FC2ブログ

ARCHIVE - 2011年09月

2011
09/18

あの場所


写真はわが社の残った分のだが、この悲劇の現場を風化・忘れないためにも、多くの写真を撮った。しかし、もとのようにはならない。ここは本浜町、「復興計画」により新しい南三陸町に生まれ変わる。観光ゾーン・商業ゾーンとなり、7メートルのかさ上げで、復興道路と大きな海からの道路が作られる。
自分が生活の場としていた三階建ては一階部分のみとなり、その前には赤い車が工場の中央に横たわっていた。55歳私が中学生から家業を手伝い、40年間一緒に生きた仕事場は見ての通りで、両親が作り上げた60年もの思いでが詰まったいた。汗と涙と苦悩の思いでがすべてが流失し、残った中の機械も遺体捜索・鉄くず回収で、何もなくなった。多くの角度からの写真が瓦礫の会社が、私の思い出の宝となりました。
写真も友達が入谷中の「思い出写真支援隊」により、数10枚のファイルが探し出された。5万点の写真から2千点が、持ち主にわたる事ができた。多くのボランティアと福祉大学の学生に感謝です。
昨日の葬儀でも突然の両親の死に、葬儀の段取りもつかぬままでの告別式、予想だにもしない自然の驚異には人間はなすすべもない。しかし、子供たちの将来への礎を築く指名が、今の大人・両親にある。
今も家族の突然の死に、悲しみのどん底から、どうして自分に区切り納得をさせるか、悩む心情が電話の向こうから感じられる。肉親の死は忘れる事ではなく、生きた姿を語ることで私は「供養」となると考える。まだまだ今後しる事となる、不幸を正面から受け止め、できることをしてあげようと思う。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 18:25 】

2011
09/18

後だしじゃんけん

110908_135307[1]
登米市佐沼のコープに買い物に行った。なぜかというと「菓房山清再開」とある、新聞がしばらく前に地元紙に掲載されたからだ。店前で山内社長がいた。社長オープンしましたね、いうと、なんとかここまできました。前の店の4分の1ですがという。従業員を解雇せずにの開店ほんとうにご苦労様でしたと話した。長男は中学校時代に剣道の教え子でもあり、次の代への新たな南三陸町の引き継ぎの、再生の第一歩でもある。
また、わが町の町長が新聞に掲載された。今度は支援物資の「トレーラーハウス」の自宅での敷地使用だという。町長の話では、職務上必要であるし、支援団体の了承も得ているという。「指摘流用と誤解を招く恐れがあるなら、私個人で使用貸借契約を結ぶなど適切な手続きを検討する」、またしても言うに落ちた。
町長だから・被災した・復興と言う名を使った、自治体の長の職権混同者がいた、いる。被災民の仮設入居者の現在の苦痛を知らない、また知ろうとしない、被災自治体のトップがここにいる。というふうに言う町民も多くなりいる。朝から私の電話に新聞紙上の事で苦情が数件来た。
鳩山・菅総理民主党と同化して見えていたし、私は震災前から思った。同じ経緯での崩壊の道筋を「我が町」に見える。一部の同調する町民を除いた、全ての町民が一生懸命に生き抜いているのに。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:06 】


TOP