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2017
03/28

大震災を体験した子供たちの人生

2011-06-19 05.12.33
3.11から6年目を迎え祈念番組で、戸倉地区の折立にあった「戸倉小学校」の6年生が高校を旅立ち、新たな目標に向かい南三陸町から、次の世界に進んだ。大震災の時に当時の先生方の機転で、浦山の「五十鈴神社」に避難し、何度も打ち寄せる津波から神社内に低学年を入れ、自分たちは野宿し、卒業式で歌うはずの歌を皆で合唱し、あの寒い恐怖の時を過ごした。人生でこんなにも厳しい苦しい時間を過ごした子供達は他には居ない、この子供たちがどんな人間になるのか楽しみで、きっと自然災害の脅威を多くの人達に伝えて行くだろう。
それに引き替え石巻市の「大川小学校」の悲劇を、思わずにはいられない。亡くなられた生徒と先生たちは、周囲には当時津波体験者は少なかったのだろう。先生も50歳以下だろうか、海岸に住み津波を両親・祖父母から聴いていたのだろうか。子ども達はそれ以上に知らなかっただろうが、一人の男の子が「裏山へ!」と叫んだが、避難した場所は学校の向かいの橋の所だった。津波は北上川を逆流し、生徒と先生を襲った。家族は「想い出したくない」と被災した学校の解体と言い、子どもが最後まで生きた学校を「子供の居た証」と、震災遺構と決定した学校で、語り部として「津波の悲劇を伝える。」活動を続けて行くと父は話す。
我が町では津波の悲劇を忘れよう、語るまいとの人が多くなった。正にこれが「風化」なのに。私は震災後に疎遠だった町民の皆さんとの再会に、「あの時はどうしていたの?」と必ず聞く。体験談から学ぶことが多いからだ。

人口減少を町の震災復興における5番目の問題と言う。私は町民を守る事は「町を維持する事」と思っていた。ここまで人口が減り、町の復興は失敗したと思っている。人が居なくなった街をどれだけ綺麗に創り上げても、人が居なくてはしょうがない。

フェイスブックの友達に柳津虚空蔵尊の奥様がいる。奥さんは「寺コン」を企画し参加された方が結婚したとの二人の写真が紹介され、それを祝う多くの仲間が笑顔で出席していた。
年齢制限もあり私の会にも一人の方が会員として登録している。3月末で「会員募集」も一年を迎えた。これからは会員や独身者の相手探しに、自分の周囲から始めたい。29年度は私にとっての正念場、一組を目標に成婚にこぎ着けるよう頑張りたい。会員は現在「6名」の男子がいる。未婚の女性を探すぞ! よろしく。

町も本気で人口の増加を考えるなら、職員皆で結婚活動をしなくてはいけない。「町の一大事」として、町民全員が皆仲人。
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2017
03/27

被災地巡礼と夢の跡


昨日は20日の春彼岸のお返しに町内を歩いた。
土曜日に石巻へお返しの品を探しに行くものの、望む物が無くその足で登米市に向かった。何と近い事、町の復興にとっては大きなリスクとなると、高速道の完成を思った。町内の3Kの高速の整備は、町民は便利ながら、国の「費用対効果」としての政策を思うと、与党の被災地南三陸町への事業は、人気取りの事業としてしか見られない。日本の財政が厳しく、生活弱者への支援が安定していない中で、南三陸町の住民は今も大変な状況にある事も多く、その一部を被災者の「生活安定」に回して欲しい。借金まみれ生活があと15年前後、住宅ローンの返済で厳しい生活を続けて行かざる負えないからだ。便利が町の為になるか等、多くの視点から町の復興を考えていって欲しいものだ。

「被災地巡礼地」の一つを見て来た。今後の東北の被災地に人を呼び込む為と、東日本大震災の自然の驚異を忘れないよう、太平洋沿岸に慰霊の場所の設置を寺院や関係者で整備している。「風化」しないように、「復興」の姿を見て貰い、「多くの支援」に感謝の気持ちを表す為の、慰霊地の整備をする。私も何かと「生きて来た証」を残したいと思っている。

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「夢の跡」となった志津川保呂毛地区の土地を見て来た。行者にんにくの石巻の先駆者の指導により、数千株の行者にんにくの苗を、仲間と写真の土地に植えた。販路と商品開発は石巻の内海さんにお願いしていた。しかし、3.11の大震災で海から1K以上の、志津川の山の奥地まで津波は達した。仲間の全てが被災しこの土地もそのままとなり、夢と希望が「水の泡」となってしまった。当時の仲間の年齢の平均は60歳になるだろうか、しかし、みんなで力を合わせ町起こし活動を続けていた。酒の肴の「つま」としてのハマボウフもここに植えた。夢をいっぱい膨らませた「町づくり事業活動」だった。

過去の記憶と、未来への希望を踏みしめ、私は志津川の地で生きて行く、

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2017
03/26

眠らない眩し過ぎる「華の都」


22日に東京に行く前に「最終回相棒」のテレビを録画した。昨日も3時間の相棒をベットで見ていて30分も経たずに眠ってしまった。3回見たのに未だ6割に達していない。

60歳を過ぎテレビの楽しみは、時代劇と相棒・国会中継、あとは昔のラブドラマとジブリくらいだろうか。だから入浴しベツトで横になり、9時には眠り、夜中(午前3時)の「日テレ」「おは4」を見てしまう。

相棒の番組に幾度となく映る映像に「警察庁」があり、夕陽をバックにあわてて携帯で撮影した。皇居周りは夜8時と言うのにいうのに、多くのマラソンランナーが、次々とその後を追いかける。タクシー運転手さんが「一周10Kなんですよ。」と教えてくれた。警察のエリート軍団が、「日々移り変わる事件に、英知を集め戦っている。」、そんな事を想いながらその前を通った。

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「眠らない街」を象徴する写真だろう。帰路に付いた午後8時過ぎ、高層ビルの半分以上が部屋に明かりが付いている。多くの大手企業戦士がこの時間でも働いている。「過労死」「サービス残業」などの労働形態の中で、政府は「働き方改革」の法整備に取り組んでいる。「週40時間」はフルタイム労働の基本にあり、国が企業と認め「厚生年金」の必須条件の対象となる。月間「160時間」で今回の改正で月100時間の残業を認めている。公務員の「サービス残業」がある事を、こないだ初めて聞いた。企業も公務員もそんなにも仕事を抱えているのか? 自営業は自分の時間を造る為に、効率的な働き方、体調の維持を中心に働いている。多くの収入が欲しい、お客さんに応える為に、こんな考えを持つ経営者は別である。印刷企画業界「電通」での、娘の過労死を通し企業経営の今の危うさを危惧していた。「また、若い人材が命を落とさないか。」と話していたのが、印象的だった。

私は都会生活に向いて無いから、田舎で暮らしている。都会で暮らす事に恐怖さえ感じる。私のような考えを持つ人も多いのだろが、ある時間都会生活に慣れた人間は、私とは逆の考えとなるのだろう。しかし、華の都は凄い社会だった。私は「井の中の蛙」を実感し、東京に進んで行く事は無いだろう。そんな私が羽田からオーストラリア旅行など、若さ故の行動と今となり思う。

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2017
03/25

新たな歩みで


昨夜7時から沼田地区の班長の「新旧交代引き継ぎ式」が集会所にあった。関係する方々25名が集まり引継ぎの後は親睦会を行った。

夕方4時頃に緊急の来客があり、その段取りの為に登米市に行った。南三陸海岸インターができ、30分と登米市まで時間が大きく短縮となった高速道の整備は、町の自動車の流れが大きく変わった気がする。間違いなくう回路としての「ストロー現象」が発生していた。震災復興の「命の道路」は、町の疲弊の加速とならないか不安が募る。

三滝堂インターの「道の駅」が4月1日にオープンする。場所的にも農産品の産直が主体で、コンビニも入ると聴く。登米市の隅に位置する米谷地区は、地区の疲弊が加速している。震災後に「雇用促進住宅」の市の災害住宅への、南三陸町民の緊急入所は、震災6年が経ち住人は住宅再建を済ませ、空き室が多くなり以前の住宅の空家問題へと登米市はなっているだろう。

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以前の「さんさん商店街」は仮設商店が撤去され、震災で残った基礎の撤去が進んでいた。震災後の混乱となった商店街再生に、大きな役割を果たし、震災復興の象徴として全国的に有名となり、沢山の被災地支援の来客で賑わった。この場所に御世話になり復興の一時期を過ごせた。土地への感謝と多くの皆さんへの感謝を、新しく完成した「街の中の商店街」で、これまでの恩返しと、またの賑わいを取り戻せることを願いたい。

初めての地区の6班の班長となり、その仕事は13名の班の区費の集金と、町広報の配布と地区行事の参加がある。とにかく家庭・会社の事で多忙を極めている中で、新たな用件の発生に、父の元気・健康の継続は欠かせない。最初の行事の「春の交通安全」が6日から始まり、地区街角での安全運転の呼びかけがあり、班への告知と順番の段取りを今日にも片付けたい。

初彼岸の来客や東京への出張など、怒涛の一週間だった。当分ゆっくりと休める事はなさそうだ。

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2017
03/24

政治がこんなにも近く

2.24ブログ
世界平和女連合(WFWP)の総会には、松波議員・馬場議員(維新の会)が、知っている議員にいたが、多くの国会議員は知らない名前が多かった。金井克子さん・和泉雅子さんも登壇し、楽しい話に会場が沸いた。
昨日は「森友学園土地問題」の国会での証人喚問が開催された。籠池氏の国の補助金目的の、国会議員・官僚やまさかの安倍総理や婦人を利用した工作の数々には驚きしかなかった。一昨日正門前を通った国会で、その問題について各党の議員が質問した光景が、昨日のテレビで放映されていた。
その前には「石原前都知事」の豊洲移転問題の「百条委員会」があった。石原も脳梗塞で「漢字もひらがなも忘れてしまった」と衝撃の発言から始まった。副知事の答弁は「凄い!」。決してぶれる事も無く知事の為に、都政運営をしていた。
籠池氏も前石原知事も、取り巻く官僚の言葉だけの、自分たちの立場を守る為の答弁に終始した。佐川理財局長・都政の歴代の長など、何が真実なのか見えてこない。別の意味で籠池氏の自分を守る為の発言が真実に見えてくるから不思議だ。国会は自分の親分を守ろうとする議員の質問の厳しさ、与党の失政を突くかのような野党の、柔らかな質問との差を感じる。国会の証人喚問ながら、与党の質問を「失礼な発言」と籠池氏は話すが、そんなにも怒りを表面に出していない姿に、余裕さえ感じた。

今日も9時から官僚らへの証人喚問がある。安倍総理の妻である奥様にも、真相究明の手が伸びれば、総理が話す「関わっていたのなら総理をやめる。」が真実へと歩んでいるようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:10 】


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