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2018
02/23

町民はみんな知っている


昨夕に南三陸病院から携帯に着信があった。何かと電話を入れると、事務室? ナースステーション? 担当看護師? に電話が引き継がれた。父の担当の看護師(男性)からだったらしい。「聴きたいことがある。」との事だった。今日の午後には病院に行ってみたい。

昨日は友人の家に行った。娘さんが大学に入学が決まったと言う。彼女の「優しい笑顔」を見られたことで、昨日は一日楽しく仕事ができた。そのままで素直な女性になって欲しい。頑張っている若い女性が居る中で、勘違いしている大人が南三陸町には多い気がする。早く今すぐ改めて行かないと、恥ずかしい町になりそうだ。自分もしっかりしないと。

高校の卒業式が3月1日に迫って来た。10年以上も続いていた来賓としての出席は、今年は無いようだ。昨年は「志津川高校評議員」として、招待を受けたが今年はないの? その方が良いけど。

今年は低気圧被害も無く、ワカメの生育・生産と順調みたいだ。価格も良く、漁も海も穏やかな海上のもと、数量もメカブ・茎・葉とも多い。今年は「タコの豊漁」や、カキも高値で推移、ワカメの良好だと、漁民の笑顔が多く見られそうだ。

今日は議会の「運営委員会」がある。初めての委員で、会議の進捗を学び見ている今の状況だ。

昨日の冬季オリンピックの「パシュート」の報道には、私も再度大きな感動を貰った。メダル獲得がこれまで最高の「11個」になった。残りで見たい種目は「スケート女子」「カーリング女子」で、日本の女子は強くなった。


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2018
02/22

苦しみの果てに喜びが

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台湾「紅十字」より支援を受け、素晴らしい「南三陸病院」が建設され、多くの町民が御世話になっている。
現在、私と父は南三陸町志津川を「終の棲家」と決め、家族は「終活」に取り組んでいる。その父も私の中での入院の予備訓練の為に入院中である。足のむくみが「痛い」と一週間の予定で休ませている。毎日の「痛い・辛い」「食事」など、私の出来る事にも限界を感じての事だった。

病院でイイ事があった。「先生わたし判りますか。」と、女性の看護師が声を掛けて来た。中学時代の剣道の教え子だった。13年前後は経過したたろうか。現在は故郷の病院で働き、将来は地元で家庭を持ち、子どもを育てて行くだろう。兄弟は兄が二人の三人兄弟で、三人とも志中剣道部の出身で、地元に就職し頑張っている。両親と子供達が共に生まれ育った町で暮らしていた。これが普通などだが、仕事も無い、商店も無かった、生活環境も整ってない町に、家族全員が暮らし続けている。「志津川中剣道魂」は生きていた。

日本のパシュートチームが昨晩の決勝で「金」を獲った。一体となり乱れない三人の滑りは、オランダの個々のメダルリストのチームに、チームプレーで勝利した。前夜から朝まで10回以上はレースを見た気がする。何度見ても飽きないから不思議だ。おめでとう!

朝ニュースで知ったのが、俳優「大杉蓮」の急死だった。大好きな俳優の一人で、サッカーや楽器など多趣味で健康を維持していた。しかし、突然の死の原因は「急性心不全」だった。何が原因しているかは、朝のワイドショーが伝えてくれるだろう。「くるナイ!」の番組で、美味しく料理を食べる、オチャメな叔父さんで人気ともなっていた。食べ物・食べ過ぎ? それは無いと思うが、家族も父の死を、余りにも突然で受入れられないと言う。「66歳」とまだ若い素晴らしい俳優が、大好きなテレビの顔が、また一人亡くなった。

「車の代行」を始めると言う方を、会社に紹介してくれた同級生がいる。今日は父の散髪に行ってくれると言う。体も格好も綺麗になって退院して欲しい。そんな中で町の病院にリイハビリの病室が満員と、登米私立病院に父を入院させた人の話を聞く。現在、病院の「インフルエンザ流行」で、その対応に「大変!」と言う。本当に父は志津川に入院できて良かった。

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2018
02/21

仙台出張


昨日は印刷組合の支部長会議が、仙台市扇町の県印刷会館で12時より開催された。気仙沼・南三陸支部長として出席した。理事改選期で候補者の議事であり、当支部からは私が退任し、気仙沼の竹渕さんにそのバトンを渡す。若い世代が今後の地域の印刷業を背負う時代と思っている。「生き馬の目を抜く」ような、めまぐるしい業態の変化に付いて行く為にも、若い内にその荒波を経験した方が良いと私は思っている。

我が社から「南三陸海岸IC」から「仙台東IC」まで1時間と、仙台まではここまで近くなった。1時間15分で県の会館までは、「あっ」と言う間である。

今回は議会への「陳情書」の提出の藤井理事長の印を貰いに行った。陳情提出者を県の印刷組合にお願いした。内容は印刷業に限らず、町内の仕事は行政発注の仕事に、町内の事業所が大きく依存をしている。そんな中で町内の出来る業務を町外に出している事への町への提言でもある。建設などは地元の会社は、大手ゼネコンと「共同体」として、町は復興工事に参加しているが、小さな事業所には仕事も少なく、何とか町が仕事を作り与える事が望ましい。
多くの事業所が廃業をして、町内の事業所は半分になり、復興事業に関連する事業所が町には今はあるが、震災復興が終わると、関連事業所が撤退する。新たな事業を始める町民が出てくるように、環境が整うまで町が仕事(業務)を創りだす事も必要と思う。

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震災前に町の業務を減らす為に「管理委託制度」を町は積極的に推し進めた。「町内外の団体・企業が町の業務を代行する」、こうした現状が今後も続きそうだ。「自分の事は自分で!」という行政の基本が今は無く、地元の人間も若者が少なく、新しい事業を町内で始める人は少ない。これが高齢化の実情です。町で積極的に震災後の事業の発展に、事業・業務の発注を公平公正にする事は、何処の自治体でも取り組んでいる。そんな提案を陳情にまとめた。

昨日は志津川の八幡川から、126万匹のサケの稚魚が放流された。このうちに返ってくるのは何匹だろうか? 一千万匹の放流で昨年は川に返って来たのは、千匹にも満たなかったようだ。志津川湾の定置網には掛かっているものの、鮭の回帰率は減少している。4年後に返ってくる事を想定し、今後も続けないと将来に繋がらないと言う。今年は稚魚の確保がままならず「800万匹」に留まると言う。稚魚も北上川・小泉川から確保した。志津川でも川・海で捕獲した鮭の孵化事業を進め、南咋陸町に回帰するサケを増やす努力をしている。

今日は父の「入院書類」を提出する。入院する事に慣れさせる為も、今回の入院には意味がある。1週間~10日間を予定している。足のむくみが取れるまでと考える。三食付で看護師さんとも話せる。父の望む環境が病院にはある。病院の収入の増加にも貢献できそうだ。

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2018
02/20

激動の一日

羽生の日本中を沸かせ、日本が一つになった冬季オリンピック、金メダル以上に日本に勇気と幸せと喜びを与えてくれた。
将棋の藤井6段の最年少の優勝に、子供達の努力は報われ、夢に向かって「挑戦」の意義を実行した。
小平の金は確実視されていたが、その中で彼女のどん底からの復活は、多くのアスリートに勇気を与えてくれた。3連覇を逃した韓国の選手に「寄り添う姿」にスポーツマン・オリンピックの精神を感じ取った。

そんな中で昨日の事は千葉家の一つの岐路となると私は思っている。日曜日の父の弱音を聴き、父を楽に、思うようにさせたいと、昨日午前中に叔母たちのアドバイスを受け、南三陸病院に入院を父も承諾し、私も一人の暮らしを、今から慣れ体験する事とした。病院の看護師やせき先生のお蔭を持ち、無事に問題なく個室に入院した。足の「むくみ」が引くまでと思っている。三度の食事と先生・看護師の付きっきりの対応で、震災からの多くの苦労を乗り越えた父を、少しは労えるだろう。

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気仙沼市本吉町小泉地区の、津谷川・11mもの河川堤防・その上を走る「小泉大橋」。小泉橋の上で工事中の通行止めの間に、小泉川の写真を撮った。この川の鮭から採卵・孵化した鮭の稚魚を、南三陸町は放流していると言う。故郷の川に戻る鮭、間違って小泉川にいってはいないだろうか。震災後から八幡川の鮭の遡上の減少は続いている。

午後からは県議会の被災地の調査があり、その後で議会活性化の委員会があった。その後で本吉まで用事で出掛けた。帰っての一つの電話で、一日多忙の中で順調に行っていたのに、大きな問題が発覚した。あり得ないと「従業員にあたる」。これは私の最終責任で、気の緩みでしかないが、これは私の正義感を揺さぶる事件と成りかねない。関係機関に頭を下げ謝罪し、自分の恥じはど返しの行動を余儀なくされた。その日の事は問題(クレーム)は早期に解決が身上で、私の中では解決したが、今後にその影響がでるかもしれない。「あと少し、もう少し。」と家業を続けないといけない中で、千葉家の家を守る家督としての役目が全うできなくなる。

この問題が尾を引かない事を祈るばかりだ。

羽生・藤井・小平の偉業にあやかるかのごとき、安倍総理の「祝福の電話」は、パフォーマンスとして私には見えない。それを民放のNHKを初めとするメディアは伝える。強い者に尾を振る人達が、この国には多いようだ。私のフェイスブックの友達は、反現政府の人達が多く、類は友を呼ぶと言った感じだ。


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2018
02/19

現地調査


震災前に志津川保呂毛地区の「霊峰保呂羽山」に行った。あれから10年は断つだろう。「正鵠の森」が保呂羽山の玄関にあった。
その場所まで、現在はどうなっているかを見に行った。貴重な冬の雪の中の南三陸町志津川保呂毛の公園である。建立は「宮城県本間知事」の時代だった。県の事業で造られたのだろうか。
こんな誰も通る事のない雪山で事故ったら、と思いつつ細い林道を4Kも分け入った。仲間に話したら「馬鹿じゃない!」と言われそうだ。

水尻川の河川堤防の建設が進み、保呂毛地区に行く「保呂毛橋」が完成し取り付け道路のS字仮道で対応している。橋を渡ると30mもない場所が、3mの道幅となり車の通行に危険を感じる。また、左側を流れる小川も津波被災のままで、震災復旧が進んでいない。ガードレールは所々にあるものの、地区民の通行は危険がいっぱいである。
震災前までは保呂毛線の道路いっぱいに家が建ち、津波の襲来した地域の家々は流失し、基礎だけが残った。そんな土地を浸水地域として町は買い上げ、道路の拡幅や道路整備にあたれないのかと、地区民は思っている。町は買い上げた土地を石材店に貸し出している。石材店が見つけた土地で、ここを借りたいと町へ要望し、一年の計画で貸し出した。
なんでこの土地を貸し与え、地域民の為に道路の拡幅へと、町は活用しないのか不思議だ。

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町は「観光立町」への政策を第一に上げ、「山・里・海」と自然の大切さを全国に訴え、観光客の拡大を言う。「正鵠の森」として保呂毛地区の、保呂羽山の登り口にはトイレ・休憩所・公園が整備されている。しかし、震災前も今も保呂毛地区の観光地の開発活用は考えてないようだ。今ある公園を有効利用は町として当然の事と私は思っている。海の水産物の恵み、山の恵みと自然風景、そして里の人の温かさ等、素晴らしい南三陸町の財産をすべて有効に使う事で、観光立町となると私は考える。

歴史・遺跡をもっと大切に保存すべきと私は考える。志津川新井田地区で発見された「新井田遺跡」も、町は調査をして、一部保存もしないで、その上に高台移転の団地を整備した。

私の子供の頃「旭館」は、多くの遺跡出土し志津川地区の文化遺産と、保呂羽山周辺は歴史遺産の墓所として、開発なくそのままで、「保呂羽神社」も山頂に鎮座している。小学の高学年は「保呂羽山遠足」が実施されていた。山を歩き秋の恵みを肌で感じた。アケビ・栗・キノコなどの恵みと、季節ごとの花に魅了され育った。ふるさと学習の探検をして南三陸町の良さを感じて欲しい。心豊かな子供づくりを当時の公民館は実施していた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:25 】


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