだ多くの「?」を、多くの町民と議論し再建復興の南三陸町に生かしたい。
歌津地区の被災地は大破した家々の撤去はあるものの、復旧の進捗と再建の方向の姿は伺えない。歌津には現在3つの民宿が、来町した支援の方やボランティアの受け入れとして機能をはたしている。昨日宿泊は「泊崎荘」で素泊まり、平日なのに部屋はいっぱいと言う。民宿が町内には戸倉地区を入れても7軒ぐらいとあり、町内での受け入れも厳しい。支援ボランティアさんがテントで宿泊しているが、これからの寒さに向かうにあたり、支援の収縮を心配する。昨日の議員団の支援活動は「銀鮭」の施設づくりだったと聞く。幅広いボランティア活動に感謝です。写真は歌津名足の海岸の朝の光景です。
現在町内の仕事は皆無に近く、事業再建しても収入は少なく、事業所の経営は厳しい。再建復興に向かう気力の継続は、多くの不安との戦いでもある。被災者とて自立・生活再建と、声高に行政は言うが、私もどう言って被災者支援を図るかが見えなくなりつつある。「一歩一歩」を共に歩むしか今はないのか。自分ひとりでは何ともならない現実に、歯がゆい毎日を送っている。

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2011
10/25

太陽は見続けた

2011-10-25 06.20.00
淡路より紀伊半島からの太陽を望む、南三陸町からも同じ太陽が昇っている。行政の危機管理の想定外への対応は難しい事を再確認し、自然災害・異状気象への市民を守る対策は、国の指針に従うしかない。と言う反面『住民防災意識の向上』を語っていた。
我が町に帰り新たな意識のもとで、復興再建を行政に生かしたい。阪神淡路の大震災は記憶に生々しくあるが、我が町とはまるで違う、活動を参考に復興の迅速化が、最優先と感じる!

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2011
10/24

復興の姿

2011-10-24 07.52.23
阪神淡路の大震災からの復興の姿をまざまざと見せつけられた!平成7年1月のあの瓦礫の街並みは写真のような近代的な町になった。西宮市の神戸港の震災被害のなかったような現在の風景には人間の力の強さ大きさを感じる。
しかし、東日本大震災とは違うと阪神地域の方は話す。大津波の脅威がある。先ずは一歩とづつ!

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2011
10/23

きおくみらい

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今日は「くもり」ながら雨はない、先週・昨日と志津川小学校の上の空からは雨が抜けない、間をあけ3日間の運動会順延グランドはぬかるむが、曇りなら運動会はできそう、気温25℃といくらかは暖かく運動会開催なりそう。
昨日はスピードの今井えりこさんが志小に来て、講演とコンサートをした。教育講演だという、前に聞いた事があるが、彼女のお子さんが「難聴」と言う。子供と親との繋がりとふれあいの必要性の講演なのかと、私の「手話」の友達も何人か参加した。
志津川魚市場が24日の午後から始まるとテレビで報道され、産業振興課長が、市場のスタートで復興の相乗効果となればと話していた。秋サケのスタートで水産業の活気で、町民が水産加工などの雇用の増加で、生活基盤の部分の再生となり、南三陸町での生活再建のスタートとなる。
「きおくみらい」の題と写真の朝霧に荒廃した戸倉折立の被災地、繋がりは朝のニュースでの「中越地震メモリアルセンター開館」の放送だ。あの大災害の記憶を忘れない為にと、趣向を凝らした災害の記録を後世に伝える場所が、5年後?の時を経て建設された。現在南三陸議会の「民生教育委員会」が調査視察で昨日から訪れている。
昨日の葬儀で「311」の大震災がなければ、3月31日で町職員を退職、60歳これから自分のしたいことが沢山あったと、同級生が「弔辞」話していた。これから静かく酒を酌み交わし、今年の米の出来でも話していたはずなのにと、歌津「津龍院」には多くの仲間が参列していた。

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2011
10/22

さあ出発2

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昨日は2軒の焼香を行い、今日は10時から行政職員の殉職の葬儀に参列する。まだ私の知人をはじめ葬儀に至っていない方々が多くおられる。町民の悲しみは深く続いている。
また一つ仲間の復興への一歩があった。田畑さん「CAN美容室」が、入谷地区にオープンした。志津川から入谷に向かう「産直販売所」と「ひころの里」の中間に位置する右側で、写真のトレーラーハウスが店である。五日町で新しく開店してまだ間もなかったが、今回の津波で自宅・店全てを失い、仮設生活での仕事してての復活です。皆さん温かく見守りください、そして「ご来店下さい」と言っている。
入谷の方の話を聞く、入谷地区から仮設庁舎に行く時の瓦礫の志津川地区を通ると、気持ち悪く具合が悪くなるという。三陸道も開通が早まるという。入谷に役場や病院を建設をしてはどうか。また、多く財源を使う必要はなく、登米市との合併に向かうべきと、大胆な発想で将来を見据えた考えと、私の視野にはない。また別な方は歌津の今後を考えると「気仙沼との合併」をと言う方向もあると語る。将来に向けた考えを、行政のトップの発信の無い中で、厳しい町の現実を捉え将来の模索を各々が考えている。
気仙沼の瓦礫撤去は93%が終わり、第一仮置き場に積み立てていて、分別し第二仮置き場にとの流れだが、木材を木質チップにし、山形の処理工場で「木質バイオマス燃料」として発電にまわしている。と聞く。我が町ではこんな瓦礫の撤去対策活用の話が行政からは説明されない。他の地域と違う瓦礫対策を発信してほしいのだが。

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2011
10/21

お帰り

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写真はサケの捕獲場です。例年と同じ時期の設置ながら、帰ってくる八幡側の状況はまるで変った。2・3年の放流後の回帰であり、サケの子供たちは故郷の川を目指し帰ってきている。稚魚育成の施設も被災し、将来への回帰の準備もできない南三陸町の水産である。今日のテレビでも「アワビ」の今後に黄色信号となる情報が報じられた。アワビがいないと言う調査結果がでた。3.5年後には大きな収入源となった「アワビ開口」でも、漁師の暮れに向けた収入減となる。南三陸町の志津川・歌津のイベントの目玉が無くなる。稚貝の放流も育成施設の流失・黒アワビの病気問題と問題山積の南三陸町の水産漁業となった。
最近道すがらに折立の被災跡地に、高齢者の座り込む姿を見た、自分の敷地の基礎のコンクリートに放心状態でいるかのようだ。また、高齢者の方がカバンを持ち歩く姿もあった。
昨日は歌津から本吉小泉に用事で出かけたが、歌津の港の海岸部の生活の場が跡形もなく、小泉の街並みも何ひとつ無くなり、復興の厳しい現実を物語っていた。もう生活圏は高台しかないと、私の友達も話していた。仮設商店街が当初の60軒から36軒と想定を遥かに下回った現実がここにある。また、設置の場所や設置条件など、地元の被災者支援でなく観光客だけへの施設にしか取れない。2千軒を超える仮設生活者の救済の、行政の対策に大きな不備があり、支援の生活環境整備は一向に進んでいなく、今後の「孤独・・」を懸念せずにはいられなく、一日も早い「町営住宅建設」があり、予算の前倒しの「地方債発行」の方法しかない。町債発行には県の許可が必要というが、許可を取り復興建設を早期にしないと、「町消滅」の道を辿る気がする。住民の帰る場所の確保が急務である。

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2011
10/20

優しさ再確認

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今日の「朝ごはん」。昨日隣の工場の場所を提供してくれた、お父さんより「天然白シメジ」の取り立てを頂いた。五時に起き「お汁」にして食したが、人口の物とは香・味ともに違う。お父さんは85歳ぐらいかな、膝が痛い足で山に、ご馳走さまでした。
夜中に両親は大変です。母のトイレの介助に父があたっている。3日間の施設にお世話になった後で、体調がおかしい。腰・膝・胸が痛いと「介護ベット」から立つことも大変で、夜のトイレも4回から5回と、父に声を掛けポータブルトイレまでの3mを介助している。夜のバタバタうるさい気持ちが初めだった。今は「夫婦愛」を見て自分の親ながら感動している。朝の「お汁」ぐらいと親孝行、6時前には15分かかり仮事務所に出社した。両親は生き残り生活し続けています。皇后様は今日77歳を迎えた、南三陸町での伊里前小学校から海に向かい被災者への「黙礼」の姿に、国民愛を思い出す。その前に出ようとした「人間」がいた、人を踏み台にして生きる人間は私は信じない。
昨日は機械大トラブル、中古機なので機械の中で「ネジ」が折れ、挟まりストップした。仙台よりメンテの技術者により7時まで係り何とか治った。トラブルは早期解決・気になる事もその日の解決でないと、落ち着かない性格、今のところ目の前の障害は、全て取り除けている。
タイの首都「バンコク」の首都が水没しつつある。「世界的気象異常」が現在あり、私は「我が町」にもこの現状を発言し、早めの対策を進言している。まだまだ危機感の無い行政の対応に驚く。
今友人より、「戸倉元議員立候補」とのメールが入った。まさか・・・

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2011
10/19

早期救助救済

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この写真は黒崎パーキングの下にある船の残骸です。震災後に多くの船が津波により陸地に打ち上げられた中で、沖へ船を避難させた漁民の皆さんの声を聴く。3時過ぎの津波襲来があり、漁民は大切な船を守ろうと、沖に船を走らせた。この日の夜半は冷え込みと雪もあり、アンカー錨で船を沖に停泊させ、小舟で陸に上がったと漁民はいっている。そのあとで津波に流され多くの船が海岸線に打ち上げられた。そんな船が黒崎パーキング下に、少なくても3隻は被災後に私は確認した。救出も試みたが一旦断念し、以後の嵐で船は損傷していった。最後の船も台風15号の海の大荒れで、残った船が全て写真のようになつてしまった。購入すれば3千万円もの船、早い救出が出来なかったのか、と思うばかりである。
国際的な俳優の「渡辺謙」さんが、被災者支援にメッセージを送った。この災害を「忘れない事」を第一に上げていた。そして「絆311」のブログで世界に救済を求めている。私も今一番に思う行動は「当時の大震災を忘れない事」「被災地を見続ける事」そして「ここに生き続ける事」だ。多くの友にこの3つの言葉を叫んでいる。
昨日「南方仮設」に行った。この日の河北新聞が一人の孤独な老人の「姿と声」を報じていた。これを見た私の同級生の父親が、新聞を見てその方に直ぐに会いに行き、話を聞きにいったという。近くに困っている同じ境遇の方に手を差し伸べる。行政が手の回らない所を手助けしている行動、本当に頭が下がった。今日の朝の冷え込みがあり、今後も厳しい寒さに向かう。こたつ・ストーブ・毛布など、寒さ対策の物資支援があるが、動くことの大変なできない高齢者への対策を密にしてほしい。と行政には叫びたい。

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2011
10/18

さあ出発

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今日は仲間のスタートを紹介したい。幼い頃からの友達の阿部くん、津波で自宅・歯科病院が共に跡形もなく流失し失った。あの時から7か月、各機関の支援を受け今日の開業再開と聞いた。町の仮設の歯科医院の混雑が、少しは解消される事を期待したい。そして「阿部一緒に頑張ろう」。55歳の私と54歳の君だが、あと10年15年、町民の皆さんの為にガンバロウぜ。
町の仮設庁舎も建設への歩を進めたが、今後にもまだ段階があり、来年の完成のように聞く。各物品の設置に関し地元事業所からの入札買い入れを要望したい。今までの地元参入業者は全て被災し。ゼロからのスタートを初め、得意先の皆無が現実としてあり、行政からの仕事に頼るしかない、震災後の現実が今「南三陸町」にはある。
漁港整備はいっこうに進んでいない、漁業者は養殖の準備や、港湾の瓦礫撤去に今もあたっている。漁港のかさ上げによる水揚げ場所の確保、漁民の収入確保、漁業の生産体制の確立など、問題山積の沿岸漁業がある。南三陸町の漁業場所の復旧進捗が、遅れているように私は感じていたが、確実に前進していると関係者から聞く。

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2011
10/17

購入支援

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今日の朝病院前を通ったら、写真の瓦礫が撤去されていた。1か月前ごろにボランティアさんが、病院室内の瓦礫を病院前にだして、うず高くつまれていたものが重機により綺麗に取り去られていた。玄関には祭壇がおかれ、前の伊藤屋さんのU字鋼も撤去された。
今日も昨日に続き「コメ送ってください」との電話が入った。何かの形で被災地に支援したいとの思いが、全国の皆さんにはある。まして故郷である「南三陸町」に思いがあり、何をしてあげられるのかと、考える人も多くいる。ありがとうございます、今後も購入支援の仲介をいたい電話は080-1801-6399の千葉まで。被災後に電話をくれた北海道の仲間に、初めて電話を入れた。一回か帰って来たのと聞くと「怖くて行けない」「具合わるくなりそう」と、この悲惨な状況を受け入れないでいた。
子供たちの楽しみにしていた「志津川小学校運動会」が、この土日に予定されていたが、午前の雨と午後には晴天と二日続き中止だったと思う。まだ自然は子供たちに試練を与える。しかし、この子供たちは強い子供となりそうだ。南三陸町の新しい町の「創造」に、大きな期待を持つ。

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2011
10/16

子供たちは元気


戸倉小学校の元気にサッカーをする姿を、戸倉剣道の子供たちがカメラメッセージを撮ってくれた。個人情報と厳しい制約の中で、元気に仲良く遊ぶ児童の写真です。全国からの支援や応援に答えるためにも、無理を親子さんと学校にお願いし、善王寺の体育館を前にサッカーをする、子供たちの元気な姿を全国に伝える事が出来た。
昨日、「漁業特区」を書いたが、又、新しい情報が入った。現在漁業者も今後の経営形態の模索があり、「生産組合設立」の動きがあり、地域での漁民も一体となり漁業活動をする動きがあるという。これは紛れもない漁協の活動への分離独立になりかねない。また、ある漁村に20軒あった漁民の8割が漁業をあきらめているとの話も聞いた。復興の基本は漁業の再生復活が欠かせないが、現実は厳しいと、自分に知らない部分があった。
今日うれしい連絡があった、2・3日前にブログに書いた、米の販売支援に福島の方から、「お米30キロお願いします」との支援の声だった。原発で大変な中に、南三陸町の「志津川」にゆかりのある人で、何かしてあげたいが、この支援にある。うれしい心のつつながりと「輪」「絆」を感じる。幼い頃の仲間で「志津川」を心配し、自分にできる事をと考えた末の活動、本当に涙がでるくらい嬉しかった。
昨日の夜は「戸倉剣道」の本格練習のスタートを切った。6年生は7か月の「ブランク」を感じさせない、動きに子供の大きな可能性を思った。12月と来年の3月の試合に向けた活動を、頑張る誓いを団員と共にした。

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2011
10/15

特区

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皆さん、こんな建築が商工団地内に進んでいます。わが社の倉庫の避難場所裏にで、志津川郵便局仮設です。アリーナから少し中に入った所ですが、窓口・郵便・荷物・保険など、公社化された業務が地区に分かれた業務でしたが、被災前の形に戻る事となる。これで判りにくい、わが社も少しは認知度がでるかな。
漁業者は県内に13000人がいて、南三陸町には1割近くがいる。村井知事の宮城県「漁業特区」は、県議会の産業経済委員会で6対3で不採択となったとテレビで報道された。村井知事は震災直後から、県内の海岸部の水産漁業の「特区制」の設立で漁業の早期再建の案を出していた。しかし、県漁連の特区としての「漁業法人化反対」を言い続けている。二重ローンや漁船流失など、漁民の再建は難しいと、漁民の社員化への形となる。高齢化が現在の漁業の問題のひとつと、担いて不足もある。だがサラリーマンでは得られない、収入の味も知りえる漁民が、果たしで固定の給料に満足するだろうか。どの特区にむけての同意も南三陸町では厳しいと感じるが、中には津波被害の壮絶さから気力なくあきらめる漁民もいると聞く。
ワカメの今年度の収穫は、被災地支援もあり生産された「三陸産ワカメ」の需要はは計り知れない。歌津地区では例年6億の水揚げを200軒でしていとも聞く。私は自然の力は凄いことを津波で知ったが、また、自然の再生能力と底知らないエネルギーを感じる。海は一歩づつ再生に向かっている。常々いうのは瓦礫の撤去と養殖の再生を同時に進めるべきと考える。この二つの重要性は大だが、どちらが欠けても再建には向かわない。生産し販売し収入を得なければ、この苦境からの脱出はできない。
町の瓦礫もかたずけながら、復興住宅建設をする造成も同時にやる必要性を思う。11月には国の復興住宅査定もされるが、方向性の決定まで1年は絶対長すぎる。

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2011
10/14

南三陸町都市計画審議会

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秋も深まり寒暖の差が大きい季節となりました。写真は気仙沼線が震災により寸断した、林の線路上より朝5時前に事務所に向かう道すがら、あまりの月の綺麗さに志津川湾上の「朝月」を携帯で撮りました。線路には秋草が生い茂り電車の不通を物語っていた。ススキの波に月が輝き南三陸町を照らしていました。
11月に政府の「災害復興公営住宅建設査定」があるという。それと「第三次補正予算」の進捗により、南三陸町の都市計画が行政の案を10名の「審議会委員」により、審議され議会の承認を得て、知事に提出し、11月11日に志津川都市計画被災市街地復興推進地域の決定となる。町民への都市計画の案の縦覧は、14日から27日まで住民説明会のあった場所や仮庁舎建設課などでできる。ぜひ見て意見をだして欲しいが、時間もなく建設制限を含めた都市計画は、行政の計画のままで進む。委員となり多くの「町民の声」を反映していきたい。
ブータンの国王が一般の女性と結婚した。国の政策に「国民総幸福」がある。国民は「家族が仲良く暮らせる事」を幸せという。特別の贅沢を望まない事が国民性の中にある。こんな気持ちで南三陸町もあればと感じ、家族を町に置き換えると独自の町づくりに向かえそうだ。
ぜひ志津川地区の都市計画の中に位置する住民の皆さんには、大変でしょうが「縦覧」の図面を確認してほしい、なぜなら「自分の未来の住処」となるからです。

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2011
10/13

忘れないために


9月1日現在で「南三陸町」では、死者499名・不明339名の、合計788名の町民の尊い命が「東日本大震災」で亡くなられた。復興再建の「力」はこの地獄のような映像や多くの死への、悲しみや怒りが体の底から「復活への力」となり、私の原動力となっている。
先ごろ「志津川小学校」の運動会の案内が届いた。子供たちの頑張る姿も町民には大きな「力」なるのは間違いがない。ぜひ足を運んでほしいが天気が少し心配である。お昼には炊き出しがでるそうだ。
写真は被災後に撮った写真だが、このすさまじい光景を見ても「何処の場所」かは理解できない。この歴史的悲劇を後世に告げるために、瓦礫の中を歩き続け携帯で撮り続けた事を今でも思い出す。
今回「南三陸町都市計画審議会委員」に就任依頼があり受ける事とした。震災で何もかも無くなった町の再建の委員になり、新しい町づくりに参画できる機会を得て、「住民の民意」を反映させ、皆が楽しく安心でき笑顔が溢れる町を、再建できる立場を得た事を十分に発揮したい。

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2011
10/12

棒掛け

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戸倉荒町から工場への農道の横には、頭を垂れた稲穂が錦秋の装いとなっている。町中で暮らす毎日から、現在はこの自然の昔懐かしい風景の中で暮らし「業」を行っている。写真はコメの天火干しの「棒掛け」です。
今年は作況指数「104」で豊作となった。しかし被災後の現状は厳しく、新米の販路に頭を痛めている。わたしの大家さんから「23年産の米のチラシ」が届いた。白米30キロ1万円、10キロ3500円、玄米30キロひとめぼれ8千円で販売という。もち米玄米ミヤコガネは30キロ12000円です。私の友人も「買ってほしい」と連絡がありました。農家の被災地救済の観点から、ご支援ください。連絡は080-1801-6399千葉まで、放射能のセシュームは心配ないとのことです。山の清水で育った「米」の味はまた格別です。
三陸産の「かき」は例年の1割しか取れなく、価格が2倍以上で取引され、中国産・韓国産が出回っているという。三陸産は2年・3年と出荷まで時間がかかるという。今日初めて仮設の「宮城県漁協志津川支所」に水道の口座引き落としの手続きにいった。さすがに手狭な環境での業務だった。
同級生の話だと、湾内の海底の瓦礫は予想をはるかに上回り、撤去には3倍の時間を要するといい、反面「南三陸ワカメ」の需要は拡大の一途で、商品がないのが現実という。市場は高値で「南三陸産ワカメ」の新芽の出荷を待っているという。漁業者の環境の整備はいっこうに進んでいないという。新しい試みでは「浮き桟橋」の構想も今浮上していると聞いた。
一日も早く漁民の生活が少しでも前に進むことを願わずにはいられない。

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2011
10/11

日曜日


一昨日の日曜日は街中の瓦礫の処理作業はストップとなる。今後も続く建設業の瓦礫処理、労働者の疲労を考え、日曜は作業を休みにしているみたいだ。
アリーナ入り口は右が医療関係者の建設が本格稼働し、左には各種金融機関と携帯会社が仮設建設、稼働をしている。その場所には警察仮設署もでき、町の治安と町民の安全を見張る。また法律相談所もできテレビで放送がされていた。
その相談内容は、町内の有名食事店の「二重ローン」だった。6千万円のローンが2千万残り返済に苦慮していた。相談では政府の救済策もなく、今はなんとか支払っていくしかないと、弁護士の相談説明だった。もう一つは、主人の「弔慰金」の受け取りで、義理の妹が弔慰金を受け取り、全て使ってしまい、妻が弔慰金を取れるのかと言う。弁護士は取れるというが複雑な問題でもある。もう一つは流失した自分の土地に「瓦礫」がおかれ、土地がどうなるかが心配だという。多くの問題がこの町には起こっていて、その大部分が高齢者が係っている。
朝、昨年のように「米」買ってくれませんかと、友人からの電話があった。支援の米がまだ残っている。縁故米の処理に農家が頭を痛めている。農協の買い取り価格は、玄米30キロ6千円だ、知人に売る価格は8千円ぐらいと、多くの手取りとなる。すべての町民の「大苦悩」の中にある、南三陸町です。

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2011
10/10

高台移転

2011-06-19 05.01.46
今日の夢は津波襲来で、二回も自宅三階まで押し寄せた!しかし、その家はもうない。写真は志津川地区の郵便局裏から松原住民を望んだ。この地区も満潮時には海底となる、もちろん私が生まれた本浜も同じである。
奥に見えるのが四階建の町営住宅、鉄筋コンクリートの建物は津波に耐えて残った。この住宅を津波痕跡と残すべき、との話も聞く。
昨日の南方イオンの高台移転説明会には、200名を超える仮設入居者が集まった。私の周りの方は65歳過ぎで、住宅を建てる資金もなく、『早期町営住宅』を希望していた。区画整理・造成など2年から3年はかかると言う。り災加算金が震災後37カ月以内の申請とあり、制度改正も求められる。減歩率など移転についての言葉など、住民の高台移転は被災を受けた人たちに、更なる苦悩と不安を抱かせる!
仮設入居者には震災での二次被害があるようだ。平常時なら病院にいつでも係れるが、高度な診察や治療がままならず、予防や治療の遅れで、最悪の結果となったと聞き、今の現実の厳しさを知らされた。
速く環境整備がされ、ふるさと南三陸町に帰りたいが、町外の仮設で暮らす町民の願いだろう!

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2011
10/09

100条委員会

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県の地元新聞「河北新報」に、南三陸町の議会の状況が連日報道されている。友人が「100条委員会」が掲載されていたよ、と連絡をくれた。また、茨城県の仲間から、今度南三陸町に帰ったときに、数日泊まる仮設などの支援対策はないのと、電話が入った。地元で張り付き復興を待ち見守る人、遠くから町の推移をみている被災者、情報の取得は大差があり、月日の経過は南三陸町からの住民の流失となる状況が肌に伝わる。
バス停となっている旧ウジエスーパー前の風景です。ひとつのイスが印象的で、夜の街路灯がないから設置をと、要望があった場所です。今日の被災地にも他県ナンバーが多く見受けられた。
河北新報に「旧歌津町とのしこり」「政争の具」など、記者の文面には多くの疑問があり、中立な立場で、町民間争いや混乱にならないように、記者には配慮をお願いしたい。「正義は勝つ」「愛は金欲に勝つ」がある。

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2011
10/08

怒り

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昨日は荒砥地区に出かけたが、先月の台風15号により、袖浜の荒沢神社から民宿に向かう道路が崖崩れとなり、未だに通行止めとなつていた。津波復旧工事に建設会社がすべてあたり、建設会社が工事を請け負えない事や、現場を見ると緊急復旧は難しいこの場所の崖崩れと感じた。更なる災害が発生しない事を祈りたい。
町職員であった娘を亡くした父親にあった。厳しい言葉を聞く、「町長が焼香に来たが断った」「あの町長では町は復興できないし遅れる」「もっと厳しく追及しろ」など、強く厳しい言葉が発せられた。行政の防災マニアルはあるものの、その時々の判断は、トップにある。町民も職員も「自分の命は自分が守る」はあるが、その後押しと適切な判断は、情報を最初に知りえる、行政だと思うがどうだろう。
常々子供たちには「自分の事は自分で」というが、自己責任での発言も必要で、人の意見も聞ける、耳を傾ける行政が今後求められる。

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2011
10/07

袖浜街

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この風景は南三陸町志津川で、民宿街が立ち並ぶ地区の袖浜地区、海岸から50m歩くと、民宿が個々の持ち味の中で、南三陸町志津川への海の幸を求める観光客を迎えていた。その数は20軒はあっただろうか。漁師が経営する宿が大部分ので、津波がなれれば「かき」が今はおいしく、地魚やほや・ホタテなど、品数を上げれば切りがない。何年もかけて作り上げた「袖浜の民宿街」だったが、一瞬でこの姿となり、海の環境も被害で以前のような水揚げは望めず、民宿の復旧は「津波の影響」でこの場所での再開も厳しい。
津波被害の瓦礫もこんな所にもあった。はまゆり大橋の下には、被災地からの布団・畳・各種の瓦礫が空地いっぱいに積まれてあった。早く2次仮置き場を決めないと、南三陸町の綺麗な海の美観が損なわれてしまっている。今は綺麗な環境整備より、生きるための環境づくりがある。
まだまだ町の被災の影の部分がたくさんある。街中の建物も解体の「査定」なされていて、その額の決定で補助金の支給が決定して、町が公的施設の建物撤去、解体となる。郵便局や警察署などの建物も、公社や県の査定が終わってからと、街中の瓦礫は撤去は進んでいない。鉄骨の回収は9割ぐらい終わったと聞く。コンクリートの破砕など、手がかかる状況で、その中での「ボランティア団体」の活動には、敬服しかない。被災瓦礫は「分別」による処理が求められ、早くから仙台市が取り組んでいる。南三陸町はまだまだ進まない気がする。何故?

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2011
10/06

廃牛舎から

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私が新たなスタートの場として決めたのが、戸倉荒町であり、なぜなら、電気・水・場所があっての選択だった。先月の中ごろから「花やさん」が同じ場所で仕事を始めた。
志津川駅前の「佐藤園芸」さんである。町の中でも被災後に店の再開や、6か月を過ぎ死亡認定が加速している。一つの区切り・節目の究極の選択があり、祝い・仏用の花の需要がある。店主は町外で再開を決めた事業所と違い、地元でのスタートにこだわった。
「仮設商店街」は年内スタートと行政は言っていたが、難しそうだ。70店で歌津に10店が6店に、志津川は60店が40店に減ったと聞く。仮設商店街の入店には、設備に関しては「自費」であり、全てを流失した商店主には、大きな障害や痛手となり、断念するケースもある。
昨日はそば店の老舗「京極」さんの話になり、志津川の仮設商店街でのスタートとの話を聞いた、あの味を早く賞味したい。

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2011
10/05

早く早く

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こないだの仲瀬町の議員懇談会の、仮設生活者の苦情に「バスが来ない」があった。点在する58か所の仮設を病院や行政への用事に町が、町内に巡回バスを運行している。
写真はアリーナ前からの巡回バスに多くの高齢者が乗り込む風景です。運転手さんらしき方が「車イス」をバスに積み込んでいた。バスが来るとアリーナのトイレに駆け込む、二人のおばあさんとお孫さんがいた。毎日の不便を元気に受け入れていた。この不便が一日でも短くなる事を願いたい。
昨日も議会が混乱した。また土地買い取りの行政の「?」と議員が詰め寄る。本文の決算審議が進まないと、「動議発言」が出された。一人の議員が「賛成」的な発言に、議場が混乱となった。動議が出された時点で。動議の内容が尊重される。現場の事例を見て議会の進行を、一年議員は学ぶしかない。また叱られそうだ。
町営住宅の早期建設を望む声が被災者からは多い。ゴルフ場跡地の問題を語る「仮設生活者」の声は、私の耳には全然入ってこない。戸倉の剣道スポ少の親も多いが、子供たちの今後が最大の心配のようだ。

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2011
10/04

いつもの朝日

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仮設廻りで見る聞く入居者の苦情は限りなく、その生活が今までとは360度も違うと実感した。全壊・流失・死亡・不明など幾多の苦悩の中で、被災者しかわかりえない苦境を知る。私も罹災をもらい同等の状況には違いがないが、何かをできている事と、目標を持てる事が、現状からの精神的な脱却となっている。
狭い、携帯が繋がらない、テレビが見えないの、仮設生活での苦情があり。仕事がない・お金がない・車がないは、今後への不安と日常生活ができないがある。環境でも隣が山で部屋が暗い、枝が折れ仮設にかかる、雨が、側溝に枯葉が詰まり雨水が用地にあふれてくる。裏の崖の赤土が崩れている。など行政の58か所に及ぶ仮設の管理に、手が回らない現実に、最大の被害者は被災者と二重苦を思う。
昨日は町の仮庁舎で、被災後に初めての再会があった。松原住宅の方で私自身は会えないことで心配していた。詳細を聞くと、津波前の海の引きは1回で津波は一揆に来たという。夜まで何回も津波が来て15回ぐらいと話していたが、夜は津波の独特の音で判断したという。私の初めての情報は志高卓球部避難だったが、住宅入居者・高校生・職員・それ以外の人の44名と聞く、屋上は「避難場所」としての効果を果たした事になる。こういう意味からも死者をださなかった、松原住宅を残すべきと話す。また11日の翌日に志小避難所で顔見たのにと、信頼のあるおばさん的な存在の人にあった。手を握り抱き着いた、嬉しさは、生きているはこうした形で今は表したい。
こんな毎日の喜怒哀楽があるが、変わる事無く日は登り沈む。

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2011
10/03

恩返し


長崎県島原市から24時間かけてボランテッアさんが「南三陸町に行きます」と、メッセージがあり「恩返しです」とあった。雲仙の火砕流での大災害で全国からの支援に対しての事に対する、御礼の意味ととらえる。
昨日は「エグザイル」が南三陸町志津川中学校にきた。夕方の交通規制や「チケツトありません」と表示もされ、私は行かなかったが、近隣からも多くの人が来て、町内にも多くの駐車場が確保された。警備員も町内で交通整理に多くの警備員の配備、支援の輪と元気をくれた。
訂正をしたい、公共の場でも「入谷地区に被害はない」と誤りの発言をお詫びしたい。被災11日の翌日に志津川田尻畑から入谷大船沢をとうり、入谷から歌津払川に知人の被災者を送っていった。当時の混乱で意識の甘さがありました。
本吉・気仙沼の中総体が先月24・25日開催された、剣道は気仙沼唐桑中で開催され、沿岸の被災と中学生の「東日本大震災」の、被災地の混乱の中での1・2年の大会、1年生は新しい中学の部活もままならない中での、大好きな種目に一生懸命です。結果は今後紹介したい。
議会では行政に「地球的異常気象」と唱えているが、深くはとらえていないようだ。台風15号は戸倉荒町地区に大きな爪痕をまた残した。2年ごとに大災害の発生が「我が町」でも、この大災害の他にもある。ヒィリピンでの週2回の台風上陸で大被害が今起こっている。真剣に自然と向き合わないといけない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:51 】

2011
10/02

大森屋

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先月30日に大森地区に出かけた。しばらくぶりの大森町、復興の姿を点々とみる。「大森屋さん始まりましたよ」と町の人に聞いた。懐かしく店主の方の顔を見て「開店したのですね」、と話かけると「6月には始まってました」と、かえってきた。以前通過したときは瓦礫撤去の方が、店前のテントの下で暑さを避け休息をとっていた。
開店に当たり仮設店舗の設営や、冷凍庫の設置に多くの経費が係ったという。ほかにも電気・水などライフラインの確保とあった。駅前商店街の店舗で電気は来たが水がまだだと聞き、町水道課に申し入れし、数日後に通水が近々できますと、所長からのうれしい連絡を受けた。そして、この地域の店舗に伝えた「本当ですか」と、笑顔が返ってきた。復旧の喜びと一歩がある。
昨日は午前に町議会議長の葬儀と、午後は同級生のご両親の葬儀があった。まだ不明の両親の「一つの区切り」という。孫が弔辞を述べた。大学生の彼はキャンパスで頑張っていると、ここにも生死の狭間があった。11日の前日と当日の行動で、結果が「天と地」程違ってくる。人生は何が起こるかわからないという、現実がここにある。
子供たちには、剣道の団員にも、「今を大切に」「時間を無駄にしないように」と、最近時に触れ話す。この意味は11日以前と以後では大きな意味の違い思う。

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2011
10/01

今日の海はやけに眩しく

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これが一昨日の十日町の佐藤歯科クリニックさんから見た、我が社の方向です。朝五時この日の市街地は、正に海の中となつていた。私の家はこの中央で奥にある荒島の前あたりかな、まだ鉄骨の倉庫が「凛」と残っている。
昨夜のモヤモヤの中で今日を迎えた。二時間半のうちで1時間30分の、「ゴルフ跡地の買い取り問題」への時間の費やし、有り得ない。仮設での地区民はこんなことを、議員懇談会で聞きたかった事だつたのだろうか。最後の多くの質問が別件であつたが、これが懇談会の「町民の声」真の姿と思う。
今日の旭は穏やかな志津川湾に眩しく光輝き、海の綺麗な貝や魚に変化し、この南三陸町で一緒に生き続ける。津波の引き波の脅威の中で、人間は自然に帰ったと。不明の方には多くの海の大好き・あこがれた方がおられる。安らかに眠りについてもらいたいとの、祈りをささげたい。「海への散骨」と、私の友へは考え、安らかにと願いたい。
今の町の「政治のゴミゴミ」は、見るに堪えなく、人間の「欲」ばかりが、復興の名のもとに繰り替えされている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】


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