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ARCHIVE - 2010年10月

2010
10/12

勇姿に学ぶ


日曜の歓迎会に車を使い飲酒したせいで、車の運転を同級生の頼み、そのまま彼女の駐車場へ! 朝に車を取りに行く道すがらこの写真を撮った。「城洋新聞社」のこの大きな看板が「凛」と南三陸町を睨み付けているようだ。
 我が家から五日町までの500メートルには町の歴史があった。十日町の「港座映画館」その前には喫茶店もあった。丸大スポーツ店さんがありゲームなどを買った時代、そして佐藤正助教育長さんが作った「天文クラブ」があり、多くの少年少女たちを遠い銀河の広い世界を教えてくれた。国道45号線の交差点は昔は人が集まる場所だった。旧志津川高校の登校坂がここにあり、その交差点には「うめちやさん」と「白椿さん」「阿部六さん」「北村さん」など、多くの商店が点在していた。うめちやさんではパンや御菓子を販売し、その脇では焼そばやラーメンを販売し、町民と共に学生が集まっていた。そのお母さんは今も健在で私の同級生の母でもある。今でも笑顔で話すお母さんがいる。
 この交差点が袖浜・大森・本浜からの、小学・中学・高校生と、必ず利用する通学の拠点としてあった。今のままの道幅でいっぱいに学生の姿があった。今は学校の位置も総て変わり、昔の学生・通学スタイルも、通学バス利用や学校の統合などにより、大きく様変わりしている。
 その場所の旧志高の登校坂の登り口に、写真の城洋さんがあった。新聞の発行を長きに渡り発行し、志津川の新聞の歴史の根幹となり、正義感溢れる気骨な前社長そして2代目と誠実さのもと、多くの読者を引き付けた。この痕跡がこの看板に現れ今も町を見つめている。そして現在の「我が町」の在り方をどのように思うだろう。できうればその指導を私に、首長に何と言うが聞きたい物だ!

 チリの落盤事故から2ヶ月がたち、700メートルの地底から、「フェニックス」という機械で脱出が今日にも始まる。アメリカでの海底油田の事故により自然への大きな影響も、半年?という大きな時間の経過で、何とか人的な自然災害をくい止める事となった。人間の力の可能性の物凄さを感じる。

 昨夜・その前と変な「夢」にうなされた!「父親の死に直面」「高潮での会社沈没」そして「熊の会社乱入」である。不思議な夢が何故と疑問だが、以外と何も感じなく眠れない状態での、夢うつつの世界なのだろう。
 次の日に父親にこんな夢みたと伝えたら、頭をかしげていた。ただ「おやじの事これぐらい考えているのだろう!」と話したら、納得の表情を見せていた。とにかく何かが突然起こっても不思議はなく。この間は夜中に「父の携帯音」だった、電話には出なかったが、夜中突然に母親が「デイサービスに行く」ときかなかったという。どうすれば?という助けの電話だった。そのままにしたが、何かあったら三階まで来る。
 我が家はまだ自分が居るから良い、独居老人対策に町では「イノッチ君」なるものを、こうした家庭に設置するという。独居の方の健康状況を記した物を「冷蔵庫」に置き、救急者の方への状況把握に使うという。異変が起きた時にはもう?という気もするが、独居老人が今後増えるという対策の一つとも言える。

 町のトップが町ではと発言していたが、この元は「民生委員」の一言と「社協の動き」があり、町が取り入れた。執行機関のアイデアで無かった事が判った。現場の人間の意見のこの努力・案を伝えて欲しかった!
 
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