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2018
06/23

志津川市街地の再建

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FB(フェイスブック)は楽しいようで、怖い!
こないだ外国人の方から「友達リクエスト」があった。出身地が「ドバイ」とあり、ラムサール認定を進める我が町のプラスになるかと、確認をした。その後に沢山のメールとボイスメツセージが届いた。彼は自分の事業に私を引き込む事、名前の利用を目論んでいるようだった。怖い! 協力はできないと伝えたら、連絡は無くなった。

単純な私は震災後にも多くの出逢いから、人との繋がりとなり、町の復興の為に、自分の為にと接触し失敗となり、詐欺に近い事を経験している。仮営業所に飛び込みの営業、ネットでのメールからの繋がりなど、お金に関わる事は、慎重にしないと心掛ける。現在63歳、オレオレ詐欺への対策も常に心に置く。多くの電話やメールには甘い罠も多い。

南三陸町で計画の「伝承館建設とさんさん商店街の道の駅としての共用」があり、昨日はその予定地を写真で、FBに公開した。この事に多くのメッセヘジと意見を頂いた。南三陸町の「道の駅」の建設や役割の必要性を、フェイスブック上で、私が思う現状を伝えた。子の輪は又ひとり、又別な意見と、総てに私の意見を返した。9月の決算定例議会では、一般質問を町の「道の駅構想」を正したい。現在は調査・計画策定費として450万円を補正で計上し、建設へのプロポーザルの審査員への謝金に、6.3万円の補正予算は議会を通過している。

今後も「伝承館」「道の駅構想」の一体化への建設費や場所選などがあり、議論し内容を精査して行きたい。

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2018
06/22

私の健康食


3日前に糖尿の主治医に「ヘルグロビン数」高いですね。」と指摘された。毎月欠かさず病院に行く、糖尿の血糖値安定には薬を飲み、インスリンを打ち続ける事しかない。震災を乗り越え「食べたいものは食いたい。」が、体調よりも欲望に負ける自分が居る。
「ヘモグロビン数が上がったら、今の治療を変えます。」と先生と約束をした。検査数値の7.8を見て「高いですね!」と言われた。何のことは無い「0.1」下がっていた。インスリンを含めた「薬への依存」を私は回避したい。昨年の今頃は「6.5」と正常値まで下がったが、一年でまた元に返った。
「食事療法」が理想ながら、時には「Wハンバーグ」「カツ丼」「うな丼」など、冷たいビールと共に食べたい。日常は野菜主体の食事を心がけている。それが写真の「ポテトサラダ」で、ジャガイモ・人参・キューリ・コーン、そして私の好きなレーズンを入れ、辛子マヨネーズで和える。これが又美味い。

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一昨日、登米市に移住した方が突然、会社を訪れた。震災前の地図・友だちの本、南方仮設の入居者表・諸々の資料など、コピーした物に表紙を付け一冊に綴じて欲しいとの事だった。私のように震災前の記録を大切に保存したいがあるのだろう。料金はと言うので、「いいがら!」と言うと、買ってきた登米市の「愛菜館」の野菜を4種類置いていった。嬉しいお土産を貰った。

その中の「なめこ」を早速、キノコ汁にした。私の作ったサラダと「大根の酢漬け」とご飯、そしていっぱいのお茶、咋日の朝食だった。これで健康にならない訳がない。
昨日は健康の為と、低地部の換地した営業所に行き、整備された道路、そして大森と本浜を繋ぐ「曙橋」から、上流・下流の風景を撮影した。移動には自転車を4年ぶりに物置から出し運転した。ペダルが重くて体力が落ちたと落胆した。タイヤのエアーを入谷地区の先輩知人の所に行った。何の事はない、ペダルの重さはタイヤのパンクのせいだった。

暇な日はのんびりと志津川町を散策する。津波で市街地は大きく変わったけれど、町の残った人々の心までは震災で変わる事が無かった。「町の道の駅構想反対!」。







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2018
06/21

西南海トラフ地震の予兆と肝に命じて


昨日、大坂の友人からレターパックが届く、今回の大阪の直下型大地震の状況を伝える新聞だった。少女の壁の圧死は、宮城県沖地震の検証を、他人事と考えた自治体の責任でもある。当初は3名の死が、室内での食器棚や本棚などの倒壊で2人が亡くなっていた事が判った。
30年も前に宮城県は、「宮城県沖地震」で住宅の塀の建設に条例で、鉄骨を入れる事を義務付けた。その他にも各種棚への固定器具も、県民は当然のごとく設置した。その過去の地震に学んだ事で、南三陸町も3.11のM9の地震でも、家屋の大きな倒壊や、人命が奪われる事はなかった。耐震基準の見直しなど、地震や津波の発生から学んだ、多くの検証が大震災に生かされていた。
しかし、千年に一度の大津波には人間の知恵も及ばなかった。学んだ事は「命の大切さ」そして「避難道の確保」で、普段から地震・津波の発生・対策を家族で話す事で、多くの命が救われると、人間は学習した。

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南三陸町の第一次産業の皆さん、そして住民の皆さん、「道の駅」の在り方を考えてみませんか。
今、町で進める「南三陸町道の駅」はさんさん商店街の隣りへの、伝承館の設置で、他の道の駅のように、地域の新鮮な農水産品の販売は? 小さな農家・漁民の生産品の出品なしの、既存の商店街での「道の駅構想」を町は商店街店主と作ろうとしている。伝承館はその役目を果たし、道の駅は農水産業の生産品を販売する場所とすべきと、私は多くの道の駅を見て回り、考えています。

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≪道の駅構想と伝承館の計画について》
・基本計画のプロポーザル(公募)を住民の公開の場で
・道の駅のパブリックコメント(住民意見)を多くの住民意見が集まるように
・1000㎡の道の駅スペースに「400㎡」の伝承館の在り方
・石巻の防災センターを見て町の震災風化防止の施設として妥当か
・兵庫県の「防災センター」から学ぶ物は
・農家・漁業者を「南三陸道の駅」の運営の加えるべき
・復興祈念公園内の「防災庁舎」を見られる伝承館に
・プロポーザルは町外からの関係者との利害が無い登用を
・震災伝承館基本設計委託料の「450万円」の妥当性
・商店街の道路の濃く雑の解消策は
・伝承館に町を呑込んだ「16m」の津波を理解できる施設内容に
・さんさん商店街は民間の経営で行政が介入し過ぎでは

などを考慮した南三陸町の「道の駅」を建設すべきと考えます。

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2018
06/20

心地よい寝不足 そして勝利 ドキドキのアディショナル5分


南米の雄「コスタリカ」とのワールドカップ戦、南米からの初勝利。
ゴール前でのコーナーキックからの、大迫の決勝ヘディングゴール(写真)で何とか勝った。5分のアディショナルタイムは、コスタリカの最後の猛攻に、耐えに耐えた時間だった。「篤実、日本勝ったよ!」
開始ホイッスルからわずかで、香川と乾の連携から、相手のゴールエリア内での「ハンドの反則」、無意識の内なのか腕にボールが当たった。一発退場でフリーキックは香川がワールドカップで、初ゴールをした。
形はどうあれ先取点、そして相手選手の退場で、10対9での優位での試合の様相。しかし、決して優位とは言えない戦いで、前半の1対1から、後半に1点を取り、最後のアディショナル5分間はドキドキの心地よい観戦をした。

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南三陸ホテル観洋でサッカーワールドカップの、「パブリックビューイング」での応援会が作日午後9時からありました。みんなで応援したいと思う方は、ぜひ参加下さい。と知人がすすめてくれました。
南三陸町でも町内で「パブリックビューイング」を設置して、町民が一丸となり日本チームを応援する等、文化交流ホールの活用をした方が良い。サッカー少年団やスポーツ大好きな青年、高齢者も一緒になり、共に心一つにして何かをする事は、復興への団結力ともなると思われる。

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決勝点をたたき出した大迫選手の、サッカーへの情熱は、高校時代の活躍でも、全国の高校選手から「ハンパねえ!」と言われる程ながら、日本国内の「Jリーグ」だけでは、自分の力の成長はないと、世界の強豪国であるドイツでの、リーグ戦に挑戦した。
世界屈指のドイツチームも、まさかの一回戦は敗れている。今回の世界大会のサッカーの対戦は、予想だにしない結果が沢山出ている。日本のコロンビの対戦勝利も、以外との国民の意見も多い。チームが最後まで諦める事無く、「守って攻めた」、一人一人の活躍その結果が勝利に結びついた。挑戦の気持ちを忘れる事無く、チームプレーと、その中での個人プレーを発揮して欲しい。

残念ながら昨夜の「決勝点シーン」は見る事ができなかった。でも日本のサッカーファンと共に喜びを共有した。午後11時に試合は終わっても、興奮してか2時間近くは眠れなかった。今度は20日のセネガル戦を、皆さんで応援しましょう。多くのサポーターの力が必要と、長友選手はサイヤ人の金髪ヘアーで話していた。




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2018
06/19

大阪で震度6弱の直下型地震


昨日の午前7時58分の「大阪直下型地震」の発生は、テレビでの地震予測速報と同時に発生した。直後のテレビの放映の光景では、ビルの倒壊や高速道の落下、そして火災や家の崩壊は見られなかった。火の後に色々な被害が報道された。

大坂の友達に大震災直後の連絡は、東日本大震災の経験から、携帯電話よりメールが繋がったとの経験で、メールを入れると少しして携帯で連絡が来た。車で走行中でしたが、地震による町の変化はありません。大丈夫です。との事だった。「必ず余震がありますので、用心して下さい。」と告げた。
大坂の皆さんからの支援を受けた私の友だちも、「携帯が繋がらない」と、大坂の支援の方を心配し、私に電話をくれた。

大震災前の20年以上も前に、「宮城県沖地震」があった。我が社は印刷の器機が倒れたり移動したりして、2~3か月は仕事にならなかった事を記憶する。大阪の同業者の友人なので、私自身は大きな心配の中にあった。15~20秒の直下型地震だった事が、機械の被害に繋がらなかったと分析する。
宮城沖の地震では仙台の「卸商団地」に大きな被害がでた。ビルの倒壊や地盤の沈下など、埋め立て地の商業地故の被害だった。
人命では塀の圧死9人で28人の人命が失われた。大阪の地震でも9歳の女の子が学校の施設の塀で圧死した。その他にも交通安全の見守り支援の80歳の男性も同様に亡くなった。宮城県では震災後に、塀には震度6~7に耐えれるような、塀の建築規制が引かれた。これが宮城県沖から学んだ検証にある。

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最近では熊本地震でも28歳?の男性が壁の下敷きになった。大阪の地震が東日本大震災の半分の2分間の地震なら、もっと多くの被害がでた事と思う。真剣に自然災害に取り組む地方自治体の施政が、国民の多くの命を守る事に繋がる。

南三陸町への派遣職員の支援は、兵庫県が12自治体、大坂府が1自治体と、町長は今後なにかあったら支援をしていきたいと、議会の最終日の昨日に語った。職員派遣支援を受けた所ばかりではなく、総ての県に対し大きい意味の支援は、南三陸町の恩返しと感謝の気持ちであり、伝えないといけない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:36 】


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