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2018
12/17

高野会館へ道路整備


昨日は戸倉に用事で出掛けた。汐見大橋を抜け水尻橋へ、途中の交差点は大雄寺へ続く道と、もう一方は高野会館までの道路ながら、途中で切れていた。
「高野会館震災遺構へ」の看板があり、下まで行って見た。旧松原公園の跡地一帯は、高速道や高台移転工事の残土置き場で、志津川地区の嵩上げや防潮堤の基礎土として利用されている。
震災から8年目の終末となり、工事の発注が最終期を迎え、志津川地区の「港橋」の解体へと、議会の圧倒与党の数で、議決され解体へと決定した。南三陸町の被災をした橋はこれで総てが解体される。八幡川の1つの橋の「デザインコンペ」があり、若い建築家の二人が町から「150万円」の賞金を頂いた。しかし、橋の再建はされる事無く、解体となる。不思議な町の予算の使い方と私は解体に反対した。
解体には2億円もの多額の予算を使う。震災遺構としての存続を求めたが、河川堤防の工事の遅れと、設計の見直しは難しいと執行部は言う。これまでも町からの議案提案に「否決」のないままで、佐藤町政はある。議員の活性化・活発な議論と、町への提案ないままで、行政の監視と刷新への姿勢に薄いと、現状況を危惧する。不思議な町になってしまった。

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旧志津川公民館前から、港橋方向を望んだ。震災後の残った港橋は幾度となく訪れ写真を撮影した。私の記録簿には震災直後の映像が色々あり、志津川地区の姿が変わっても悔いは無い。
この場から港橋と南町・本浜町を望んだ。昔の姿は何処にも無い。これで八幡川の西側に残る「高野会館」が無くなったら、以前の町の姿を何処から想像すればと思っている。
今回、高野会館へ続く道の整備は、所有者の為では無く、町の希望の橋の解体が大きな理由だ。橋が解体されると残土の運搬ができなくなる為、片側3mもの大きな幅員での整備となった。総ての残土を大型トラツクでの運搬ではなく、旧小松原の姿の再生を考慮し、防潮堤をセットバックして建設する考えだ。
高野会館は今後も受難の歳月が続きそうだ。残土は現在の半分くらいを運搬し、残りはこの部分の防潮堤に充てると言う。

私の伯父の同級生が亡くなった。御年96歳? だろうか、能力は多才で良く知っているのは、共に趣味の絵は、70~80歳頃から開花したと記憶する。こうした若者への影響を与える人物が、現在毎日のように亡くなっている。(合掌)


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2018
12/16

南三陸町の人口13000人を割る


12月12日に町役場で志津川小学生による「未来の南三陸町のまちづくり」発表会が開催された。会場の「マチドマ」には、子供達の発表を見つめる両親や、役場職員・報道記者でいっぱいとなった。
私は「観光」と「国際交流」について、6人の生徒の発表を聴いた。観光振興では「平成22年度の140万人を越えたい」との考えに、未来の町に希望の火が見えて来た気がする。
民泊が100軒あったものが今は40軒と、観光客の受け入れ態勢がある。観光客の受け入れに「パーティー」や「バーベキュー」などでの交流提案もあった。会話については、英語を話せる人が少なく、外国人とのコミャニケーションがとれないと話す。今後として外国人と話す機会を、趣味を通しスポーツやお茶会などをあげ、「サッカーはブラジルでポルトガル語など、外国語に接する事が必要です」と話す。国際人となり世界に羽ばたく子供達となって欲しい。

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剣道の教え子がこんどは、「妹に子供ができました」とラインをくれた。この子も三陸町から登米市に移転しての事だった。
登米市は生活するのに環境が良い。各種病院・買い物かど、様々な生活環境が整って、生活するのに何の心配もないと聞いた。
今日もまた死亡告知チラシが入った。寒くなり亡くなる人が多い事を実感する。これでは人口が減るのも当然の事であり、結婚環境も厳しく、町は本気で人口問題解決ではなく、交流人口の拡大と訳の分からない事を言う。この発言するのは商工・観光で町が潤う事だけの考えてと私は思う。

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2018
12/15

海の森、志津川湾

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志津川町本浜町の北堤防が私の海の遊び場だった。カニ取り・魚釣り・クラゲ釣り等、滑って転んで海中に「ドボン」。ウミウシの体を押すと、カラフルな色を体内から発する。町の海の姿がここにはあった。

海底の「食物連鎖」が、写真のアマモの中にあった。こないだ先輩から、アイナメがいてタナゴやソイもいる、海の中の森。と教えてくれた。私のアマモの海は、アナゴの夜釣りでした。志津川湾の沖から内湾に来て、釣り終了となる。最後に水深は3m余りで、林桁の入口にアマモの群生が広がっていた。最後の釣りの投入をする。アナゴは小さい物から、大きい物までここを寝ぐらにしていた。沖と同じくらいに魚が内湾に生している。

海底の砂地に育つ「アマモ」で、タチアマモは干潮になると海面を埋め尽くす。漁師さんなら理解できるが、一般の人達はこの光景を想像もできないだろう。このアマモが「コクガン」の餌と言い、ちぎれて海を漂う物をついばむと言う。

コクガンの現状を視察に、内密に皇室が以前来町したと聞く。日本の自然生息地の維持保全に取り組んでいた。「志津川愛鳥会」があり、代表の田中先生がいた。志津川十日町に子供達を集め、町内で生きる鳥たちの事を調査し、朝の探鳥会など、自然に暮らす鳥や、ケガをした鳥を保護し、治療し自然に返すなどの活動をしていた。田中先生は生き物を大切に守る事を、子供達に教えた。もう30年前に先生が亡くなり、その継承の活動は私には見えない。
イヌワシの里としての志津川町があった。現在は志津川と横山の中間にある「翁倉山」に、多い時は4組いた物が、今は「1組」だけになったと報じられていた。自然の変化や人間の進入など、多くの問題が自然に暮らす鳥の場所を減少させている。今から50年前は、海も山も自然がいっぱいだった。

大震災の復旧工事などで、多くの良き自然はもう消えうせてしまった。人間の手が入り過ぎている。

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2018
12/14

一年間の感謝のドライブ

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昨日は気仙沼市・登米市、そして南三陸町入谷を歩いた。
全部で18カ所のお得意さんや、友達の所を廻った。津山で30年前に御世話になった知人は、今年、ガンに倒れ亡くなっていた。「何時までも元気」は生きていれば死を迎える。
津山の人で会社を退職後、地域の特産品を広めようと「石貝の水」「竹炭」など、商品化で仕事を頂いた。タバコと酒が好きで、まだ75歳ぐらいだろうか。旧津山町の町会議員も務めた。「悪い事を悪い」と、「歯に物着せぬ」活弁家だった。私の生き方は、こうした方々の影響を大きく受けている。

写真は志津川地区細浦の海岸線の防潮堤が、本格に始まっていた。震災から7年9か月になっての事です。8.7mを基準とする南三陸町の津波防潮堤整備は、震災復興予定の10年では終わらず、12~13年と全て完了まで予定している。それだけの大工事なのでしょうがないとも感じる。
この地区の住民の仏事事を担っているのが、私の父の一番下の妹の嫁いだ「徳性寺」であり、檀家を震災後も守っている。大震災の「札所」として、活動を始め、震災の慰霊をこれから続けて行く。

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全国的な問題として、町にあるお寺も後継者不足、檀家の減少で寺の経営は大変だと言う。「墓じまい」に留まらず、「寺じまい」とも成り兼ねない。住職の高齢化の中で、全国のお寺もお墓の画期的にスタイルを取り入れている。
大震災で東北沿岸のお寺も多くが被災し、再建された寺もあるが、登米市などの内陸の寺も、新築には2億・3億など、それ以上に本堂の改築や。庫裏・檀信徒会館・鐘つき堂など寺の施設は、再建の整備の厳しさを思う。私の同級生のお墓も「墓じまい」をしたと聴き、ショックょ受けた。しかし、仲間の死から家族の事を思えば、今を暮らす近くに墓地を設けるのは当然の事と、家族の将来を考えたい。

徳性寺には「糖物慰霊碑」がある。現在は何処の焼却場にも「動物用」があると聴く。南三陸町でもその施設がある。動物は今、家族と同じと言っても過言ではない。震災後も「ペツトロス」に苦しむ人たちの話を良く聞く、「亡くなられた人の分まで生き抜きましょう。」と私は話している。



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2018
12/13

我が家はすでにクリスマス


先週の土曜に石巻のホーマックで「モミの木」を買い求めた。以前は目隠しの木製つい立があったが、台風でバラバラになった。12月になり玄関の寂しさを解消に今年は「クリスマスツリーで、来客を迎える事となる。
昨日は発積雪となり毎日のように氷点下の朝が続く、父もそうだが高齢者の多い町、谷坂のある町の形状は危険がいっぱいだ。

今日も死亡の告知チラシが入った。寒さが増し連日の町民の死亡がある。その予備軍も病院や施設に多くいると言う。バラバラになった町民があり、近所隣りの「近所付き合い」も無いままで、繋がりの希薄さから葬儀参列者も少なく感じる。

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