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ARCHIVE - 2010年07月

2010
07/14

「我が町」を知ろう


54年間旧志津川町・南三陸町に生を受け、生きて来たがまだまだ解らない事が沢山ある事に気づかされる!「我が町」全てを知ることは大変だが、だいたいの事を把握しないと、「我が町」の事を語れない事を知らされる、発見した事を一つ一つ、ブログで紹介出来ればと思った。
 写真は商工団地の東浜地区の筒の塔です。多分水道関係の物とは感じていましたが、議会の調査で案内され、それが「東浜配水池」との立て札で知りました。この塔には普段は入れなく、町の管理下にあります。ベンサイト・商工団地・東浜住宅地に水道水を供給する施設でした。その他に緊急時の備蓄倉庫の役目も担っていました。今後想定される「宮城県沖地震・津波」の災害時の、布団・水・食料・等々が備蓄されていました。こないだのチリ沖地震津波でも、少量ながら活用されたとも聞きました。

 防災関係の町内視察では、自動開閉水門の管理通信システムが消防署に置かれ、広域気仙沼での連携や県防災関係との、電気通信での迅速対応ができるという、ネットワークがここにはありました、自動水門開閉システムは「我が町」が全国に誇れる、津波への危機管理システムと解りました。気仙沼地区でさえ昨年より設備設置に動いた中での、先進的な設置が「我が町」にはあります。アナログからデジタルへの通信システムも、経費に関しては国よりの支援もあるものの、大きな事業にも取り組んでいます。
 9ヶ所の潮位の変動を24時間、消防署員が河川9面の写るモニターで監視しています。水門も開閉にあたり、山からの土砂物の滞積が少なく済む、海浜の工事を新技術を取り入れ県と検討しながら進めている。11本の町にある河川の管理は、「2級河川」という事で県河川事務所の管轄となり、災害整備や環境整備に県の資金が使われていた。

 陸門の津波への対策もしている。昔の陸門は左右からの鉄の扉で、津波から町を守っていた。今建設の扉はアルミ製で鉄より軽く、少人数でも開閉可能の物と変えられた。又これが凄い性能である事を知った。レバー一つで一人で操作でき、土地と陸門の隙間もパッキンがあり、「閉めて下げる」事で下からの海水の流入を防ぐ、新しいシステムが用いられている。また、陸門の脇には逃げ遅れた人達の非常階段も設置されている。「過去の事案から学べ」である。

 自動の水門にも障害の可能性があると言う。川の滞積物への水門の潜り込みで閉じた水門が上がらない事例も確認し、自動の開閉の水門の確認も月2回の実施と聞いた。川を綺麗にしましょうという町民の活動の必要性もあると感じた。電波通信は天気の関係で障害も予想され、電気回線にての通信システムとも聞いた。普段からの開閉の試験は、いざという時への備えとして徹底を欠かせない。

 皆さん知らない事が多々ある事に驚かされたでしょう? 今度は行政の「知り得ない影の動向」でも、ブログで紹介していきます。後3年4ヶ月、私の身体の自由がきく内に、「私には時間が無い!時間がもっと欲しい?」 そんな気持ちで活動・生活しています。
 昨日は「我が町」の特産物を多く食べてもらいたいと、一品をサービスで出している町内の飲食店の「親方」の意気込みに触れました。それは今女川に一位の座を奪われた「銀鮭養殖」です。ブログ「南三陸の贈り物」でも紹介しましたが、技術の革新で「天然の鮭」に負けない味になりました。

 もっと町の産品を食べ知る事が大切です。と「親方の話」が気に入った昨日でした。
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