ARCHIVE - 2011年06月

2011
06/30

今日の一枚

2011-06-30 05.40.32
朝六時に戸倉営業所に向かう、志津川地域天王前の警察宿舎の車は今も屋上に止まり、なかなか瓦礫の撤去は進まない、自衛隊の今月末撤退となり、建設業組合の瓦礫撤去の期待は重大だ!
この青空と木々の緑に、津波を受け塩水を被った杉の茶色が、戸倉営業所までの道沿いに連なる。『明けない夜はない!』とは言うが、被災生活から仮設に移れない町民は、こんな心境と思う!
戸倉のある地域のおとうさんが言っていた、『おらいの山使ってもいいのに!』と、地区優先があるが、戸倉地区の被災者は沢山いるのに、仮設住宅が少ないように思う。地元に帰りたい、住んでた地区に戻りたいのが、地区住民の願いです。住民の願いを早く行政は叶えるねが役目なのだが。
朝のテレビで、歌津にフランスから浄水器が入る。飲料水の普及が88%の歌津、津波の塩水の影響はなかなか解決しない、フランスからの支援により、早ければ7月下旬には浄水器により、飲料水が浄水器から供給されると言う。
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2011
06/29

未被災

2011-06-26 08.54.34
南三陸町の75%の町民が被災しているが、被災していない町民の意識に大きな差がある。被災者に可愛そうや支援は欠かせなく迅速にとは言いながら、現実は違う。
小さな気遣いで救われる!のだが、今いる戦いの場には、見せかけもあり、地域性が色濃い。まして被災した者と、周辺が被災し変わっても自分に被災のない者には、解らずこの仲間に自己への甘えは止めにしたい。
写真は商工団地内に出来た『南三陸商工会』です。先頃会議がもたれ津波流失し再開を希望する商店主が90名いると知った。仮設などへの商店の接地は、被災者も商店主も早期にと望んでいる。
『議会広報』が8月に発行される。被災しなかった印刷会社があたる、常々言っている町長の会社で、今回は紙代とインク代だけつで印刷すると言う。町長も自宅は流失している被災者で、印刷代はとってもらうべきと主張したのだが、委員からは『いいんじゃないの!』との意見が大半だった。経済、社会の復興には、会社の再建には対価も欠かせないと思うがどうだろう。
今日は印刷機械が搬入となる。そして暑い一日だ!

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2011
06/28

開通

2011-06-27 13.54.40
昨日は本吉まで銀行用事で出掛けた。アリーナの入口には、仙台・77・農協と仮設の金融機関があるが、用件が総てできるかと言うとそうでもない。
気仙沼小泉大橋は仮設とは言え、普通であり3かヶ月半で完成開通、水尻橋の五倍はあるだろう。小泉と言えば『瓦礫第二仮置き場』が今候補地域であり、今日の姿は、海岸は国道まで海水が押し寄せ、水田ば雨で水浸しとなっていた!建設されたばかりの農協スタンドは、鉄の瓦礫の姿になっていた。気仙沼線の高架橋には未だに家の残骸があった。
戸倉の西戸地区の瓦礫は撤去されてはいるが、志津川地域・歌津伊里前地域は、瓦礫撤去が3ヶ月過ぎても、片付きの遅さを感じる。6月で自衛隊の撤退があるが、まだまだ町民は復興支援活動の継続を求めるが、行政の強い働き掛けを感じない!石巻市は9月まで活動とも聞くが、南三陸町の復興への道のりは、まだ先のようだ。
戸倉の荒町に仮設10戸は広報紙面のパホーマンス?南方ジャスコ跡に200戸、ブラス400戸と、モクモクランドへの仮設建設は、未だその姿もない。集団避難から次は登米市に500戸からの、仮設移転は町民の更なる苦痛?とはならないだろうか。
行政の復興へのバホーマンスには、『ノー!』を突きつけているのに、行政職員の多忙過大は深刻と今日、再度思った、これもトップの采配しだいと思う。テレビでの町長の活躍を絶賛する風潮にあるが、南三陸町内では?

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2011
06/27

御風呂入りたい!

2011-06-26 08.56.22
わが家の被災地は倉庫で勿論風呂はなく、しかし、仲間が臨時の露天風呂を作ってくれた。羞恥心が薄れているが、野外と時間のゆとりがなく、まだ一回しか入ってない。
先輩から今度南三陸町に『別府温泉がくるから!』と連絡があり一ヶ月がたった。昨日訪れところ、来月いっぱいで終わります、是非入りに来て下さい!と名刺をもらった。九州別府からトラックで温泉を運んでいる。女性と男性の入浴時間が決まっている。一度出掛けて下さい。代表の話で、昨日は福興市のボランティアの為に、九州から牛肉を100キロ送ってもらい、終了後に食べてもらうという。二つの支援に感謝である。
昨日こら気仙沼市の小泉大橋が開通した。この不便大きく細い山間地の迂回道路は6.3キロ、45号線の橋の完成で0.5キロと、気仙沼までの時間の短縮は、ライフラインとしておきい。
昨日の雨の中で支援者の案内に歩いたら、午後に吐き気とふらつきと腹痛、戸倉営業所の片付けを半分に、倉庫に帰り二時間寝込んだ、今日は調子は戻りこれから本吉に行く!仕事らしい仕事を今日はできそうだ。

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2011
06/26

気力と信頼

2011-06-26 10.04.08
写真の方向は横のとなっているが、若者からのエネルギーとメッセージの発信は、町民に気力の充電してもらいたい。
今日の政治討論で、今回の復興への資金は、16兆9千億と試算された、復興特例債の法案通過がなるが、津波被災12の自治体の復興経費は2兆4千億で、宮城県内は8600億円で県内の津波被害の自治体は、人件費を含め年間2200億円、国の支援なしでは南三陸町の再建は無理で、自治体のトップの独自復興案が新しい町づくりには欠かせない。今を生きる世代の連帯で、次の世代に先送りせず!が今の世代で復興を成し遂げないと言っていた事が強く心に残った。
昨日の志津川高校の避難者との懇談会で、仮設入居問題、町長の今後の方向発信、希望の持てる復興の道筋、瓦礫の早期撤去、義援金配布など、町民の苦しみ要望の声を直接早く聞け!などの町長辞めろなどの、厳しい言葉が飛んだ。私は出席し、良かったと実感し、膝つき会うのことの必要性を思った。
今日の福興市はあいにくの雨ながら、大型バスは防災センターや松原の瓦礫の山を周り、今回からのアリーナの会場に向かった。やはり復興イベントに被災地域を見たいは、国民の当たり前の行動なのだろうか?
また、個人的な支援者が来た、佐藤毛糸さんの友人て、父親は喜んでいた。商工団地信号付近に、別府温泉が出来た。九州から温泉を持って来て、入浴してもらっていたが、7月いっぱいで、この支援に是非浸ってもらいたい。

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2011
06/25

町再建

2011-06-25 07.21.44
明日の日曜は南三陸町の復興への足掛かりとも言える、『福興市』があり場所を志津川中からベイサイドアリーナに変え開催される。毎月の恒例となり、首都圏から支援と多くの来場客を迎えるまでとなった。
写真はアリーナ入口の未建設の土地が三ヶ所あり、秋には医療施設のが建つ予定があると聞く。町の仮設病院の先生も減るとの話も議会で論議となった。被災前からの町の問題が今後も続く。
昨日の議会の中で義援金の事がでた、2000人から義援金があったが、匿名でと言う方も1500人からあり、名前の公表はできないと行政は答えた。混乱の町機能の中にあり義援金や支援物資が間違いない運用がされているのか、総て適正な処理ができるのか?この混乱に乗じて悪事を凶行する輩が、間違いなくいる!
事業主が復活の再建で仮設の事業を始める光景を、町中に走行中にみる、微弱だが社会経済の動きを感じる。今月中に最低の設備設置を終えて、来月から情報発信や避難者への生活情報を伝える活動ができる。できる事から始めたい、アルバイトやパートながら、長期の雇用を創りたい!
復興への支援行動方法は色々あり、自分が出来る事をしていきたい!

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2011
06/24

自然エネルギー

2011-06-24 06.26.36
福島県の原発は想像を絶する影響で、国内に止まらず海外までおよび、震災の津波のダブルの被災な、地域民の全ての平安を奪った!そして今、原発から『自然エネルギー』への変換が世界中で咲けばれている。
写真は同級生の友達が被災後に、支援物資として提供してくれた。外の街灯と思うだろうが違う、夜中の部屋の灯りとして重宝している。両親と私は夜にトイレに二三度起きる。電気の無いときは、玄関の段差で私も父親も踏み外し、体をぶつけ苦しかったを思いだす。
こんなにも太陽パネルの必要性を実感する。南三陸町も復興に向かっているが、自然エネルギーの活用を是非考えて欲しい。瓦礫のまちに街灯が今設置されているが、しっかりソーラーパネルが付いている、
一昨日の震度5と昨夜の震度4があった。大震災の怖さを体が覚えていて、再度の津波襲来を懸念しる、現在海岸では瓦礫撤去が進められ、もし地震津波の発生でも防災放送がなく、消防署員が広報し危険を伝えると言う。危機管理はこれでいいの?と聞いた。被災地域の復興はこれからである。
洋服の青山の二着の注文に、礼服しかなく10日過ぎた今日電話した。5時には店長が来て物と詫びに来た、クレーム処理は迅速が欠かせなく!この対応に又行くからと伝えた。

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2011
06/23

津波注意報

2011-06-18 09.03.24
現在南三陸町の水産業の養殖施設の復活がある。志津川湾の光景が写真で、丸い浮きは若布の種をロープに張り海中に、荒島前の樽の列は牡蠣の養殖で、1年で食べられるまで大きくなると言う。以前は密殖があり3年かかったものが、プランクトンが豊富にあり、育ちが良いと言う。今年の冬には三陸産の美味しい牡蠣や若布が食べられる。三陸産若布が2.5倍にまでなった。
今日の朝7時前に岩手沖の震源の『5弱』の地震、地震発生予知警報が、テレビと携帯で特別音でなり驚いた。直ぐに最近にない揺れ、久慈市など50㎝の津波注意報がでたが、大きな変化がなかった。
荒町の戸倉営業所の告知板に貼っていた、防災センターを襲う津波経過の新聞が、無くなっていた。誰かが?!きれいにその新聞紙だけきが。
昨日はアリーナで同級生とあった。彼は不明の母の死亡死亡認定に来た、父親は病弱で東京の兄弟へ、自分は仮設に入ったが酒の日々、『死にたい!』と言っていた。
その他にも多数の人と話したが、何で仮設あたらないの?と仮設に早く入らせて!悲痛な願いを聞いた!不思議だか私の知人に多い?7時50分ごろ津波注意報解除となった。

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2011
06/22

市街地に海水

2011-06-19 04.59.46
南三陸町は混乱の中にあり、『協力とご理解を!』、被災から復興への流れのにあり、行政の多忙と混乱を理由に、人間としての気遣いに、心が欠けている。
トップの被災者への理解が深まればと思う。死亡不明者への対応、殉職した職員への上司としての哀悼の心、強い思いはあると言うが、行動をと思う。
仮設入居は諸々の問題点があり過ぎて、行政は理解をお願いしたいと言うばかりでした。梅雨前にから8月中と仮設建設が順調でない事を物語る。仮設が出来ても町民の希望どうりにはいかず、我慢をしていただきたいと、担当の副町長は説明する。早く被災所から仮設に移り、学校施設などは子供たちに、施設を返し学校生活の元どうりにと話す。
町づくりの町長の構想には大きな独創性は伺えなかった。
写真は大きな土嚢の隙間から海水が止まる事なく溢れ出ていた。場所は郵便局となりで、45号線に溢れていた!

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2011
06/21

林の磯引き

2011-06-19 13.49.35
何日か前に河北新報に載った写真です。私が通勤途中に志津川湾を見渡せる、気仙沼線があり線路上から湾全体を望める。ブログでも良く風景を公開している。遠くに見えるのが湾の象徴の荒島で、海が半分まで引いている。
記事は5メートルと書いてある、普通の磯の最大干潮は、普通の潮位から2メートルぐらいとおもう。大津波の前には大きく海が引くと聞くばかりで、こうして写真でも見るのは初めてかもしれない。林桁と言われる場所の海底がここまで見えるなんて、やはり大きな自然現象の前触れに間違いないない!チリ地震津波でも磯に貝を取りにいき、津波に拐われた、と親に話を聞いた。私は子供たちに語り継ぎ、地震が来たら磯が引くから、すぐに高台へ!何も持たなくてもいいから逃げろ!と。
今日は震災後の初の議会。議員の被災活動と復興の考え取り組みが聞けます。議場を傍聴者で一杯になる事で、行政・議員が真剣にやっているのか、確認を!

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2011
06/20

ゴミの山

2011-06-19 04.53.59
ゴミの山がある松原公園、その面影はみじんもない!あの松林ことも達が汗をながした野球グランド、中学校総合陸上大会の松林グランドも、瓦礫の下になった。
防災センターの無残な姿を何とかしたいと、消防士の全国的な団体が片付けに南三陸町へきた。殉職した職員の家族の嫌な想い出のある、跡地を綺麗にする活用です。紙上で個人的な見解だと前置きし、防災センターを残す構想をメディアに提案、町長の発言はこの非常時に、軽い個人の考えと言うには、今の立場を理解していない。
今日の朝は7時に尾瀬になっている、茶園若竹の願いでパソコンとプリンターの手配で、パンフレットを持って行った。朝御飯を準備して待っていてくれた。しかし、大人二人が暮らすには狭い、私物や支援物資があり、仮設生活は大変だがありがたいと話していた。
昨夕は桧の口の造成地を見た、ブロイラーさんの土地で、住宅地用地でハウスメーカーが入っている。だが町からは遠い、しかし、町内には土地がなく、欲しい人も多いと聞く。
『南三陸町で殺人事件』と言う。大災害が起こると強姦殺人が横行すると聞いた事がある。夜中の女性の1人歩きは絶対止めて欲しい!義援金横領や物資の横流しが、横行していてるが悪事の栄えたためしがない。

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2011
06/19

恐い!

2011-06-19 05.12.33
朝方3時から眠れず南三陸町志津川市街地を歩いた。松原グランドは昔の見る影もなき、瓦礫の山と化し堤防は破壊され、地盤沈下によりグランドのあった所は水没し、その海面に恐怖を感じた。町の中心だった仙台銀行まで、側溝からは海水が逆流し、海水溜まりが至る所でできていた。役場庁舎前の八幡川からは堤防の隙間から、止まる事なく勢い良く海水が沸きだしていた。正に市街地は海底となっていた。
ゴミ置き場は松原町営住宅の高さに迫りそうな勢いで積み重なっていく。側がそのまま残った松原町営住宅の活用は可能?と言う考えも難しい感じを思う。
写真は戸倉小学校の児童が津波から最後にたどり着き、命が助かる事の出来た神社『五十鈴神社』です。学校の後ろの小高い住宅地区に始め避難、津波が迫り神社への急な坂を登り、志津川の鳥居があり、くぐり抜け朽ち果てそうな神社が、子供達の命を救った。戸倉小学校の教員が1人犠牲となった。父兄からは目の前で逃げる途中で被災してと聞く、高台と神社の間の住宅は基礎のみとなり、学校の一輪車が津波が横断したと見られる場所に、無造作に横たわっていた。私の気になる戸倉小学校の生徒が志津川中に編入し、今日の中総体で剣道地区大会に挑む!三ヶ月前に死の狭間にあった教え子が、新たな挑戦に向かう。必ずやこの子供達が『我が町』を復興に導いてくれるだろう!

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2011
06/18

被災100日

2011-06-11 09.07.23
震災より百日を迎え、三ヶ月の『死亡認定』が実施となり、家族兄弟そして親戚と悲しみの中で、複雑で納得できない心情を聞きます。家族の死に孤独感の自殺が100日を経て起こっている。
被災前まで事を振り返ると、会社は三月の年度末、会社の設備改革の途上にあった。新規機械導入を図り搬入の道路使用許可も警察より取り、月曜日に入機の段取りの元にあった。その三日前の東日本大震災だ。
自分の人生の岐路でもあり、2000万円の初の大きな借金が控えていた。新しい事業展開に神様が『待った!』をかけたのか?新たな別な試練を自分に与えたのか?今、この事を振り返る。
写真は重機の瓦礫の撤去にも逆らうような姿で、今も南三陸町志津川地区の被災地に立ちはだかっている。私もこれからもこの町から離れる考えはない。
仮設の今後に不安を思う。異常気象の多発する昨今、九州での長雨災害が今起こっている中で、今後の台風発生の20から30メートルの暴風雨に耐えられかが心配だ!
現在ことも達の学校を考え、仮設の入居に消極的な姿勢を感じる。一般的住宅入居などの賃貸の避難所住まいにも、赤十字より電化製品の支援があると言う。今日それを知った。

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2011
06/17

癒されて

2011-06-10 07.30.48
昨日はお昼に帰り何気なくテレビ『テレ朝』を見ていたら、南三陸町リアス訪問介護の活動、リーダー?の阿部さんの、高齢者の健康状態の訪問診断の姿をカメラが追った。
見ていると慣れ親しむ建物が映った、父親が『玉子焼き』を作っている、介護ベットで両親が二人で座りテレビで、インタビューを受けていた。そのなかで老々介護をしているが、これで私も癒されていると話している姿に、涙が出そうになった。この後で父親の友人が福岡より元気な顔を見て安心しました!など、多くの電話がこの日はあった。夜には私の知人がお父さん元気だね!家族三人で頑張ってるね、行ってみたいけど、私も兄弟がり災したり親戚も亡くなった。お父さんの話に感動したと言う、あの歳で!だ。
写真は夕方に野菜を両親に食べさせるため、一日に一回大鍋で煮物をする。私の仕事がまた1つ増えた。さすがに89歳、被災当時の気の張りでやれた事も、もうおっくうになっている。二人に私がいる事が安心につながっている。
今、ラジオて気仙沼で被災した80代の老夫婦の無理心中が報道されている。この夫婦の状況はまさに私の両親と同じであった。今後もこんな事件が多発する事を懸念する。

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2011
06/16

子供達の目標

2011-06-02 17.29.11
宮城県の中学校の総体が地区で始まった。本吉気仙沼は今週と来週の週末にあり、震災後の五月中旬の学校の開校から一ヶ月後の総体で満足な練習のないまま本番で、この地域はみんな同じ頑張って欲しい。
少しの手助けと練習を覗きに行った。教室の廊下での練習、横に四列はさすがに厳しく、窓や整理棚にぶつかりながら、稽古に一生懸命な姿に子供達のパワーを感じた。剣道場は生活支援物資で埋め尽くされ、体育館に被災者が仮設への移転を待っている。
昨日は集団避難で自殺者のあった事を聞いた、家族を失い悲観しての事だと思う。また、物資の横流しや義援支援金の着服が噂されてた人が『ブタ箱』に入った?と言う。防災センターの状況を小学校から全て見ていた話で、津波が引いた後で、誰かが町長の携帯に電話、四回目につながり無事な声を聞いたと言う。職員が30名流された後の現場の話で、こんな事があった。津波後の小学校は雪で皆が震えている中で、発電機で体育館に火を灯してくれた方には、感謝の言葉を伝えたいと最後に話してくれた。

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2011
06/15

物資

2011-06-11 07.23.14
ここ二日間我が家にはテレビ局からの取材に両親は追われている、社会福祉協議会からの紹介みたいで、ヘルペー活動を取材が、被災家庭の老々介護をガメラがおう。
日テレとテレ朝が二局来たと父親は言うが?兄弟からの支援物資を一つ一つ選り分け、地域の物資・個人で活動しての物資も、とにかく貰う事を楽しみ喜びにしている。こんな精神状況になっている。写真は母のベットの脇の机に並べられた物資の山です。貰う事が被災者の当たり前?生きる支えに、町民がなり自立への道がとうのいている気もするが、復旧・復興は始まったばかりで、今の住民の活動・行動はあたまえの気持ちなのかも知れない。
昨日は8時半の突然の電話!普通はでない。この日、役場職員の不明者の家族に、三ヶ月間での死亡認定が今度なされ、その説明会で町長の話が五分あり、中座して帰って来なかった。弔慰金や遺族年金の説明が職員から30分あり、家族が町長に話があるから呼べと、すると副町長が来たと言う。『おめでね!金なんか欲しくね!家族返してけろ!』。町長の焼香もない!直接の謝罪も無いことに、憤りだけが毎日つのると言う。町長の言葉に『町民を守る義務がある!』と家族の前で語った発言があった。昨年のチリ津波で現場になぜ職員を向かわせない?に、町長は『私には職員を守る義務がある!』の言葉があった。菅総理と同じく『考えの言葉のブレ』があり、我が町は今の政府と良く似ている。正に末期なのだろうか?!

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2011
06/14

災害からの行列

2011-06-12 12.33.18
美志磨さん!志津川地区の人なら皆が知っている、トンカツやお弁当の美味しい店でした。保険センターへの入口にあり全てを流出し、住まいとして残った、入谷の398沿いに、プレハブを活用しての、9席の店内と聞いたが、米谷からの帰り店の前には、子供連れの家族が、待ちどうしそうな子供の姿の、行列となっていた。
助作にあった美志磨さん、近くの五日町に『阿部旅館』さんがあった。昔は14店あった旅館も津波以前4店あり、現在は旅館組合は一軒であり、阿部旅館さんも100年続いた旅館の再建は難しいと、私の代で終わり?と話す。
今回の想像を絶する未曾有の災害、多くの被災者が先祖の引き継ぐ『商い』をやめる、節目に突き当たっている。私も三代目ながら後継ぎがないが、何とか仕事が出来る形を作りつつある。古くからある、昆野金物屋さん、常磐さんなどは家族全てが亡くなり、歴史の終わりになってしまいそうだ?
まだまだ知らない商店が消えていく中で、歌津地区の同級生の小山商店さんが、石泉で店舗の再建が進んでいる。また、鉄骨の歌津工業さん、工藤商会、菅原整骨、佐藤輪業など、営業を多くの事業所が始めている。

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2011
06/13

公共施設

2011-06-12 12.40.49
三ヶ月が過ぎ百か日の法要が町内のお寺でとりおこなわれている。日曜の昨日は同級生の町民税務課の勝倉くんの所へ、奥様が気がかりで出掛けた。突然の出向きに親戚の方が居られた、塔婆には彼に相応しい法名が書かれてあり、線香を上げさせてもらった。
昨日の河北新報には熊谷呉服店の社長夫婦の死亡不明の記事が掲載され、次男の方が兄弟の死と呉服店の再建に向かい、厳しい復興に瓦礫を見つめる姿が、写真に現れていた。
また、防災センターの残骸に花を千羽鶴を供える姿があり、明日も明後日も来ますと語っている事に、防災センターを見たくないと言う家族や両親の気持ちもあり、被災地の今後をどう後世に残すべきか?真剣に考えないといけない。写真は保険センターですが、建物には今だに流れた民家が乗り、大きな漁船が横たわり、志津川小学校の入口で、その前には鉄屑が山と積まれていた。
今日の被災地視察は細浦地区の地盤沈下の驚いた。そんな中で漁師の方が総出で、瓦礫の清掃をしていた。また、我が家にも雑用水ながら、蛇口から水が出た!普通なら当たり前ながら、この不思議な気持ちに感動です。

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2011
06/12

漁業復活

2011-06-09 08.35.05
45号線のホテル観洋に向かう途中の林地区の海上に、黒い浮き玉が点在する光景を目にする。漁業がはじまっと感じた、震災後の漁師の方の浮き樽・玉の回収があり、試験から実現への養殖への再開が始まった!
昨日は戸倉の小中学校の前の海岸線の瓦礫の焼却や、漁具の回収活動が展開され、漁協の正・準組合員がふるさとの海の復活に取り組んでいる。
親戚も働いていたが、ずぶ濡れで着替えていた。聞いたら漁業道具の回収で海に落ちたと言う。津波被害の海岸は堤防や岸壁が崩壊しズタズタで足の踏み場もない状態、危険の伴う仕事12000円もうなずける。
今日は、今から中総体への志津川中に剣道指導と、中瀬町地区の二次避難所の鱒渕に行こうと思う。また三ヶ月を過ぎ百回忌の法要が各所であり、焼香に行く。
商工団地前の会社に、別府温泉が来る。見にも行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:17 】

2011
06/11

かきむき場

2011-06-09 05.02.20
水尻橋から見える旧市場の方向の瓦礫の山が気になり、昨日の朝4時に八幡川の水門の方に向かう。被災前の姿はなく見えていた瓦礫の山は、カキ剥場で隣の鉄骨の建物の残骸で、今野鉄工所と伊藤さん自宅の間の水門の全てがなく、写真に見える海に水没していた。今は大潮ながら間違いなく地盤沈下の現実がここにあった。
昨日は入谷地区のさんさん館にある、臨時の警察に会社の重要書類の入った金庫が届き、連絡をもらい引き取りに行って来た。聞くところによると、天王山の変電所近くで自衛隊により発見された。我が家の本浜から重い金庫がその場所で、他の物は軽く新井田方向に、写真などはまだ一枚も見つかっていない!津波の流れは旧市場から時計回りに、本浜地区を襲ったと推測するが、会社の千葉家の本浜の全てがなくなり、もう戻ってはこない。
私の父親は三度の津波と二度の大火からの復興を遂げている。私は元に会社・生活は戻りそうだが、南三陸町は元にには戻れない気がする。それは経済社会の復活と、若者の流出と減少を防がないと、町の復興はなく、新たな町づくりは何の意味もない、行政の満足でしかない。町民会議の今後設立があり、公正な人選と強い影響力を持たせる事で、住み良い差別のない町が出来る!
さんさん館の被災直後の現実の『避難場所指定』とならないのも疑問点だ?

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:48 】

2011
06/10

掛ける言葉も

2011-06-10 09.17.13
昨日は南三陸町歌津の中学校体育館に県の印刷組合からの支援物資のカレンダーを持っ行った。千葉さん聞いて下さいと避難所の一区画に連れていかれた。何で歌津地区の人が歌津の仮設に入れないの?子供がいるのに入れないの?高齢で点滴や薬ノンフィクションるのに何で仮設に入れないの?と避難の長引く中で、現在の苦悩を次々に話された。最初は怒りと悲しみがあったが、話を聴いてる内に気持ちも穏やかになってきて、現実の理解もしてくれた。何で町長さん避難所に来ないのは町民ねの素朴な意見だが?
今日戸倉営業所に来る途中にクリーンセンターにゴミを持ち込んだ。センターの敷地には黄色い花が一面に咲いていた。こんな風景に一瞬癒される。今日の河北新報にはあすで三ヶ月が達しと言う、彼女は南三陸町の職員の未希さん、彼女の死を悼み歌が送られた。その歌詞に『二人の娘であるこつと感謝します』がある、悲しみは癒える事はない。今も防災センターを見ると辛いという、町長の震災一ヶ月後の発言に、記念のモニュメントに!家族の心情を思うと、あり得ない!発信である。
この写真を撮る時、綺麗さに足元を見ず側溝に落ちた、怪我なくすんだが、私はまだ幸運の元にある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:40 】

2011
06/09

歴史が消える

2011-06-04 16.54.43
林地区の写真です。仲間の家が無くな事を私の仲間は気づくだろう、釣り仲間の歴史おる林の一番目立ち、鎮座していたトタンの色鮮やかな大きな屋根の家だった。
林地区の石田家でお父さんは私にとって、釣り名人で優しい穏やかなひとで、母そして父を彼はこの家から送り出し、思い出多く家が、津波をこの高さまでかけあがり、家の利用は無理と判断し、解体を苦渋の決定をしたのだろう、毎日のようにあった風景がない事に、私以上に寂しい彼の胸中を察する。
日曜に登米市公民館で戸倉地区の方と会った。取り引き先の社員の彼は、戸倉で津波で家と共に流された。津波の中で必死に何かを掴んだ、それが戸倉中学校の校庭の記念樹だったと言う。多くの地区住民がこの場所で死んだ状況で、今生かさた!と感じたと言っていた。
避難所でのなにもない一日で、何かをしないと!との衝動で前の道路の草をとっていたら、通りすがりの人に飲み物をもらい、人の優しいに感謝の気持ちで一杯となったと話してくれた。
生かされたからには、この今を大切に生きたい!と再度確信した。色々考えたら眠れない夜です。

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2011
06/08

塩害

2011-06-08 15.35.23
戸倉への道すがら西戸地区の森林の塩害に目が止まった!南三陸町の至る所でこの光景を目にする。今日な臨時議会があったが、行政な被災者の精神的状況に理解があるのか?やり取りでその現実の稀薄さがつのる一日となった。町民の切なる気持ちを伝えられたのだろうか?

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2011
06/07

うそだべ!

2011-05-05 15.11.24
写真は上の山避難所への上り坂から、東方の公立病院側を望んだ南三陸町の光景です。今日の河北新報には当日の病院の現状が刻名に掲載されていた。
病院では患者107名の内、死亡不明が75名あり、その中の三名が看護師だと言う。3時半頃の第一波で、一階二階の避難確認し、外の津波の土煙で課長は逃げたと言う。病院の避難ルールでは避難場所が三階ながら、婦長は西病棟の五階会議室を避難場所と、とっさに判断した。津波は四階まで達し15~16メートル来た、この指示決断力により、患者、看護師、職員の尊い命が救われた。
信じられない光景や事実に直面する時、人間は『嘘!』と言葉を発する。気仙沼線を大きく超える津波に、私も天を見上げ叫んだ言葉だ、自分が受け止められない現実への直感で、三ヶ月を過ぎ多くの仲間と知人の死を受け止め、前に進まなくてはいけない、現実直視の今がある。
震災直後の雪と寒さは、五階に何とか避難した弱った体に襲いかかり、患者7名が次々に息をひきとったと言う。自衛隊の救助へりは12日の昼に患者を搬送し、全ての救出は13日の午前になった。
この現実の検証は、、今後の町の危機管理体制づくりには欠かせない!

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2011
06/06

県合同庁舎

2011-05-20 06.20.13
町庁舎の県の合同庁舎に移転の話もあったが、ここも津波の通過した場所で、屋上への避難で職員と避難途中の町民の命が救われた。町から入谷に逃げる途中の庁舎三階の存在は大きい!
ホテル観洋には600名の二次避難の、場所となっているが、テレビ?で送水の早期通水への嘆願書が、1000名以上の署名で町に出されと言う。その答えが水尻川の橋完成により、送水管が伸ばされ7月には通水がなると言う。戸倉地区の荒町も先週2日に水が出た。南三陸町では初めてなのか河北新報にも記事としてでていた。『命の水』ながら南三陸町は必要な家庭のみならず、水産業への通水ほ6月と言うが、確実な発信ではない?
県合同庁舎の前には瓦礫と車の残骸が山積みです。今は!

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2011
06/05

使命感

2011-06-04 16.15.41
毎日の母への社協よりの下の世話のヘルパーの訪問があり、朝6時と夕方4時の二回で、母の羞恥心と私のその姿を見る事の抵抗で、避難場所の倉庫から一時離れる。
行く所がなく荒町の仮の事務所まで出かける。ふと道路沿いの葬儀の立て看板を見つけた。30年来世話になった、消防署の方だった。被災し殉職され、亡くなれた事は聞いたが、今日だと言う事は偶然で、荒町に事務所を立ち上げた事で、葬儀に参列できた。震災後はお世話になった方々への恩返しに務めようと思っていた事が、また1つ実現できた事は、本当に偶然でした。
消防署では親戚の芳賀さん、今回の佐藤さんがいる。広域消防内では10名の死亡不明で、二人がまだ見つかっていないと、葬儀の弔辞で話ていた。私の知ってる二人は共に非番ながら、緊急時の対応で出動での不幸だった。佐藤消防隊長からは、今回の異常な津波を把握し、『十分注意せよ!』が出動部隊への、最後の伝達の放送で、これにより消防署出動部隊には被害がなかった。指揮管としての冷静沈着な判断指示が、消防隊長に必要であり、適切な判断が実を結んだ。
喪主の息子さんも父親が私の理想像で、厳しい中に多くの優しさを持った『父』と話していた。

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2011
06/04

焦る

2011-06-02 08.38.13
避難している倉庫の庭の片隅の『業者にんにく』の花が咲いた。自然は厳しいが、夢も与えてくれる。野の花々の黄色は明るく、さつきやつつじの赤や白は、華やかさの中に、気持ちを穏やかにしてくれる。
今こんな事が起こっいる。集団移転の子供たちに両親の悩みである。避難し学校の転校があり、今度は仮設に入りたいと申し込み、抽選で当たったものの、一学期の学校行事のお金を払い込んだが、カギをもらい一週間には入居しないといけなく、期間がたつと避難所の居住は取り消され、政府の支援は仮設へと移る。集団避難地区での学校生活の経費の支援も打ち切られる。子供たちの楽しみの『修学旅行』が、国の決められた制度に、親子が心を悩ませている。町内に仮設に入り集団避難の転校した学校に通い、修学旅行に通え!と言うのか?町独自の住民希望にそった緩和策は図れないかと模索する。
また、仮設の建設にあたり当初の抽選から、仮設の入居の形が変わってきている。個人土地所有者が地区の一部のグループで仮設建設を町に申請、建設前に入居者が決定されている?。こんな話が町民が知らない場で進んでいると言う。国の資金で建てる仮設、この事が事実なら全ての地区住民に告知して、この仮設建設を希望者に実施して欲しい!
被災者の立場にたった復興支援が、国・県・町に求められるが、机上の支援策としか感じられない政策があり、是非現場を見て欲しいと被災者は言っている。私ももっと現場を歩く事を肝に命じたい。
21日から6月定例議会です。避難場所の悩みを議員に伝え、『町内のパイプ役』の議員を活用して頂きたい!

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2011
06/03

自然の厳しさ!

2011-06-02 13.00.23
戸倉営業所の設置で毎日のように津波で、黒崎パーキングから岸に打ち上げられた船舶を見なごら、荒町地区に通った!当初は回収の為にクレーン車が横ずけしたが、トラックへの積み込みはならなかった。
何時になるか?気になっていたが、今回の低気圧の大波により船首が大破した。新聞に南三陸町志津川漁協の船舶の七割が修理で仕事に使える事が、記事で解った。そう聞くと私が毎日気になっていた、船の救出も早かったらと思う。
戸倉地区西戸の壊滅的状況も気になっていた。剣道の教え子によると、被災した農業の仲間が組合を作り、県の復興モデル地区に指定され、花や牛の生産で取り組んでいる。全農の支援も受け町からは距離を置き活動していた。国道45号線から見える向こうで、復興の土音がなっていた。田植えを終え次に進んでいる。
父親と石巻市の国民生活金融公庫に出かけた。石巻市の内陸部の発展に驚き、戸倉西戸の被害の現実に復旧は難しいと、ぽつりと呟いた!

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2011
06/03

思い出探しに

2011-06-02 14.22.49
ボランティアの皆さんによる被災地から見つかった、写真や賞状、位牌などが会場となった入谷中学校の校舎にならべられた。写真の状態はボランティアの活動により綺麗にはなっているものの、厳しい損傷の写真を、家族の思い出の思い出の『一枚』を探し求めていた。
会場の受付には福祉大のボランティアが、明るい対応で迎えてくれ、会場責任者も大阪からのボランティア職員、彼は一週間の派遣から近く帰ると言う。社協の職員の被災者であり、家族を亡くされての職務の継続の頑張りを、讃えていと。全ての展示を取り急ぎ見て回ったが、会場の暗さで写真の確認は難しく、5日まで是非写真を照らす物を持っていってほうが良い。今回は三割だと言う。戸倉からの道、被災地から家族の品を集めている、ボランティアの姿があった。それは瓦礫撤去の地元失業者への、国の生活支援の仕事だった。
昨日は志津川中学校に出かけた。剣道部に戸倉スポーツ少年団の生徒が入部、道場に行くとそこには支援物資が埋めされていた!部員は固い廊下で練習していた。中学校総体が今月の19日にある。震災下ながら学生にとって一回しかない!良い思い出の部活にしてもらいたい。
入谷中学校の仮設は他の施設よりも、家らしさを感じた。仮設も建設会社により違う事を知った。流失写真の清掃に戸倉剣道の教え子が東京からきた。忙しさがあり、『ありがとう!』の感謝をブログで伝えたい、沙織ご苦労様

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2011
06/02

小さいながらも

2011-06-01 08.18.58
5月16日から会社の立ち上げに本格的に始まった!震災して会社の再開は頭になく、現在の職の活動しかなかった。とにかく被災地の確認と避難所を歩いた。
次に家庭生活の倉庫避難の安定確保と、流失した通帳の再発行を、職責の遂行と共に行い、2ヶ月間を要した。その間も母の介護の手続きや、親戚の避難見舞い対応に追われ事を思いだす。
そして6月1日からの最低限の印刷物の仕事のできる体制ができた。避難を逃れた戸倉地区の、荒町の知人をたより仮の営業所を立ち上げる事ができた。
南三陸町からの発信や案内を最大の目標として、少しずつ仕事をして行きたい。昨日は『海洋自然の家は何処ですか?』だった。震災後に探し買い求めた南三陸町の地図が役にたった。被災地でのトイレがない事で、仮設トイレも二つ準備した。今後は帰ってくる町民の皆さんが、必要な物を置き手助けをしたい。
立ち上げに支援してくれた方々に大感謝です。町の社会経済の復活が町の再構に欠かせません。大変でしょうけど事業所の経営者の皆さん頑張りましょう!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:49 】


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