ARCHIVE - 2011年08月

2011
08/31

目の前の悲劇


写真は戸倉中学校を国道398号から望んだ。この場所は小さな公園とトイレがあり、南三陸町志津川湾の入り江にあたり、志津川の青い海と島々を見れ、南三陸町の潮風を体いっぱい味わえる。
しかし、ここが湾の入り江となり、津波の最終到達点である。そのため津波の高さが2倍3倍となり戸倉中学校に押し寄せました。避難所が中学校だったため、多くの人が津波に飲み込まれ浚われていった。車は体育館のドアを破り、館内でグルグル回ったといい、津波は志津川から人を巻き込み戸倉の海岸まで運んで来た。
学校の先生が住民・生徒を助けようと最後まで活動し、津波に飲み込まれた姿をみんなが目撃している。戸倉の学生の教え子も多く、生徒に慕われていた先生「猪又先生」だと聞く。こないだ教え子が最後の姿があったという、中学校にお盆に行った、一つだけ花が献花といておいてあったという、私もおいてきたけど、もっと花が添えられていると思っていたと言う。町の教員として地域と交流もあったはずなのにさびしいと、でも海岸線の戸倉の8割以上が被災している現実で、お盆は自分の事で精いっぱいなのだろうとも思う。
写真で見える木々・手すりなとに、多くの死体があったことを、ここに避難した親子は忘れることがないだろう。悲劇を忘れないためにも、戸倉中学校に一度訪れ、この校庭から高台から志津川湾に手を合わせてほしい。私は3度議会被災地調査で出かけたが、学校の2階までの津波を想像するに、まさに「地獄絵図」がここに、間違いなくあった。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 16:09 】

2011
08/30

どじょう


この写真は3月18日に戸倉地区の人たちが避難している、横山の小学校体育館に行く途中に撮影した。町内の中心地でもある「サンポー」の被災の姿、津波の脅威を、この写真から知ることができる。
現在は海からの養殖施設の残骸も取り外され、内部の瓦礫も少しづつだか撤去されている。まだまだ店内の状況は判らないが、危険も伴うこともあり、この南三陸町の大型店舗のかたずけが進まない現実がある。
現在2次災害が問題となっている。町内の労働の場が流失して失業し、行政からの税金徴収の割賦が届いている。税の対象額は前年の所得が対象で、3月11日からの失業し失業保険が支給はあるが、厳しい生活がある。罹災し免除・軽減される方々は、国保・住民などの税が免除になっている。前者の町民にも減税軽減の処置が必要だ。隣市では免税にもなっているという。
民主党の党首に「野田氏」がなる。95代総理に今日なる予定だ。「どじょうが金魚のまねをしてもしょうがないじゃん」は相田みつをの言葉で、この言葉が好きと野田氏はかたる。
トップの行動・行為も、しょせん自分が生まれ持っているもの、お仲間もこうした「資質」の持ち主なのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:50 】

2011
08/29

平磯地区


袖浜から荒砥に向かう途中にあるのが、平磯・深田地区です。入り江の小さな漁村で、砂浜では季節に合わせ、昔は廃校になった「荒砥小学校」の児童による地引網がおこなわれた、静かな磯だった。
入り江の平地には民家が密集して立っていたが、写真のように見る影もない、奥地の水田まで津波が達し、昔の面影が見つからなく、跡形もない。正面のカーブに同級生の家があったが、家の形はあるものの全壊で、父親が不明とも聞く、建築して10年あまりで、まだローンがと心配している。
被災して間もないころの風景、同級生は見るのも嫌だというが、これが現実です。互いに一歩づつ前進したい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:16 】

2011
08/29

全国からの支援


昨日は台湾仏教協会の義捐金の受け取りに4時までということで、3時すぎに出かけた。アリーナ内には行列ができ、聞くところによると7時半に行列が始まった。9時に受け付けで午前中は2時間を受領まで要した。
しかし、家の流失者に一人家庭は3万円、3人まで5万、5人以上には7万円の義捐金は、感謝・感謝である。会場には志津川地区の町民が大勢集まり、しばらくぶりの顔合わせの人と、近況を語り合えた。
写真は、スポーツ少年団への支援の手ぬぐいです。佐賀県の唐津刀道館初代館長、林貞男氏の名前があった。数は100枚をこえる。また、千葉県の船橋市の剣道会の村上さんよりの、多くの剣道用品が多数届いた。少年剣士への支援に大感謝である。どうして恩返しをと話すと「そんなことは気にしないでください」と、諭された。
キッズナル公式サイト
http://kidsnal.net/
上記のアドレスは、被災地の子供たちのスポーツの取り組みを伝える、活動です。子供たちの心の状況を伝え、頑張る姿を伝える、多くの意味がある。ぜひネットをひらいてみてほしい。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2011
08/28

市場は残ったが


無残な姿になった「南三陸町卸売市場」です。鉄骨は残ったが天井の屋根はバラバラになり、たれさがっている風景が、原爆が落ちた以上の力をものがたる。福島原発の被災での放射能は、広島の原発の160倍以上という。市場には大型漁船が横向きのころがったていた。
今日は南三陸町アリーナにおいて福興市が開催され18000千人の来客を見込む、今回から一店の商店が参加紹介された。主人は知人でもあるが、南三陸町に早くかえってきたいという、今は利府町に住み、孫が生まれこの子のためにもまた頑張りたいと話す。南三陸町志津川の特産でもある「たこ」で復活を誓っていた。
誰かのために頑張りたい。私は子供たちのため、またかえってきてもらえる出身者のために、やれる事をがむしゃらに頑張りたい。
無理しなくていいんじゃない、と周りには言われる。「今頑張らないでいつに何をするのか」と、自分に言い聞かせている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:34 】

2011
08/27

信じられない瓦礫

2011-08-27 05.11.36
毎日見ている瓦礫ながら、こんなにも積み上がった!松原公園トイレが、大きさを比べる『タバコ』のように感じ、瓦礫山の下からみると、この山には何軒の汗水の結晶なのだろう。
明日は、台湾仏教協会の義援金が、南三陸町志津川地区の被災者に配られる。会場はアリーナで福興市も、最後の日曜とあり、開催されアリーナな大混雑となる。
弔慰金が県外の子にも配分される。最近これが決定した。政府の予算がとうり、支給のめどが二次補正でできたためだ、予算がつかなかったら、親の死でも国、町からでなかったのかと、今まで国に尽くしきた国民に、あまりにも冷たいと嘆くしかなかった!
戸倉剣道の戸倉中学生二人が、見事このハンデを抱え初段に合格した。全国からの多くの支援と、日本剣道連盟からの支援で、剣道の道具を準備でき、戸倉剣道の最終目標の初段取得となった。子供たちも、心優しい支援ができる情の厚い人間になってほしい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:14 】

2011
08/27

田尻畑


デイサービスセンターでは多くの高齢者が亡くなり、それを助けようとして職員も殉職した。避難所でもあるこの場所には避難者が来ていたものの、今回の大津波はこの施設の一階部分を飲み込むこととなった。
ここで歌津の同僚と町の職員も危機を逃れた。旭ケ丘に被災後避難し、歌津地区・家族が心配と、翌朝旭ケ丘から山越えし入谷へそこから払川を通り歌津に入った。と同行した私に、同僚が話してくれた。
写真はこの場所まで来たのかと驚く光景が「田尻畑」にあった。菊のブランド「黄金郷」の産地で、奥にはすべてのビニールハウスが倒壊しメチャメチャとなっていた。写真のように被災地には雪が地面を埋め尽くし、なんとか入谷までたどり着いた。消防団長が交通整理など、すでに活動しており、ここまで軽トラの助手席に女性二人、荷台には私と同僚が乗った。ここからは消防団長のご厚意により歌津まで車に乗せてもらい行くことができたと、後に聞くことができた。
寒い冷たい朝だったことを今も体が知っている。入谷地区は被災してをない、避難者支援はあったものの、命からがら逃げてきた歌津地区の3人に対する、地区の代表の心冷たい対応も忘れることができない。
命からがらの逃げてきた歌津住民の目の前で、「暖かい味噌汁をすする姿」を知人も忘れることができないと、今も話している。そんな現実が被災地のあちこちであったのだろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:55 】

2011
08/26

復興大臣に要望

2011-08-26 15.24.33
今回は菅総理大臣への要望書を提出ながら、今日の午後2時に総理の記者会見となった。議員団での陳情は災害復興対策の迅速化を訴えに上京した。
災害復興の平野大臣との陳情が最大の目的で、大臣の職務は現在も最大限の多忙と思う。そんな中で時間をさき、南三陸町議会の陳情活動に応えてくれた。
『大変な中を御苦労様です!』が初めの一声だった。大臣は私も石巻と気仙沼の市長とは会っているものの、南三陸町長とは、まだ一度もお会いしていない!だった。『えー!』と何で!と強い疑問と、何が多忙?分刻み?と、町のトップとしての、被災対策の復興活動に、一番初めに面会しに行かなければならない相手だろうと強く感じた。
避難地への早期復興支援資金の対策配分を政府に陳情は、参院、衆議院への地元選出議員への陳情など、二班に別れた。愛知氏、熊谷氏とは面会で来たが、四人の先生方は仙台市議選挙で不在だった。やはり政権争奪戦ばかりが見えてくる。駆け足ながら頭を下げぱなしの二日間だった。
国土交通省への『三陸道』の早期開通より、災害復興だろう!と思うが復興と密接な関係があるという。石破代議士と会った。見る普通の人なのに、何かオーラが?

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:51 】

2011
08/25

津波襲来の痕


11日の東日本大震災の地獄の風景です。
翌日不明の身内の捜索に街中を共に歩いた時に、山根の階段を登り南三陸町の市街地を望んだ、地獄の光景が広がる。まだ津波の痕跡が残り、泥まみれの町があった。
これがあのチリ地震津波からの復興をとげ、綺麗に生まれ変わった南三陸町「志津川」の街並みだったのか、本当に元のような「愛する郷土志津川」「わがふるさと」に戻れるのか、この姿からは絶望感のみだった。
あれから子供たちの学校に通学する姿に、子供たちの笑顔が少しみられ、一歩一歩復興に向け進んでいる。この子供たちのためにも、私たちを含めた大人が今頑張らないといけない。
今日は「南三陸町議会議員」が特別委員会で、行政・町長よりも先駆けて、政府に陳情に向かう。ほかの被災した自治体よりも、厳しい現状にある南三陸町、議会の積極的な行動ながら、結果が成果がこの活動で求められる。

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 07:11 】

2011
08/24

荒砥浜

110806_114838[1]
何気ない海の風景ながら震災以前とは大きく違う。通常は荒砥漁港の海面は、満潮時でも船付場から1メートル位はあった気がする。
見てのように漁港には海水が上がっている。南三陸町の浸水域は「地盤沈下」があり、地域によって70センチから1メートルを超える土地の沈下となった。
しかしながら、この青い海は悔しいくらいきれいだ、自然との共生は人類の課題として今後も考えていかなければならない、尊い命が奪われことを無にしないように。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:19 】

2011
08/23

志津川八幡神社


アリーナから東山の山道を通り、被災した志津川市街地を抜け上山緑地を保育所を右手に、八幡神社へ下るさから南三陸町庁舎を望んだ光景がこの写真です。
水道管理関係者とすれ違い町の水道復旧はかなり厳しいと、この被災地を見て感じたと聞いた。しかしながら、5か月余りで完全復旧に近い通水となった。
前の原型をとどめる事のない町の姿が一面に広がっていた。恩師の住む家も原型はあるものの家には瓦礫がすべてに突き刺さる姿に津波の激しい勢いをうかがう。
町内の瓦礫はかたずいてはいるが、まだまだだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:05 】

2011
08/23

歌津津龍院

110807_105845[1]
歌津地区の伊里前地区の市街地は跡形もなく、なくなったのは多くの報道で皆さんも見ていることと思います。しかし、海岸線の集落の壊滅的な現場は知ることは少ないと思う・
立場がら被災地視察に行くが、道路のあるところを車で歩くのみで、自分がお世話になっている所まで行くことはできない。そんな中でこないだ、歌津館地区の曹洞宗の「津龍院」さんに寄ってみた。大きな歴史ある本堂が跡形もなく、ひの跡地にはヒマワリがさいていた。
山門の入り口には大きな塔婆がひっそくと建てられていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:17 】

2011
08/22

救出


3月11日の津波の襲来の後、志津川中跡地の社協から、旭ケ丘の登り口には町から押し寄せた瓦礫と化した建物が道路を埋め尽くし、写真のような光景となった。
深々と降る雪の静寂の中から「助けて」と声が聞こえてきた。向かいの山林から若者が救助に瓦礫に飛び移った。「どこだ」と声をかけた。ここですとかえってくる。屋根のしたからかすかな声がした。「ここだ、屋根を壊せ」と4人に私も加わり救出作業となった。
見る見るうちに旭ケ丘の住民が手伝いに集まる。とにかく5人で瓦・屋根板・天井と壊していく、しかし太い柱が行く手を阻んだ。消防署員も加わり柱を切断、お母さんが顔を見せた。「千葉さん」と私を知っている方だった。その下には旦那さんもいるという。二人をみんなで助け出し、若者の救助活動に感動した。
一人の若者が「先生私をわかりますか」という。志津川中学校時代の剣道部の教え子だった。こうした熱血感あふれる若者に、南三陸町の未来は捨てたものじゃない。
この光景を決して私は忘れることはないし、語りついていきたい。この津波の悲劇を。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:35 】

2011
08/22

整然と車が

110821_105730[1]
被災前に農協南三陸本所があった場所に、被災した車が集められていた。市街地の花見の名所の「東山公園」の前でもある。津波避難の高台しとて、多くの避難者が逃げ助かった。しかし、町内のいたるところに車の残骸がいまだにたくさんある。いつになったら被災地から見るのも苦しい瓦礫がなくなるのだろう。
今週に南三陸町議会議員団が政府に陳情に行く。町長・行政も同行したいとの話だったが、議会の単独で行くことに決まった。今から私自身の住民からの要望を伝えればと考えている。女川の安住代議士・気仙沼の小野寺代議士がいるが、民主党は代表選挙を控え混乱しているが、南三陸町議員団が陳情に、とあれば先生方も対応しないわけにはいかない。いったい誰がどんな言葉をくれるのだろうか?

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 09:02 】

2011
08/21

自衛隊撤退


写真は今月はじめの自衛隊撤退セレモニーでの、自衛隊・役場職員と議会議員の記念写真の風景です。
隊長のあいさつで、一日も早く子供たちの心の底からの笑顔が見たいですと語った。
遅れている町の復興や、仮説からの復興住宅への移転の活動に、再度来町してほしいと町民も話している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:21 】

2011
08/21

地獄の光景


当日私は両親と弟の家のある旭が丘に避難し、高台から大津波を見ていた。
写真は次の日の12日の朝、眠れず旭が丘から北東の山の煙を見つけた。ラジオては火の手が避難場所のアリーナに向かっている!てとの放送を聞いた。いったい新井田地区はどうなっているのか?この地獄の町の姿を想像もできなかった。しかし、目の前の光景すら信じたくない気持ちばかりご募る。
朝六時ごろか?春に向かう三月のこの朝は、冬に逆戻りの厳寒だった。静まりかえる南三陸町の変わり果てた、町の現実だけが、眼下に見えるだけだ!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:53 】

2011
08/20

あの日


携帯の写真が会社にネットがつながっため、スマートフォンでブログに載せる事が、私のパソコン能力で出来るようになった。厳しい『あの日』の現実を振り返りたい。
写真の人の列は志津川小学校からアリーナに向かうところです。場所は現在の仮変電所で、津波で発生した火災の車が焼けた臭いの中を進んだ。瓦礫の山はなく津波ですべてが、奥へ山際に追いやられ、以外と泥の中ながら歩けた事を思い出す!
台湾仏教の協会からの義援金の配分がある。全ての被災者にこの連絡は届いてないようだ!今日知人が連絡がないと激怒していた。我が家は三人なので5万円!感謝である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:49 】

2011
08/19

神様トンボ

2011-08-19 17.05.20
私の南三陸町議会議員としての原点は、戸倉荒町の並石線の整備開発だった。荒町の長老と言える方からの、何とか取り上げて!との依頼だった。しかし、地域の区長や契約会の了解も、得ないままでの一般質問スタートでした。
写真は荒町から横山に向かう並石線沿いの、穂を出し始めた水田です。水田のうねの草刈りの光景を見ながら、工場に毎日のように通い、荒町の自然に癒されている。
こないだ戸倉荒町営業所で『神様トンボ』を見つけた。何十年も見ていない気がする。トンボやコウロギや山鳩、スズメバチや土バチ等各種クモも多くいる。そんな中ででの仕事は?
今日は志津川高校が授業を開始したが、登米市からの通学バスが一日一便と、学校生活に支障がある。県議会選挙もスタートした。そんな中で南三陸町長の週刊誌での、奇跡の生還から、セクハラや土下座と、ふさわしくない文字が紙面に踊っていた!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:07 】

2011
08/18

安全運転を!

2011-08-07 12.29.09
一昨日志津川地区の天王前の、仮設セブンの前で交通事故が発生した。街路灯の土台のコンクリート魂に、仙台ナンバーの軽トラックが正面からぶつかった!
コンビニの店員の話だと、70キロぐらいのスピードだったともきく。消防車もすれ違い、火災になる煙をエンジンからと聞いた。次の六時に前を通とまだ車があった。
従業員の話では石巻日赤に運ばれたものの、二時間後に死亡したとラジオで聞いたと言う。救急車に乗せられる時には、すでに目を開いたままと言う。
熱中症?だったとも聞いた。ボランティア支援、観光でも被災地は何が起こるかわからず、こないだはタイヤのパンクで運転者が右往左往していた。
志津川地区の冠水は現在、夕方の5時半ごろで仙台銀行の前の、海水の逆流で大渋滞となっていると言う。私が今帰り8時9時と潮が引いてからの帰りなのでしらなかった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:26 】

2011
08/17

涼を求めて

2011-08-16 13.01.39
長い間お世話になった代書人さんか、逝去された事を知り御盆に線香と花を手向けに米川まで、出掛け五月に亡くなられたと聞き、被災して周囲に気が回らない、現在だったと再確認した!
写真は登米市米谷の三滝堂で夏の暑さから逃れようと、多くの家族の川遊びの風景です、海は津波により海水浴も出来ず、この場所で最後の夏休みを満喫する、子供たちの笑いが川沿いの山々に、響き渡っていた。
引き替え南三陸町には、毎日との生活との闘いがある、15分と近い三滝堂は、異国?別世界でした!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 21:15 】

2011
08/16

企業支援活動

2011-08-15 12.41.47
社会福祉協議会の担当に聞くと、大手企業でハイテク器機の会社が、一ヶ月間の予定でバスをチャーターして、南三陸町に災害支援で来た!
写真のこの広さの清掃、病院の院内の片付けもこの企業の活動と思う。
ありがとう。そして感謝です!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:21 】

2011
08/15

御盆ボランティア

2011-08-15 12.45.44
大型バスが三台、新井田の最終到達の火災も発生した、地区に150名を越えるボランティアが入った。重機により鉄などの片付けも終わり、小さい鉄ぐずなどを多くの人の力による、最終の瓦礫撤去をしていた。新井田の町営住宅や、民家の残骸が片づき、沢山の土嚢袋が跡地に点在していた。
今日の南三陸町も33度以上にもなり、休息、水分補給ば欠かせない。多くのボランティアの来訪による、被災地の最終清掃は復興の第一歩です。感謝してもしきれない!
新井田に住んでいた知人は、親子がバラバラとなり、南三陸町志津川を離れた。息子は仙台に母親を連れ、娘は石巻の仮設に移った。間違いない人口流失であり、危機感のない行政の姿が震災前から、首長には欠如している?

【 未分類 | CO:1 | TB:× | 20:09 】

2011
08/14

鎮魂花火

2011-08-13 19.34.15
戸倉荒町からの七時過ぎの帰りがけ、志津川湾には大輪の復興花火が輝き、途中の林漁港に寄り道、港には多くの地区住民が集まり、瓦礫の上に広がる打ち上げ花火を、色々な思いの中で見つめる!
テレビで星空に輝く満天の星に、幼い子供がおじいちゃんは一番輝くあの星になったんだね!と、引き波で海に散った多くの命の上での花火に、場違いと開催を否定したが、復興への力に!鎮魂の願いを込め!ひとつの区切りにと、様々な思いがこの花火にある。
志津川市街地には警備員を張り巡らして、警察署の方の瓦礫での花火は危険!何もない事を私も願った。
御盆では多くの津波被害者に手を合わせた!また、行政の同級生の職員への焼香は、仲間の働きを最後の勤務の姿を伝える義務を感じ、子供たちに奥さん家族に伝えた。

【 未分類 | CO:2 | TB:× | 18:38 】

2011
08/13

笑顔で!

2011-08-13 13.54.13
御盆に入る前の三日間、戸倉荒町地区の高校生の力を借りて、墓前用の花を販売してみた。目的は売り上げより、子供たちの笑顔を、車で行き交う訪れる皆さんにみてもらいたい。荒町の存在感を伝えたかった!
多くの同級生や知人も顔を見せてくれた。この地方は14日の朝に御盆の焼香をする。昨日は議会で今日は多くの来客を向かえ話をした、ボランティアの帰りがけに子供たちの頑張りに、よってくれ少しだけど協力させてもらいます。と、アルバイトの三人の笑いが聞こえる。
今日は南三陸町歌津中学校の卒業式が開催され、74人の共に卒業式を挙げられ事に、嬉しいと女性徒の笑顔が良かった。南三陸町の復興への力になる世代です。
生かされているから、悲しみも喜びも味わえる事に、感謝です!亡くなられたみんなの分まで、町のために生きます。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 19:21 】

2011
08/12

戸倉地区

2011-06-19 05.10.55
写真は戸倉小学校の生徒たちが津波から、九死に一生を生み出した、裏山の高台の神社から被災後の、志津川湾には朝日がのぼる。今わたしは生きている!
戸倉地区の25年前の問題となった、戸倉ゴルフ場建設跡地を、町で取得する議案がだされたが、この非常時の行政の決定に議会が、ノー!と結論を出した。
今日はわたしは議会だったが、戸倉荒町営業所では御盆の供え物の花や果物が、高校生のアルバイトにより販売された。荒町地区の子供たちの元気を、郷里に帰る方に、町を訪れる人たちに見せたかった!
今夜9時から3.11の当時の様子、津波、地震の姿を初めて見る。この時の星が綺麗に輝き、音もない雪の寒い夜を思い出す!車でナビから他の地区の姿が少しづつ放映される。車中で震えていた自分を思い出す。
東日本を襲う津波の影像に、津波の恐ろしさを再確認し、引き波の驚異をまざまざと知らされた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 22:25 】

2011
08/11

云われ

2011-08-07 12.29.09
今日も33℃と言う事で暑くなる、熱中症が全国で発生している、ぜひ自分におごる事なく体に気を払って欲しい!
今日から戸倉荒町て南三陸町のブランド菊の『黄金郷』を、今回被災された墓前へと販売を始める。戸倉地区て唯一被害のない、この場所に被災した会社の仮事務所を立ち上げた事も、友達の支援と協力にも感謝したい。
場所は仙台から南三陸町に入り、最初の地区荒町の中心部で、左側のお地蔵さんの前で、敷地でのターンで、ドライブスルーで、トイレもありドライブ休憩にどうぞ。
この活動は利益ではなく、荒町地区の高校生の元気も見てもらいたい!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:16 】

2011
08/09

大型重機

2011-07-08 05.27.59
先週末に水尻川の河口に中條重機?と名前の書いた重機が、大破した水門の横に横付いていた。何の為と思ったら。水門自動開閉の機械が、水門の上部から落下し、川に沈んでいた物を回収するためだった!
この近辺は河口の近くの家は、土台ごと流され今は川となっている。
写真は二回目になる仮橋?手前がその器機です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:52 】

2011
08/08

御霊に合掌

2011-08-07 12.29.01
今週末から御盆となり多くの南三陸町の皆さんが、東日本大震災の犠牲となった人々の家族が、墓前に花をあげ手を合わせに帰ってくる。
南三陸町の国道45号線の入り口に、会社が津波て崩壊したあと、戸倉荒町に営業所を立ち上げた。何も考えずにこの場所を選んだが、この地から市街地までは店がない。故郷に来ても御盆の準備ができない現実が、今この町にはある。
こうした方々の手助けをしたい、道路情報やお寺の状態を伝える為に、この場所は最高の立地である。荒町の高校生に協力をもらい、場所を提供してくれた方の理解の元で、この支援活動ができそうだ!
墓前への献花の供養花の販売予約をしたい。入谷の黄金郷のブランド花を、是非とも墓前へと思う。また、『命の水』として南三陸町の水道水を、飲んで『水』の大切さを感じてもらいたい。
皆さんのご理解と協力をお願いしたい。今日は四台ねの製本機械を設備する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:13 】

2011
08/07

神戸希望応援隊

2011-08-07 12.27.11
今日も志津川公立病院に『神戸希望応援隊』の車を見かけた。今この場所に多くのボランティアの活動をみる、大型バスで乗り付ける人数は100名近くになる。本格的な市街地の大型ビルの瓦礫の撤去に取りかかっている、危険を伴うボランティア作業に怪我や事故のない事を願いたい。
今日の写真は被災地にひまわりを!との活動の種が花を開いた。種まきの時期的なものでこれから、活動の仲間のひまわりが咲く。神戸の大震災のひまわりが、中越震災から東日本大震災の地に、花をつけた。
また、午後1時から復興策定会議が開催され、多くのメディアが集まった。一般も傍聴可能だがその影はなかった。中林委員の復興計画案の紹介が20分あり、10年後の南三陸町の復興の姿を、想像した記事報道を自分なりに考え、未来の町を語った。これが本当に実現したら、素晴らしいと思うが、今の置かれてる町の実態を思うに、現実は程遠いと考え、希望を描けない自分がいる!
写真のひまわりの様に、子供達には明るく笑顔溢れる町にして欲しい。今の私達の役割の重さを感じる!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 16:14 】

2011
08/06

機動隊

2011-07-16 16.51.33
荒砥の全慶寺に葬儀に行ってきた、97歳の天寿を全うし、地域の大きくの貢献をした。荒砥幼稚園はこの高橋さんが寄贈しと聞いた、地域の子供達に育成に取り組んできた。今はこんな方は少なく、この大震災で益々地元の人の貢献ほ減るだろう!
葬儀で高橋県議会議員さんと会った。今度仮設に入ると聞いた、千葉さんも入りませんか!と助言を頂いた。まだ、機動隊が不明者の捜索にあたっている。大きくの機動隊が元の警察署前に、五台六台と並ぶ、今日から30度を越える気温の中で汗だくとなり瓦礫の中を歩く。
昨日は自衛隊の撤退のセレモニーがアリーナ多目的広場であった。役場職員と議会で見送った。第22師団?の144名の7月末まで活動を終えた。南三陸町の町民の皆さんが、心から笑顔となる事を、一日も早く願います。と撤退にあたりの挨拶で語った。ご苦労さま!そしてありがとうございます。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 13:25 】


TOP