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ARCHIVE - 2011年05月

2011
05/02

将来への町づくり

5月2日22011-05-01 15.02.29

昨日自宅工場があった南三陸町志津川字本浜町70に行って見た。
津波により土地が75センチは沈下しただろうか?道路だった所 には海水が来ていた。志津川漁協の所は冠水し側溝を海水が勢いよく陸へと向かう光景は、小さいながら恐怖を感じた。5メールもあった防波堤は沈み見るからに低く、町を守る体を成していない。知人は全てが海と言い切る。今の状態では市街地では住む事などできるはずもないと言う。
人がいなくなると被災した海岸線の町民は言う。人口減少、過疎化はこの大震災で間違いなく加速する。自治体は直面する復旧もあるが、将来への町づくりの復興の構想の発信を早期にトップが示す事で、若者たちが残り、戻っテクる。若い夫婦が町にいる事が復旧復興の最大の要因となる。
今仮設の病院に来ている、連休の中日とあり大混雑していた。先生がたの設備機材の整わない環境での診察と看護師の心使い方に感謝!感謝です。
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2011
05/02

激変に復興は?

5月1日110424_125635

3月11日から走り続けた自分の心と体が50日を経て、自分が何をしたらよいか判らなくなってきた。
地震津波発生から町議員としての使命感から、旭が丘地区に避難し隣町から食料の調達に走った事を思い出す。登米市登米町の『むかで青果』の友人が1番に安否の電話が携帯に残っていた。来店し夢中でりんごとチョコそしてお菓子を帰るだけ、有るだけ一万円買った事を思い出す!
発生時は旭が丘は地域の炊き出しよりも志津川高校の避難民、取り分けシ志高生への『おにぎり』の炊き出しに追われていた。米を家庭から提供してもらいセンターの厨房で区民が活動をした。隣の部屋では命からがら着のままで避難してきた町民20人以上が毛布に包まっていた。倉庫に残った自転車で三日目から町内の志津川五箇所と歌中と入小を歩き、一週間目には隣の登米中まで出掛けた!議員だったから今の自分ができる事して無意識の行動だった。
一週間前に気になっていた津波で残った跡地に何かないか捜しに行った。砂が50センチと紙が水に濡れ倉庫はめちゃめちゃだった。必死に3時間瓦礫を掻き分け捜しあてた自転車が写真であり、議員のスタートがこの自転車にある。震災後50日走り続けられたのは、この立場にいたからと最近振り返る。10日間の自転車での疲労で二回足が痛く寝込んだ事もあり、毎日が一生懸命だった。そして今、空虚感の中にいる。会社の再建の見えない状況や二日間開催の『福興市』も妬ましいと、自分の醜い姿と弱さを露呈する。中学生の笑顔が心の救いです。
連休の災害本部の拠点となっているアリーナの多くのボランティアの人々、今夕は芸能人ね『炊き出し』に若者が玄関を埋め尽くし、スタッフの元気に力を分けて貰った。
昨日は被災しながらも仙台より兄貴が両親の様子を見に行た。連休には関東より叔父叔母が来る。人の動きの無くなった『南三陸町』に人の流入は活力を与えてくれる。これからが本当の災害との戦いです!

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