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2019
03/21

春彼岸、先祖と母に想いを馳せて


今日はお彼岸の墓参りに朝5時に行く事していた。
結果は6時半となり、祖母・叔母・母そして先祖と向き合った。
我が墓地は1千基もある菩提寺の墓地の上から五番目、その坂は年々きつく感じる。
あと何年、一人の先祖の墓参りができるだろうか。

昨日で議会は終わった。
南三陸町の問題は山積している。同僚議員が災害公営住宅の維持管理費の「7千万円」の県の住宅公社に委託している事について、「この委託をやめ、町で管理に当たり住民に雇用の場を与えたら」との提案があった。それに対する町の現状は、最近独居の方が亡くなり、何日後に発見されたと言う。遺体の引き取り手が無いとも言う。保証人は引き取りを拒否し、今も個人の私物が部屋に残されたままで、部屋の家賃や管理に町は苦慮しているとの報告があった。
こんな住宅居住者の問題に、行政が対応できるかと言うと難しい。800戸の災害公営住宅は空き室が一桁台と、だいたい満室の状況になった。震災で被災者の住居の提供は行政の責務である。今後10年後には、補修・管理・維持に10億の町の財源が必要だとも話す。
将来の不安を抱えたままで、震災復興完結の10年まで2年を残す事となった。現町長の震災復興計画であり、10年後の現実の計画失敗は、誰が責任を取るのだろうか。住民にも投票責任があり、一票の重みを感じて欲しい。

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フェイスブックやツイッターで友達が、「内容が暗い」と最近指摘された。
死者への畏敬と感謝は、大震災を受けた町、そして住民の事を思えば当然の行動と思っている。
ベイサイドアリーナでの町からの震災復興での町民へのお願いで、その計画に理解をとの町長の説明があった。
私は議員そして一町民として、行政に「町民はここで死んでもイイとの考えを持っている。一日も早く住民の生活環境を整え、生活再建をお願いしたい!」と意見として発言した。民放を始め私の映像がメディアで全国に発信された。アノーナに集まった5百名? を越える町民に選ばれた志津川地区の代表として発言した。あれから9年目を迎え、私には町のマイナス部分だけが露呈したと感じる。
震災復旧の土地整備の遅延で、町民の3千人が街を離れた。現在は17000人から13000人を切るまでになった。人口が減る事での多くの弊害が現れている。介護保険料の上昇、地方交付金の減少、労働力の減少など、人口減少が大きな要因にある。それでも町長の方針の5つの一つに、「交流人口の拡大」を上げる。もう町の再構は無理のようだ。

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同級生が震災や逝去で30名を越えて亡くなった。還暦のお祝いで仲間の塔婆を志津川地区の大雄寺の墓地の入口に建立した。
共に志津川町で生きて来た、仲間に頭を下げた。決して皆を私は忘れないだろう。



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【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:43 】

2019
03/20

私にもこんな時代が


FBで繋がった方への返信メールです。自分の状況を言っていましたが、昔の事で忘れた。とも言っていました。
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日本全国が人口減で、未婚者もいっぱいで、子供の出生が1~2人ではね。それでいて「虐待」など不幸な事件も、毎日のようにテレビで報道されています。人口減は地方はもっとすごく、被災地はその上を行く。私の時代は4クラス40人で、色々な友達が沢山いた。良き時代でした。
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今は女の子と男子も「着物姿」が多く、時代もここまで変わり、御両親も我が子の晴れ姿を映像に納めようと、スマホとビデオに向っていました。

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写真は津波で半分に分断され、残った南三陸町志津川の大森地区です。
私の子供時代は、この写真の前の場所に「大森海水浴場」があり、志津川の町民が多く集まる場所でいた。
時代の流れは私達に何を残したのでしょうか。(海岸に観光バスが下りて行く)

安倍政権も官僚も「嘘の上塗り」が今も続いている。
戦後最大の長期景気も信じられない事態が発生している。北方領土・拉致問題・沖縄基地など、何一つ結果は出てない中で、自民党政権が続くのは、大企業の状況は良く内部留保の増加で、その指示は減っていない。
今になって「消費税の10%中止」なんて言う事も、報道で囁かされている。ここまで色々な議論と対策を考えて中止はない。社会保障・人口減少・子育て支援など、消費税の5.5兆円を充てるのに、与野党の国会の議論は何だったのだろうか。自分の政権の維持の為に、景気の後退からの回避がある。将来の国を考えれば、消費税アップは国民皆が共有できる考えである。駆け込み景気と、反動の景気のダウンは仕方がない。

国政は変化が起き始めているが、町政は何の変化もない。国民の税金をジャブジャブと使っているように感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:44 】

2019
03/19

過去への思いと現実


志津川本浜地区の防波堤で、南灯台が無くなっていた。
北防波堤では今頃、「モクズカニ」を獲りました。懐かしい想い出ばかり。

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「夢に向かって頑張れ!」
母校の後輩達44名が、志津川中学校への次の段階に進む。
中学2年生の先輩がメッセージを送ってくれた。
「悩んだら、周囲の友達・先輩・先生、地域の人達に相談して欲しい」と話す。
いじめの無い南三陸町であって欲しい。

志津川小学校の「くろしお宣言」は、子供達が考えた「いじめ」への取り組みの4つの項目があった。
今日の志津川小学校の卒業式、いつものように感動した。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:02 】

2019
03/18

南三陸町志津川字「大森橋」


志津川地区に完成した「大森橋」、渡った光景には昔の面影は何処にも無く、津波避難の高台に残った家があるだけ。

(10mの嵩上げ後)の大森地区、震災前は橋を渡ると100軒以上の町並があった。大森橋を本浜から渡ると、左側にパーマ屋さん・電気店・蒲鉾店・不動産屋さんがあり、右側には水産加工工場・酒屋・同級生の住宅・乾物店・水産会社があり、おどりの稽古場があった。
この道を真っ直ぐ行くと「大森住宅」があり、まさに津波非難場所がここにあった。チリ津波の時にはこの高台から、襲来した津波を見つめる地区民の姿が写真で残っている。
橋の下には「新井田川」、河川堤防は11mの高さで、以前土地は法面に変わった。何処を見ても昔の思い出は何処にも無くなった。この場所は「水産特区」として27億円が使われ、昨日見に行くと3軒の水産会社があった。3億から8億に国の支援があり、8分の1が自分の手出しで工場が整備された。凄過ぎる震災支援格差が南三陸町であった。

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震災前は歩いた事が無く、昨日は会社の営業所から、ぐるりと大森地区まで散策した。3000歩の楽しくもあり、発見多きウォーキングだった。45号沿いには農協スタンドが4月からのオープンだろうか。本浜側に新井田川沿いに工場も建設されていた。
この場所は住んではいけない土地であり、10以上の場所なのに住宅地としては、町は認めない。

今日から春彼岸、綺麗に会社の慰霊塔に「削り花・猫柳」を供えた。昔は新井田川の上流は小川だった。沢山の猫柳が群生していた。ホタル狩りにもいった。自然多き私が愛した新井田川はもうない。(合掌)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:00 】

2019
03/17

春彼岸を前に


明日からの「春彼岸」を前に、当地方の習慣の「削り花」をお墓に供えるがある。
私の慰霊は震災前の自宅に建立した「慰霊塔」にする。
多くの思い出と志津川を襲った「チリ津波」と同じ日に生まれた運命を感じる。
過去の総ての想い出を忘れない為にも。

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石巻の45号線の「デリシャス」にしばらくぶりで行って見た。
「カシュナッツのモンゴウいか炒め」が大好きで、良く石巻への用事の時には食べていた。昨日はメニューが大きく変わり、中華の一覧が全て無くなっていた。残念! これも時代の流れと諦めるしかない。登米市南方の中華屋さんにその名残が見つけている。

大好きなラーメン店、一位はワンスイの「五目旨煮ラーメン」、二位に気仙沼階上の「旭川みそチャシュー塩バターラーメン」で、三位は石巻の回船丸の「細切り肉もやしラーメン」である。
この間、登米市の午後5時過ぎにしか開かない、紺のれんの「みそシャーシュー太麺」が絶品の味だった。勿論、夜にしか行けない事がある。同じものを食べる性格で、別の美味しい物を探す事は。私にとって時間の無駄使いと思っている。

今日は志津川市街地(嵩上げ地)を探索したい。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:03 】


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