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2012
05/17

土地


「福祉の里」に昨日は行ってみた。旧志中には大型バスが5台駐車していた。下の被災地には写真のように、200名以上のボランティアさんが、小さな瓦礫を一心不乱に拾い集める姿があった。この日は22℃まで気温が上がり、大変な作業に頭が下がる。
帰りに登校坂の途中の「さんさカフェ」に寄った。見た事のある方が二人、高校の避難所で避難者の支援代表として活躍していた人だった。現在はこの場所で支援者の方と共に、来町する支援者や被災者への軽食の販売をしていた。このお二人も被災者ながら、こうした活動も被災地には必要とされている。
今後は志津川市街地は6mのかさ上げと、線路が中央に見えるが、前は結構高いイメージだったものの、海面からのその低さに驚かされる。八幡川の手前は1mの記念公園の緑地帯として、再建が進められる。
三億上限の四分の三補助事業や二千万の二分の一、そして上限三百万などの補助事業も今月末で、24年度の一回目の、申請が締め切られる。100事業所以上が南三陸町商工会からの出願される。コンサルタントが入り申請が受理されるようグループ分けしている。4000万円の計画でも、1000万・2000万と自分の資金ぐりもしないといけない。けっこうハードルは高く、申請者の多くは3000万円の施設・設備費と思うが、資金がないと申請も厳しい。
「我が社」も二年ぐらいには3000万円を目標に、商工団地の土地に工場を建設する目標で進めたい。今から二年後は住宅建設のラッシュと南三陸町はなる。商工団地も20年前で「5.5万」ながら、現在の土地購入価格は2倍とも言われる。担保設定も8割と考え、1200万円の担保価値、多くの皮残業が続く。

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2012
05/16

依願退職


震災発生後に私の仲間の職員も、「依願退職」をした。年齢的にも重要な町の人材でありながら、多くの仕事内容の遂行にトップ上司・課長職の余裕のなさが、職員の「心のケア」ができていない事が原因と私は思う。
昨日知人が来社した、話によるとまた職員が「依願退職」したという。新年度になる前に私も少し彼と話をした経緯があり、優秀な職員だった。今、必要な町の存在であり、この時期の退職は理解に苦しむ。色々な事情があるものの、精神的なものの蓄積があったのだろうか。
彼の奥さんも総務課で町長の秘書的立場で五年間も総務で働いていた。しかし、今回の津波で防災センター屋上で「殉職」し、帰らぬ職員となった。こうした精神的な諸々の事が、退職の原因だと思うのだが。
14日から「高台移転個人相談会」が20日まで行われる。私の知人も説明を聞きに行ったが、質問する事で核心部になると、「まだ判りません」との答えに、「行ってきたが何も解決しなかった」という。対応は支援自治体からの応援の職員だった。地元の事を理解している職員対応なら、また、別な対応ができたのではないかと感じる。
写真はわが社の前で、現在荒町の小中生徒の通学バスの停留所となっている。午前7時30分になると、子供たちの元気な声が聞こえる。カーブミラーがあり、多くの花を「我が社」の従業員が植えてくれた、心が少しでも和めばと思う。今、全国で通学の列に車が突っ込み多くの児童が「尊い命」を落としている。被災地の児童・生徒の通学には9割がバス通学だが、道路の整備がまだままならない、南三陸町多くの気づかいが運転に必要と思う。先月石巻では横断歩道に一般の指導隊の人が、横断の援助にあたっていた。
志中の剣道部指導は、本当の打ち込みを教えるために、7月8日に開催される「一級審査」の9本の形の指導をした。案の定、打ち込みの形の基本が伴っていなかった。今からならまだ修正はできる。来月の10日の「中総体」には、後悔の無い大会になるように、時々の指導ながら学校に通い続けたい。

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2012
05/15

支援の輪


昨日はアリーナまで出かけた折、旧志津川仮設診療所裏の空き地に、幼稚園が建設されていた。遠くから見ると鉄骨建設と見誤るような太い柱と梁に、建設資材の高騰がある中での建設と思った。
しかし、近くで見るとそれは木造建築だった。それはなぜかと言うと、経営は宗教法人の「大雄寺」さんだと思う。今回の大震災の津波で、寺の山道の町の遺跡の杉の木も、津波被害を受けた。倒木・塩害により伐採を余儀なくされ、その杉の数百年にもなる大木を、製版し使用すると前に話で聞いた。
赤十字が支援しているが、サッカーの長谷部選手との建設のプロジュクトでもあった。子供たちの教育施設の早期復活が、最大の願いでもある。現在は廃校となった「大船分校」での保育教育を余儀なくされている。この地区も大船地区と言われ、昔は津波で船が入ってきたとの言い伝えもある。
今日は「沖縄返還40年」と言う。私が15歳の時はまだアメリカの領土だった事に驚く。戦争での沖縄県民は4人に1人が亡くなっている。この現実に県民の米国の基地の存在は、戦争が未だに終わっていないとも言う。
「東日本大震災」が起こり、復興へと言うが、まだまだ始まったばかりである。

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2012
05/14

仲間は


多くの電話と来客に追われる私個人の時間です。週末の政治報道テレビは、唯一私の中央の政治家の考えや行動を見て、自分の公人としての活動の、肥しとしている。
また貴重な日曜の時間ながら、7月8日の一級審査の「剣道形」の9本の再確認をした。初めての級審査の二年女子の形指導があり、剣道の打ち込みの基本がここにある。二年生徒の打ち込みはまだ本当の形を知らずに、昨日の剣道の試合に臨んだ生徒ながら、勝つための剣道をするためには、この知識は欠かせない。
町外いる町民からの高台移転には多くの疑問も多く、個々の場合によりその対応も違い、その説明は私も曖昧な所が多々ある。水戸辺川のバック堤防に係る土地も微妙であり、在郷は第二瓦礫仮置き場の関係もあり難しい。また、寺院もあり道路の在り方も地区民にとっては大課題ともいえる。今年は「三回忌」となる、100名にも及ぶ死者の供養は遺族の祈りへの願いでもある。
今月末は印刷組合の総会が仙台である。その他にも組合の「通常総会」が今後めじろうしでもあり、総てへの参加は、今後への状況の把握には欠かせない。事業者の廃業や再開の混迷をここで知る事ができる。
昨日はガソリンを入れに、休日でも営業している宮城商店さんへ、給油中に残った防災センターを見る。見上げるように青空にそびえ立っている。6月に解体と言われるが、検証という形でぜひ津波が到達してきた方向を、屋上から見てみたい。また、職員殉職の被災遺族にも、最後の生存の場となった所、ぜひ登ってみたいという要望があるような気がする。
きょうも南三陸町は良い天気です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:36 】

2012
05/13

離れれても仲間


最近は志中の剣道部に行くときに、水尻橋から志津川高校の下を通り、「福祉の里」の入り口から398号に抜け、高台の志津川中学校へと向かっている。信号を2つ回避する為で、さほど変わりはないが信号を通らなく、ノンストップで行ける事を早く感じている。
水尻川にはこないだの低気圧による大水で、川の中央にコンテナが流され、回収に建設会社の方が作業をするも、この日回収には至らなかった。自然の力と人間の知能のせめぎ合いが、災害復旧の至る所で起こっている気がする。
昨日は剣道部の竹刀・防具の気仙沼の納品業者が被災し廃業、現在業者が決定していない。今日の大会に3人の一年生が参加しないとチームが作れなく、志中の垂ネームの作成が余儀なくされ、私が注文している石巻の防具屋さんを紹介し、一か月は係る作成を一週間で納品してもらう事をお願いして、昨日午前の練習日に納品に来てくれた。
生徒への業者店主自身の自己紹介に「石巻剣道連盟七段教師鈴木です」と、その声と姿勢に対しての指導の姿に圧倒された。剣道の精神・真髄を理論だて、「感謝の気持ちを持ち、気合を持ち一本を打ち込む」と指導する。こうした知識・指導力も七段の取得に必要と再認識した。
写真は高校下の住宅地の瓦礫撤去に、ボランティアさんが50名近くが作業をしていた。土に埋まった建物の残骸を掘り出し一輪車で運ぶ光景があった。登校坂の入り口は駅前の「東食堂」さんの家だったと思う。この今の姿に「東さんは」「あのチャーシュウみそラーメンをまた食べたい」と、ふと思った。
なかなか商店の再開、住民の高台移転の今後が見えない事に、イライラしているのは私だけではないと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:54 】


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