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ARCHIVE - 2011年04月

2011
04/21

町防災センター

4月21日110415_173444

南三陸町の『東日本大震災』の被災の慰霊象徴として、この防災センターを残すとちょうど震災一ヶ月後に報道陣に話し、全国に発信した。
被災した死亡者と不明者をここに全て記すとも語った。
偶然にも昨年に奥尻島を防災視察で議会総務委員会で訪れた。復興の姿に惨劇の形跡はなかった。津波の悲劇を忘れる事のないよう、記録体験館が建設され、津波モニュメントに犠牲者名が記されていた。
今週に避難を最後まで呼びかけた遠藤未希さんの記事が掲載された。『未来に希望を!』と両親が名付けたと言う。結婚の承諾を持ち前の努力の継続により説得し、九月の結婚式が予定されていた。彼女の明るい笑顔が紙面に踊っていた。犠牲者への追悼には早期の『南三陸町の復興』だろう。
県に申請した仮設の場所の提示には、津波の被災場所四ヶ所があった。特例として二カ所が承認され今後仮設建設となる。現在登米横山の駅近くに南三陸町の仮設が成されている。個人所有?隣町?など、町には平地はなく公共用地の志小や志中そして海洋自然の家に現在仮設建設が急ピッチで進み、被災した伊藤里前小や戸倉中に建設を図る。
夕方の陽光にアカサビた三階の骨組みだけの防災センターは、志津川市街地にアンテナ二本を空へと伸ばし、スボ日の津波の経過の七コマはあまりにも衝撃的で、屋上で津波で被災した40名の職員の殉職には、勝倉税務課長と危機管理課長と議会事務長がいた。町民の7000人以上の死亡者不明者もある。今は不明の救命発見が第一で平行して復旧で次に復興で、津波の記録・記憶の保存は、発信方向も二の次と思う。
一ヶ月半走り続けた自分も、今後に不安が一晩中二つと頭に浮かび眠れない日が増えてきた。町民の方の『頑張ってけらいよ!』の声が毎日の励みとなっている!
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