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2018
06/20

心地よい寝不足 そして勝利 ドキドキのアディショナル5分


南米の雄「コスタリカ」とのワールドカップ戦、南米からの初勝利。
ゴール前でのコーナーキックからの、大迫の決勝ヘディングゴール(写真)で何とか勝った。5分のアディショナルタイムは、コスタリカの最後の猛攻に、耐えに耐えた時間だった。「篤実、日本勝ったよ!」
開始ホイッスルからわずかで、香川と乾の連携から、相手のゴールエリア内での「ハンドの反則」、無意識の内なのか腕にボールが当たった。一発退場でフリーキックは香川がワールドカップで、初ゴールをした。
形はどうあれ先取点、そして相手選手の退場で、10対9での優位での試合の様相。しかし、決して優位とは言えない戦いで、前半の1対1から、後半に1点を取り、最後のアディショナル5分間はドキドキの心地よい観戦をした。

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南三陸ホテル観洋でサッカーワールドカップの、「パブリックビューイング」での応援会が作日午後9時からありました。みんなで応援したいと思う方は、ぜひ参加下さい。と知人がすすめてくれました。
南三陸町でも町内で「パブリックビューイング」を設置して、町民が一丸となり日本チームを応援する等、文化交流ホールの活用をした方が良い。サッカー少年団やスポーツ大好きな青年、高齢者も一緒になり、共に心一つにして何かをする事は、復興への団結力ともなると思われる。

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決勝点をたたき出した大迫選手の、サッカーへの情熱は、高校時代の活躍でも、全国の高校選手から「ハンパねえ!」と言われる程ながら、日本国内の「Jリーグ」だけでは、自分の力の成長はないと、世界の強豪国であるドイツでの、リーグ戦に挑戦した。
世界屈指のドイツチームも、まさかの一回戦は敗れている。今回の世界大会のサッカーの対戦は、予想だにしない結果が沢山出ている。日本のコロンビの対戦勝利も、以外との国民の意見も多い。チームが最後まで諦める事無く、「守って攻めた」、一人一人の活躍その結果が勝利に結びついた。挑戦の気持ちを忘れる事無く、チームプレーと、その中での個人プレーを発揮して欲しい。

残念ながら昨夜の「決勝点シーン」は見る事ができなかった。でも日本のサッカーファンと共に喜びを共有した。午後11時に試合は終わっても、興奮してか2時間近くは眠れなかった。今度は20日のセネガル戦を、皆さんで応援しましょう。多くのサポーターの力が必要と、長友選手はサイヤ人の金髪ヘアーで話していた。




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2018
06/19

大阪で震度6弱の直下型地震


昨日の午前7時58分の「大阪直下型地震」の発生は、テレビでの地震予測速報と同時に発生した。直後のテレビの放映の光景では、ビルの倒壊や高速道の落下、そして火災や家の崩壊は見られなかった。火の後に色々な被害が報道された。

大坂の友達に大震災直後の連絡は、東日本大震災の経験から、携帯電話よりメールが繋がったとの経験で、メールを入れると少しして携帯で連絡が来た。車で走行中でしたが、地震による町の変化はありません。大丈夫です。との事だった。「必ず余震がありますので、用心して下さい。」と告げた。
大坂の皆さんからの支援を受けた私の友だちも、「携帯が繋がらない」と、大坂の支援の方を心配し、私に電話をくれた。

大震災前の20年以上も前に、「宮城県沖地震」があった。我が社は印刷の器機が倒れたり移動したりして、2~3か月は仕事にならなかった事を記憶する。大阪の同業者の友人なので、私自身は大きな心配の中にあった。15~20秒の直下型地震だった事が、機械の被害に繋がらなかったと分析する。
宮城沖の地震では仙台の「卸商団地」に大きな被害がでた。ビルの倒壊や地盤の沈下など、埋め立て地の商業地故の被害だった。
人命では塀の圧死9人で28人の人命が失われた。大阪の地震でも9歳の女の子が学校の施設の塀で圧死した。その他にも交通安全の見守り支援の80歳の男性も同様に亡くなった。宮城県では震災後に、塀には震度6~7に耐えれるような、塀の建築規制が引かれた。これが宮城県沖から学んだ検証にある。

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最近では熊本地震でも28歳?の男性が壁の下敷きになった。大阪の地震が東日本大震災の半分の2分間の地震なら、もっと多くの被害がでた事と思う。真剣に自然災害に取り組む地方自治体の施政が、国民の多くの命を守る事に繋がる。

南三陸町への派遣職員の支援は、兵庫県が12自治体、大坂府が1自治体と、町長は今後なにかあったら支援をしていきたいと、議会の最終日の昨日に語った。職員派遣支援を受けた所ばかりではなく、総ての県に対し大きい意味の支援は、南三陸町の恩返しと感謝の気持ちであり、伝えないといけない。

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2018
06/18

古き良き街並みが消えていく。原因は便利さ


本吉町・米川町などの町並も人口減少による「シャッター通り」と化している。バイパス」と言う名の、人間にとっての都合・便利さが、その原因の一つと感じている。戸倉地区・入谷地区も「高速」と言う、文明により、人の流れが経済の生業の変えてしまうかもしれない。私のような「古き考え」の人間は、シャッターを何時までも閉じたままの、生き方しかできないのかもしれない。(ちなみに写真は、母の生家の米谷です、今も凛として、消えそうな町で頑張っている。次は甥の孫たちに託して……)

「巨人・大鵬・たまご焼き」の巨人は何処へいったのだろう。昨日は私の好きなテレビ番組がないので、巨人戦を試合の7.5割は見ていた。内海が先発で頑張り、沢村が中継ぎで、8回・9回と外人選手に託した。最後のマジソンのピッチングはあり得ない。1対2のサヨナラ負け、見たくない結果だった。提案だが巨人軍、「総てを国産選手で頑張って欲しい!」と私は考える。これで試合に負けても国民は納得してくれるだろう。さして私も最後まで応援するヨ。

「日朝会談」は行われたが、「キツネとタヌキ」、今後の行動は日本にとってどうなって行くだろう。トランプ?ジョンウン? はもう見たくない。
嫌な物に目を伏せる自分の性格ながら、「南三陸町志津川」は違う。いやな奴とも戦わないと、自分が生きて来た綺麗な静かな町は、強権で欲得だけの町になってしまう。誰かが声を上げないと何も変わらない。

世間では若者たちの事件が満載だ。並行してやるべき事が沢山あると思うけど、政治家の皆さん。逮捕者の多くは、40・30・20代でも「無職」なのは、政治のせいもあると思いませんか。

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2018
06/17

何の為に生きるのか


人の為に生きて行く! こんな事を常々言っていたが、最終的には自分の為だったのではないか! と思える節がある事を感じ始めた。

今日は米谷の母の実家に、母の三回忌の案内を持って行く。足を伸ばし「みずかぶり」の奇祭の米川へも、母の妹の嫁ぎ先の従弟にも案内を届けてくる。帰ってからは歌津の恩人の先生に線香を手向けに行く。御世話になった親近者の供養の焼香は、できる限り、続けて行きたいと思っている。今日も戸倉荒町の方が亡くなられて「葬儀開催の報」のチラシが入って来た。
昨日は「菩提寺・大雄寺」に、正式に法要のお願いをしてきた。先祖への感謝はこれで、私のする事は終わりと思っている。父と私の事は何もしなくても良いとも考えている。

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私と故人が手掛けた「自分史」が、葬儀会場に展示されていた。自分の生き方の証と、素晴らしい直筆の「書」の写真が、子や孫に伝えられていく。これまでの川柳や短歌・絵画などの、自費出版の作品のお手伝いをした。皆が亡くなられてしまったが、100歳を過ぎたまだまだ元気な父の友人の「川柳集」は、2冊も発行している。しかし、父は自分の作品を作ろうとはしない。何故かと考えると、そんな事に「お金を使いたくない」との考えのようだ。子や孫には自分の生きた姿は、今の姿だけで十分との考えと感じる。寂しいが私には何もできない。

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沼田地区の私の家の後には「仮設郵便局」があったが、同じ地区の役場の近くに郵便局が新築され、以前は15日になると自宅周辺は混雑した。年金受給の振り込みがあり、引き落とす車の渋滞があったが、今は人通りも少なくなり、まして車の通行は8割も減った気がする。それでなくても自宅前を通る人も無く、外で陽を浴びる父は「誰も通らない」と、寂しそうに話す。
「田畑も来ないし、須藤からも電話が無い」と、仲間の状況を心配している。95歳の父を心配するのは親戚だけで、「他の人は年を取り、自分の事で精一杯」と、父に伝える。寂しそうに自分部屋に入った。

私は父に何もしてやれない。自分の為に生きたいと思っている。今日はウジエに買い物に連れて行こう。

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2018
06/16

兵達の夢の跡

昨朝に連絡があり、1時間後に同級生から電話も来た。やはり同級生の父の死にあたり「御霊前に」と、死を痛む心遣いをとの事だった。誰もが知らない間に、先人たちの死が被災地で起こっている。

佐藤栄吾先生(91)は震災時に十日町で奥さんと、息子さん夫婦と孫たちと幸せな生活をしていた。それが「3.11」の大津波で、命からがら避難場所に逃げたと言う。その後は隣町の石巻市で8年目の生活は、孫たちとの生活もやっと落ち着いた頃、と思っていた時の「訃報」だった。今日の葬儀には出席をする。これまで多くの支援と指導を私は頂いた。学校では同級生の父で、強弁は受けていないが、先生夫婦には両親のように家庭に向かい入れてくれた。ありがとう、そして感謝、ご苦労様でした。
昨日はもう一人の恩人の先生の、一報が聞こえてきた。歌津の山内亮先生(90)の死だった。歌津地区の西光寺の門前に自宅があったが、津波で流失し最愛の奥様も亡くなられたと聴く。息子さん学区は違うが同級生である。震災後に戸倉小学校の校長の時に、同級生のよしみで「広島の団体の子供達の支援を受け入れ」でお世話になったのがこの間の事だった。亮先生は地元の老人介護施設に入所していた。書道や短歌を趣味にして、自費出版で相談を受けた。仕事面だけではなく、奥様の優しさにも触れ、色々な話をした事を思い出す。明日には線香をあげに行きたい。御疲れ様でした、そしてご苦労さまです。

教えは受けなかったものの、二人の恩人の先生が相次いで亡くなった。正義感を持ち、悪政を嫌い、子供達には優しい先生たちの死は、町の大きな人材の損失だ。多くの話を将来の町を造って行く若者や子供達に、話をしてもらいと今は思う。(合掌)

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