ARCHIVE - 2011年05月

2011
05/31

大荒れの1日

2011-05-30 16.01.05
昨日の南三陸町の海岸線の土地は、雨と海水により水没となり、津波による地盤の沈下が現実のものとして証明された。先週の戸倉荒町の仮事務所への機械搬入があり、事務所への行き帰りの『黒崎パーキング』の状況写真です。朝の雨と夕方の風と高波の国道への打ち付けは、道路に小石と波があり、一人の青年がその真っ只中で写真?警備中の警察官が、青年の行動の静止に走った!町内には警察の巡視に多くが出動していた。
昨日はそんな中で石巻市に登米市に借り入れの書類の準備に走った。り災・被災の使い分けの必要を知り、会社の決算書類の提出の厳しさに、金融機関に噛みついた!弱い?今の自分を感じる。全てのデータ・書類の流失での復活の現実の厳しさを毎日痛感している。被災なく一社の営業に焦りを抱く。
移ったとはいえ仮設での生活のこれからの厳しさを心配する。
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2011
05/30

復興一歩一歩

2011-05-19 11.13.04
写真は志津川地区の水尻川の橋掛け変え工事風景です。津波により橋流失で自衛隊による仮設橋からの、一車線から交互通行の橋になるだろう!45号線は小泉大橋が大きな障害どったが、7月に完成を目指し急ピッチで進んでいる。現在は山回りで瓦礫の中を通る為、女性は夜は怖いとか、時間が多くかかる。本吉からは40分を要しているが、10分は短縮となる。
津波は竹川原の高台『おだまや遺跡』の親戚までたっした。地震による被害があり昨日仮設トイレの設置で出かけた。そこには仮設が建設されていた!中瀬町地区の住民での土地確保と、直接の政府への働きかけで、民有地への仮設建設の南三陸町の先駆けとなった。見た限り六割以上は進んでいる。
今日は台風が熱帯低気圧となり、影響が風と波浪となり、明日は最大高潮だと言う。崖崩れや道路の冠水など、通行には大きな気遣いが必要だ!

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2011
05/29

鮭孵化場

2011-05-29 17.38.38
志津川の孵化施設の写真です。八幡川の上流の小森、熊田橋のたもとに採卵し受精させた卵を稚魚まで、育て放流し秋に回帰する『秋鮭』が、南三陸の志津川・歌津の、水揚げの売上の漁協の多くを占めている。
この跡形もない孵化場の姿に、回帰の四年後の影響を心配せずにはいられない!津波による南三陸町の全ての河川への大変化は、間違いなく四年後の減産を予想する。
稚魚の生産は北海道がずば抜けて多く、次に岩手、宮城が続く、南三陸町の稚魚は一匹もいないだろう!
写真の小森地区は市街地の建物が瓦礫となり、最終到達地点であり、未だに瓦礫の山が田んぼの中に、小高い山となり散在している、この場所は『三陸道』のインターとなる場所で、山からの木材の切り出しが進んでいた。
未来への輝かしい構想は、10年は足踏みとなる?町の宝である子供たちに、新しい町つくりを託すしかない!

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2011
05/29

許可待てない!

2011-05-29 06.07.50
漁業青年部の若者たちと番屋を立ち上げた。その一人が志津川造船の高橋社長は私の一個年上で、優しい!政治が嫌い?な先輩です。震災後に会った時は今後に絶望の姿に見えたが、漁業の復興復活に向け造船と言う、欠かせない部分で先頭に立っている。昨夜のテレビで『行政を待ってられない!』と県の許可が出ないままで、造船所落成式があり、100名の関係者が集まり餅振る舞いがあった。
また、昨日から廃校となった入谷中学校で、被災地で集められた、思い出の品や写真が公開された。家族の写真に涙する光景がテレビで映しだされた。期間は28日から5日までと言っていた。
戸倉剣道の会長的存在の小山先生が、今回全てを失いながら被災後に剣道を続けながら、事業を再開している。67歳?頑張っている!定年し最大の被災地で仲間と事業を始めた先輩もいる。
東京に去った同級生がいる中で、仲間の起業と事業再建で多忙の声を聞いた。朝の雨模様ながら、今日の福興市には是非雨が止む事を願いたい!

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2011
05/28

福興市

2011-05-24 11.54.53
今は被災以前の記憶を辿る、思い起こす作業をしている。それでなくても忘れやすい頭で、ふと思い出した記憶を忘れないようにと紙に書きとめる毎日です。
こないだ商工会の仕事の事で相談に行った。『金融ガイド』の印刷物の請求の件だった。2月末の納品であの日に全て流された、入金が無くて外注なので請求支払いは残り、人力・紙代・外注代と二重三重苦だけが残り、会社の再建の大きな負担となり。
なんとか支払いしてもらえないか?の相談だった。商工会の事務も混乱でてが回らないと、お詫びとお願いを聞き入れてくると、商店の被災に手厚い支援はありがたい。自社での仕事だが外注だったので、データは残った。不幸中の幸いなのか?作成データと数さつの納品でと、なんとかしてもらう事となった、感謝!
登米市津山の商工会に南三陸商工会の仮事務所を置き、事業所の再建支援に追われていて、融資などの特別支援制度や再建の手助けをしていて、失業・離職の手続きは一段落したようだ。
玄関には明日29日日曜日の『南三陸町福興市』のポスターがあった。台風で全国的に雨となり、開催が心配される?また明日は父親の趣味の『日本国誠流詩吟会』の宗家が、国内海外からの会員からの義援金を持って、宮城支部の被災会員に直接手渡しに来町する。お天気が気になる日曜日です。

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2011
05/27

復興案

2011-05-27 16.35.16
今後予想される宮城県沖地震の想定津波は7メートルと言う。その津波被害から逃れるため、17メートルの居住地を被災地に盛り土し居住地とする計画で、盛り土は山を造成した物でまかなえるという。
想像を絶する南三陸町の復旧計画に驚くのは私だけではない!志津川地区の復旧計画案が写真のB案です。県の造りあげた設計図面で、志津川と歌津の各3案です。町民会議も立ち上げ、住民の案も取り上げると聞きます、募集の時はぜひ参画しましょう!

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2011
05/27

こころつかい

2011-05-04 11.07.34
昨日は町の議会で町の被災地の復興計画案が、歌津・志津川地区各3案づつが提示された。県の計画案で町民の気持ちがまだ入っていない大胆な計画があった。新たな都市の津波に対応でき、観光・市場などの水産業の町が図面にはあった!南三陸町役場はアリーナに、合併当初の考えの場所に示された。あたりまえである。
写真は私の叔母が嫁いだ『徳性寺』のお地蔵さんです。今回の大震災で亡くなった方の鎮魂にと、愛知県?の石屋さんが発生から一か月に、お寺の一角に安置していった。
8月のお盆に向け仮設の本堂の建設が進んでいる。小高い場所ながら自宅と本堂は被災し、この寺の再建にとどまり檀家のためにと頑張っている。
商工会でも仮設の商店の斡旋の案内の封書が先頃届いた!しかし、場所と通信にまだまだクリア出来ない問題がある。私もまたその分厚い壁に事業の再開を阻まれている一人です。

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2011
05/26

復興青写真

2011-05-24 15.16.27
今日は議会があった。朝3時に起きしばらくの会議で興奮したのかも知れない。終わったのは七時近くとなった。ブログのクリアは従業員にお願いし、今更新をしている。
写真は昨日の津山から本吉、気仙沼から本吉の父親の川柳の90歳の知人に、父親の無事を伝えに寄った。本吉の小泉の海岸線の遺体捜索のヘリが青空に光輝く状況を写真に撮った。
自宅に帰り同級生からの電話がきた、父親がまだ行方不明だと言う。身内が見つからない苦悩を話された!何もしてやれない自分がいる、m(__)m

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2011
05/26

テスト送信中

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2011
05/26

2011-05-11 09.41.08

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:51 】

2011
05/26

さいてすと送信

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2011
05/25

本吉での捜索

2011-05-24 15.16.27
南三陸町は今日快晴です。

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2011
05/25

2011-05-24 15.16.27
テスト送信

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2011
05/23

こんなに綺麗なのに

2011-05-22 08.58.13
今日も45号線から志津川湾を左手に見ながら、戸倉の荒町に準備中の仮営業所に向かう。週末の25度に達する青空の下に紺碧の海がある。
あの日の事がなければ多くの人達に愛される、世界一と私は思うリアス式の南三陸町の自然美がここにはあった!今は水産業の養殖の色とりどりの浮き玉や、幾何学模様の養殖施設のない、志津川湾が広がっている!
こないだまでは行方不明者を探す船やヘリコプターが海上にあった。最近の状況は瓦礫撤去の募集があり、1日12000円が支払われるという。失業や生活困窮の仮設暮らしの生活に大きい力となる、行政の支援策である。
気仙沼の階上の町並みの直ぐそこが海なのを初めて知った。向かいの大島の山並みが見えるが、道沿いの瓦礫はまだ手付かずだった。今日の夕方のニュースで、大型船の上陸したままの船をクレーン車で、海に下ろす光景があった!
南三陸町の二つ造船所も復興の歩みを始めた。

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2011
05/22

皆で踏んばろう

2011-05-22 08.51.01
気仙沼の知人から『お風呂に!どうぞ』との誘いを受けて、気仙沼に昨夜は出かけた。45号線沿いの気仙沼の海側は悲惨な光景が続く。
知人の家はジャスコの裏の大川の支流から、側道からの登り坂に位置していた。この地区は7メートルの津波が襲ったと聞く、津波が他よりは小さい、その理由は『大島』が沖合いにあったからだ!と言っていた。大島が防波堤の役目をしたと言う。
帰りに歌津の山側を通り帰った、通常の仮設と違う建物があった。民間の建設会社が立ち上った。り災と加算の300万円を活用しての民間仮設だが、土地も解決は個人と会社があたるのだろう。被災後に私もこの考えで動いたが、実現はならなかった。多くの人達の力が噛み合う、新しい発想が町民の復興に繋がる!

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2011
05/21

何かしないと!

2011-05-20 15.44.27
私が避難している倉庫の前に『ローソン』ができ、アリーナへの道筋とあり、多く来客の姿を見る。隣にある『丸万商店』さんがあり、自社の駐車場をお客様の駐車場として提供している。
『がんばろう南三陸町・丸万商店』と看板を出し、会社の商品をテーブルに並べ販売していた。まだ水道水が来ない事で仕事ができないと言う。しかし、商品保管の電力消費は毎日のようにかかり、その経費の穴埋めに充てるため、販売していると社長みずから頑張っている!
ぜひ災害本部に行く時はお寄りください!若布や小女子などを販売しています。水産業者の被災地での販売を行政に許可の要望をだしている。生活がいっこうに進まない、町産業がなり立たない今、何かを起こさないと町の復興の道程は厳しく、丸万社長に見習い自らの積極的な行動が、新しい町づくりのはじまりです!

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2011
05/20

ふんばれ!

2011-05-20 06.29.27
昨日のニュースで被災現場に一般の人が入り、復旧工事の支障となっている。との報道ごあり6時に志津川の市街地に今の状況を見に行った。
本浜地区の道路冠水は、ちがや商店前の交差点まで昨夜来た痕跡があった事に驚いた。正に知人が言った、堤防のないので、海底に市街地があると言った!側溝からの海水の逆流が今の大潮にある。
本浜の『さかなのみうら』さんの残った鉄骨には『ふんばれ』と、大きな文字が掲げられていた。市街地の鉄骨の解体が進むなかで頑丈なコンクリートの建物の解体は、進まなく大きな形のままにある。『生活不活発病』の言葉てと、避難民の精神状況があると言っていた。深刻な被災地の問題がある。
石巻市北上町の『つり石神社』の石が、今回の地震でも落ちなかった事に驚いた。石段の所まで津波が押し寄せ、神社は壊滅状況で、新しく『よしの輪』が昨日飾らた。復興の多くの願いが込めらた!

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2011
05/19

2011-05-05 15.59.41
被災し2ヶ月が過ぎ支援物資が回収されたり、ボランティアが不足するなど、被災地はまだまだ残る瓦礫や、自宅のかたずけに追われている。
登米市?只野建設さんからの支援のシャワー施設も、1ヶ月の延長がなされたものの、水のタンク補充は入谷の皆さんが行っている。戸倉地区での只野建設の重機を見る、この会社が支援してくれたと感謝である。
町民の被災地に於いて建設の利権にくい込む、目に見えない政治的な動きがあると新聞で報じられた。避難施設にお金が義援金として配られた、お金はそう言う意味合いと関連を報じていた。
会社施設の被災を免れた事業者の、災害需要景気がある。しかし、資材の調達に困難をきたし、復興のなかなか進まないことに、事業者のジレンマを思う。
そんな中で南三陸町の水産物のブランド若布が昨日出荷された。海底の瓦礫があまりないと、今期の若布生産が期待される。大船渡?でのかきの生産が宮城からの種の供給により、テレビで漁村が写しだされ浜の活気が戻った。かきいかだの建設と共に、早急な養殖の実現となった。
今日は病院で小学校の恩師及川先生とあい、共に無事を喜んだ。また、徹先生何処に行ったんだろう?との声も聞かれた、

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2011
05/18

不安

今日、大工さんが入った!親戚である。一般の建築は、仮設の町の建設が第一との国の政策で、建設資材や電気設備機器の優先があり、政府の統制もあり、一般建設には材料が回らず、地元事業者の事業復興はならない現実に直面している!
志津川湾の海底は東京大学の自動海底調査カメラで調査され、瓦礫が全然なく、その海底の状況に漁業関係者が、今後の漁業に安心と期待を持ったと話した。
海底をパソコンの画面で確認していたのは、高橋兼次町議会議員だった。議員は何もしないと言う町民が言う。自分も被災者となりなから、厳しい状況下で、活動している。6月の定例議会で各議員の、震災後の初議会の質問が南三陸町の復興にかかっている!

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2011
05/17

涙も出なかった!

2011-05-16 09.56.50
青空の下で私が54年間住み生きて来た、自宅兼工場の津波で残った残骸が解体された。見るつもりも写真で残すつもりもなかったが、最後を見ろと言ったかのようだ。
生を受け54年、今月の24日は私の誕生日で、チリ地震津波が来た日でもある、チリ地震津波でも二階部分は残り、一階として小学生まで暮らしたい。そして30年以上も家も形も変えて、ズーとこの地で生きて来た。
そして今日の解体の光景では泣けなかった、なぜなら『みんな一緒』だからなのだろう。南三陸町民と全国の災害の復旧にあたる皆さんが『頑張っている!』からです。
しかしながら帰りに現場を見ると、社長が頑丈に建てたコンクリート倉庫が残っていた。『俺は頑張って言っているぞ!』と言っているかのようだった。

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2011
05/16

春は来る

2011-05-12 13.41.19
間違いなく南三陸町は復旧の途上で、商店主の事業の再開に向けた動きの中、自社の進展のなさに毎日のいらだちがある!昨日は介護ヘルパーさんの指導により、母親の熱と咳があり、八度二分の体温で、救急車を呼ぶこととなった。認識症状と熱により、異常な行動となった。
家に帰っから!と私たちの話を理解しない姿に、施設への入所を関係者や経験者に聞いた。皆そうなんだから!と言われた。震災後は難しい!など、道と方法の早急な解決は見当たらない。
写真は80名の志津川中学校入学式風景です。これからの南三陸町の復旧・復興の再生の大きな力となる、中学生の今後にかかっている。この大きな試練は、子供たちの成長の負担となるが、この時代に生きた子供たちは、きっと強い人間になる。それが町民の一番の願いです。

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2011
05/15

仮設に向日葵と命の水

2011-05-12 12.23.18
町内の学校に仮設の建設が進んでいる。そんな中で仕事と住居に、問題が発生している。1から第3希望までの仮設場所が、記載時期から時を経て、生活状況の変化から、入居希望者が入る事を取り止めると、関係課から困ったと話を前に聞いた。その理由が仕事環境にあった。
町民の中には集団避難地から一時間かけ地元の仕事場に来ていると言う人もいる。被災し避難生活の疲れで、生活の糧の仕事は仮設生活ながら、自立が基本、働かないと生きていけないのが現実、高齢者や子供を持つ家庭のみならず、大変な生活環境が待っている。
生活には欠かせない『命の水』がある!ライフラインで水が、復旧の長期化で水確保が生活の大きな壁となっている。夏に向け一回の大量水汲みは、水の悪くなる事もあり、今夜大変だ。一歩一歩進んでいるが、まだまだ復旧には時間がかかりそうだ。
昨日先輩から『はるかのひまわり絆プロジェクト2011』の話を聞いた。5月22日に阪神淡路大震災や新潟県中越地震の被災地から種が届く、一緒に向日葵の種を植えませんか!
今、戸倉剣道スポーツ少年団の子供たちの種まきを考えている。

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2011
05/14

負けるもんか!

2011-05-13 08.35.46
昨日は仙台市の住田順子さんより宅急便が届いた。記憶にない名前ながら開いてみた。封筒が二つ佐藤毛糸店のゆう子さんの友達だった。
ポストカード3000枚で、『絆・負けるもんか』『絆・一歩づつ歩こう』の言葉と、かわいい絵の『絵手紙』でアート工房夢風庵の三浦利道さんの作品だった。
今日の午前中には宮城県印刷組合から、カレンダーが100本届いた。また、会社の業者がカレンダーを30本持ってきた、避難所と仮設に移った町民に持って行こうと思う。
今日はこんな情報も、善王寺での戸倉中学校の入学式で、戸倉中学の生徒が出席した佐藤仁町長に、ここに出席する時間があったら、行方不明の町民探して!と話たと言う。週刊誌は町長の奇跡の生還と活躍を讃え。見方は様々なあるが、私は前者の生徒の意見に同感です。最近町長と行動を共にする面々にも、不思議を感じている。
また、志津川中学の卒業後、避難場所の体育館にまわった。そこで、同級生に話ばかりと叱責された。支援金300万の活用で入谷地区に共同住宅建設案だった。入谷地区民と行政とも掛け合いったが、政府の物資の統制により無理を悟った。連絡不足を詫びたい。決して恥じる行動をしていないつもりだ!が?

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2011
05/13

みんなで歩む復興を!

津波の残った会社の建物の解体の決断を!と知人から電話連絡が入った。町長の従兄弟で、私は現在も町長の町政に疑問ばかりを抱いている。
町の建設業者の津波の瓦礫と残骸の処理、ここに政治の思惑がない事を願っている。さっき跡地まで行った時、古くからの店、アベロクさんの鉄骨も解体され、その姿への決断はさぞかし辛い判断だっただろう。私も今の状況は個人的な感情はこんな時言ってられないのだろいか?
今夜の母の認識症状は最悪で、風邪をこじらせていて、今夜の状態がどうなるか?結果次第で最悪の事態を懸念する。死んでもいいからは初めての言葉だ。リアスの訪問看護から水分の吸収のいいドリンクを持って来たが、嫌いだと飲む事をしない母が、目の前でよこたわる。
今日は利便性のよい場所に仮事務所の、準備清掃をした、帰りゆっくりと落ち着きたい、我が家の倉庫の小さな避難場所での寝る前の出来事だった。
明日はいったい何が起こるだろう。

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2011
05/12

コンビニ復活

2011-05-12 10.44.05
南三陸町には、セブンが三軒ファミマが二軒ローソンが一軒、ミニストが一軒あったが、全てが津波で流され消滅した、あれから2ヶ月が経とうとしたころ、セブンの車上販売車が町内に二台目に止まった。
いつまでも何もせずにはいられない!との経営者魂なのだろう。私の倉庫の避難場所の向かいの、会社の物流倉庫にローソンが入るみたいだ!平地への被災地区には建物建設が叶わない中、店の場所確保は誰しもが苦慮している問題です。しかしながら、経営者の活動は見えない部分で動いている。
今日は三一会の事務局である鈴木清美君とあった。彼も被災し家も消滅し両親の不幸もあり、そんな中でも頑張っている。自分が活動している『おもちゃの図書館』の仲間と、物資支援活動をしていた。石越?にいま居ると言う。こうした仲間の手助けは、最大の力で、私も救われている。
また、今日は志津川小・志津川中の入学式があった。戸倉剣道の戸倉小学校と志津川小学校の女生徒が震災で、同じクラスの隣どうしとなった。人生の綾を思った。一歩づつ頑張ろう!共に。

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2011
05/12

今日入小志小志中

2011-05-11 09.41.01
南三陸町の環境は大きく変わっても子供たちの笑顔は変わらないのが、私たちの強い励みです。戸倉小学校がお世話になる登米市の学校は、南三陸町からも30分の距離にある、子供たちの勉強やケアに、ワールドビジョンと言う、支援団体が、スクールバスや教材で、会員数名が教育支援にあたる。
瓦礫の鉄屑の処理回収に千葉県の業者が活動し、重機のオペレーターを地元で募集していた。その近くで漁業の若者たちが、瓦礫の中からものを探し集めていた。
昨日は水産関係者が被害を受けた海岸に、仕事ができる場所の建設を町長に要望書を提出した事がテレビで報道され、いつもの顔ぶれがその画面に写っていた。
気象の異常と地球規模の異変は今間違いなく起こっている。再度の津波発生を懸念するが、生活が優先との現実がある。私は近いうちにまたの再来の予感があり、低い土地での生活は避けたい、

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2011
05/11

生死の差は?

2011-05-11 14.45.01
昨夜の南三陸警察官の津波当時の事を、振り返って生死の境目を垣間見た。3月の転勤準備中で、突然の大きな地震、警察署に行くと誰もいなく、見ると大波がそこまで、三階へ屋上へその上まであがり、ヘリコプターで救助されたと言う。官舎にいて引っ越し作業から津波を三階の納戸で、なんとか命拾いしたと言う奥さん。警察署官舎は今も三階屋上に自動車が一台津波で上がったままだ。
写真は今日の戸倉折立手前の海岸線に打ち上げられた漁船救出ながら、夕方今日の作業は中断した。また今日は戸倉小学校の登米市米山の廃校となった、善王寺小学校を戸倉小学校としての入学式があった。13名の新入生が記載されながら、この一名の死亡に黙祷からの始まりだった。2ヶ月を迎え志津川中学校ではガラスにろうそくを立て、犠牲者にてを合わせた!
2ヶ月を過ぎ様々な津波話を聞く。一瞬の行動・偶然で命が救われた、出来事その不思議に、人は生かされいるのかな?と最近考えてしまう。

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2011
05/11

始業式

2011-05-10 13.56.49
昨日は気仙沼市本吉町に銀行を含め五件の用事を足せた。途中の歌津地区は多くの自衛隊員が入り、側溝の泥砂の汲み上げに50人以上の隊員を投入、皆が泥まみれにながらの活動に、頭が下がった。
この日は南三陸町の伊里前小学校の始業式と、全国放送で『一番遅い始業式』と報道され、学校には子どもたちの笑顔がいっぱいあった。
会社の経営と介護は別に考えないとも思う。昨日の出来事は貴方だけでないから!と介護の向かい方を教わった。帰りには、竹の子とタラッポとしどけ等の天ぷらをいただいた。南三陸町にも春はきた。必ず春ほ来るし、知らず知らずのうちに来ていた!

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2011
05/10

被災して介護の現実を知る

東日本大震災を体験し、被災難民となりながらの親子三人の倉庫での生活も2ヶ月を迎える。雨風しのげての食べてさえいければと、倉庫での暮らしでいいと思った。
環境が変わり母の認知が加速、同じ一室での介護の現実の大変さを見て、家族三人と社協のヘルパーの介護はあるものの、ここを拠点としての近々の会社の復活は厳しく現実に今直面し、どうしようか?路頭に迷っている。
息子として経営者として、たま町の議会議員として、今後どうすればいいか?自分の余生について今日夜中から考えさせられた!
今の持っている資金でなにもせず一年間、ボーッと考える事も一つの考え、しかし昨日、登米市で同級生仲間の全て被災失っての、隣市での復活に大いに刺激された。佐栄畳商工の佐藤雅道でした。ぜひご用命をお願いしたい!
だが、一人での水ない避難生活での、介護と事業復活の両立は本当に難しい現実を、理解して頂きたい!でも何とか頑張りたい!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:44 】

2011
05/08

議会で一緒だった!

2011-05-08 15.20.01
南三陸町議会の議会事務局長だった熊谷良雄がいる。地震発生時は議場でいっしょだった。事務局長としての職務に忠誠を尽くし、議会事務局を責任感で守り帰らぬ三一会の一人となった。
志津川高校時代は三年四組の進学組として、クラスメイトだったものの、私の生活の不規則により、一緒にいる時間はすくなかった。卒業後は東北学院大学で卒業後に役場職員として入り、議会事務局は長く議員からの信頼も深いが、新人の私には議員としての態度と姿勢に、同級生からか?厳しく指導を受けた。
志津川商業協同組合長だった兄も、今回の津波の犠牲になったと聞いた。
また、荒砥小学校だった同級生の女性も死亡した。私自身も把握していない所もある。これからと言う仲間の死は本人もさぞ悔しいだろう。彼の分まで南三陸町の為に、震災後生きる事を私は誓いました。小さい力ながら少しでも役に立てればと!
写真は三階建ての防災センターをのみ込む津波で、電波塔の上が町長でその下が副町長だと、佐藤町長が週刊紙で話している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 16:47 】


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