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ARCHIVE - 2010年03月

2010
03/01

大津波警報


28日町中から人の姿が消えた一日となった。私の地区に海岸から100㍍とあり、3㍍と予想される津波により地域が自主防災で一体となり避難した。
南米チリから17000キロの日本南三陸に津波が押し寄せる。50年前の記憶が50歳以上の皆さんの脳裏をよぎる。142人が死亡した「チリ地震津波」である。1960年5月24日私の4歳の誕生日の出来事だった。何気なく家族で上の山の高台に逃げた記憶が、うつろだがある。遠く黒崎の海岸に津波が押し寄せたような?
 町内の全て水門が閉鎖され、消防署・消防団の消防車が町中を巡回、高台に逃げるよう広報して走っていた。本浜地区は津波到達時間の1時間前の、12時30分には地区から人並みは消えた!こんな本浜を私は見たことがない、全ての家が戸締まりされ、6時を過ぎてもその状態が続いた。7時を過ぎた頃やっと「大津波警報」が「津波警報」にかわり、地震の専門家はまだまだ油断はできない、警報が消えるまで避難を呼びかけた。
 高齢者を抱える私は弟に87歳の両親をあずけ、地域の逃げ遅れや避難先を聞いてまわった。親戚の家々に身を寄せる方が多かったなかで、独居老人の方を区長が確認、避難場所・経路を支持して廻った。
 荒島とデベソ島で大津波の行方を見守った、到達の1時30分には多く人がこの近辺に集まり、海を見つめる姿がありました。潮位の変化がないので、本浜に出掛けると人っ子一人いない道路があった。昼間の2時過ぎこんな光景を初めて見た。袖浜から荒砥への中間に位置する「深田地区」、平磯の港を一望できる場所で同級生と話しをしながら海の状態を見ていた。
 3時ごろ大きな潮位確認と消防の人が叫ぶ、沖合の3つの岩が隠れ、海面に異常な波を確認、一つの堤防が徐々に隠れていく(写真)、船は波に振られ左右にと向きを変え、次に船上げ場にも海水が上がる、もう一方の高い堤防も半分まで水かさを増し、沖のテトラポットも消えそうになった。10分程度の急激な干満の差を目で確認した。
 南三陸町で1.5㍍の津波発生とテレビで報道されていた。その時が最大だった気がする。新市場に海水が上がり・本浜地区の低い道路にも海水が溢れ・袖浜のかき剥き場は完全に冠水した20㎝位とテレビで見えた。
 以外なのはサンオーレでの大きな潮位の変化がなかったのが不思議だった。4千人以上の避難者を町が確認、指定の避難場所へ町民が逃げた。志小体育館にも50人?と夕方のテレビ、助作の高橋先生が当時の津波の記憶と、津波は洪水の様に襲って来たと話された。
 何も無かった事が一番で、避難は大変だったものの津波襲来が無かった事を喜びたい。「潮位計」「検潮地」のある場所の津波の潮位が全国で流れたが、1㍍50㎝も記録した「南三陸町」が何処にも出てこない事に不思議に思った?
 町の観光イベントの「かき祭り」やマルセンさんの開店にぶつかった。この損出の計り知れない。しかし、津波の襲来が無かった事が一番です。
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